ロージス城塞から逃げ出したアルナーとスクローレンは、あたり一面が真っ赤に染まる中、無我夢中で馬を走らせていた。

 振り返る余裕は一切なく、アルナーはただひたすら魔の手から逃れるべく手綱を強く握りしめる。アルナーの頭の中は、死んで逝った兵士たちの姿で埋め尽くされている。そして、その兵士たちの上で魔術師ショラムが笑みを浮かべてアルナーを呼んでいる。


「・・・・か・・・でん・・・・・殿下!」

「――――――ッ!ス、スクローレン?」

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ、大丈夫だよ」

「追っては来ていないようです。もう少ししたら馬を休ませましょう」

「わかった」


 四五スタード(約七三キロメートル)馬を走らせると、ようやくスクローレンは手綱を少しばかり引いて、馬脚を落とした。アルナーは安堵に息を漏らすと、スクローレンに倣って馬脚を落とした。

 額に浮かぶ汗。浅い呼吸。煩すぎる心臓の音。深呼吸を繰り替えずが、強張った体の緊張は解けない。

 少しして川を見つけると、二人は馬から降りた。

 ふらつきながら馬から降りるアルナーに、スクローレンはすぐさま手を貸し、二人は川傍に座り込んだ。


「殿下」


顔を上げると、スクローレンが気遣わしげな表情でアルナーを見ていた。アルナーは大丈夫だと示すために微笑んだが、見せられた側からすれば痛々しい表情でしかなかった。

 スクローレンが口を開こうとすると、それよりも先に鳥の鳴き声が聞こえた。

 二人は同時に空を見上げ、アルナーは嬉しそうに微笑んだ。


「良かった。無事だったんだね」


鳴き声の正体はアルナーの友であるエレルヘグだ。

 トグリルはアルナーの感情が読み取れているのか、慰めるように頬に擦り寄った。その気遣いに嬉しそうに目を細めたが、心は悲しみで涙が溢れ出していた。


「殿下、もう少し進んでから今日は休みましょう」


二人は再び馬に跨り、小さな町で宿をとった。

 ロージス城塞に魔術師が攻め入ってから数刻、王宮に一羽の鷹が万騎長トゥルマーンカビーナド部屋の窓辺に止まった。足には文が結び付けられており、それに目を通しおえるとカビーナドは直ぐに王の執務室へと走り出した。


「陛下、カビーナドでございます。至急お耳に入れたいことがございます」

「入れ」


低い威厳のある声が入室の許可を出すと、押し入るかのように部屋に入り、文書を差し出した。


「ロージス城塞からの文書でございます。あちらにも魔術師が現れ、アルナー殿下が追われているそうです。いかがいたしましょうか?」


ゴルギアヌスは文書に目を通し終えると、机の上にあった手燭の火で燃やしてしまった。


「陛下・・・?」

「捨て置け」


ゴルギアヌスは紙が燃え尽きるのを眺めながら、冷たく言い放った。

 予想外の返答にカビーナドは目を瞠り、反論を口にしようとした。


「ですが・・・!」

「我に口答えをするな」

「っ!・・・失礼いたしました」

「さっさと執務に戻れ」

「はっ」


カビーナドは一礼すると、執務室を後にした。

 我が子が得体のしれぬ集団に追われているにもかかわらず、父である王の突き放した言動に、カビーナドは胸を痛めた。


「殿下はご無事であろうか・・・?」


カビーナドは小さく言葉を吐き出すと、不安を追い払うように強い足取りで部屋に戻った。

 カビーナドが去った執務室では、ゴルギアヌスが狂ったように笑っていた。


「ようやくこの時がきた!・・・・・・・・ついに世界が動く」




 * * *




 翌日、アルナーとスクローレンは朝日が昇ると同時に宿を出た。

 アルナー達が向かっているのは、スクローレンの旧友が住んでいる街だ。城の外にアルナーが頼りにできる者がいるわけもなく、スクローレンの提案に頷くしかなかった。


「殿下、もう少しばかり走れば街があります。そこにかつて翔爵だった者がいます」

「今は違うのか?」

「私と同じで、王に爵位を剥奪され、家族もろとも土地を取り上げられてしまいました」


スクローレンが呆れたようにため息を吐いた。


「その者は何をしてしまったのだ?」

「王命を無視したのです。切れ者故に我も強く、王の腹心からは常に煙たがられていたので、爵位の剥奪は時間の問題でした」

「あの父上に意見を申すとは、すごい者がいるのだな」


アルナーが、感心と驚きの混ざったような反応を見せた。

 しばらくして、アルナーが小さく声を上げた。アルナー達の行く先に街が見えたからだ。


「あそこか?」

「そうです。あそこに我が旧友がいます」


 街に入り、厩舎に馬を預けると、アルナーは黙ってスクローレンの後に続いた。

 街は王都ほどではないが、賑わいを見せている。豊かな街であることを示すのは、土地環境、商行行路、そして奴隷セルウスの数だ。

 アルナーは念のために顔と髪を隠した。アルナーの髪色はこの国では珍しく、色素の薄い金色は、人が飾る金品よりも美しい。この国にこれほどの美しい金色の髪を持つ者はアルナーしかいないだろう、とスクローレンは思っている。金色に似た髪色を持つ者はいても、透き通るような輝き持ったものはいない。その上、瞳の色が何よりも珍しかった。宝石を散りばめたような黄金の瞳は、光によって色が変わり、見る者を惹きつけてやまないだろう。それほどに、アルナーの持つ髪と瞳は稀有な物だった。


「殿下、これから会う奴ですが、かなりの偏屈者です。腕や見目はいいのですが、いかせん性格に問題がありまして。王族もあまり好ましく思っていないので、殿下に失礼な態度を取るやもしれません」

「私は大丈夫だよ。其方が頼るという事は、信頼できる者なのだろう。それに王族嫌いの者がいたとて、おかしなことではない」

「殿下の御心の広さには礼賛するばかりでございます」


毎度見せつけられるアルナーの心の広さに、スクローレンは何度目かわからない感服をした。

 行き交う人々を避けながら歩いていると、スクローレンが一軒の小さな家の前で足を止め、戸を数回叩いた。


「セルゲレンいるか?スクローレンだ」


少し間をおいて戸が開くと、スクローレンと年の変わらぬ青年が顔を出した。スクローレンの言っていたとおり、女性に苦労しなさそうな顔立ちをている。

 アルナーは、現れた男をスクローレンの背後からそっと盗み見た。


「久しいな、スクローレン。何用だ?」

「七年ぶりだ、セルゲレン。少しお前に頼みがある。中に入れてもらえるか?」

「それは構わんが、後ろにいる子どもはなんだ?」


突然自分の事を言われたアルナーは肩を震わせた。何か言わねばと思い、前に出ようとしたが、スクローレンが背に隠すよう押さえた。

 その行動に驚いたのはアルナーだけではない。セルゲレンもスクローレンの大事なものを隠すような行動に目を瞠り、口角を上げた。


「中に入ってから話す」

「いいだろう。入れ」


スクローレンの表情があまりにも真剣で、厄介事を持ち込みに来たとセルゲレンはすぐに察した。


「もう大丈夫です。外套をお脱ぎください」


アルナーは許可が得たことで、暑苦しい外套を脱ぎ、一息ついた。

 現れた金色の髪を見て、セルゲレンは少年が何者なのかすぐに察した。と、同時に盛大に溜息をついた。


「ちゃんと訳を話さねば追い出すからな」

「わかっている」

「ターナ、茶を出してくれ」


台所に向かってセルゲレンが叫ぶと、若い女性が返事をした。

 ターナとはセルゲレンの血の繋がった妹だ。両親は既に他界し、今はこの小さな家で兄妹二人で暮らしている。


「それで、何が遭った?」

「魔術師が殿下を攫おうとした」


スクローレンの言葉を聞いた瞬間、セルゲレンが楽しそうな表情をした。


「ほう、魔術師な。俺は魔術師と言う人種を見たことはないが、あのような奴らはいんちき占い師と変わらんだろ」

「魔術を使うのかはわからんが、相当腕が立つ。兵が何人も殺された」


スクローレンの言葉でアルナーは死んだ兵たちをまた思い出し、心が痛んだ。

 転がる首と切り離された胴体。流れ続ける血が、大きな血だまりを作っていた。

 戦場を知らないアルナーには、あの惨い光景はどれだけの時間が過ぎても忘れることは出来ないだろう。


「殿下、大丈夫ですか?少し休まれてはいかがですか?」


アルナーの異変に気が付いたスクローレンが見兼ねて声を掛けたが、アルナーは首を横に振った。


「私なら大丈夫だ。気にせず話を続けてくれ」


スクローレンとセルゲレンは目を合わせ頷いた。


「ご無理はなさらないで下さいね」


アルナーが頷くのを確認すると、スクローレンはアルナーがロージス城塞に来てからの事を話した。

 話を聞いている間、セルゲレンは難しい顔をして、顎に手をあて考え込んでいた。


「タイミングが良すぎるな」


話し終えると、セルゲレンは一言そう発した。


「それは俺も思った。だが魔術師だからと言って、殿下の居場所が突き止められるとは思えんが」

「魔術師どもは間違いなく王宮に行っただろうな。そして王太子の居場所を聞き出したか突き止めたのかは知らんが、連れ去ろうとしたのだろうな」

「ならば陛下が殿下を・・・・!」


途中まで口にして、スクローレンは慌ててアルナーを見た。顔色の悪さが増し、微かに体が震えていた。


「殿下、やはり奥でお休みなされ。ターナ、殿下を寝所に案内してくれ」


アルナーはターナに支えられて、寝所に連れていかれた。その足取りは覚束無ず、今にも倒れてしまいそうだった。


「お前は阿呆だな。王太子殿下も薄々気がついてはいただろうが、あの様子だとお前が止めを刺したも同じだ」

「ああ、俺の失態だ」


スクローレンは顔を両手で覆うと、盛大に溜息をついた。


「まあいい。それで、これからどうするつもりなんだ?」

「そのことをお前に相談したくて来たんだ」

「俺はもう王族と関わるつもりはないぞ」

「そう言うな。殿下はまだ幼いからか他の王族とは違う」


スクローレンの言葉にセルゲレンが悪い顔をした。


「もしやお前、自らの手で殿下を理想のシャーにしようなどと企んでいるのか?」

「馬鹿なことを言うな。殿下には俺の助言など必要ない。あのお方は自らの足で良き王への道に進まれる」

「ホー・・・、随分とあの子供を買っているのだな」

「ああ、そうだ。だからお前も必ず殿下に膝を折ることになる」


スクローレンの自信満々な物言いに、セルゲレンは呆れて首を振った。


「スクローレン、お前は何か勘違いしているな。俺は王族が嫌いというわけではない。助けてもらえることが当たり前と思い、兵の命を軽んじる王が嫌いなんだ」

「それなら尚のこと、お前は殿下に忠誠を誓う」


スクローレンが口元に笑みを浮かべ、セルゲレンが怪訝な表情をした。


「城塞が襲われたとき俺は殿下を探しに行ったのだが、殿下は俺が見つけるよりも先に交戦の中にいた。兵たちを助けようとする殿下を俺とバフィット殿が止めたからな」


スクローレンの話にセルゲレンは胡坐の上に肘をついて、少し不貞腐れたような表情をした。それに対して、スクローレンはさらに笑みを深めた。


「・・・確かに王族とは思えぬ行動だ。先に交戦の中にいたと言うことは、殿下は腕が立つのか?」

「いや、どうだろうな。俺は小さい頃の殿下しか知らんからな。聡明ではあられるが」


セルゲレンが降参とばかりに両手を上げた。


「わかった。殿下と話してからにしよう」

「それともう一つ。殿下の御出生で気になることもある」


まだあるのかと、セルゲレンが疲れたように項垂れた。

 スクローレンは、城塞で聞いたアルナーの幼き頃の話をした。


「次々と・・・まあ、いい。それも明日直接聞く」


セルゲレンはターナに葡萄酒を用意させると、久しぶりの再会に酒を呷った。

 一人、寝台に寝ころびアルナーは二人の会話を思い返していた。

 王が王太子を魔術師に売ったということは、アルナーは王にとって邪魔者だったのか、それとも国を守るためだったのか、どちらかだろう。この現状では、本当のことを知る術はない。

もし、本当に王が王太子を売ったのであれば、アルナーは二度と王宮に帰ることはできない。


「私は父上にとって大切な家族ではないのだな」


 アルナーは下降していく気分を引き連れて、意識を沈ませていった。

 ―――翌朝、アルナーは朝日が昇る前に目が覚めた。

 あの後、結局一度も目が覚めることはなかった。窓の外に目をやり、静かに寝台から降りると、そっと外に出た。

 街はまだ静まっており、昨日の賑わいが嘘のようだった。

 アルナーは特に行く当てもなく街を散策し始めた。初めての場所だからか、昨日よりはいくぶん晴れ晴れとした気持だった。

 朝日が昇り始めると、街が輝き、人の活気が戻ってきた。

 アルナーが家を出てしばらくして、目を覚ましたスクローレンはアルナーが寝ていた寝所の戸を叩いた。中から返事はなく、まだ寝ているのだと思い、そっと戸を開けると寝台の中はもぬけの殻だった。

 スクローレンはすぐに踵を返すと、セルゲレンを叩き起こした。


「殿下がおられぬ!」

「ターナの手伝いでもしているのではないのか?」

「いや、彼女にも聞いたが、起きてから一度も見ていないと言っている」


さすがに嫌な予感がして、セルゲレンは目を覚ました。


「俺は街を探してくるから、セルゲレンはここにいてくれ」

「いいが、お前わかるのか?」

「何度か来たことがある」

「わかった」


スクローレンが家を飛び出すと、ターナがセルグレンに声を掛けた。


「お兄様、大丈夫なのですか?」

「魔術師が来たのなら、さすがにあいつも気が付いていた。殿下は散歩にでも行っているのだろう」


ターナを安心させるためにそう言ったが、そうあってほしいと言うセルゲレンの思いも混ざっていた。

 スクローレンは街中で「アルナー様」と名を呼びながら走り回った。時々、人に聞くが、正体を明かすわけにもいかず、みな一様に首を傾げるだけだった。

 セルゲレンの家からだいぶ離れた市場まで来ると、人込みのなかに見覚えのある髪を見つけた。

 人垣をわけ、華奢な肩に手を伸ばすと、驚いて振り返った少年の顔を見て、スクローレンはようやく安堵した。


「スクローレン?」

「殿下、探しましたぞ。魔術師に攫われたのではないかと肝を冷やしました」

「それは、すまないことをした」


スクローレンの額に浮かぶ汗を見て、アルナーは素直に謝った。


「いえ、殿下がご無事ならいいのです。飯の準備も出来ていることですし、家に戻りましょう」


アルナーは言葉無く頷き、スクローレンの後ろを歩いた。

 賑やかな人々の中に紛れていると、昨日までのことが嘘のように感じてしまっていた。

 だが、そう感じるたびに、ロージス城塞での光景が思い起こされ、アルナーに現実を突きつける。

 もし、自分が王太子でなければと星の数ほど考えた。だけど、結局は王太子である自分を切り離すことはできない。そして、自分のせいで多くの人が命を落としていく。その事実はアルナーの心を確実に蝕んでいた。


「殿下?どうかしましたか?」


スクローレンに呼ばれて顔を上げると、いつの間にかセルゲレンの家に着いていた。


「いや、なんでもない。ありがとう」


扉を押さえて待っているスクローレンに礼を述べて入ると、ターナの泣きそうな顔が目に入った。


「ご無事でよかったです」


驚いてスクローレンを振り返ると、スクローレンが苦笑した。


「迷惑をかけてすまなかった」


二人にも心配をかけてしまったことを理解したアルナーは、すぐに頭を下げ謝った。

 王太子の立場が、こんなにも誰かに心配をかけてしまうのが申し訳なかった。


「さぁ、殿下。腹が空いたでしょう。食事としましょう」


ターナの手料理に舌鼓をうつアルナーは、初めて食べる料理に驚きながらも、黙々と口に運んでいた。


「殿下、お口に合いますでしょうか?」

「とても美味しいよ」

「そうですか」


ホッと安堵したターナは、嬉しそうに台所へと戻って行った。

 食事があらかた終わると、セルゲレンが居住まいを正した。それに気が付いたアルナーは一度スクローレンを見てから、セルゲレンに向き合った。


「殿下、お聞きしたいことがございます」

「私で答えられることなら、何でも聞いてくて構わない」

「では・・・殿下は、王妃にお会いしたことがございますか?」


セルゲレンは昨日の会話の確認も兼ねて、再度アルナーに聞いた。


「ないよ」


アルナーは即答した。


「そうですか。昨日、スクローレンの話を聞いていくつかの可能性を考えてみたのですが、殿下の母君は王妃ではないということです。魔術師が現れた可能性も考慮して、殿下の御出生に何かしらの形で魔術師たちが関わり、そして五歳までの記憶を消したのかもしれません」

「魔術師とやらはそんなことが出来るのか?」


セルゲレンは首を横に振った。


「魔術師が明るみに出てきたことがありません。どのような者なのか、そもそも存在するのかさえ不明でした。ですが、今回の件で魔術師が存在することは信じましょう。そして、殿下が魔術師に狙われる理由についてですが、殿下自身が魔術師の血を引いている可能性もあります。だから、魔術師は殿下を連れ戻そうとしたのかもしれません」

「なるほど。だとすると、父上は昔から魔術師と関わりがあったという事になるのか?」

「可能性の一つですが。それから殿下の今後についてです。殿下はこれからどうしますか?王都ウェールに戻られますか?」


セルゲレンの問いは、ずっと悩まされている問題の一つだった。答えは出ていないが、出来ることは限られている。


「いいや、私は追放されたも同然の身だ。それにこれ以上私のために兵が死んでいくのを見たくない。だから・・・・・、私は魔術師のもとに行こうと思う」


兵の命を無駄にしないため、自分の大切な人を守るため、アルナーが導き出した答えは、スクローレンにとって最悪の選択だった。


「お考え直しください!あのような奴らのところに行けば、何をされるかわかりません」


スクローレンがすぐさま反対の意を声を荒げながら言った。


「わかっている。だが無力な私にできることはこれぐらいなんだ」


アルナーの出した答えにセルゲレンは考え込んでいた。


「殿下は兵たちの仇を討とうお考えなのですか?」

「いや、私の腕では仇など打てない。だからこれ以上死者を出さない為にも、最善の方法を考えたつもりだ」


敵討ちを考えないでもなかった。だが、今のアルナーの力ではどうにもできないことは嫌というほど理解している。ならば、魔術師のもとへ行き、その機会を待つのが最善だとアルナーの思っていた。


「わかりました」

「セルゲレン!」


セルゲレンが肯定したと思ったスクローレンが声を上げた。


「まぁ、落ち着け。殿下のお考えは立派かと思いますが、それからのことを考えてみてください」

「それからとは?」

「まず、殿下が魔術師である場合です。今は何の魔力も感じられませんが、もし魔術師どものもとへ行き力が覚醒した場合、奴らは何をするのでしょうか?」

「・・・世界を創りなおすと言っていた」


アルナーが少しばかり考えてから言った。


「そうです。つまり、魔術師たちはこの世の人間を消し去ってしまうのかもしれません。そうなれば、私も、王宮にいる者も、スクローレンもみな消えることになります。殿下はそれでよろしいのですか?」

「よいものか!だが・・・!」

「落ち着いてください。ですから殿下が魔術師たちのもとへ行くと言う考えはお捨てください。今殿下がすべきことは仲間を集めることです。まずは王に仕えていない者から集めるのが最善でしょう」

「なぜ知らぬものから仲間を得るのだ?」

「陛下直属の者ですと信頼に欠けるからです。殿下の御出生について知っているのは陛下です。その配下の者が知らないとは限らないでしょう」

「確かにそうだな。わかった。其方の言うとおりにしよう。では私はどこへ向かえばいい?私はこれまで一人で王宮の外に出たことがないから、できるだけ詳しく教えてもらえると助かる」

「殿下、何か勘違いをなさっているのではありませんか?」


アルナーはセルゲレンの言いたいことが理解できず、スクローレンの顔を見た。


「殿下はお一人ではありませんよ。私が付いております」

「だがスクローレンは私の護衛よりも、もっと他にやるべきことがある。ロージス城塞だって」

「いいえ、違います。私の役目は殿下を守ることです。それ以上のことなどございません」


アルナーの言葉を遮るように告げられた言葉に、アルナーが眉を下げた。


「スクローレンが自ら危険な目に遭う必要はないのだぞ」

「危険な目にならこれまでにも何度も遭ってきております。追放された身と仰るのであれば、私こそ陛下の反感を買い追放された身です。どうか、殿下のお傍に居ることをお許しください」


スクローレンの言葉に、アルナーは目じりを下げ微笑んだ。


「ありがとう、スクローレン。今は無理だが、私が王になった暁には礼をしたい」

「お心遣いをいただけるだけで十分でございます」

「いや、それでは私の気が済まない。其方の願いを叶えさせてくれ」

「その時までに考えておきます」


アルナーが頷くと、二人はセルゲレンを見た。


「では、これからについてですが、先に魔術師について知ることが先決でしょう。そのためには、サンリック教会に行くことがよろしいかと存じます」

「そこには魔術師がいるのか?」

「いいえ、違います。サンリック教会はこの国で一番古い教会です。古い歴史書があるはずです」

「魔術師についてわかるかもしれないということだな」

「その通りでございます」

「セルゲレンの言う通りにしよう。そうと決まれば、すぐにでも出立の準備をしなくては」

「お待ちください、殿下」


アルナーが腰を上げようとしたが、セルゲレンが言葉で止めた。まだ何か話さなくてはいけない内容でもあっただろうかと、アルナーが首を傾げた。


「殿下にお一つお許しを頂きたく思います」

「なんだ?」

「私もご一緒させていただけますでしょうか?」


スクローレンの言葉に、アルナーは驚いた表情をしたが、スクローレンは予想していたのか、口角を上げた。スクローレンの表情を目の端に止めたセルゲレンは一瞬眉を顰めたが、すぐに表情を改めた。


「でも其方にはターナがいるし、何より私は其方に何もしてやれぬ」

「ターナのことに関しましてはご心配いりません。もうじき嫁ぐことになっております」

「それなら猶の事ここにいたほうが良いのではないか?門出を祝ってやることができなくなってしまう」


黙って話を聞いていたターナが台所から出てきて、アルナーの前で膝を着いた。


「殿下、私からもお願い申し上げます。お兄様を連れていってやってください。爵位を剥奪され、年寄りのように隠居生活を送りはじめてから、それはもう怠け者になってしまい困っておりました。その兄がようやく重い腰をあげようとしております。どうかお願いいたします」


ターナが深々と頭を下げた。


「おい、それは言い過ぎだろう」


セルゲレンが口を挟むと、ターナは勢いよく兄を睨んだ。


「いいえ、言い足りないぐらいです。お兄様は何かに理由をつけて怠けようとしておりました。私が何を言おうと、後で後でと言うばかり。私がどれだけ苦労したことかと。私の苦労がわかるのであれば、さっさと殿下のお力になるよう働き下さいませ!殿下、兄は知恵者で剣の腕も確かでございます。私のことなどお気になさらないでください。怠け者の兄が祝ったところで何か変わるわけでもありませんゆえ、兄の祝いは不要にございます」

「えっと、ターナがそう言ってくれるなら、ぜひ力を借りたい」


ターナの勢いに気圧されながらもアルナーは頷き、セルゲレンの助力を求めた。


「ありがとうございます、殿下。愚兄は殿下に忠誠を誓う事でしょう」


二人のやり取りを見ていたスクローレンは声を押し殺しながら腹を抱えて笑い、愚兄とまで言われたセルゲレンは何とも言えぬ気持ちで片膝を着いた。


「殿下。このセルゲレン、殿下に忠誠を誓いたいと思います。どうか、私をお連れください」

「ありがとう、セルゲレン。私の方こそ頼む」


 セルゲレンの同行が決まると、三人は慌ただしく出立の準備を始めた。

 セルゲレンは趣味の本を持っていこうとして、荷物になるから置いて行くように言うターナと揉め、なかなか準備が終えられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る