第287話 芳野を差し出す

 刺客の放った想像外の一言に、バアルは思わずうろたえ、危うく剣を取り落としそうになった。。

「なんだと・・・! 馬鹿な! カトレウス殿は七郷の国府台で王師相手に最後まで奮戦したと聞く、戦の最中に一介の暗殺者などに割り込む余地はあるまい!」

 バアルは頭からこびり付いて離れない、カトレウスが殺される場面の妄想を振り払うかのように、剣で近づく女暗殺者を薙ぎ払おうとする。

「そいつは偽者さ! 単なる影武者さ! 本物はエピダウロスの敗戦の逃亡時に、私が暗殺した! だからこそカヒは七郷であそこまであっけなく滅びたのだよ!」

 それを確かめる術は今となっては何一つない。だが七郷という天然の要害を所持するアメイジアきっての大豪族のカヒ家が、一戦して破れただけでああも容易く崩れ落ちたということは、バアルからしてみると信じられないことでもある。

 その理由をカトレウスが死んだせいだと考えるならば随分辻褄つじつまが合うと、ずっと芳野にいたバアルには何ほどかの説得力を持って聞こえたのだ。

 もちろんバアルを動揺させるための作り話かとも思うが、だとすればもう少し現実的な話をするはずだ。一介の暗殺者が万の兵を持ち、幾千の下僕に囲まれ守られている戦国の覇者カトレウスを暗殺するなど荒唐無稽こうとうむけいすぎる話だ。赤子でもだませそうにない。

 だからあまりにも真実味がないからこそ、かえってそれが真実まことなのではないかとバアルは思ったのである。

 女は一通り匕首ひしゅを投げ終えたのか、手に持つ短剣だけで攻撃してくる。変則攻撃なしの剣技と格闘術だけならばバアルに一日の長がある。

 とはいえその刃には毒が塗られているであろうことを考えると、一瞬たりとも気が抜けない。

 身軽な動きにバアルは翻弄されるが、その動きを可能にさせるのはその女が軽装だからだ。鎖帷子くさりかたびらは着込んでいるようだが、服の下にも鎧はつけていないと見た。

 その分、剣で一発でも喰らったら骨の一本二本は砕けることを覚悟しなければならない。もし一撃を喰らっても、逆に致命の一撃をバアルに確実に叩き返せるのなら彼女とて一流の刺客だ、迷わずに踏み込むのだが、バアルの腕前を見る限り、そう上手くいく可能性は低いと言わざるを得ない。

 だからバアルの剣をかなり余裕を持たせて回避しなければならないため、思うように踏み込むことができなかった。

 戦いは膠着こうちゃく状態になる。

 だとすれば後は集中力と体力の勝負になる。押されだすのは彼女の方だった。

 いくら敵の武器が一撃必殺だとはいえ得物が短い分、懐に入れさえしなければ怖くはない。なんとでも捌ききれる。

 しかし余裕が出てきたバアルも敵の刃に毒が塗られていると思うと、一対一という状況下では無理をすることもない。

 女は打つ手を無くしたことで、口惜しいが撤退するしかないと冷静に判断する。

 これほどの剣士だ。奇襲に失敗した段階で勝ち目はなかったか、と悔しげに下唇を噛んだ。

「まぁいい。今回はカトレウスの首を得ただけでも望外の喜びだ・・・楽しみはまた取っておくことにするさ・・・」

 憎憎しげにバアルに捨て台詞を吐き捨てて、女は来たときと同じように影になって走り去った。

執拗しつようなやつだ。王が命じるならともかくも、今の私の首など狙って何の得があるというのだ」

 剣をさやに収めると巻き込まれて命を落とした従者の死体を馬の背中へと持ち上げると、馬の口を引いてゆっくりと陣営地に歩を向ける。


 翌日、デウカリオは諸侯や将軍を集めて、カトレウスが死んだこと、カヒが滅んだことを包み隠さずに話した。

「エピダウロスの戦いで破れたカヒは、七郷にて最後の抗戦を試みたが、王師の大軍の前に敗れ去った。カトレウス様は最期まで勇敢に戦うも館と運命を共になされた」

 デウカリオが口をつぐむと広間はしんと静まり返った。

 カヒの諸将にしてみれば属する組織とその長を一気に失ったショックがある。さらには七郷に残った家族や友人たちの安否も知れない。いったい七郷はどうなっているのか、これから孤立した自分たちはどうすべきか考えると、ただ途方にくれるしかない。

 ただ、諸侯はカヒの将軍たちほど絶望に打ちひしがれているわけではない。

 だがこれからの彼らが生き延びるために取るべき方法を急いで考えなければいけないと思うと、彼らもまた違う意味で途方にくれるしかない。生き残るためには王に降伏するしか無いのは分かっているが、そのための伝手つてもなければ王が彼ら諸侯の降伏を許すかどうかも分からない。

 しかも芳野にはデウカリオと四千のカヒの兵がいる。彼らに裏切りを知られたら、血祭りに上げかねられない。

 それにデウカリオがわざわざこの話をした意図が諸侯たちにはまったくつかめなくて不気味に感じられた。

 カトレウスが死んでカヒが滅んだとなると芳野諸侯がデウカリオに味方する理由が無くなる。芳野諸侯が味方でなくなればデウカリオらは極めて不利な立場に立たされることになる。普通ならばこれは何としてでも隠し通すべきこと。だからデウカリオが進んでこれを口にした理由が分からない。

「これからどうなさるので・・・」

 デウカリオの激しい気性を知っている芳野諸侯はデウカリオの本心を聞き出そうと恐る恐る訊ねてみる。

 デウカリオは沈痛な面持ちのままその問いに答えた。

「カトレウス様は討たれ、七郷は土足で踏み荒らされ、カヒは滅びた。だがまだカヒの魂はここにある。我らがいる限り、な。我々は敵わぬまでも一戦し、王師の奴輩に目に物を見せてくれるわ。だがそれは我らの事情、芳野の諸兄らにはそれは関係ないことだ。諸兄らは今回の戦でカヒに組したとはいえ、歴代のカヒの臣下ではない。あくまでカヒの同盟者である。よってカヒの戦いに参加なされることはない。ご自由になさるがよろしい」

 広間は再び静まり返る。

 諸侯にだって面子や体面というものがある。自由にしろと言われたからといって、はい、そうですかと言うわけにはいかないのである。

 確かに王師は強大で、もはやカヒに残る戦力は微弱だ。だからと言ってそれだけを理由に昨日までの敵を主に、昨日までの主を敵にするのは、いくら戦国乱世とはいえ外聞が悪すぎる。

 彼らにだって守らなければならない評判というものがあるのだ。それでもし王に降伏が許されたとしても、一生涯汚名を着て生きていかなければならないことは確実だ。

 だからデウカリオの言葉も深読みした。

 デウカリオほどの男が現状をかんがみ、明らかに勝ち目の無い戦をカトレウスの死に対する感傷だけで行うことなどありえないのではないだろうか。

 つまりこの一連の行動は、カヒの四天王としての体面を整えるための回りくどい行動ではないか。

 一回、王師と戦い負けたならば意地も示せるし、降伏する理由にも充分なる。世間から後ろ指を指されることは無い。デウカリオの武将としての矜持プライドだって保てる。しかも万が一にでも勝ったならさらに良い。王師から譲歩を引き出すこともできるし、王師が頭を下げてきたから仕方が無く降伏してやったんだというふうに言い張ることすらもできる。待遇もただ両手を上げて降伏するよりもずっといいだろう。

 つまりこの前のめり気味に見える姿勢は降伏する前の下準備であろう、と芳野の諸侯は深読みしたのだ。

 兵書に言うではないか、辞の強くして進駆する者は退くなり、と。強気な態度をあえて見せ付ける者は実は退くことを考えているものなのである。

 それに、自身にとって不利になるとわかっているのにあえて真実を告げて、今までの関係性を全て清算し、去就を自由にさせるなどと言われてはその言葉の魔力に抵抗などできるはずも無い。その心意気におとこならばぐらっと来ないわけが無いのだ。

「デウカリオ殿、私は貴方と行動を共にしたい! 確かに我らはカヒとは一代限りの主従でしかないが、それでも共に戦場で寝起きした仲ではないですか! その我らにまるで他人行儀なそのお言葉・・・水臭いではないですか!」

 一人がそう言って協力を訴えると、我も我もと次々と協力を訴え出る。

「そうですぞ。我々は最後までデウカリオ殿と行動を共にしたい!」

「ありがたい! 恩の死はせぬとも情の死はするという河東武者のかがみとは諸兄らのことである。このデウカリオ、諸兄らの言葉に涙が止まらぬわ。深く、深く感謝いたしますぞ」

 カヒの将軍たちも思いは同じだった。

 カヒの滅亡とカトレウスの死を聞いて何をすればいいのか分からず真っ白だった頭もやがて働きを取り戻す。

 だがやはり考えてしまうのは、王師に踏み潰されることや芳野諸侯に裏切られて討たれることなど、否定的ネガティブなことばかりだった。

 そこに先ほどのデウカリオの前向きな言葉が彼らの心に深く突き刺さった。その言葉に胸を打たれた。切なかった。

 デウカリオはきっと自分一人だけになっても王師と戦うつもりなのであろう。それに対して自分はなんと脆弱なことかと自省の念にかられる。

 己を大いに恥じ入ると同時に、デウカリオを支えねばという気概で満ち溢れた。

「我らもデウカリオ様をお支えします。王師どもに一泡も二泡も吹かせてやりましょうぞ!」

 あちらこちらから威勢のいい声が次々と上がった。

 こうしてデウカリオは諸侯からだけでなく、将士からもその支持を取り付け、とりあえず内紛という最悪の結果だけは免れることができた。


 だが諸侯と兵から忠誠の誓約を受けたものの、それは所詮一時凌ぎでしかない。根本的な解決策ではないのだ。

「それは本当か? 御館様が戦場ではなく、退却途中で刺客の手にかかって最期を迎えたということは?」

 デウカリオにしてみたら信じたくない現実であった。戦場で敵の手にかかって死ぬよりも刺客に殺されるほうが何倍も屈辱だ。

 カトレウスほどの人物であれば、相手が雑兵であっても、せめて戦場で全うに死んで欲しいというのがデウカリオの願いだった。

「昨日、私を襲った刺客が言っていたのです。よくよく考えましたが嘘を言っているとも思えない。おそらくは本当のことかと思われます」

「ふうむ・・・」

 バアルは気に入らない奴だが、その知は大いに敬服するだけのものを持っていることをデウカリオは知っている。そのバアルが真実ではないかと思うことは、デウカリオにとっても尊重するべき意見なのだ。

 それにバアルから聞いた話にも矛盾は見られない。

「私にもその噂は入っておりましたが、なにぶん信じられないことなのでただの噂だと思いお知らせしていませんでした。だけれどもこうして複数の情報が重なったということは、ひょっとしたら真実の可能性も・・・」

 ガルバはその話をもっと前に正確につかんでいた。彼らの組織は広く、深く、闇に紛れている。彼らの武器は正確な情報の共有だ。この時代において他のどの勢力よりも彼らは常に正確に物事を掴んでいた。関東の朝廷よりも、関西の朝廷よりも、カヒよりも、そしてオーギューガよりも。王朝ほどの巨大な行政組織を持ってはいないが、それに類するものを彼らは持っていて、それを主に情報ネットワークの構築に充てていたのである。

 ただ正しい情報は彼らにとっては大事な武器の一つである。だから今まではそれを言い出す時ではないと思っていたから彼らに黙っていただけなのだ。

「そうか・・・」

 デウカリオはそう言うと、何かを否定するときのように首を二度三度と横に振った。

 そしてしばらく沈黙する。


「しかし・・・これからどうすべきか」

 デウカリオは未だ虚空を睨むだけでいい方策が思いつかないようだった。

「王とテイレシアならばどちらに膝を屈するのがお嫌でしょうか?」

「それは・・・」

 ガルバの問いにバアルは語尾を濁した。バアルにとって共に天を抱かざる敵とは王のことである。関西復興を旗印にしている以上、関東の偽王にだけは膝を屈するわけには行かなかった。

 だが単なる客将の身であるバアルには、さすがにその自分だけの論理を自らが進んで言い出すわけにも行かなかった。

 意見を促すかのようにデウカリオにバアルは視線を向ける。

 二人の視線が突き刺さっていることに気付き、デウカリオはしぶしぶといった感じで口を開く。

「テイレシアは長年カヒの宿願を阻んできた憎むべき敵ではあったが、暗殺などと言う卑怯な手段に頼ったことはない。寡兵であっても戦場で白黒つけてきたのだ。憎むべき敵ではあるが、それ以上に尊敬すべき敵でもある。だが王は暗殺と言う卑劣な手段を使って御館様を殺し、カヒを滅ぼした。そんな手段を持ってしないとカヒは倒せないと判断して行ったということは分かるが、そんな王には決して頭を下げたくは無い」

「ならば、こういう形はどうですか? オーギューガに芳野とカヒの精鋭四千をそっくりそのまま献上する」

「ふざけてるのか! このワシにオーギューガに魂を売れと言うのか!?」

 気の荒いデウカリオは刀に手をかけてガルバを脅す。だがガルバは顔から笑みを絶やさずに笑っているだけだった。

 商人の癖にその根性はたいしたものだ、とバアルは思った。

「膝を屈するのでも、売るのでもありません。交換条件をつけるのです。芳野の地を献上し、四千もの精鋭を手に入れる。その代わりとしてカヒ家の再興をお願いするのです」

「確かに悪くない条件だ。しかもテイレシアは頼られると嫌といえない性格だ。承知する可能性はある。だがテイレシアがどんなに願っても、王がそれを承知するとは思えぬ。王の承認を経ての再興など机上の空論だ」

「だがそれでも芳野とカヒの四千の兵とデウカリオ様たちに、しばらく王は一切の手を出すことが出来なくなりますね」

 それは示唆しさに富んだ言葉だった。ようやくバアルはオーギューガへの降伏などという暴論を持ち出したガルバの真の意図が理解できた。

「あっ・・・!」

「なんだ?」

「それが狙いと言うことか・・・?」

「いかにも、これならばお二方は無事、カヒの四千の兵も武装解除せずに温存でき、戦火を免れた芳野の諸侯にも貸しができるというわけです」

 ガルバのその言葉にデウカリオもようやくガルバが何を言わんとしているのか理解する。

「・・・ならばもしカヒ挙兵の時が来るまで、おおっぴらに現有戦力を損なうことなく維持でき、いざその時となれば直ぐにでも使うことができるというわけか!」

「いかにも」

 ガルバが頷くとデウカリオは膝を打って、何故その程度の腹芸を考え付かなかったのかと自分に対して苦笑いをする。

「気に入った! 実に良い!! ガルバよ、お主は見かけによらず意外と策士よな。まったく・・・商人にしておくには惜しいほどよ!」

「身に余るお言葉、このガルバ恐縮するばかりでございます・・・バルカ卿はいかがですかな?」

「デウカリオ殿に賛同する」

 それはバアルにとっても賛同できる未来図だ。バアルは両手を前で組んでゆうの礼を行い、同意を示す。

 二人から同意を取り付けるとガルバは満面の笑顔で胸を叩いて自信を見せる。

「ならば私めに任せていただきたい。こう見えても幅広く商売をしておりますので、伝手つてを頼っていけばオーギューガにも渡りをつけることができます」

「何から何まですまぬな。よろしく頼む」

 頭を下げる二人を見て、ガルバは二人に頼られるのは光栄とでもいいたげな、人のよさそうな笑みを浮かべた。本当は心の中では自身の思惑通りに動いてくれることになった二人を大いに嘲笑あざわらっていたのだが。

 ガルバとしてみればいつか来るその日に備えて、王に敵対する戦力は少しでも温存しておくに越したことはない。

 その戦力を取り込むなり、囮として使うなり、取引の材料に使うなり、いくらでも活用方法があるというのがガルバの考えである。この世界の神羅万象全てがガルバにとっては商材なのだ。


 慌しく芳野と越の間を使者が往来した。

 王師が河東西部に戻ってくる僅かな時間でケリをつけなければ芳野は兵火に包まれる。そうなればデウカリオらカヒ四千の残兵は風前の灯だ。時間はまさに切迫していた。

 意外なことにオーギューガはデウカリオはじめカヒの将士の命の保障と諸侯の確実な庇護を約束し、降伏を全面的に受け入れてくれた。

 デウカリオが何年にも渡って死闘を繰り返してきたカヒの、それも四天王だということを考えの外に置いたかのような反応だった。カヒとの戦いで親兄弟をなくした者も越にも多いだろうに。

 いやいや、世の中には心の広い人間がいるものだ、とデウカリオは嬉しさ半面、不可思議さ半面の複雑な感情が浮かぶ。

 越より兵を連れてディスケスが芳野へとやってくる日が訪れた。デウカリオはそれを諸侯と共に門外に出て出迎えた。

 御館様以外の人間に頭を下げるのはしゃくなことだったが、カヒの復興のためと思えば、それも今は我慢できる。

「我がオーギューガは頼られると嫌とはいえない性格でな。受け入れたからには大船に乗った気持ちで安心してくだされ。例え王がなんと言ってこようとも跳ね除けてみせましょうぞ」

 これが名高い、オーギューガの双璧の一人、守りのディスケスか。デウカリオが顔をあげた先にあった顔は、さすがにいまだに戦場に出るだけあって体躯は大きいが、それでも白いひげに笑みを絶やさぬその顔からは、孫とでも遊んでいるほうが似合う好々爺こうこうやだった。

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