第341話 目覚めたときに見る顔は

 深いまどろみの中から有斗の意識はゆっくりと浮上する。

 ろくでもない夢を見たせいか、有斗は意識こそ起きつつあったのに、身体がなかなか目覚めてくれなかった。思うように動かないのだ。

『最近疲れてるもんな~。やっぱり毎日毎日執務っていうのは僕には無理があるんだ。肉体的な消耗だけでなく、大勢の人間の生活が僕の両肩に載ってるかと思うと気疲れしちゃうもんな』

 意識だけはもはや完全に起床しているのだが、瞼に動け動けと命じているのに、身体が全然言うことを利かなかった。

『それにしても酷い夢だった。別に二股かけてたとかいうわけでも無いのに、女性にいきなり刺されるなんて最悪だ。だけど夢でよかった。こんなに頑張って王様業をやっているというのに、何故こう何度も襲われなくちゃならないというんだ』

 四師の乱で襲われ、南部から王都へ攻め入った時の鹿沢城でも女官に襲われたし、関西での白鷹の乱でも危うく殺されそうになった。

 そして夢とはいえ今回で四度目だ。王様って言うのは果たしてどの王様もこんなに何回も命を狙われたりするものなんだろうか?

 それともこれは有斗にだけ起こる、つまり、有斗に反乱を起こしたくなる原因があるということなのだろうか。そうだとしたら、いったい僕の何が不満なのであろうかと有斗は忸怩じくじたる思いで考えざるを得ない。

 と、ようやく瞼が開いて、光が有斗の虹彩を刺激し始める。

 何故だか焦点がなかなか合わずに画像を有斗の脳へと送り込んでくれない。光だけが網膜を激しく焼き付ける。有斗は焦点の合わない目できょろきょろと周囲の状況を把握しようとした。と、身体の中でまず右手の感覚が戻ってくる。

 右手が触れているのは、肌触りの良い、ふんわりとしたいつもの寝台のシーツ。良かった、やっぱり夢だったんだなと安堵する思いだった。

「陛下! お気づきになられましたか!?」

 何故か側にいるアリスディアが大きな声で有斗にそう呼びかける。なんだろう・・・また昼ぐらいまで寝過ぎてしまって、起こしに入って来てくれたんだろうか。

 だけど、どれだけ寝すぎたのかは分からないけれども、ここまで大声を出すことは無いと思うくらいの大声だ。有斗の三半規管が悲鳴を上げている。ちょっとうるさいんだけど・・・

 有斗がそういった目線を送ったのにも関わらず、アリスディアは大声で立て続けに女官に指示を飛ばして、有斗を失望させる。

「急いで侍医をここへ! それから朝堂院の皆様方へも陛下がご回復あそばしたと伝えるのです!」

「・・・・・・ちょっと寝すぎたのは悪いと思うけど、そこまで物事を大げさにしなくってもさぁ・・・」

 それでは後宮だけでなく宮廷内の皆が有斗が寝坊したということを大々的に知ってしまうではないか。王としての威厳が無くなってしまう。

 今後、有斗が官吏の怠慢を叱責したとしても、寝坊するような王には言われたくないと心中で反発し、事態を改善しようとする意欲が湧かないに違いない。

「ちょっとではありません! 陛下は三日三晩も意識を失われていたのですよ!」

「へ? そんなに眠っちゃったの?」

 知らぬ間に疲労がそこまで溜まっていたのか、と有斗は自身の健康管理が万全でなかったことにショックを受ける。

 たしかに毎日きつかったけれども、それほどまでとは思ってもいなかった。それとも身体のどこかが本格的に病気なのだろうかと不安にもなった。

「眠って・・・そんな生易しいものではありませんでした。覚えておられないのですか? 陛下は刺客に襲われて大きな傷を負い、意識不明の重体だったのですよ」

 え? 何故、有斗の夢の中で起きた出来事をアリスディアが知っている? だとすると、考えられることは・・・

「え? ・・・あれは夢じゃなくて本当だったのか!?」

 驚きで立ち上がろうとした有斗だったが、身体を半身起こすと左腹部が急激に痛み、傷口の存在をアピールしだした。

「いたたたた・・・」

「大丈夫ですか?」

「とっても痛い。お腹の中がきりきりと痛むんだ。その影響か左腕も動かないし・・・これは結構、重症かも・・・」

 有斗はようやく刺客に刺されたということが事実であると認識すると、途端に身体の不調がとんでもない事態に直結しているのではないかと不安に駆られた。

 運よく目を覚ましただけで、まだ有斗の容態は危険な水域にあり、一刻の予断も許されないのではないか。それが証拠に先ほど目を覚ますなり、侍医を呼びに行かせたのではないかと疑ったのだ。

 だが、その有斗に対して、「まぁ、それは・・・」と言ってアリスディアはクスクスと小さな笑い声を上げた。

「笑い事じゃないよ。もう僕は助からないかもしれないのにさ」

「陛下、四日ぶりに起きたばかりで事態の把握もできておらず、身体の感覚も取り戻せていないようですから、一度、ご自身の目でご自分の身体、とりわけ左手がどうなっているか、観察なされては如何でしょうか?」

 アリスディアの言葉に有斗は思わずぎょっとする。

 まさか刃に毒が塗ってあって、思ったよりも重症で命だけは助かったものの、左手を切断したとかじゃないだろうな!

 だが、慌てて目線を向けた左肩には左の手がしっかりと繋がっていた。良かった・・・どうやら左手は切り落とされたわけではなかったらしい。

 だとすれば何故、左手は動かないんだ? 有斗はその疑問を解決するべく左手を肩先から手先へとゆっくりと観察した。

 原因は一番先端、つまり手首から先で見つかった。

 そこにはここまで起きたこの大騒ぎにも関わらず、アエネアスが寝台に頭を預けて突っ伏して眠り込んでいた。有斗の左手を握り締めたままで。

「・・・・・・呆れた。この騒ぎでも寝てるなんて」

 なんて暢気のんきな奴なんだと、有斗が非難めいた言葉を口にするとアリスディアはそうではないと首を横に振って微笑んだ。

「アエネアスはずっと陛下の側を離れませんでしたのよ。ずっと陛下の手を握って、陛下が少しでもうなされるたびに呼びかけていたのです。この四日、ほとんど寝ていなかったはず。たまにこうして気を失うようにして眠りに落ちていたようですけれども」

「別にアエネアスが側にいても、僕の容態が変化するってわけでもないのに・・・。アエネアスは侍医でもなんでもないのだから、帰って好きなだけ寝れば良かったんだよ」

 アリスディアはそう言った有斗に、まぁ、と少し非難めいた目線を有斗に向けた。

「陛下を心配して四日間、ずっと側に控えておりましたのよ。それをそんな風に言われるものではありません。それではアエネアスが不憫ふびんではありませんか」

「確かにアエネアスは危機一髪の僕を助けてくれた殊勲者だよ。感謝の言葉だけしかない。でも看病まがいの何かで倒れられても僕としても困るよ」

「それにアエネアスは・・・いえ、これはやめておきましょう。言ったらアエネアスがきっと怒りますから」

 そう言うとアリスディアはなにかとても楽しいことを思い出したのか、ふふふと笑った。

「気になるなぁ」

「気になるのならアエネアス本人の口からお聞きになってください。もっとも、たぶんアエネアスは恥ずかしがって何も言わないとは思いますけれども」

 有斗は寝台の脇で、すやすやと眠るアエネアスに視線を落とす。その顔には連日の看病での疲れが見え、額には汗で前髪が張り付いていた。

 有斗は天使のような顔をして眠るアエネアスの前髪を、愛おしそうにそっと優しく指先で払う。

 触れるか触れないかで額を撫でたからか、アエネアスは眉を寄せて「う、ううん」と困ったように小さくうめく。こそばゆいのかもしれない。

 アエネアスもこうして眠っていると可愛いのにな、と有斗は今度はその頬とか唇とかをそっと触れてみる。というよりは調子に乗ってアエネアスの顔をくすぐって遊んでみたのだ。可愛さのあまり、子猫をくすぐりたくなる感覚にそれは似ていた。

 それにこれはちょっとしたチャンスだった。なにせアエネアスが起きている時にはこんなことはできるはずもない。いつも一方的なやられていることのちょっとした意趣返しだった。

「う・・・ううん、な・・・なに? かゆい! なにかかゆいんだけど!?」

 アエネアスは有斗が面白がってあまりにも顔をくすぐり続けたせいか、突然がばと起きると、顔をごしごしと両手でこすった。

「な、何? 何があったの? 後宮に住み着いている猫たちの仕業!? それともまさかわたしが嫌いな黒くて素早いアイツが出たとか!?」

 起きたばかりだと言うのに、自分の顔を這い回った謎の物体の正体を探ろうと、きょろきょろと周囲を見渡すアエネアスにアリスディアは笑いながら返答する。

「まさか後宮の、それも陛下の住まう部屋にいるはずがないではありませんか。侵入を許さぬよう、毎日掃除をしておりますし」

「しかし、今、現にわたしの顔を何かがふわっと通り過ぎた感覚があったんだから! これは・・・間違いない! 絶対に間違いなくアイツだって!」

 何が間違いないのかは分からなかったが、アエネアスはよほど感触が気持ち悪かったのか、頬を手の平で擦りながら、そう力説した。

 実際に触っていた有斗としては、まるで自分の手がさも不潔なものであるかのような扱いには大いに不満が出る対応である。

「それよりもアエネアス、ほら」

 と言ってアリスディアはアエネアスに気付かせようと、寝具に横たわったままの有斗を指差した。

 アエネアスは釣られて指先の方角へと視線を動かす。そして大きく目を見開いた。

「あ、へ、へ、陛下・・・!」

 ようやく、そこに目を覚ました有斗がいることに気が付くと、アエネアスはまず喜びでまばゆく顔が輝いたと思うと、次いで泣きたいような怒ったような複雑な表情を形作った。

「ゴメン、心配かけちゃったようだね」

「心配をかけたなんてものじゃないんだから! わたしは・・・わたしはてっきり、もう・・・!」

 そう言うとアエネアスは口ごもり、それ以上言葉を続けることが出来なかった、もう泣き出す一歩手前だった。

「本当にゴメン、アエネアス。そしてありがとう、僕の危機に駆けつけてくれたんだね」

 有斗がそう言うと、アエネアスは前に一歩踏み出し有斗の元へ駆け寄ろうとした。

「陛下がお気づきになられたというのは本当ですか!!?」

 と、その瞬間、後ろから疾風はやてのように突進して来たセルウィリアに跳ね飛ばされ横へと突き飛ばされた。

「え? な、何??」

 後ろから押し倒され、何がなんだか理解できず頭を上げて混乱するだけのアエネアスを一人放っておき、セルウィリアは有斗と二人だけの世界を素早く形成する。

「陛下! このセルウィリア、どれほど陛下のことを心配したか! 食事も満足にのどを通らず、陛下に万一のことがあれば、後を追おうかとまで考えましたのよ!」

 セルウィリアはその大きな瞳に湛えた涙を長い睫毛から零れさせ有斗に駆け寄ると、病床の有斗の胸に飛び込んだ。

 アニメだろうが漫画だろうが映画だろうが、いや現実でも感動的なシーンのはずだったが、実際にそれを受ける立場となった有斗はたまったものではなかった。

「ぐわっ!!!!!!!」

 有斗は口からその言葉を吐くと白目をいて再度昏倒こんとうした。

 セルウィリアはそれほど大柄でもなければ、スタイル維持の為に節制もしているし、ましてやアエネアスみたいに鎧など着込んでいないから重いわけでは決して無いのだが、毒のせいで未だ塞ぎきってない有斗の傷口は、そのセルウィリアの体当たり程度でも再び開き、その激烈な痛みに有斗は失神してしまったのだ。

「陛下! しっかり! しっかりしてください!」

 セルウィリアはそれが己がもたらしたものとは露知らず、有斗の体を揺さぶって気を取り戻させようとする。

 だが有斗の体はその程度の衝撃であっても今は耐えられない状況だった。

「きゃあああああ! 血が!!」

 絹布で縛られ、その上から着物が着せられているにも関わらず、有斗の腹部が段々と赤くなっていくことに気付いてセルウィリアは悲鳴を上げた。

「早く、早く、侍医を!!」

 緊急事態にアリスディアは混乱し、先ほど呼びに行かせた筈のまだやって来ない典医を呼びに行くよう女官に命じていた。


 有斗が昏睡している間も今度の暗殺事件の全貌を調べる捜査は行われていた。

 何せ後宮内と言う、もっとも安全であるべき場所で起きた暗殺未遂事件だ。実行犯は一人でも、当然、単独犯である可能性は低い。

 その背後関係次第では朝廷を揺るがす巨大な陰謀劇に発展すると朝臣たちは打ち震えたのだ。

 問題の女官の正体はすぐに分かった。彼女はマグニフィサ伯の一族の娘だという。

 マグニフィサ伯はかつて南部から王都に攻め上ったときに最後まで有斗に敵対したために取り潰された家だ。ひょっとしたらその恨みを晴らそうとしたのではないかと言うのが大方の見方だった。

 なんでそのような娘が後宮に入り込めたか疑問に思われたが、調べていくうちに意外な事実が判明した。彼女が後宮に入る前の審査を難なく潜り抜けたのは、公卿の一人、堀川宰相からの推挙があったからである。堀川宰相は出入りの商人から紹介されてその娘の身元引受人となったということである。

 マグニフィサ伯の親族であることは少し引っかかることではあったが、親族と言ってもそれほど近いわけではなかったし、王に仕えることによって彼女の実家の権勢を取り戻したいという真摯しんしな願いに打たれたとの事だった。

 なにより容姿、教養共に申し分なく、先々彼女が後宮で権勢を得ることで自身の出世に繋げたいとの思惑もあったようだ。

 それ自体は責められることではないものの、結果として玉体に傷がつき、王が危うく命を失いかけたことは大問題である。

 ここぞとばかりに朝廷で責められ続けた宰相は自身の不利を悟ってか自ら門を閉じ、蟄居して処分を待つ。

 紹介したという商人の元にも捕吏が向かったが、騒ぎに仰天して既に逐電した後だった。

 残された家人や奉公人から得られた話を総合すると、商人は元々マグニフィサ家と関わりがあり、商人自体も問題の女官の口車に乗せられただけのようだった。

 大逆罪は親族まで処刑される大罪である。知らぬこととはいえ、彼らも結果として女官に手を貸していたことは紛れも無い事実だ。このままでは多くの無関係な者たちが刑場の露としてこの世を去ることになってしまう。

 有斗は首謀者の死をもって事件は解決したと廷尉ていいに命じて、それ以上の罪人の追求を止めさせた。

 だがやがて流れは別な方向へと向かって流れ出す。

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