第331話 ダルタロスを忘れたわけじゃなく

「なんなのさ、いったい。なんであたしたちが出て行かなくちゃいけないのさ」

 いつも有斗のお菓子を食べ散らかすくらいで、常に暇をもてあましているアエネアスと違って、ラヴィーニアは忙しい執務の時間を削ってここに来て、王に上奏したり、王の諮問に答えたりしているのである。優先されるべきはアエネアスではなくて自分であろうと言う論調だった。

 まだまだ文句を言いたりないラヴィーニアをアリスディアはたしなめた。

「アエネアスは気位の高い娘です。例え陛下であろうとめったに頭を下げるような娘ではありません。そのアエネアスが陛下の前でひざまずき頭を地面に擦り付けた。それだけその願いはアエネアスにとって重要だということなのです。ですが誇り高いアエネアスはそんな場面は決して他人に見られたくないはずです。それを見られたと思えば、後から恥辱に感じるに決まっています。わたくしたちは席を外す気遣いをするべきでしょう」

「それは気位が高いんじゃなくて、自尊心が悪い方向に肥大しているって言うのさ。陛下に頭を下げるのは臣下として当然、ましてや人に物を頼むのならそれなりの態度で頼むのは当然ってものさ。誰もそれを見て馬鹿にしたりなんかするものか」

「馬鹿にしないことと、馬鹿にされるとは思わないということは似て非なることです。本人の主観の問題なのですから、わたくしたちは相手の立場に立って考えてみることが必要だと思いますよ」

 アエネアスの面子を重んじるだけでいいのならばアリスディアの言葉は正言だろう。だがこれはアエネアスと王の間の痴話喧嘩とかいった類の話ではなく、国事に関わる問題なのだ。

 ラヴィーニアは反駁はんばくの言葉を上げざるを得なかった。

「それに・・・頼みごとってのは私事じゃなくて公事、陛下のおやつを一つくれとか言うのじゃなくて、ああ、それだって十分に不敬なことなんだけど、今はおいておくとして、ダルタロスの処分についてだ。赤毛のお嬢ちゃんがダルタロスの出で、今でも自分の生家を大切に思っているのは分かるけれども、これは陛下と朝廷が考えに考えて出した結論なんだ。権限の無い羽林の将軍ごときに横車を入れられることじゃないんだ。いろいろと恩義があるのは分かるけど、陛下が私情に流されてダルタロスに温情を示したなどと噂されることになったら、社稷しゃしょくの危機だよ。万乗の君は誰もが羨む至尊の地位ではあるが、どれだけ善政を敷いていたとしても一つの失政で万民から失望されるという火宅に住まう人なんだ。あの赤毛のお嬢ちゃんは、あえて陛下を針のむしろの上に座らせるつもりなのかい?」

「中書令殿のその言い方では陛下が私情に流されてアエネアスの願いを受け入れ、法をげるようなお方であるとおっしゃってるも同じ、その言葉こそ慎むべきものとお見受けします。きっと大丈夫です、心配は要りません。陛下はアエネアスが来ることも予想して既に策を立てておいでだと思いますよ」

 有斗の官房を一人で切り回しているラヴィーニアに向かって今時こんな口の聞き方をする人間は宮中を歩いて探してもいないだろう。

 もっともその状況は王に堂々と意見するラヴィーニアを見て、王ですらラヴィーニアに気を遣わなければならないほどの実力を持っていると諸官が勘違いをし、その権勢を恐れて諸官がラヴィーニアの前で口を閉ざしていると言うことだ。朝廷内が正常で健康な状態とは言えないということでもある。それは実際の姿ではないのだが、この宮廷内でラヴィーニアが権勢を振るっているように見えているということは確かである。官吏はラヴィーニアを恐れ、嫉妬し、大いに不満を抱くだろうし、有益な意見の発言を控えると言った悪影響もあるだろう。

 だからこそラヴィーニアに対して遠慮呵責を一切しないアリスディアをラヴィーニアはことの他、尊重しているのである。

 そのアリスディアの口から有斗への思わぬ高評価の言葉を聞き、ラヴィーニアは一瞬、おや、と言葉に詰まる。

「へぇ・・・信用しているんだ。陛下を」

 そこまで二人の会話に片言も口を挟まずに控えていたグラウケネはラヴィーニアのその言葉に思わず笑いそうになった。

 ラヴィーニアの言葉を額面どおり受け取ると、ラヴィーニアは王を信用して無いようにも聞こえるし、アリスディアが王を信用するはずが無いとラヴィーニアが思っているようにも聞こえる。

 一方のアリスディアの言葉はラヴィーニアが王を信用していないことを責めているようにも聞こえる。

 だがグラウケネの見るところ、二人とも大層、王のことを尊敬して信用しているのは間違いない。

 ラヴィーニアもアリスディアも、グラウケネにとっては類例を見ない賢明な人物で、神のごとき洞察力を持っているようにさえ見える人物だが、自分たちのことについてはあまりよく見えていないようだ。そう思うと何故か笑いがこみ上げてきた。もちろん高官二人を前にして笑いなどしなかったが。

「有難くも陛下には長くお仕えさせていただいており、お人柄については多少は存じておりますゆえ」

「・・・そこまで言うのなら、お手並み拝見といたしますか。それにしても・・・どこから漏れたんだ・・・? まさか尚侍ないしのかみともあろうものが友情にほだされて・・・とかいうわけじゃないよね?」

 論功行賞については有斗はほとんど一人で決定している。朝臣には個々の案件についての下問があるのみ。ラヴィーニアですら全体像を全て把握しているわけではない。

 もし知りうるものがいればそれは常に側に近侍しているアリスディア以外にはありえないのだ。

「例え国事の事を知りえたとしても、このわたくしは他の誰にも洩らしたりはいたしません。それが竹馬の友であってもです」

 そう言って澄まし返るアリスディアをラヴィーニアは怪しい者を見る目つきで眺めた。


 一方、部屋の中に二人きりで残された有斗は、足元にかがみこんで平伏したままのアエネアスにただおろおろと狼狽するだけだった。

「それについては話さなくちゃいけないとは思っていたんだ。だから・・・ね、立ってよ」

「やだ! 有斗がダルタロスの処分を撤回すると約束するまでは絶対に立ち上がらないんだから!」

 アエネアスはそう言って、有斗が差し出した手をはね除けた。普段見せないアエネアスの子供のような態度に有斗はどう対処したらいいのか分からなかった。

「そんな・・・駄々をこねる子供じゃないんだから」

「ねぇお願い! 兄様のことを思い出して! 有斗の代わりにその身に凶刃を受けた兄様は、ダルタロスの後事を有斗に託したじゃない! そのダルタロスには兄様を慕う家人たちのことも入っているんじゃないの!?」

「それはそうだけれども、それとこれとは別の問題だよ」

「別の問題じゃない! お願い! このままじゃ大勢の家人が路頭に迷い、その家族が困窮することになるんだよ!」

 しかしアエネアスがどんなに懇願しても、有斗は何故か一向に動かされる様子が見られなかった。

 有斗は弱い者の痛みや悲哀を理解できる人間であるはずと思っていただけに、アエネアスは戸惑ってしまう。

「アエネアスには悪いけど取り消せない。だってアエネアスのところにまでダルタロス移封の件が広がっているようでは、もうこの噂は相当広がってしまったと考えなきゃいけない。ここでこの決定を取り消したとなれば様々な憶測を呼んでしまう。綸言りんげん汗の如し、ここで僕が決定を覆したら、僕の王としての権威が損なわれてしまう。朝令暮改すると思われては誰も王命を真面目に実行しなくなってしまう。だからこの決定は覆せない。わかって欲しい」

「そんな・・・!」

 有斗はアエネアスを毅然とした態度で拒絶した。それはかつてアエティウスやアリアボネが王としての有斗に足らないと常々嘆いていたもの。

 だが有斗は今まで甘い、ぬるいと散々馬鹿にされながらも、情義を大事にし、信をもって乱世を終わらせようとしてきたではないか。これはアエティウスとの約束に背くのではないのか。それとも有斗はアエネアスと違って、もうアエティウスのことなど過ぎ去った過去と割り切ってしまったのであろうか。

 アエネアスの額には大粒の汗が吹き出ていた。

「わたしが頭を下げても駄目なの!?」

「アエネアスが頭を下げるとかそういった問題じゃないんだよ。分かって欲しい。これは三都など南部中枢を手に入れて王権を安定させるために、つまり乱世を終わらせるために必要なこと、そして諸侯に僕が公平な賞罰を与える人物であると分からせるためにも必要で、さらには僕が側近の意見に容易く左右されてしまうと皆に思われないためにも必要なんだ」

 それは全てアエネアスにも頭では理解できることだ。だがここでアエネアスが折れてしまったら、大勢の者が路頭に迷う。

 アエネアスは羽林将軍なのだ。俸禄の中から一人や二人は雇い入れることくらいは出来る。だがさすがに解雇されるであろう全ての家人をアエネアスの俸禄で養うことは不可能に決まっている。

 だからなんとしてでも有斗を翻意させなければと必死だった。アエネアスの肩には数百の家人と数千の家族の命が預けられていた。

「有斗が望めば何でもする! 二度と顔を見たくないなら二度と会わない! 死ねと言うのなら死んでも構わない! だから頼む! せめて一人でも解雇される知人が減るように、せめて近隣の・・・例えばトゥエンクの地に領土をずらすとかにして欲しいんだ」

「え!? 何でもするの!?」

 これまでアエネアスの言葉を受け流すばかりだった有斗が食いついたことにアエネアスは喜びと共に顔を上げた。

「何でもする!」

 思わぬ申し出に、それはいかがわしいことでもOKなのか? と、思わず有斗のピンク色の壊れかけの脳細胞が猛烈に活動を開始するが、いけない、いけない、それでは権力にあかせて女性の尊厳を踏みにじる行為だと、頭を振っていかがわしい妄想を追い払う。

「・・・コホン、ええとねアエネアス、とにかくまずは僕の話を全部聞いてから判断して欲しいんだ。そうでないと僕もアエネアスの頼みを聞く聞かないの段階まで進めない」

「・・・分かった」

 アエネアスがようやく話を聞くことに同意してくれたことに有斗は胸をほっとなでおろす。有斗の話を聞きさえすればアエネアスの誤解は解けるはずなのだから。

「アエネアス、確かにダルタロス家が移封されればモノウと南京南海府の収益がなくなり、地元の新しい家臣を雇い入れる分、家臣を召し放つことになるだろう。だけどそれくらい僕だって分かってるよ。だから対策を考えておいた」

「対策・・・どんな・・・?」

「乱世を終わらせるのには、王師の働きが必要不可欠だった。彼らの働きに報い、一時金を支給し、退職時には土地を与えることにした。その中でも特に王師の将軍たちなくしては僕がアメイジアを手に入れられなかったことを考えると、その功には十分に報いなければならない。だから彼らには土地を与え、伯に封じることにしたんだ」

「・・・それが何だっていうの?」

 アエネアスはまだ有斗の真意を掴めないようで不思議な顔をして見つめ返した。

「王領は南京南海府より西側にし、その東側の旧ダルタロス領はエテオクロスとベルビオを伯爵として封じた。プロイティデスもベルビオも元は陪臣だ。ほんの僅かな家臣しか持たない。彼らには現地で現場を仕切る、現地のことを良く知った人間が必要になるんじゃないかな? それにはうってつけの人達がいるとは思わないかい?」

「あ・・・・・・!」

 アエネアスもようやく有斗の言わんとしている事を理解した。

 有斗はアエティウスとの約束を忘れたわけでも無かったのだ。きちんと考えた上で、全てが丸く収まる方法を日夜考えていたに違いない。

 アエネアスはそんな有斗の苦悩も知らずに、有斗が何も考えていないと決め付けて、その行動を非難した。それはここまで考えてくれていた有斗に大層失礼なことだった。アエネアスは己の不明を恥じいる。

「エテオクロス、ベルビオならば彼らとも馴染みもあるしきっと上手く行く。どう? これでもダルタロスの移封について反対かな?」

「ご・・・ごめんね。わたし、勘違いしてた。そ、そんなにダルタロスのことを考えてくれたというのにわたしってば・・・ごめん、本当にごめんなさい」

 だが有斗が考えていたことはこれだけではなかった。もっと大きなものをアエネアスの、いや有斗を支えてくれた今のダルタロス家で無い、昔のダルタロスに贈るつもりだったのだ。

「それに新しいダルタロス公もきっと彼らを放ってはおかない。ちょっとばかり真っ直ぐすぎる面はあるけど、誰よりも優しく情に脆い人だからね」

「新しいダルタロス公・・・?」

 それはいったい誰なのだろうとアエネアスは顔を曇らせる。王領になるのは仕方が無いとしても、やはり多くの思い出が眠り、愛着ある土地を見も知らない、えん所縁ゆかりもない諸侯に奪われるのはやっぱり嫌だった。

 そのアエネアスの不安を吹き飛ばすかのように有斗は晴天の空のような明るい笑みを浮かべた。

「僕の目の前にいるじゃないか」

「目の前って・・・?」

 アエネアスは有斗の言葉の意味がわからず、目をぱちくりと二度瞬かせた。だってアリスたちが出て行った後のこの部屋には有斗とアエネアスの他には誰もいない。それともアエネアスが気が付かない間に、誰か第三者がこっそりとこの部屋に忍び込みでもしたのだろうか・・・?

「そう、目の前」

「・・・・・・ひょっとして・・・わたし!??」

 信じられない驚きに口の前を両手で覆ったアエネアスに、有斗は再びその柔らかな笑みを向ける。

「公爵と言ってもそんな大きな土地じゃない。今のダルタロスの六分の一にも満たない名ばかりの公爵家さ。だけどその名前を持った爵位は、きっとアエネアスが継いでくれるほうがアエティウスは喜んでくれると思うんだ。ただし、今のままだとアエネアスが子供を残さずに死んだら、トリスムンドがその地位を継いでしまうことになってしまう。ダルタロスが巨大諸侯になった結果、王権と敵対し合い戦うようなことになったら、僕は悔やんでも悔やみきれない。だからアエネアスが結婚し、子供が生まれたら、その子供にという条件付だけどね」

 アエネアスの目から涙がほとばしり、したたり落ちた。

「うん・・・・・・うん・・・・・・」

 アエネアスは有斗の言葉にただただ頷くだけだった。

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