ひな鳥、舞う オリジナル版

よろしくま・ぺこり

ひな鳥、舞う オリジナル版

 もう十五年近く前のことだ。僕は今みたいに落ちぶれていなくて、家庭を持ち、定職に就いていた。その帰宅時のことである。マンションのエレベーターを降り、一番奥から二番目の我が家に近づくと妻がうずくまっていた。何事だろうと近づくと、

「これ見て、これ」

と廊下の床を指差して言う。

「なに?」

 そこを見ると、鳥が一匹踏ん反り返っていた。よく見ると、体の半分近くを産毛で覆われた、まだひな鳥と呼ぶべきものだった。偉そうにふんぞり返っているけれど、フンを垂れ流した跡がある。内心は怯えているんだろうと僕は思った。これは巣立ちの練習に失敗して、親鳥からはぐれた迷子なんだなと察しがついた。

「これ迷子だね。なんという鳥だろう」

 妻が聞く。

「この大きさなら、ムクドリあたりかもしれないね」

 僕は答えた。

「助けてあげなきゃ」

 妻が言う。

「そうだね。だけどうちにはチビがいるよ」

 僕は困った顔をした。

 チビは妻が結婚前から飼っている猫だ。おとなしくて人懐っこいヤツだが、鳥のひな、なんて見たら、野生の本能で飛びかかり、残酷なことをするだろう。そんなチビなんて見たくない。

「仕方がない。放っておこう」

 僕は非情な決断をした。すると妻は怒った。

「可能性のる限り、生かしてあげなきゃだめよ」

 妻はそういう性格だ。動物を愛してやまないのだ。

「じゃあ、ベランダに連れて行こう。チビは当分、ベランダ出入り禁止ね」

 僕は妥協した。

「でも、何の知識もない僕らが野生のひな鳥を育てられるだろうか? だいたい、餌はどうする。小鳥の餌を買ってくればいいのか?」

 疑問と不安だらけだった。このひな鳥はおそらく人間から餌をもらうことはしない。そして衰弱して死んでしまう。そう想像して、僕は悲しくなった。でも仕方がない。このひな鳥が僕らの家の玄関をノックしたんだ。これも何かの縁だろう。最後まで面倒を見てやろう。僕は決めて、ひなをすくい上げた。ひなは嫌がらなかった。


 チビの目をかいくぐって、僕はひな鳥をベランダに連れて行った。そして、からっぽの靴の箱にタオルを敷いて、そこにひな鳥を入れた。ひな鳥は逃げる様子もなくおとなしくしている。でもブリブリっとは言わないけれど、フンをした。よくフンをするなあと僕は思った。そして、いつまでもひな鳥じゃあ味気がないので、名前をつけることにした。そうだ、これにしよう。

「お前はピーちゃんだ」

 ピイピイ泣いているからピーちゃんなのだ。極めて安直である。さて、ピーちゃんに何を食べさせよう。とりあえず僕は米を水に浸して少し柔らかくしたものを食べさせようとした。意外なことにピーちゃんはそれを食べた。人間の手から食べ物を受け取るとは思わなかったので、僕は少々びっくりした。そして、その瞬間からピーちゃんのとりこになった。


 その夜は寝るまでピーちゃんと遊んだ。ピーちゃんをじっくり観察してみると産毛が半分以上取れていた。巣立ちまでもう少しだったんだろう。手に乗せてみると僕の人差し指を止まり木にして羽ばたく練習をしてみせる。飛べるんじゃないかと思ったが、指から離れたピーちゃんはベランダの手すりの前で失速、墜落してしまう。残念。まだ筋力が足りないのか? それとも飛ぶということに慣れていないのか? ひな鳥が飛べるようになるには、親鳥の指導が必要なんじゃないのかと僕は思った。教えをどこまで受けたか知らないが、ピーちゃんは飛べないような気がした。そうすると、ずっと世話しなくてはならない。前にも書いたが、うちにはチビという猫がいる。チビはベランダが大好きだ。ベランダからいつも飽きもせずに外の木立を眺めている。いつまでもベランダ出禁にはしていられない。そうするとどうなるんだ? だいたい、ムクドリ(たぶん)は野鳥だから鳥獣保護法かなんかで一般人が飼ってはいけないはずだ。だからいずれは野生に返さなくてはいけない。でも、ピーちゃんが飛べないままだったら? 僕の脳みそはクルクル回ってパーになった。まあいいや、今夜はピーちゃんと遊びつくそう。そう結論づけた。ピーちゃんは僕にすぐ懐いた。僕が酉年だからかな?


 僕は明日も会社だからいい加減なところで寝なくてはならない。さて、ピーちゃんをどうしよう。まさか、枕を共にすることはできない。僕の体重で潰してしまうよ。ここは一人で寝てもらおう。僕は靴の箱の蓋を少しだけ開けて、窒息しないようにして、寝床に入った。これならば、万が一、カラスが来ても襲われないだろう。あれ、カラスって夜行性? 違うな、朝一に起きて「アホー」って僕のことを嘲るから夜は眠っているだろう。そうすると問題は朝一か。これは少し早起きをしなければいけないな。そう思って僕は就寝した。


 翌朝は目覚まし時計より早く目を覚ました。目覚まし時計くんには今日一日ゆっくり寝ていてもらおう。

 それはさて置き、ピーちゃんだ。まだいるかな。生きているかな。不安をたっぷり飲み込んで、ベランダに行ってみる。そして靴の箱の蓋をそっと開けてみる。ピーちゃんは僕の顔を見てピイピイ鳴いた。元気だ。よかった。早速、餌やりだ。今日は特別に、僕が朝飯用に買っておいた。あんぱんをくれてやろう。もちろん、パンの部分だけだけど。どれどれ、あーんだ。おう、食べる食べる。昨日の米より食いつきがいい。米はやっぱり硬かったか。昨日も食パンのクズでもやればよかったんだな。

 食事が終わったら、飛ぶ練習だ。人差し指に乗せて、羽を羽ばたかせる。よし、いいぞ。じゃあ、飛んでみろ。僕はちょっと指を動かしてみた。飛んだ! いやダメだ、墜落。もう少しなのになあ。頑張れよ。僕はもう一度トライさせた。やっぱりダメ。飛ぶ力が足りないんだな。さて、今日は僕も妻も仕事だ。昼の間、ピーちゃんをどうしよう。まさかピーちゃんをチビのいる屋内に入れるわけにはいかない。そうすると、ベランダに置いておくしかないな。だとしたらカラスが心配だ。蓋をギリギリまで閉めとかなくてはならない。ピーちゃん窮屈だろうな。バタついて側面に体を強打して、死んじゃったりしないだろうな。子供の頃、お祭りの屋台で買ったカブトムシがそうだった。朝起きたら、体がバラバラになっていた。昆虫と鳥は違うだろうけど、暴れまわったらどうなるか分かったもんじゃない。心配で、心配で「今日会社休みます」って言いたくなる気分だった。


 その時である。「ピーッ」っと強い鳥の鳴き声がした。それを聞いたピーちゃんは激しくバタついた。

「まさか」

 僕は思った。すると「ピーッ、ピーッ」とまた強い鳴き声がする。間違いない、母鳥がピーちゃんを探しているんだ。だからその声を聞いて、ピーちゃんも激しく反応しているんだ。僕はそっとベランダを離れた。

 僕の姿が見えなくなるとピーちゃんの(たぶん)母鳥は、ベランダの手すりにやってきた。激しく羽ばたくピーちゃん。母鳥は木立へ移動する。そして、おいでというように「ピーッ」とひと鳴きした。でもピーちゃんはベランダの手すりを超えられない。どうするんだ。

 でも、ピーちゃんは頑張った。羽ばたいて、手すりに乗り、母鳥の待つ木立へと舞い上がった。母鳥と再会して、力が出たんだと僕は思った。木立に紛れた親子の姿はもうどこに行ったか分からなくなってしまった。


 僕は奇跡というものを初めてみた。親子のえにしが見せた奇跡。その現場に居合わせた僕は幸せ者だ。とその時は思った。


 現在に戻る。その間に僕は離婚し、一人になった。そして病気をして、働くこともままならない。でも、あの時の感動だけはいつまでも残っている。

 そんなある日、僕は道で、小さなぬいぐるみを拾った。たぶん、ゲームセンターのクレーンゲームあたりの景品だろう。眼鏡を外してよく見ると、それは可愛い小鳥だった。僕はそのぬいぐるみを『ピーちゃん』と名付けて、肌身離さず持って歩いている。本物のピーちゃんからのささやかなお礼だと思って。

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