王都を出立して数時間ほど馬を走らせると、アルナー達は馬を休ませるために休憩をとっていた。

 ロージス城塞までの距離は三四一スタード(約五五〇キロメートル)、約五日の道のりだ。

 過酷な道も多く、また王都周辺の山には山賊も多く潜んでおり、様々な状況を考慮すると六日はかかってしまうだろう。

 初めて外の世界に出たアルナーにとって、過酷な旅となることは容易に想像できた。


「殿下、お水を」

「ありがとう」


アルナーは兵から水を受け取ると、大きな岩に腰を下ろした。

 初めての長旅で、容赦なく照り付ける日差しに、早くも少ない体力を奪われている。兵たちはみな疲れた様子もなく、荷を整えるなりしている。自分一人だけが疲れた姿を見せていることが恥ずかしくなり、アルナーは背を丸めるようにして俯いた。

 アルナーたちが今いるのは王宮から一二スタード(約二〇キロメートル)離れた山の麓だ。この山を越えるのが今日の目標になっている。今日中に超えることが出来なければ、山の中での野宿となる。出来る事ならそれは避けたかった。

 なぜなら、山には狼などの獣だけでなく、山賊ガミンも住み着いているからだ。危険を避けるためにも、出来るだけ街の近くまで進めておきたいと、兵の一人がアルナーに予め説明していた。


「殿下。少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ダフネ、だよね?どうかした?」


出立する前にそれぞれの兵士の名前を確認しておいたアルナーは、覚えたばかりの兵士の名前を確認するように呼んだ。

 王宮の中では、限られた者としか関わることがなく、兵士とこうして言葉を交わすことは滅多になかった。


「小官の名前を覚えていただけたこと、光栄に存じます。失礼を承知でお聞ききいたしますが、殿下はなぜロージス城塞になど行かねばならないのでしょうか?あそこは大変危険な場所だと私も存じております。王太子であらせられる殿下が、そのような場所に置かれるのは、どう考えてもおかしな話ではないでしょうか」


ダフネと呼ばれた男は片膝を着くと、真剣な表情で切々と言葉にした。

 初めて言葉を交わすはずの兵士が、どうして心配してくれているのだろうかと、アルナーは疑問を抱いたが、口に出すことなく心に留めた。

 勿論、ダフネがアルナーを心配するのには理由がある。だがその理由を知るのは本人のみだ。


「父上の考えることは私にもわからないよ。ダフネも知っているだろうけど、私と父上の仲は良くないからね」

「ですが!・・・・・アルナー殿下は王太子でございます。その御身に何かがあれば、国の存続にも関わってきます」


一瞬ダフネが苛立ったように声を荒げたが、アルナーの驚いた表情を見て、すぐに言葉を正した。

 ダフネの言う通りアルナーは王太子という立場にあるが、父である国王からそのような特別扱いを受けたことは一切ない。だから、ただのお飾りの王太子でしかないと本人は思っている。

 そのことを今さらどうこう考えるつもりはないが、他人から聞かれるとどう答えればよいのか、アルナーにはわからなかった。


「なんでだろうね」


ダフネの言葉に、結局アルナーは困ったように笑うしかなかった。

 王に命を下されたときに理由を問うことが出来れば、何か知ることが出来たかもしれないが、アルナーにそんなことが出来るはずがなかった。なぜなら、一度たりともアルナーが王に意見を申すことを許されたことがないのだから。


「出過ぎたことを申しました」


 ダフネはそれ以上の追及をせず、口を閉ざした。

 一行は再び馬を進めると、山の中へと入った。山の中は、先ほどまでの暑さが嘘のように涼しかった。生い茂る木々が影となり、太陽の光を遮っている。馬の脚も軽快で予定よりも早く山を抜けられそうだった。――――が、そううまくは行かなかった。

 山に入って数刻、馬の脚が止まった。兵たちはアルナーを守るように取り囲み、周囲の気配を探った。

 アルナーは何が起きているのか分からず、不安な表情であたりを見渡した。


「殿下、山賊に囲まれています」


ダフネの言葉と同時に、木々の間から山賊が姿を現した。決して綺麗とは言えない風貌はまさしく山賊で、アルナーは初めて見る山賊に身震いした。

 兵たちは剣を抜き山賊たちに目をやるが、アルナーは腰の剣に手を添えるだけで抜かなかった。いや、抜けなかった。なぜなら、アルナーにはまだ誰かを殺す覚悟がないからだ。


「その身なりは貴族か」


片目に傷を負った男が薄笑いした。それを見たアルナーの背筋が震えた。

 初陣もまだのアルナーには、戦いの術がまだわからない。剣の腕は全くと言っていいほど自信がない。王宮でヴァイオンに稽古をつけてもらってる時も、すぐに剣を弾き飛ばされ尻餅をついていた。そんなアルナーが体格の何倍も違う山賊相手に己の命を守れるとは、到底思えなかった。

 アルナーは山賊と兵たちを見渡すと、何か策はないかと考えを巡らせ始めた。


「このまま立ち去れば見逃してやる」


一人の兵士が叫んだ。

 その言葉に、山賊たちが大笑いをし始めた。


「おいおい、何か勘違いしてねぇか。ここは俺たちの縄張りだぞ。勝手に入ることを誰が許した?」

「ここは王の収める土地で、お前たちのものではない。即刻立ち去れ!」


兵士と山賊の応酬が続く中、アルナーはそっとダフネに近づいた。


「ダフネ、戦わずに進もう」

「!・・・どういうことですか?」


ずっと沈黙していたアルナーが小声でダフネに話しかけた。それは耳を澄ませなくては聞こえないほどで、汚い言葉を並べて喋っている山賊たちには届いていない。

 アルナーは自分達が死ぬことも恐れていたが、目の前で死を目の当たりにすること自体に恐れを抱いていた。故に、導き出される策は一つだった。


「私の合図で馬を走らせるんだ」

「ですがっ!」

「信じてくれ。誰も傷ついてほしくないんだ」


アルナーの優しき心を十分に知ってるダフネは迷った。確かに逃げ切れるのならばそうしたいが、人数の劣っている自分たちが何もせずに逃げきれるとは到底思えない。

 だが、アルナーの表情を盗み見たダフネは小さく頷いた。その横顔は、恐怖に苛まれないよう下唇を噛み、震える体を叱咤している。

 アルナーはダフネが頷いたのを確認すると、ゆっくりと息を吸った。


「エレルヘグ、この者らを蹴散らせ!」


少年は空に向かって叫ぶと、山賊も兵も一斉に空を見上げた。

 すると、木々の音をさせながら一羽のトグリルが、地上に向かって凄まじい速さで舞い降りてきた。その後に続くようにして、数羽の鷹の姿も見て取れた。

 山賊たちは驚き、兵たちはアルナーを見た。


「続けッ!」


アルナーが馬を蹴り走り始めると、兵たちは考える間も無く続いた。

 馬が目の前に迫った山賊は慌てて地に伏せ、馬に踏みつけられないように縮こまった。時々、生々しい骨の砕ける音がしたが、アルナーの耳には馬の足音しか聞こえていない。一度たりとも振り返ることなく、アルナーは無我夢中で馬を走らせた。

 ―――しばらくして、あたりから鳥たちの鳴き声しか聞こえないことに気が付くと、ようやく馬の足を緩めた。

 アルナーは安堵に息を吐き出し、額の汗をぬぐった。

 一か八かの賭けと言ってもいい策は功を成した。エレルヘグが頭上を飛んでいることはわかっていたが、自分の声が届かなければどうしようと思っていた。それに、山賊たちが全員空を見上げることも必須で、本当に運任せの賭けだった。


「殿下」

「ん?あ、全員無事?」


ダフネがアルナーの隣に馬を付けた。そこで漸くアルナーは他の兵たちの存在を思い出した。振り返り、全員がいることを確認し、また胸を撫で下ろした。


「殿下の作戦には畏れ入りました。小官は戦う事しか考えておりませんでしたので、こうして無事に抜けられたのは殿下の策のおかげでございます」


ダフネの感心半分驚き半分の反応に、アルナーは何とも言えぬ気持ちになった。


「私は何もしていないよ。エレルヘグとその友達?・・・のおかげだ」


その時ちょうどエレルヘグが空から降りてきて、アルナーの肩に止まった。


「ありがとう、エレルヘグ」


アルナーは功労者に干し肉を与え、乱れた羽を撫でた。嬉しそうに一鳴きすると、鷹はまた空へと飛んでいった。アルナーはそれを見送ると、ダフネに目をやった。


「どうかした?」


ダフネがじっとアルナーを見ていることに気が付き、首を傾げた。ダフネは呼ばれたことで慌てて頭を下げた。自分でも見続けてしまっていたことに気が付いていなかったようだ。


「その、殿下とエレルヘグは心が通じ合っているように見えまして」

「エレルヘグとはずっと一緒だから。私が王宮に来た時からずっとね」


ダフネはアルナーの言葉に引っかかりを覚えたが、先に行ってしまったアルナーにその疑問について聞く事は叶わなかった。

 一行は再び馬を走らせ、日が暮れる前に山を抜けると、天幕を張り野宿の準備をした。その日は山の麓で体を休めた。


「殿下、そろそろお休みになられませんと、明日に響きます」


アルナーが一人木に腰掛け夜空を眺めていると、ダフネが声をかけた。


「うん、もう少しだけ」


アルナーは夜空から目を離すことなく返事をした。


「殿下は空を見上げることがお好きなのですか?」

「別にそんなことはないよ。だけど城の外は初めてだから」


アルナーの言葉にダフネは黙り込んでしまった。それに気が付いたアルナーは苦笑を浮かべると、立ち上り天幕へと戻った。「おやすみ」と一言残して。




 * * *




 山賊ガミンに襲われた一件以降、アルナーたちは賊や獣に襲われることもなく、ロージス城塞の辺までやってきた。

 この数日で、アルナーと兵士たちは随分と距離が近くなっていた。アルナーは兵士たちと楽し気に会話をしながら馬を走らせ、時おり笑い声も聞こえている。


「殿下、ロージス城塞が見えてまいりました!」


兵士の声でアルナーは峠から見下ろした。聳え立つ城塞はこの国一の強固を誇り、初めて見る城塞にアルナーは目を輝かせた。


「―――!・・・あれが、国一の塞、ロージス城塞」


国境の先に何があるのか、どのような景色が広がっているのか、アルナーの心が興奮で暴れ出していた。


「さあ、参りましょう」


ダフネに先を促され、アルナーは馬の脚を進めた。峠を越えればロージス城塞はすぐだ。自然とアルナーの馬足が速まっていた。

 峠を越える頃には日が沈み始めていた。一行が門の前に着くと、門兵が驚きを露わにして、急いで門を開いた。

 アルナーが馬から降りると同時に、数人の兵士が城から出てきた。


「アルナー殿下!」


アルナーは呼ばれた方へ目を向けると、嬉しそうに笑った。

 門兵に言われて慌ててきたのだろう。たくましい体つきの青年が、数人の兵士を連れて駆けきた。


「スクローレン!」


少年の喜色とは真逆に、スクローレンと呼ばれた青年は驚愕の表情をしていた。青年はアルナーの前まで来るとすぐに跪いた。


「アルナー殿下、お久しゅうございます。長旅でお疲れのところ申し訳ありませんが、先にこのようなところに来られました所以をお聞かせください」

「国王陛下の命だ」


アルナーの一言で、スクローレンは少年を見上げた。困ったように笑う少年を目にして、スクローレンは悲痛な面持ちをした。


「お疲れでしょう。今宵はごゆっくりお休みください」

「ありがとう」


城内は王宮ほど煌びやかではないが、トスカル王国一の城塞とだけあって広々としていた。

 スクローレンが案内した部屋は以前に国王が使っていた部屋で、飾り気は無いがアルナーが何人も寝られるほどの寝台が置かれている。

 露台からは、城を囲む堂々たる城壁と峠がほんの少し見える。


「何かございましたら、見張り兵にお声かけ下さい」

「わかった。ありがとう」


 スクローレンが部屋を出ていくのを見届けると、アルナーはベッドに倒れ込んだ。

 初めての城の外は自分の想像を遥かに超え、体にたまる疲労を処理しきれていない。アルナーは、落ちる瞼にあらがう事も出来ず、深い闇に落ちた。

 スクローレンはアルナーの部屋を後にすると、足早にある部屋の前までやってきた。扉を数回ノックすると、中から低い男の声が返ってきた。


「バフィット殿、殿下がお見えになられた」

「なんだとっ!?」


長い顎髭を生やした男は、驚きに椅子を倒しながら立ち上がった。

 万騎長トゥルマーンであるバフィットは、この城塞の城司であり、すべての情報がバフィットに集められる。だが、バフィットの驚きからして、アルナーが来ることはバフィットの耳に入っていなかったのだろう。もし、バフィットが知っていれば、スクローレンにも知らされていたはずだ。


「王太子殿下は今どこにおられるのだ?」

「今は部屋でお休みになられている。初めて王宮から出られてお疲れなのだろう。顔に疲労の色が浮かんでいた。それに殿下もこの城塞がどのような場所なのか知っておいでに違いない」


スクローレンの言葉に、バフィットが痛まし気な表情をした。


「陛下はなぜ王太子をこのような場所に?」

「私にもわからない。殿下にも聞いてみたが王命だからとしか仰られなかった」

「そうか。哀れなことだな・・・。儂は王太子殿下にお会いしたことがないのだが、どのようなお方だ?」

「陛下とは全く似ていないな。陛下は威厳のあるお方だが、殿下はまだ子供だというのもあるが大変お優しい」


バフィットは、王の顔を思い出したのか、眉間に皺を寄せた。腕を組み椅子に深く座りなおすと溜息をついた。


「そうか、似ておらぬか。王太子殿下はおいくつになられるのだ?」

「御年一五歳になられたはずだ。初陣もまだだろう」


バフィットはますます深いため息をついた。

 王族の子であれば、初陣は一六歳になってからがほとんどだ。初陣もまだの子どもが城塞に飛ばされるなど前代未聞の事態であり、それが王太子となればますます理解できぬ話だった。


「殿下の傍には私がついておく」

「ああ、頼む」


スクローレンが部屋を出ていくと、バフィットは窓の外に目を向けた。日は既に沈み、空には星々が輝いている。きらめく星に胸の曇りが晴れるかと思ったが、影が増すだけだった。

 これから何が起ころうとしているのか。足音もなく漂い始めた暗雲に、一時の平穏が去って行こうとしていた。

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