第363話 義兵(上)

 ここで教団の傭兵隊を指揮することになる将軍たちが一同に打ち揃うことになったついでに、主な者を列記しておくことにする。

 元関西王師鼓関主将バアル、元関西王師下軍将軍リュサンドロス、元カヒ四天王 デウカリオ、元カヒ翼長 アンテウォルト、同 ボイアース、同 レイトス、同並 パッカス、元オーギューガ双璧 ディスケス、元オーギューガ宿将 アストリア、同 ナイアド、同 デスピナ、元南部諸侯 フォキス伯、同 マグニフィサ伯、元関西諸侯 プリュギア公、同 フィリアシ伯、同 バラ伯、元河東諸侯 クチャニ伯、元傭兵隊隊長 カシウス、元傭兵隊隊長 メネクセノス。これらが教団側の主だった名前の知られた将軍たちである。

 この中で大物は何と言っても関西の将軍だったバアル、リュサンドロス、関西で公の地位にいたプリュギア公、カヒ四天王のデウカリオ、オーギューガの双璧の一人ディスケスであり、これをもって教団側は傭兵団の指揮を任せて五人衆と称したと後の世では知られているが、それは後の軍記物語作家の創作であるという説が今では主流となっている。実際は各将軍横並びの連合方式であったようだ。

 尚、軍記物語によっては五人衆にはプリュギア公の代わりにアストリアもしくはアンテウォルトが入るものや、リュサンドロスとプリュギア公の代わりにアストリアとアンテウォルトが入っていることもある。


 ともかくも四万五千の寄せ集め混成軍はここでガルバの提案である程度の命令指揮系統を作ることとなった。

 まずデウカリオを主将とするカヒの兵を主体にする五千の部隊、支隊としてボイアースの一千とレイトスの一千がさらにここに加わる。

 次にディスケスを主将とするオーギューガの兵を母体とした集団、四千の兵。ナイアドの一千、デスピナの一千の支隊がここに属する。

 その次はリュサンドロス将軍を主将とする七千の兵。ここは関西の元諸侯の兵、関西出身の元傭兵を中心とし、さながら関西の独立軍のような態を示していた。フィリアシ伯、バラ伯なども兵と共にここに加わっていた。

 将軍の名声、兵の質を考えるとこの三軍が傭兵隊の主力であろうと見られていた。

 他には指揮能力を買われて、アンテウォルトは四千五百の兵の主将になったし、アストリアも同じく四千の兵を率いることとなった。

 一方で風下に立つことを嫌った者たちもいる。プリュギア公はかつての旧臣に傭兵隊を加えて一千の兵で、クチャニ伯も五百の兵を率いそれぞれ独立の気概を露わにした。

 その一方、傭兵たちは堅苦しい将軍の下につくのを嫌い、独自に自らの指揮官を選ぶ動きを見せた。その結果として、カシウスはかつての自分の傭兵隊の兵三千を中心に八千もの大兵を指揮することとなった。それだけ傭兵たちの間に彼の名が知れ渡っていたという証であろう。

 同じく名の知れたメネクセノスも中小の傭兵団出身者に担がれて二千の兵の頭目に納まる。

 最後に残るはバアルを主将とする六千の兵である。バアルは王の片腕だったアエティウスが亡くなった白鷹の乱の首謀者だったということだけでなく、王師を幾度も窮地に追いやったことで王の天敵であると目されているだけでなく、パッカスが率いていたカヒ一翼出身の精鋭もここに加わっていたから、デウカリオ、ディスケス、リュサンドロス隊に続く戦力はバアル隊であると目されていた。

 彼らに対する補給、また教団との交渉や連絡はガルバが受け持った。

 こうして曲がりなりにも組織を作り上げたことで、それまでの数十、あるいは百単位の小部隊編成から大きく前進し、千単位の部隊単位での行動が可能になったことで、いつ攻撃を受けてもそれなりの即応体制が取れるようになった。

「これでなんとか軍隊としての形だけは整った。王師の一師、もしくは諸侯による奇襲くらいは防ぐことができるか・・・」

 バアルがそう不安げに独り言を呟いたのをパッカスは聞き逃さなかった。

「バルカ様はこれではまだ足らぬとお考えで?」

「軍は生き物だ。一つの戦略の下で、統一した一つの意思で動かねばならぬ。右足と左足が別々の方向を向いていては人は前にも進めぬ、そうであろう?」

「ですが実際の戦場では総大将から命令が来ることは稀です。それに一旦戦闘が始まれば、どちらかというと現場の指揮官が瞬時に判断して部隊を進退させないと、戦場を優位に支配することはできない。総大将からの命令など待っていることはない。そして我らはバルカ様だけでなく、デウカリオ様やディスケス殿など王師をも恐れぬ猛将名将揃い、総大将などおらずとも、阿吽あうんの呼吸で戦闘を進めていけばいいではありませんか」

 確かに戦場での部隊同士の連携など、細かな修正はそれでなんとかなるであろう。だが大きな戦略の転換が必要な時、例えば守勢から攻勢、あるいは攻勢から守勢に転じる時や、敵を誘い出すための陽動作戦を行いたい時、または予期せぬ敵の別働隊に側面や背後から襲われた時などの一つの部隊だけで対処が可能でない状況に陥ったとき、個々が判断する事態への対処法が同一であるとは限らない。いや、むしろ同一であると考えるほうがどうかしている。

 対処法としてはそれぞれの考えは正しくても、それはあくまで軍全体が同じ行動をとった場合の話だ。

 同時に各人がばらばらの対処法を行えば陣形は乱れ、敵への対処も中途半端なものになり、簡単に敗北へと繋がることだろう。

「並みの相手ならばそれでもなんとかなるかもしれないが・・・相手は天与の人だ。カトレウス殿やテイレシア殿を打ち破ったという現実を甘く見てはなるまい」

 バアルは今でも天与の人などと言う眉唾なものは信じてはいない。いないが現実主義者のバアルは現実にアメイジアに起こったことならば認めている。

 王は一度は不適格の烙印を押されて何もかも奪われ王都を放逐された。その徒手空拳の身の上から、百年に渡って続いていた戦国の世を終わらせ、アメイジア全土を手に入れたという現実は受け入れなければならない。

 その実力を単なる幸運と片付けて軽視するようなことはあってはならないことだし、その偉業を認めないなど却って己の愚かさを晒しているようなものなのだから。


 教団の包囲網を突破するために南部へ向けて南下を始めた王師だが、その足を止めさせる事態が道々で続発した。

 といっても教団の兵が奮戦して王師が苦戦したと言うわけでは無い。

 王師の姿を見て沿道の農民が次々と野良仕事を放り出し、家の奥に仕舞った武器を持ち出して集まってきたのだ。

 この時代、農民とはいえ元兵士も多いし、それにそもそも田畑を荒らす流民や野盗、敵の兵士、傭兵崩れや場合によっては近隣の農民などから自衛するために農民とはいえ武器を持っているのが当たり前だ。それを担ぎ出して来たというわけだ。

 南部で蜂起した教徒は極一部で、まだまだ多くの教徒が潜んで抵抗を企んでいたのかと王師に一斉に緊張が走るが、幸いなことにそうでは無かった。

「是非私たちもお供の端にお加えください。陛下の為にお役に立ちたいのです」

 そう言って平伏しては王師の足を止めて、その度に有斗の下に使者が行くものだから行軍速度は低下する一方だった。

「・・・今までも王師の遠征は幾度もあったけど、一回もこんなことはなかったのに・・・何故、今回に限ってこんなふうに民が次々と従軍を申し出てくるんだろう?」

 有斗は今まで起きた事が無かったこの怪現象に不思議そうに首を何度も捻った。

「いいことじゃない。それだけ陛下のしてきたことを民は今まで見てきて、それを評価しているということだよ。だからこそ顔も見たこともない王の危機に駆けつけようとしているんじゃない。王としてはむしろ喜ぶべきことだよ。なぜ困ったような顔をするの?」

 アエネアスがそう言って有斗の不見識さを少し責めた。

「いや、困っているということはないけど、不思議だなぁって思ってさ」

 天与の人であると官吏や女官からはちやほやしてもらえる有斗だが、思えば天与の人の数々の危機に民が手に手に武器を持って助けに来てくれたとかいう美談は一回もない。所詮、天与の人と言っても民にとってはその程度の存在なんだろうなと思っていただけに、今回だけ何故このようなことになったのか今一理解できないのだ。

 そんな有斗にエテオクロスが自らの見解をもってこの現象の本質を説明してみせた。

「それはやはり・・・今までは誰がアメイジアの未来を決めるかと言う戦いであると民が思っていたということではないでしょうか。民にとってみれば、それは税を払う対象が変わるだけの、いわば雲上人の間の権力闘争で、彼らの生活に何ら変化をもたらすものとは思えなかった、他人事だったということです。ですから生活を捨てて命を危険にさらしてまで手助けしようとは思わなかったのでは?」

「なるほど・・・納得出来る説明だね。で、今までと今回はどこがどう違うんだ?」

 有斗にしてみれば関西もカヒもオーギューガもそして教団相手のこの戦も、アメイジアに平和をもたらすための行動の一環に過ぎない。そこに差異を見出すことは出来なかった。

「ですが今回の戦いは彼らにとっては違うということです。陛下が一旦、平和にしたこの世界を教団は兵を挙げることで破壊した。それは民に己の生活を激変させる要因であると気付かせたということでしょう。このままでは平和になった世界は再び戦乱の世に逆戻りになってしまう。それを食い止められるものは平和をアメイジアにもたらした陛下だけ。だから陛下をお助けしなければならないと感じたのでは? つまり、民はそれだけ平和になったということを本心から喜んでいたということでしょう」

「なるほどな・・・だとしたら実にありがたいことだ。戦乱の世で全てに絶望して、ただ日々を生きるだけだった民たちも・・・」

 そう言って有斗は四師の乱で南部に逃れていく間に会った様々な人々のことを思い出していた。傭兵、流民、農民、教徒・・・希望も無く絶望に沈んだ目をして日々を過ごしていくだけだった人々のことを。だが今やそのような人たちも違うということだ。

「今や自らの望みを持っているということだ。戦国の世に戻ることを望んでいない。己が命を犠牲にする覚悟で守りたいものがある。・・・それだけ平和な世を渇望しているということだね」

 それにそれは有斗にとって、とても良い兆候であるように思えた。

 この世にはどのような強大な権力者も群を抜いた成功者も逆らえないものがたった一つある。

 それは時代の流れだ。

 どんな賢人が知恵を尽くして体制を構築し、巨大な権力を持って支えようとしても、足を遅らせるのが限度で終には支えきれないもの、それが時代の奔流だ。それは崩れだした山が土石流となって雪崩れるように、朽ちかけた木が枯れてしまうように決して止めることのできぬものなのだ。

 つまり有斗や官吏といった権力構造の最上段にいる者たちだけでなく、その権力を支える立場の民までもが平和な世界を願っているということは、もはや時代の流れは己の欲の為に他人を虐げても良い世界、戦国乱世ではなく、そうではない世界を望んでいると言ってもいいはずだ。

 であるならばどのような数の大兵を集めようとも、最終的に教団は必ずや負けるであろう、そう有斗は強く思った。

「よし、彼らを列に加えよう。彼らの参戦は味方を奮い立たせ、敵を戸惑わせるに違いない」

「ですが義兵は所詮は素人の集団です。確かに教徒の数が王師に比べると遥かに多いことを考えると、こちらとて兵士は喉から手が飛び出るほど欲しいのですが、義兵という質の悪い兵士たちは実際の戦闘では王師の足を引っ張りかねません」

 明らかに兵質の劣る義兵は味方の陣形の中で明確な弱点となり、敵兵にそこを突かれるとそこから陣形が破綻しかねない。それどころか移動もままならずに味方の攻撃の邪魔をしたり、敵が迫れば戦列を維持せずに逃走することすら考えられる。

 なにしろ来たのは兵隊経験者であっても、兵だけで将も下士官もいないのだ。それでは軍隊としての体を成してない。

 エテオクロスとしても気持ちはありがたいが、戦力としてあてになるかといわれたら否定的な考えを持たざるを得なかった。

「もちろんそれは理解している。戦力としてはあまり期待できないだろうね。だけれども敵部隊の牽制だとか街道の押さえとかには使えるんじゃないかな」

 だが有斗としては、それももちろん織り込み済みな上で、彼らを自陣営に引き入れたい、引き入れるだけのメリットがあると思ったのだ。

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