第259話 弱さを見ることが出来る者、それは弱き者
河東南西部を進撃する有斗だが、その前には大きな障害がある。
有斗もかつてその目で見た、天然の地形を利用した難攻不落の要塞、
だが有斗には秘策があった。
残念ながら、それは画期的な戦術を思いついたとか、知っていたとかいうわけではない。
有斗が現代人の知識を持って虎臥城を見て思いついたことは、もしミサイルか爆撃機があれば、あんな城あっという間に粉みじんにできるのになぁとか思った程度だった。
有斗が見い出した切り口、それはその城主がカトレウスの次男、テュエストスであるということである。
さてテュエストスだが、カトレウスが彼を特に選んでこの地に据えたのにはわけがある。
一族の長としてはカトレウスはこの次男を大いに買っていなかった。むしろ将軍としても為政者としても使い物にならぬと見放してさえいた。カトレウスの頭にはもうこの次男に跡目を継がすという選択肢は無い。
亡き長男の長子が成長するのを待って、その才を見極め、問題ないようであれば嫡孫に、もし彼が暗愚ならば才気煥発な四男に継がせるつもりだった。
だがカトレウスの生存している子供の中で最年長であるという彼の立場が、彼を次代の指導者として担ぎ上げたい勢力をどうしても形作る。
問題なのはそのほとんどは譜代の家臣、親族衆といったカトレウスにとって身内同然の者どもであることだった。
狙いは凡愚な主人を抱いて、カヒを昔の家臣団による共同統治に戻そうという腹なのだ。
彼らはどこまでも貪欲なカトレウスとは違い、昔、カトレウスと共に誓った天下を手中にする夢などはもう忘れはてていた。
彼らは長年の戦いを経て年老いた。いつまでも向上心だけを持って生き続けていくことは尋常の人間には大層難しいことなのだ。
だからもう十分に富も領土も手に入れた今、ここらで満足するべきではないかと考えている連中だった。あるいは天与の人として有斗が降臨したという事実も、彼らに昔の夢を諦めさせたのかもしれない。
カトレウスには心酔するものの、もう十分に夢は見た、ここらで終わりにしていいのではないかと思っていたのだ。
だが次男に武将としてそんな厳しい評価はしても、親としての気持ちはまた別物だった。
カトレウスはこの不出来な次男が可愛かった。
不出来であればあるだけこの次男に訪れる未来に思いを馳せずにはいられない。
家臣どもに担ぎ上げられて、弟や甥と跡目を争うなど、次男にとって望ましい未来とはとても思えない。
カヒなどという大族の家に生まれなければ、英名を持って知られた兄が戦死などしなければ、後継争いに巻き込まれることなく、無駄飯ぐらいの次男坊よと陰口をたたかれるくらいの扱いで一生を楽に終えれただろうに、と思うのだ。
そこでちょうど手に入れたツァヴタットの領土を次男にやり、火宅の外に追いやろうとしたのだ。
なぜそう考えたかというと、最近の動性を見るに、オーギューガは活発に動きこそすれ、王はイスティエアに勝利したものの、余勢を駆って河東に攻め込む様子は見られない。
それは普通に考えたら大いなる不可解であった。カトレウスはこれを朝廷における王の支配力が
王は支配基盤が固まるまで少なくとも四、五年は河東に手を出すことはないと判断したのだ。
だから対オーギューガとの最前線になり、直ぐにでも小競り合いが始まるであろう上州には、才長けたところを見せる三男を置き、代わりに河東西部の諸侯の動揺を押さえるためとしてツァヴタットに次男を置いたのだ。
カトレウスの子供の一人とあらば河東西部の諸侯の上にたつのに十分ふさわしいであろうし、近くにいることで、諸侯が警戒して動かないことを期待したのだ。
王が攻め込んでこないであろうならば、無能を絵に書いたような次男ではあるが、カトレウスの威光があれば十分やっていけると判断したのだ。
それにこれで次男も三男も独立して一家を立てることになる。カヒ本家を継げなくても、それなりの家の主として収まるのだ。文句もあるまい。行く末も心配しないで済むだろう。
一見、土地と兵を得たこの二人が後継争いで一歩有利に進んだかに見えるが、あくまでカヒ家の権力基盤は七郷盆地とそこに住む親族衆。それがこそカヒの力の源泉。その外に出されたということは後継争いから外されたと目される。
であるから、ゆくゆくカトレウスが死んだときに後継争いに巻き込まれる危険性をも減らす措置なのだ。親としてのカトレウスの苦労が見て取れる。
だが親の心子知らずとはよく言ったものだ。
まず先に三男を上州に封じたことがテュエストスの心を暗くした。
対オーギューガの最前線の一つ、上州という要地を治めるのには自分では不足なのかと不満を持った。
実際、親の欲目無しに他人が見ると、テュエストスでは器量が足らないのだが、男という生き物は往々にして自身の才覚を現実よりも多く見積もってしまうものなのだ。
当然、テュエストスも自身が弟に劣るなどとはおさおさ思ってはいなかった。だからそのことがテュエストスを大いに腐らせた。
次にツァヴタット公に封じられたのだからいいではないかと周囲のものは言うのであるが、テュエストスはそれすら穿った目で見てしまった。
河東西部は全体がカヒの手に落ちて五年と経っていない、いわばまだまだ心の奥底まで味方と信じることが出来ない土地だ。心ならずもカトレウスに従っているだけの諸侯も多いことだろう。
そんな一番危険なところに捨て駒として放り出されたと感じたのだ。きっと親父はいざとなれば自分を見捨てるつもりである。だから三男でも四男でもなく、俺がここに封じられたのであろう、と
有斗はツァヴタットの新領主テュエストスがカヒの中で一番出来の悪い息子であると評判だと、将軍たちが馬鹿にし笑っているところで思い立った。
そう、彼は周囲の状況に怯え、なおかつ自身を正当に評価していない現状に苛立っているのではないだろうか?
そして有斗の大軍勢を前に呆然とし、こんな窮地に追いやった原因である
ならば・・・ならば彼は好餌を持って誘いかければ、容易く寝返るのではないか、と。
もしそうなれば、有斗はこのことがこの戦において大きなターニングポイントとなるのではないかと思った。
虎臥城は堅城だ。もちろん諸将は有斗に落とせるかと訊ねられたら、一日二日ではさすがに無理だが、二週間もあれば落としてみせると豪語する。プロイティデス、エテオクロス、ヒュベル、リュケネ、アクトールにガニメデ。いずれも国中の
だがその見込みが間違っているかもしれない。なにしろカトレウスですら攻めあぐねた城なのだ。
その場合、戦争は予断を許さない状況に陥るだろう。
田舎城に本隊が釘付けされている間に、各地で諸侯が兵を起こして河東は火の海となり、いたるところで戦端は開かれ、糧道は寸断されて兵は飢え、戦どころではなくなる。そうなれば七郷のカトレウスも黙ってはいない。勇躍兵を発し、ファルサロに布陣した東進軍と交戦するに違いない。
勝利は果たしてどちらの手に落ちるか。もうそうなったら神様以外、勝利の行方を知るものはいなくなることだろう。ならばそんな危険は冒さないほうがいい。
一人の男を説得して城を無血開城させるべきだ。兵も時間も損じない最善の手法だ。
それに子に背かれるなど武門として大いなる恥となる。カトレウスは諸侯に面目を失い、威信を失墜することになるだろう。
さらにはウェスタをツァヴタット伯を復帰させることができ、周囲の諸侯の信頼と好意を得、カトレウスが兵を動かす前に河東西部をほぼ手中にすることができる。
だが将軍たちは案の定反対した。なにせ相手はカトレウスの次男なのである。譜代や一門衆などとはわけが違うのである。裏切るわけがない、と反対意見を次々と述べる。そんなことを考える有斗を愚者扱いだ。
だが有斗には自信があった。必ずやテュエストスは落ちるという自信である。
何故なら、以前の有斗がテュエストスの立場ならば、必ずや降誘の誘いに飛びつくからだ。
恐怖や不満で一杯で、もはや死ぬしかないと絶望に打ちひしがれているところに暖かい手を差し伸べられたら、その手が本当はどんな意味を持つのか深く考えようともせずにきっとその手を握ってしまう。
・・・有斗がプリクソスの手にすがりついたように。
これは目の前の将軍たちやアリアボネにもラヴィーニアにもきっと見出せなかった、有斗だけにできた洞察だということだ。
何故なら彼らは己の能力に絶対の自信を持つ。実績に裏打ちされた自信を持つがゆえに、相手もそうであろうと考えてしまうのだ。人が持つ弱さや脆さなど思いも付かないのであろう。
それも仕方がないかもしれない。彼らが常日頃相手にしているのは戦国の世を生き抜いている、皆それなりの人物なのだから。
だからその規範から外れた、何の間違いで諸侯の家に生まれてしまったかわからないようなテュエストスのような人物のことを理解できないのは当然なのだ。
だが有斗ならそれが痛いほど理解できる。何故なら卑屈とかやっかみとかは、元の世界で常日頃感じていた、いわば得意分野なのだ。
だからテュエストスの悲喜がまるで手に取るようにわかった。もっともそれはとても他人に自慢できることようなことではなかったが。
「まず外様が裏切り、次に譜代が裏切り、最後は親族が裏切る。子供や兄弟は反乱を起こすことこそあれ、敵に通じることなど極めて稀です。時間の無駄です。それよりも一気
有斗に対してはこういった意見が数多く出された。
「テュエストスの立場はとても特別だ。裏切る可能性は十分あるよ。それにやる前から諦めるのは早いとは思わないかい?」
だが有斗はそう粘り強く主張する。こうなると相手は王だ。しぶしぶながらも同意をせざるを得ない。
「そうおっしゃるのなら、やることに反対はいたしません。だが誰を持ってテュエストスを説得するのですか?」
王の言うことだ、実行しなくてはならないだろうといった意思がちらほら見える、極めて消極的な賛成だった。
だがそれで有斗には十分だ。賛同を得られるだけでよい。戦場ならともかく、こういったことに彼らから助力はまったく期待できないのだ。
そしてなによりそれについてはかねてより腹案があったのだ。
「ゴルディアスを呼んでくれないかな」
有斗は羽林の一人にそう命じた。
「ゴルディアス・・・?」
だがその羽林はそれが誰で、どこに行けば会えるのかも分からず、戸惑うばかりだった。
いやその羽林の兵だけではない、その場にいる将軍たちも有斗が誰のことを言っているか分からず顔を見合わせるだけだった。
「ゴルディアス、尚書主事さ。今回の遠征ではラヴィーニアの手となって遠征先で軍の兵糧の管理をしている男さ。ほら・・・この間の科挙で
そう言われても将軍たちは一向に顔が浮かんで来ないようだった。
有斗は苦笑し、こう付け加える。
「この遠征軍で各軍への食糧の配給や物資の引渡しなどを一手に仕切っている背の高い男だよ」
「ああ・・・あの男ですか」
そう言われて一様にその男が誰か見当が付いたようだ。
それは己が才に自信に満ち溢れた、秀才中の秀才といった空気を漂わしている男だった。
兵たちに言わせると、前線で剣を持って戦っている彼らより、偉そうにしている態度が気に食わないとか。
敵を投降させるということは論理だけでなく情に訴える話術が必要とされる。それとは対極にいる男だ、と将軍たちは不思議に思った。
彼らの持つゴルディアスのイメージは後方の安全な場所で帳面を
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