第330話 賞罰のかねあい

 王の目的が王領の集中と、確固とした王権の確立にある以上、ダルタロス家も例外であるはずが無い。

 特にダルタロス家は戦国のどさくさに紛れて南京南海府一帯を支配下に組み込んでいる。三京は王権の象徴である以上、それを朝廷が取り戻そうとするのは当然のことだ。

 それに朝臣は王都を指呼の間に納めている場所に大諸侯がいるということに対する抵抗感もある。

 しかし同時に先代ダルタロス公と王との関係は誰もが知るところだ。もしダルタロス公が徒手空拳の王に手を差し伸べなければ、今の王は無かったと言ってよい。

 しかも今やダルタロス出身者は羽林将軍アエネアス、第一軍将軍プロイティデス、第七軍将軍ベルビオ、中書侍郎ベッソスやマザイオスといった高官だけでなく、羽林と第一軍という王の直轄部隊で多くの役職を占めるにいたっている。彼らと親しい尚侍ないしのかみアリスディアもそれに含めるとするならば、宮廷内に隠然たる一大派閥として存在していると言って良い。

 しかも御名ギョナを頂いていることからも分かるとおり、ダルタロス家は遠くサキノーフ様の時代よりダルタロスの地に土着する由緒ある諸侯である。

 そのダルタロスに向かって、ちょっとその場所にいると邪魔だから出て行ってくれないかとは、さすがの王でも言い出せないのではないかといった見方が一般的だった。

 しかしダルタロスだけ特別扱いしたのでは他の諸侯に対する示しが付かない。

 なにしろダルタロス家は王が韮山で敗れて徹底的に不利な状況に追い込まれていた間、カヒに大きく協力した。それも単なる協力ではない。兵だけでなく兵糧を拠出し、さらには一軍をロドピアの地に向けるということまでしていた。

 どさくさに紛れてロドピアの地を奪い取ろうと考えていたのである。

 もしこれを罰しなかったとすれば、朝廷はいったい何をもって論功行賞の物差しにしているのだと、諸侯や官吏から不満があがるのは目に見えていた。

 だがマシニッサが(正確にはマッシヴァが、だが)コンチェ公に封じられたために、ちょうど開いたトゥエンクの地がある。

 南京南海府を取り上げる代わりに、そのトゥエンクの土地へと領土を横滑りする形で決着をつけるのではないか、そういった噂が飛び交っていた。

 アエネアスは帰って来てからは有斗が忙しいため、あまり相手をしてもらえなく暇なので、午後からは例の羽林の、というよりはダルタロスの兵のたまり場となっている休憩所へと足を向ける。

 そこにはつい先日ようやく帰ってきたばかりのベルビオをはじめ、プロイティデスらダルタロス家の主だった面々が顔を合わせて何やら話しこんでいた。今日は普段ここでは見かけないベッソスと近々ダルタロスの家宰として国元に帰ることになっているマザイオスという珍しい面々までもが顔を揃えていた。

「・・・? 何やってんの?」

 アエネアスは会話を交わす面々が揃いも揃って深刻な顔つきなのに不審を抱き、声をかける。

「あ、お嬢。ちょうどいいところへ来てくださった!」

 振り向いた先にアエネアスが立っているのを見出すと、ベルビオはそれまでの憂色を吹き払い、ぱっと顔を明るくした。

「・・・何? 何か問題が起きた?」

 この面子が集まっていて、さらにアエネアスに対して話があるということは、有斗に対して何か言いにくいことをアエネアスに代わって言わせたいということであろう。

 そしてそれが、今、問題になっているダルタロスの処遇問題であることはアエネアスであっても容易に想像が付いた。

「言っとくけど、あまりわたしの口から陛下にお願い事をするのはいいことじゃないよ。陛下は結構頑張って王様業をやってるんだから。わたしたちがあまり無理を言って困らせちゃだめだよ。官吏たちだっていい顔をしないし。これ以上、南部派と宮廷派の争いを激しくさせて陛下を困らせるものじゃない。何よりあの腹黒女ラヴィーニアあたりに愚痴愚痴嫌味を言われるこっちの身にもなってよ」

 本当に有斗に立派な王になって欲しいと言う殊勝な気持ちが少しでもアエネアスにあるのならば、近侍していることを利用して有斗にいろいろ言うべきではない。臣下には臣下の分をわきまえて自身の権限外のことについては口を出すべきではない、アリスを見習うべきだとラヴィーニアはアエネアスにことあるごとに言ってくるのだ。

 アエネアスだって別に好き好んで権限外の国事についてまで有斗にいろいろ言っているわけではない、有斗に聞かれるから答えているというのにだ。

 それに君側の奸という言葉の意味くらいアエネアスだって十分知っているつもりである。

「それがそうも言ってはいられないほどの大問題なんでさぁ」

 だがベルビオは身体全体から困ったオーラを全開に出して、アエネアスに大事が起きていることをアピールする。

「・・・大問題って?」

「陛下がダルタロス家を他所に移そうって決めたらしいんです」

 それはアエネアスを何か言いたそうにちらちら見るのだが、結局何一つ言わずに頭を抱える最近の有斗の姿からも想像はできていた。

 でもアエネアスだってダルタロスだけこのままの状態で南部に居座れるというわけにはいかないということくらい理解している。それが嫌かどうと聞かれたら、もちろん『嫌だ!』と答えることは間違いないにしても。

「それが大問題?」

「お嬢にとってあそこは若とずっと暮らしてきた思い出の地じゃないですか! そこがダルタロスのものじゃなくなるんですよ!」

「そりゃあ南京南海府には思い出も思い入れもあるけれども・・・わたしたちは私情を挟んでばかり入られない。もうダルタロスの一家人でなく、それぞれが朝廷の重臣なんだから、もっと陛下のことを支えてやらなくっちゃ!」

 とまるでアエネアスが大いに有斗を支えているような口ぶりで説教する。

 思い出は所詮過去のことだ。今を生きるアエネアスたちにはアエティウスが夢見たのに迎えることが出来なかった未来に対しての責任と言うものがある。南京南海府をダルタロスが手放すことでより良い未来が来ると言うのならば、それを受け入れなければならないだろう。

 それに正直、今のダルタロス家にはアエネアスの居場所は無い。トリスムンドはいい子だとは思うが、周囲を固めている大人はやはりアエネアスとは距離がある。

 だからこのままダルタロス家が南京南海府を所持していても、所詮、アエネアスには帰ることなど出来やしないのだ。ならば別に誰が所持しようが同じではないか。

「新しい世が来るためなの。仕方が無いよ。一人の人間の感傷で政治が動かされても大勢の者が迷惑するだけだし、我慢しよう」

「しかし・・・お嬢、ダルタロスは遠く上州へ減封されるって話ですぜ。このままじゃ大勢の友人知人が失職してしまう」

 ベルビオらはアエネアスの力で王を動かしてもらおうと、一斉に深刻な表情をし、すがる様な目つきでアエネアスを見つめた。

 最初はぱちくりと目を見開いたまま固まり、その言葉が表している深刻な事態についていまいち認識していなかったアエネアスだったが、段々とその重大さに気が付いたのか、まず恐怖に真っ青になり、次いで怒りで顔が真っ赤になった。

「なんですって!!!?」


 ダルタロス家を上州のトラキア公に封じる。ダルタロス公領もトラキア公領も表高は六万貫である以上、一見何の問題も無いと思われる移封劇だが、これが大きな問題になることはこれを決定した有斗自身がよく承知していた。

 ダルタロスは表高六万貫だが、それは土地の評価額だけの話である。モノウという畿内と南部の交易の需要拠点、そして衰えたりとはいえ未だ三京の一角たる南京南海府の二つの街は合わせて年間六千貫もの余禄があると言われる交易都市だ。つまりダルタロス家は実質の大減封ということになる。

 これはダルタロス所縁ゆかりの者たちから反発の声が上がるのは必至の状況だった。

 アエネアスを筆頭に怒鳴り込んでくることは避けられない。だが説得するだけの材料を持っているから有斗はこの減封を断行したのである。そしてそれを説得するのは有斗でしかできない仕事であろうということも分かっていた。

 だが皆を、特にアエネアスを説得するのはカトレウスを倒すよりも難しいかもしれないと思うと、有斗は少し気分が憂鬱ゆううつになる思いだった。


「陛下! 話があるよ!!」

 女官の取次ぎよりも早く、アエネアスは部屋に入るや否や、そこにいるアリスディアもグラウケネもラヴィーニアも無視して有斗に詰め寄った。

 明らかに喧嘩腰なその態度、アエネアスに怒られるようなことを最近した記憶が無い以上、用件は聞くまでもなくダルタロスの移封についての文句であろうと有斗は見当をつけた。

 早いな、それが有斗の偽らざる感想だった。

 まだ公示していない内定段階の話なのに、いったいどこで聞きつけてきたのやら。問題として明るみになるのはもう少し後になると思っていた。

「どうしたの? さっきベルビオたちのところに遊びに言ってくると言って任務をほ・・・いや、出かけていったんじゃなかったっけ?」

「そこで聞き捨てなら無い噂を聞いたから確かめに来た! ダルタロスを上州に移転するといった噂は本当!?」

 有斗は想像通りの答えに一安心した。ならば答えは既に用意しているのだ。焦る必要は無い。

 まぁアエネアスを本気で怒らせるだけの事案などそうそう他にあるわけが無いのだから当然と言えば当然のことだが。

「そうだよ」

 アエネアスにとってとんでもない事態であるそのことを、有斗がなんでもないことのように平然と述べたことがアエネアスの感情を逆撫でした。

「・・・・・・!! 陛下ッ! どうして・・・どうしてこんな真似を・・・!! ダルタロスに懲罰を与えるなんて、陛下はあれほど兄様に世話になったって言うのに!?」

「ダルタロス公は朝廷を裏切りカヒに味方した。他の諸侯の手前、これを不問にするわけにはいかないじゃないか。カヒに味方した河東の諸侯は取り潰されたり領土を取り上げられた。ダルタロスだけ特別扱いしたら只でさえ不満な彼らをさらに刺激することになる」

 アエネアスでもそれくらいのことは分かっているとは思う。頭では分かってはいても、感情が理解を妨げるのだろう。

 有斗に出来ることはそこまでに至った経緯を包み隠さず話し、なんとか納得してもらうしかない。

「確かにあれはわたしから見ても良くないことだったとは思う。でもトリスムンドはまだ子供だよ! 周囲の大人に流されただけ。陛下に含むところがあって反旗を翻したわけじゃないんだよ。許してやって! それに今までのダルタロス家の諸々の功績を考えたら、少しくらいのことには目を瞑ると言うのが人情と言うものじゃないの!? ね、頼むから!! この通り!」

 アエネアスは顔の前で両手を合わせて、目をつぶって有斗を拝んで頼み込む。

 アエネアスの心情も十分に分かるだけに心が痛むが、それを認めるわけには有斗はいかなかった。

「それまでの功績は功績としてきちんと処理しているよ。アエティウスは黄門という高位まで昇ったし、ダルタロスの将士は今や王師の中核として遇されている。アエネアスだって羽林将軍と言う人もうらやむ朝廷の高官だよ。ならばそうやって褒賞したように、きちんと罰しないと片手落ちと言うものだよ」

 ダルタロスだけ特別扱いをしていると思われてはダルタロス以外の者は有斗の処罰に不満を持つだろうし、ダルタロスに組していれば安全だと思われた結果、ダルタロス派が肥大化していき、いつか王権と対立する未来が訪れる可能性だってある。有斗はダルタロスとは戦いたくない。ならば一定の距離感といったものが両者の間には必要であろう。

「それに確かに実質は懲罰かもしれないが、表高は同じだよ。諸侯中第三位の地位は変わらない。苦しいかもしれないけどそれほど影響は出ないはずだよ」

 そう、これが落としどころ。諸侯を納得させて、今までのダルタロス家に対する感謝を表すギリギリの線だと有斗は思う。

「陛下ッ! 忘れたの!? ダルタロスは兄様派と反兄様派に分かれてるって話を思い出して! 表高が同じでも実収が減れば家人は解雇されるんだよ。それに移封されれば領主は現地のことを知る必要がある。当然、現地の者を雇い入れなきゃいけない分だけさらに家人を解雇しなきゃならなくなる。じゃあ誰が考えても結果は見えているじゃない! 兄様に親しかった者たちが路頭に迷うことになる!! 南京南海府とモノウを取り上げられるのは仕方が無いよ。でも、せめて領土は今の本領を中心とした形にして欲しいんだよ!」

 そう言い終るとアエネアスは有斗の足元で崩れ落ちるように頭を下げるとうずくまり、深く、深跪礼きれいした。

「・・・!」

「・・・!」

 ここまでやるとは思わなかった有斗も、その場に偶然居合わせただけのアリスディアもグラウケネも、そしてラヴィーニアもアエネアスのその姿に仰天する。

 だが、どうやらアエネアスもダルタロスの処分についてはある程度は仕方が無いと納得はしているようだということは理解できた。

 しかし自分の知人、それも亡きアエティウスに親しかった人たちの多くが路頭に迷うことだけは避けたいと思っているのだろう。

 やっぱりアエティウスのことはアエネアスにとって今でも特別なんだな、と有斗は思った。有斗の知っているアエネアスは確かに仲間思いの優しい人物ではあるが、それでも有斗に無闇に頭を下げる、それも土下座までして頼み込むような人物ではないのである。

「お願い・・・! この通り!!」

 返答をしない有斗に地面に頭を擦りつけたままアエネアスはもう一度頼み込んだ。

 その姿にアリスディアは素早くグラウケネとラヴィーニアに目線を送ると立ち上がった。

 グラウケネはその意味に気付き、筆記の手を止めて慌てて部屋を出て行く。

 ラヴィーニアは一瞬、何か言いたげに口を少しだけ開いたが、アリスディアの視線が厳しさを増してラヴィーニアに向けられたことに気付き、苦笑して首を振ると渋々といった雰囲気で執務室から退室する。

 最後にアリスディアが退室すると外側から静かに扉を閉めた。執務室には有斗とアエネアス二人だけが取り残される。

 有斗は蹲ったままのアエネアスに手を差し伸べながら声を掛けた。

「アエネアス・・・立って。立って話をしよう」

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