第288話 事後報告
闇の中に灯りが点り、周囲の闇が凝固し人型に形を変える。
だが何かがいつもと違う。そこにいる影は五個、影はひとつ足りない。全員揃うまで待っていられぬほどの重大事件がアメイジアに起こったということだ。
それはそうだろう。彼らにしてみれば王に立ち塞がる最後の障壁、カヒがこともあろうに攻め込まれて僅か二ヶ月足らずで滅びてしまったのだ。
彼らとて最後は王と戦うことに覚悟を決めているが、だがそれにはまだまだ時間が要る。準備が足りない。それまでの間、彼らには戦い続けてもらって双方存分に傷ついてくれることを大いに期待していたのだ。
だがこれでは全ての計画を白紙に戻さなければならなくなった。
「カヒは滅びた」
彼らの中で主導者的役目を果たしている男がようやくその言葉を言うが、他の四人から言葉が返ってくることは無かった。周囲からは溜息だけが漏れる。
イスティエアでの敗戦以降、彼らとて今日の事態が訪れることも覚悟はしていたことだが、早すぎるというのが実感である。それにやはり現実として目の前にその事実を突きつけられるとその重さは格別に重かった。もはや有斗の政権はアメイジア全土を覆い、もはやその政権と五分の勝負ができる勢力は存在しないといっていいだろう。そう、彼ら以外は。
その衝撃は関西が滅んだときの比ではなかった。
「ふん。ガルバのやつ、カヒの精鋭には王師の兵とて鎧袖一触よと、大きな口を叩いていたが、カヒは王師の前にあっけなく滅んだではないか。カヒの為にあれほど金を注ぎ込み入れ込んでいたというのに・・・所詮口先だけの男か。使えぬ男よ」
関西王朝滅亡時にガルバに散々
「仲間を非難している場合ではないぞ」
「とは言ってもこれで我らはまた大事な手駒を失ったことになる。それにこれで王に表立って反抗する勢力は無くなったと言える。これでどうやって王を倒して元の戦国乱世に戻すというのだ?」
「もはや、他者を当てにしていられる時代は終わった。それだけのことだ。これからは我々の手でアメイジアを手に入れることを考えるしかない。理想国家の設立のためにはな」
もはや彼らの変わりに王と戦ってくれる奇特な人間はこのアメイジアのどこにもいないのである。
「ところで計画に必要な物資の準備を行っているのはお前だ。そちらはどうなっている?」
顎で指し示された先にいた影は手元の書類を広げて、現状の報告を行う。
「まず武具や防具などは関西と関東の合一のとき、闇に多く流れた物を買いあさりましたので、現時点で目標の五割の数に到達しております。こちらは問題はありません。ですが問題は兵糧のほうです。ここ数年の穀物相場の値上がりから、十分な量の確保にはいたっておりません。それにいくら米は保存が効くといっても限度もある。古い米は使うしかない。いつまでも貯めておくわけにはいかない」
「
皆が一斉に溜息を吐き宙を見上げた。準備が整わぬうちに王が政権基盤を固めてしまえば、彼らの出番はなくなるだろう。
これまでの布石が全て死手になるのだ。
「ということは何らかの方法でまだ時間を稼ぐ必要があるということか・・・」
その何気ない問いにリーダー格の男は何かを思いついたのか直ぐに応える。
「オーギューガとカヒはまだ使えるかも知れぬ」
「・・・オーギューガにカトレウスのような野心は無い。
「ああ。それでも、だ」
一拍の空白時間。皆の視線が集まったのを感じ、それからもったいぶったように考えを披露する。
「どうにかしてオーギューガやカヒの残党と王を争わせる。勝ち負けはどうでもいい。とにかく両者傷つきあえばそれでよいのだ」
七郷を攻略し、有斗がカトレウスの死を確認したのが五月二十九日のことである。
といってもそれは本当は影武者である弟のグラウコスの死体なのだが、有斗たちにはそれを知る
とはいえ結果としてカトレウスが死んでいることには違いがなかったので、そう認識することに何ら問題はなかった。
三月二十二日に出兵してから僅か二ヶ月間程度の期間で、河東に覇を唱えていたカヒ家を滅ぼしたことは、当の本人である有斗にとっても望外の成果だった。
その知らせを聞いた宮廷も喜びに沸いた。これで戦国の世が始まってより百有余年、終に天下を統一した覇者が生まれたということになる。
いままで力を持つのは直接的な武力を持つ諸侯や軍の将軍ということであったが、これからは権力は王の下に統一され、その下で働く官吏たち、すなわち朝廷がアメイジアで唯一の権力機関ということになる。これからは剣で全ての決着をつける弱肉強食の時代は終わりを告げ、彼らの時代という事になろう。
いかなる諸侯といえども彼ら官吏の持つ文の力に
王の早い帰還を望む声が王都で上がることは予想できていたが、有斗はなかなか腰を上げようとしなかった。
先に述べたように七郷の安定を見てからでないと帰る気になれなかったのである。
帰った途端に七郷で反乱が起こり、再度出兵しなければならなくなったら二度手間もいいところである。
さすがに全軍挙げて討伐しなければならないと言うことはないであろうが、長期化すれば兵站面に不安もある。
だがカトレウスの死がそれだけ人々の心に打撃を与えたのか七郷のカヒの将士たちは最終的にほとんどの者が帰順を申し出た。有斗はとりあえず寛大なところを見せて坂東の人心を掴もうと、その地位の高下に関わらず命の保証をすることにする。それでも王のところにまだ顔を見せない諸侯やカヒの将士は少なからずいた。だがいつまでも七郷にいるわけにもいかない。
七郷に一日いるごとにとんでもない金額が国庫から出費されるのである。一刻も早く王師の大半を王師に戻し、傭兵に金を払って自由にし、諸侯を帰郷させるべきだということは分かっている。
リュケネらに後事を託し、有斗が七郷を離れたのは六月七日のことである。
その時点では未だ解決を見ていなかった芳野の問題を帰り際に片付けておくつもりだった。
しかし六月二十日、はるばる越からオーギューガの使者が王を追いかけて来る。
使者はまず此度のカヒに対する大勝利をあらん限りの字句を持って祝した。そして上州諸侯を復すことに成功したことを報告する。これも陛下の御威光の賜物とテイレシアからも感謝申し上げるとの言葉を伝えた。
ここまでは双方和やかな雰囲気を持って接していた。だがそこからが問題だった。
来る六月十八日、芳野のカヒの諸侯と残存兵は、オーギューガの勧告を受け降伏した。陛下には安心されたしというテイレシアの言葉だった。
その時、王師は芳野へあと五舎の距離まで迫っていた。
話を聞いた将軍も幕僚も不機嫌を顔に露にする。
それはまるで王に対する報告書のようであったが、実際には違う。すでに起きて、結果が定まったことに対する事後報告書だ。芳野の処遇はこう決まったので了承しろ。もちろんそのような語句は半語たりとも書かれていなかったが、その文面からはそう言っているとしか受け取れなかった。
上州諸侯が半ばオーギューガの旗下に入る形になることはしょうがない。長年カヒと上州で戦ってきたのはオーギューガだし、
上州一帯は莫大な褒章ともいえるが、法外な恩賞というわけではない。上州という複数の公の位に匹敵する巨大な封地を得たことに嫉妬がないわけではないが、いままでの行きがかり、特にこの間、有斗について上州諸侯がカヒに叛旗を翻したときに、彼らを有斗は支援できなかったが、テイレシアは支援したことなどを考えると、上州はオーギューガのものになることに不満はあれども反対する理屈が見つからない。
だが芳野は違う。
芳野はカヒが滅亡した時、オーギューガが占領していたわけでも、オーギューガの家に
そこにいるほとんどの者にとって、オーギューガが今回取った手法は、カヒ滅亡のどさくさに紛れて芳野を得ようとする行為にしか思えなかったのだ。
実情はデウカリオらが進んでオーギューガを頼り、頼られたら嫌と言えないテイレシアの気質がそうさせただけで、芳野に支配地域を伸ばそうという考えはちらとも思い浮かばなかったのであるが。
だが、ある者は越、上州、芳野と大領を有することになることに対しての嫉妬で、またある者は火事場泥棒のようなそのやり方に対する怒りで、さらにはカヒに変わる巨大諸侯が誕生することに対する心配で、それぞれがそれぞれの立場で反対したのである。
オーギューガの使者を帰した後、有斗の前で行われた会議は紛糾した。
「とんでもないことです。これは許されざることですぞ!!」
普段は何事にも冷静沈着なゴルディアスら、文官たちも怒りを露にしていた。
「彼らが敵対したのは天与の人である陛下です。その罪は万死に値します!」
天与の人、天与の人と盛んに人は
「カトレウスが死んだ今こそ、戦国乱世を終わらせる絶好の時だと思う。ならば今は寛容を示すべき時だ。カヒの旧臣であっても昔の
「帰順するなら七郷で行ったように武装を解除し、陛下の前に跪いて命乞いをすべきです。条件をつけるなどもってのほかです!」
「別に彼らもこれ以降も続けて逆らおうってわけじゃないんだし、それにわざわざ芳野に行く手間も省けたと考えたらいいんじゃないかな」
芳野にいる敵戦力はカヒの四翼四千、芳野諸侯一万だ。王師十軍どころか半分の五軍で簡単に片がつくだろう。戦うには少なすぎる。逆らう気力もないだろうし。
有斗はそれでいいと思うのだが、皆は問題はそんなことではないとばかりに有斗の意見に同意する様子は見られない。
「それに頭を下げるなら陛下にであって、テイレシアにではないはず。陛下に対する罪を許せるのは、この世で陛下ただお一人。陛下、これは悪しき前例になります。唯の罪人ならいざ知らず、大罪を犯した者までもがテイレシアの判断で許すことができるのならば、権力が陛下とテイレシア双方にあることになってしまいます。彼らの帰順を許さずに芳野に攻め入って諸侯とカヒの兵を諸共に踏み潰すべきです。そしてテイレシアにはその傲慢を責める使者を送りましょう」
「自らが勝手に芳野のことを仕置きし、その事後承認を陛下に対して要求するとか、あつかましいにもほどがある! 自ら天下人を気取っているつもりなのか!!」
そんな彼らを有斗は
有斗は正直カトレウスを倒したことで満足し、大量の死体を見たことでしばらくは
「しかしオーギューガには世話になった。彼らの助けがなければ包囲網で四方を囲まれたときに滅亡していたよ。東征だって成功しなかったに違いない。彼らの面子だって立ててやろうよ。まぁこれでいいじゃないか」
有斗が結局そう結論を下すと、将軍たちも幕僚もしぶしぶといった風ではあったが有斗に従った。王に異見を述べることはできても最終決定に逆らえるものはもはやアメイジアにはいないのである。いるとしてもアエネアスくらいである。
「とにかく戦は終わったんだ。これでアメイジアには平和が戻る。これからは武器を置いて、どうすればアメイジアの発展に寄与できるか、共にそれを考えていこうじゃないか」
その有斗の、他人に寛容と言うべきか、認識が甘いと言うべきか、常識を超越したというべきか分からない、彼らとはあまりにも違うその思考に、やはり天与の人というのは常人とは考え方の仕組みが違うらしいと感心するやら、呆れるやらだった。
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