第312話 翻弄(Ⅴ)

 一方、敵の後退進路上に位置することになるステロベは報告を受けると、ベルビオとザラルセンらと手分けし、警戒の網を山中にまで広げて、王師の真ん中にのこのこと入った敵兵を逃すまいとした。

 ここで敵を捕捉することができれば、三方から今も集結中の他の王師と呼応し、簡単に殲滅することが可能だ。

 何より敵は王の本営を突くという乾坤一擲けんこんいってきの勝負に出たのだ。

 もちろん奇襲というものは短期決戦を念頭においている以上、敵の手持ちの糧食は少なく、長期戦に持ち込まれる危険性は無い。どれだけ彼我に戦力差があろうとも、デウカリオらは敵が目の前に現れれば、戦うしか選ぶべき道はないのである。ならば敵を圧倒する総兵力を所持する王師が優位なことは言うまでも無い。

 デウカリオらをここで殲滅すれば、オーギューガの防衛線は一気に越まで後退することになる。

 だが全ては補足さえすれば、である。

 デウカリオらは芳野諸侯の案内を受け、道が無いように見える沢や谷を分け入って、あっさりと王師の探索の手を交わしていた。芳野の山深くに入った彼らの足取りはようとして知られなかった。

 だが五城を攻略し、芳野荒城平の平定はほぼ完成した。デウカリオらを退けた今、王師に逆らう勢力は荒城平に残ってはいない。

 王師は再び集結し、次の攻略対象、塩田平へと向かう。


 やがて王師の目の前に荒城平から塩田平へと抜ける道が現れる。

 確かにガニメデの話通り、こちらは妻科平へ向かう細く険しい道と違い、山の麓を縫うように走る谷川が造った、幅は五町余(六百メートル)ばかりの堆積地が二つの平を繋いでいた。道を挟んで二つの平を区分けんばかりに東西にせり出した山が、これ見よがしにその存在を誇示していた。

 問題はその西の山である。西の山には眼下の街道を見渡せる中ほどのところに城郭が建築されていた。そこに翻るのはカヒの大菱旗とツダ一族の赤獅子の旗。

 追跡に失敗し行方を見失ってたカヒの兵がそこに篭っているのは、誰が見ても明らかだった。

 さらに言えばその城砦は、昨日今日に造られた規模の要塞ではなかった。ぐるりと二重の柵が取り囲み、何段もの曲輪くるわが上下に連なっていた。

 つまり敵は最初からこの地こそが、王師を食い止める絶好の土地と思い準備していたということだ。

 だが考えれば当然のことである。越へ向かう出口は塩田平にしかなく、河東に抜ける出口は荒城平にしかない。

 例え王師が芳野全域を制圧するにしろしないにしろ、越へ攻め込む時の補給線は必ずここを通ることになる。

 つまりその山に築かれた山城を何とかしないことには、補給を考えると王師は一歩たりともここから先に攻め込むことはできないということだ。

 荒城平の最高点、標高千二百十七メートルの高天山の中腹、旗尾岳に築かれた城砦は以前からここにあったものではない。王師が必ずここを通ることをバアルが予測して、デウカリオを説き伏せて急ピッチで建設させた仮設の山城である。

 王は関西征伐でも、カヒ征伐においても鼓関や芳野、上州といった普通ならばまずそこを攻略対象とすべき場所をあえて無視し、本拠地を、そして敵の中心戦力を直接叩くという方策を取った。

 その理はバアルとて理解できる。よく考えると戦の本質、すなわち相手に打ち勝っての勝利という最終的な目的を見失わない的確な戦い方であったが、多くの者がその行動にあっけに取られたこともまた事実だった。

 それは猫の額のような狭窄きょうさくな土地を巡って、一進一退の攻防を続ける戦国の戦い方とは異質な戦い方であったからだ。

 四方全てが敵という戦国の世においては、全兵力をある一面に集中して長期間遠征すれば、その瞬間に空になった根幹地を多方面から攻められて、却って全てを無くすことに繋がりかねない。自然、四方に対して睨みを利かせたまま運用できる兵力だけで敵を攻めなければいけない以上、敵を討ち滅ぼすという根本的な解決方法を取れるわけが無く、代わりに猫額の地を奪い合うという展開にならざるを得なかったのだ。いや、それしかできないと思い込んでしまっていたのだ。

 それを有斗は打ち破った。もちろんそれには近畿という確固たる支配域を保持し、王師という大戦力を持っているからこそ可能なことではあったが。

 そういった今まで王が取った行動の傾向を考えると、デウカリオやサビニアスが主張したように、敵を芳野奥深くにまで誘い込んで消耗戦を強いるという作戦の実効性は乏しいと見た。

 おそらく今までと同じように、王は可能であるならば芳野と芳野にいるカヒの将兵は無視して、真の敵であるオーギューガのいる越へと進軍しようとすることだろう。関西攻めで鼓関や関西の多くの諸侯を無視し、カヒ攻めで芳野や河東の多くの諸侯を無視したように。

 デウカリオやバアルらがわざわざ防衛にこそ有利ではあるが、攻撃にも進軍にも不向きな芳野奥地へ篭ってしまったら、王はこれ幸いとばかりに平の出入り口付近などの要所に押さえの兵だけを残して越へ進軍してしまいかねない。

 もちろん芳野諸侯は王師の知らないような道を多数知っており、その警戒の網を潜り抜けてある時は奇襲し、またある時は輜重を襲って、王師の足を引っ張ることはできる。だがそれも越にて王がオーギューガを打ち破ってしまったら、何の意味ももたなくなる。オーギューガという後ろ盾あってこそ芳野の兵は王師と戦うことができるのだ。

 バアルの見るところ、今のオーギューガに朝廷と互角に渡り合えるだけの力は無い。

 もちろん戦場で王の首を取ることができたら話は別だろうが、野戦にてそんな不確実な一発逆転に頼らねばならない時点で本当は話にすらなっていないのだ。第一、オーギューガと王師と決戦するとしても、その場に確実に王がいるといった保証すら無い。

 ならば、戦況を膠着こうちゃくさせて、有利な状況になるまで兵を大きく動かすべきではない。今は圧倒的優位な朝廷側ではあるが、いつまでもそれが続くとは限らないのだから。

 王師だけとはいえ、全て出兵させると国庫には大きな負担になることは紛れも無い事実だ。そのことに対する不満も朝廷内で高まるだろうし、諸侯の間に争いが起きたり、反乱が起きないとも限らない。極論を言えば王が急死することだってないとは限らないのだ。

 だが越の平坦な地形とテイレシアの真っ直ぐな性格では持久戦術を行うのは難しいであろう。むしろこの複雑な山岳地帯が織り成す芳野の地形こそが、そして勝利のためならいかなる手段でもとるカヒの将兵こそが相応しい。

 すなわちバアルたちが王師が到底放置できないような場所に兵を配し、王師に足止めを行うしかないのだ。

 しかしそういった交通上の要路は守るのに相応しい場所が無い。いや、守るのに相応しい堅牢な地形が無いから街道が走り、交通の要路となっているのだ。

 しかし軍隊が常に行き来する交通の要路であるがゆえに、その付近には諸侯の城のような城砦もなかなか無い。交通の要路側に立つ要塞は真っ先に敵が攻め寄せ、破却する対象となりうるからだ。

 そこで街道を眼下に一望の下に見渡せることで敵に放置できないと思わせ、さらにちょっとやそっとの攻撃では落ちやしない堅固な場所を選んであらかじめ城砦を造っておいたのである。

 もちろん険しい山に拠って長期間篭城するということは水の確保、糧食の確保に困難をきたすということである。

 だがそれに関してバアルはあまり心配していなかった。芳野にはまもなく冬が来るのだから。

 冬になれば芳野は一面の豪雪で覆われる。芳野の民はその中を苦も無く移動することができるが、王師はその中で過ごすことすら困難であろう。雪中での行軍は不慣れなものにとっては大変な労力を必要とする。それに雪に補給線を寸断され、越冬するにしても場所を選らばねばならなくなるだろう。そうなればもはやに城砦に糧食を運び入れる地元の民を妨げることすらできないであろう。


 有斗は戦のことは主にアエティウスやアリアボネに教えられたが、彼ら二人がどちらかというと派手で人目を惹きつける活躍をしたにも拘らず、基本に忠実な、どちらかというと手堅い戦い方をする。そういった派手な奇策は成功すれば巷間こうかんに噂し、名を高めるが、実際は失敗することが多く、危険で、取るべき選択肢が無いときに仕方が無く取るべき類のものであるということを知っているからだ。教えた先生が良かったということであろう。

 というわけで旗尾岳の城砦(以下旗尾岳城とする)を見た有斗は、放置しておけば糧道を断たれる危険性を、あるいは後背をやくされる危険性を思い立ち、すぐさま攻略を命じた。

 王師五万は街道を利用して南北に幅広く布陣した。

 旗尾岳は高天山の東側に張り出した峰のひとつである。西側は高天山、南側は崖と沢と森に塞がれており、攻め込むのに使える傾斜は東南から北へかけての一帯だけである。五万の兵士が一斉に攻め込めるわけではなかった。

 先鋒の栄誉を受けたのはヒュベル、ベルビオ、プロイティデスの三将軍だった。

 三将軍は競うように一斉に兵を動かした。

 陣鉦と進軍太鼓に勇気付けられた兵は喚声を上げて、山の麓から城郭めがけて駆け上がる。

 だが彼らの快進撃はそう長くは続かなかった。城砦に篭っていたカヒの兵が彼らに対応するかのように一斉に柵際に現れて反撃を開始した。彼らは弓を射て岩を投げ落とし、坂を駆け上がろうとする兵を片っ端から麓へ叩き返す。王師の死傷者は時間と共にみるみる増えていき、将軍たちの表情からは余裕の色が失われていった。

 しかしそれでも将軍たちは突撃を命じ続けた。篭城戦はとにかく人海戦術で飽和攻撃をかけるしかない。

 敵は少数で味方は多数。味方は十分な交代要員がいるが、敵はそうではない。いつか疲労と困憊こんぱいで味方の攻撃が敵の処理能力を上回ることが起きるはずだ。

 特に今回は城内から裏切り者が出そうに無く、謀略を使えないことを考えるとそれしか方法は無さそうであった。

 それに確かに敵の攻撃は手痛いものだが、矢も石も無尽蔵にあるわけではあるまい。いつかは手持ちもなくなるのだ。その時、均衡は大きく崩れ、敵は支えきれずに城は落城する、と彼らは考えたのだ。


 しかしその計算はどうやら間違っていることに気が付く。敵の反撃の手は休むことが無かったからだ。

 おかげで三日経っても四日経っても王師は一番下の曲輪の柵に手をかけることすらできなかった。

 どうやら敵はよほど念入りに準備をしておいたらしい。もちろん城内に放たれた矢の再利用だとか、後背の山を利用しての石の削り出しといったことも同時にしているのであろうとは想像もできる。

 つまりこのまま待っていても敵の攻撃がすぐに止むなどといった可能性は考慮に入れないほうが賢明であろうということだ。

 しかもこの城砦の建設資材を運搬するために造った道などは、篭城の際に邪魔になるとばかりに崩してしまったらしく、足場となる登り口が見当たらなかった。しかもその崩した土砂が覆いかぶさったままの斜面は大きな力が一度に加わると崩落しやすく、せっかく上まで登った王師の兵を幾度も麓まで滑り落とし、彼らを随分腐らせた。

 だが一度だけ好機は訪れた。

 ヒュベルは城内からは死角になっている足場を見つけ、そこにこっそりと兵を集め、ベルビオが動いて敵の目を違う場所に向けさせた上で、一斉に柵へと駆け上がらせたのである。

 滑落すればそこは崖、すなわち死という状況にもヒュベルが選抜したその兵たちは臆せずに前だけ向いて猪のように突進し、外壁を城内へ押し倒すことに成功する。

 ついに最下層とはいえ城内に突入することができたのである。

 もちろんその為に払った犠牲は大きなものについてしまった。だが王師はその行動に交戦意欲を掻き立てられたか、後から後から次々と崖下から沸いては城内へ入り込んだ。

 もはや曲輪内の人数差で逆転された芳野側にはそれ以上の侵入を防ぐ手立てなど無かった。

 だがバアルはそのくらいのことを想定していなかったわけではない。冷静に対処し、その場を切り抜けようとする。

「壷を壊して建物に火をつけよ。撤退だ。この曲輪は放棄する」

「はっ!」

 バアルの命で油の入った壷は叩き壊され、建物に一斉に火が放たれた。

 曲輪に攻め入ったのはいいものの、構造物の配置が分からぬ王師には火と煙が充満すると、方向感覚が狂い、もはや敵と戦うといった状態では無かった。

 王師は混乱をきたした。火から逃げ惑うもの、敵を求めるもの、煙に巻かれて何が何やら分からなくなったものなどで、もはや指揮系統も何もあったものではなかった。

 その隙にバアルは悠々とさらに山の上、十間ばかり離れた位置にある次の曲輪に兵を引き上げさせ、防戦の準備をする。

 王師は一旦はその場を確保したものの、上の曲輪から狙い撃ちされる距離とあっては兵を常駐することができず放棄せざるを得なかった。

 だがそれでもこれでその場所までは王師は比較的被害を受けずに近づくことができるようになったのだ。大きな進歩といえようが、現実はそう甘くは無い。

 その曲輪から次の曲輪まで細い一本道、しかも確保した曲輪は建物は燃え落ち、身を隠す遮蔽物が無い。攻め込む王師は射の得意なカヒの兵にとっていい的でしかなかった。

 そこまで考えてこの城砦の曲輪はひとつひとつ配置されているに違いない。将軍たちは打つ手を失い、行き詰った。


 一週間が過ぎてもその状態から進展は無く、王師の負傷者のみが増えていく。

 その状況を憂いた有斗は根本的に作戦を変更するように命令を下した。

 麓から旗尾岳城までの高低差は百メートルほどだ。麓から確保した曲輪まで道を作り、攻城兵器をあげ、それを盾として使い前進し、次の曲輪を攻撃する。

 曲輪と曲輪の間にも道を作るという困難な作業もしなければならないが、王師の損害をこれ以上増やさないためには仕方がない。

 それにその合間に敵に何らかの動きがあり、それに付け込むことで、この膠着こうちゃく状態が打開されることに期待したのである。

 王師は旗尾岳城めがけて土を積み上げならす。盾を連ねて防柵を造り、土塁で持って双方の間を遮り、篭城方も攻撃の手立てが無い。双方対峙して睨み合うだけの不思議な時間が流れ過ぎていった。

「こんな辺鄙へんぴな田舎の一城に王師五万が釘付けなんて本当に無駄だよ。いつまでこんなことを続けるの?」

 アエネアスは基本何も起こらず暇だが、敵が側にいる以上、常時警戒を続けねばならないという心理的ストレスがあるのか今のこの状態に不満なようだった。

「陥落するまでだよ。僕たちだって苦しいが敵だって苦しいはずだ」

「陥落するまでって言ってもね・・・」

 もちろん十年二十年持つような難攻不落の城ということではないが、それでも攻略にはかなりの日数が必要であろう。それまでに何か朝廷に不測の事態が起きてオーギューガと戦うどころではなくなる可能性だってないわけではないのだ。

「敵は地元民の協力があるのか、蓄えがあるのか、兵糧が尽きる様子は見られない。オーギューガから援軍が来る様子は見られないのに、戦意だって旺盛だ。これはちょっとやそっとじゃ落ちやしないよ」

 そう言って有斗を翻意させようとしたが、有斗のいらえは無い。不思議に思いアエネアスが横を見るとそこには有斗の姿が無かった。後方で有斗は立ち止まり、上空を見上げていた。

「雪だ・・・」

 有斗の声に釣られてアエネアスも天空を見上げた。頬にひんやりとした感触の結晶が振り降りる。

 灰色の雲に覆われた曇天の空から白い雪がぱらぱらと舞い降りてきていた。


 芳野に冬将軍がやって来たのだ。

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