第256話 再び大河を渡る。

 今年は二月になっても、なかなか雪は解けてくれず、出兵の目処めどはいつまで経っても立たなかった。

 だがいつまでも逡巡しゅんじゅんしているだけでは前に進まないと、ここで思い切って有斗は集結日時を三月二十二日と決定した。

 それまでに越の、いやなにより河北の雪が解けてくれることに賭けたのだ。河北から関西北部にかけて今年は大雪が積もり、身動きもままならないとの報告が多く届いている。とはいえ動けない諸侯が出たとしても数は多くはないだろう。十分誤差程度の差になるはずだ。

 直ぐに王から諸侯へと急使が遣わされた。諸侯は領内で兵を集め始める。

 王も王師の出発準備と河東へ渡河する船の確保、そして兵糧の運搬をラヴィーニアの計画に沿って順次指示していく。

 その間も準備の出来た諸侯から次々と一路東へ向けて西国道、東山道を駆け抜けていく。

 この日が来るのに備えて、ラヴィーニアは去年一年間の夫役を使い、その二街道の整備を行った。迂路の直線化と道幅の統一を図り、道幅も狭いところで一間、平常二間だったものを四間に拡張していた。それでも未曾有の大軍勢なので渋滞するなど随所に混乱は見られたものの、大きな問題が発生することなく、軍勢は東へと動いていく。

 三月、王都郊外に王師十軍は勢揃いする。武器兵糧を運ぶ小荷駄隊も、それを管理する文官たちも集まって周辺は一面の人だかりだ。

 戦の気配を嗅ぎ付け傭兵たちもある者は王都へ、またある者は河を渡り東へと足を向ける。

 アメイジアに生きる兵という兵が今二つに分かれて決戦の舞台で演じる役を探していた。

 三月十二日、いよいよ王師も東山道を東へと押し出した。

 王師十軍五万三千、羽林一千、これが今回有斗が河東へ持って行く王直属の兵士である。戦では主戦力を勤めることになるであろう。

 この他に輜重を担当する為の文官が三千、荷馬車千五百。

 この他にも畿内、関西といった後背の安全地帯の輜重を担当してもらうためにラヴィーニア縁故の大商人たちをも動員した。

 文字通り国を空にしての大遠征だ。

 これに敗北すれば確実に国が傾くといって良い。それだけの王の決意が見える布陣に将士は奮い立った。

 有斗が大河の西岸に到達した頃には南部はもとより関西諸侯もほぼ勢揃いしていて、遅かったのはむしろ王師のほうだった。川岸に王師の駐屯する場所がなく、やむなく大河に一番近い城砦であるベネクス城に王師を収容する。

 一方、大河では上流からも下流からも船が集まって来て、王師の到着を今や遅しと川面を埋め尽くしていた。


 ここまで来たら後は大河を渡るだけだが、だがその前に大略を諸侯との間に打ち合わせ、意思の統一を図っておく必要がある。何故なら問題はカヒの兵力が芳野、河東、坂東(河東深遠部)に分かれているからである。

 七郷では兵を集める動きが見られるものの、河東全域に招集がかかった様子は見られないとのことだ。

 ということはカトレウスは諸侯をそれぞれの城に籠め、その攻略を王師に強いることで兵の消耗を狙っているのであろう。

 一見、兵力の分散、各個撃破のチャンスに思えるが、城に篭った諸侯を一つずつ潰していくのは結構な厄介事である。

 あるいは攻略に手間取っているうちにカヒが七郷から出撃し、諸侯との戦いに神経を注ぎ込んでいる王師を背後から奇襲をかけ勝敗を決するということも考えられる。

 かといって諸侯を放っておいてカヒの本拠地、坂東七郷盆地まで進撃でもしようものならば、彼らは輜重を襲って補給路の寸断を計ろうとするだろう。王師は補給に困難をきたし撤退せざるを得ない。

 とはいえ一軍で芳野、河東南部、河東中部、そして河東深遠部と攻略していくのはいくらなんでも兵力と時間の無駄だ。軍を三つに分けて運用するしかない。それを諸侯にも理解してもらう必要があると考えたのだ。

 まず主力を東山道を東に向かい防御に適した地形を探してそこに布陣し、坂東と河東西部、芳野との連絡を絶つ。例えカヒが七郷盆地から出てきても、友軍が駆けつけてくるまでその場を堅守するのだ。

 その間に別働隊が河東南西部の諸侯を攻略し、本隊と合流してから一路七郷へと攻め込む。これが今回の戦の本軍である。

 もう一つの別働隊は遊軍として芳野に向かい、芳野の諸侯とそこに駐屯するカヒの兵を牽制する。

 攻略でなく牽制である。芳野は一万を越す地元諸侯の他に、河北侵攻の時に使ったカヒの兵のうち、未だ三翼四千が現地に留まっている。

 また、四つの平に分かれた芳野は難攻楽守の地、カトレウスだって十年かけて手に入れた土地だ。兵をいくら注力すれば平らげられるかは誰にも予測不可能だった。

 芳野の攻略に無駄に時間を費やしたくは無かった。それに今回の目的はカヒとの最終決着をつけることだ。芳野の征服ではない。

 ならば芳野に兵力を振り分けるのではなく、むしろ少数の兵を持って芳野の兵を七郷のカヒ主力から分断し、その戦力を無効化することを考えるべきだ。

 一万四千もの兵力を敵から分断することが出来ればそれだけ有利に戦を進めることが出来る。

 いろいろ考えた結果、南部諸侯の兵から約一万を割いてその防備に充てることとなった。

 王師を割いて差し向けたいところではあるが、決戦場には一兵でも多く王師を連れて行かねばいけない。やはり戦での主戦力はなんといっても王師だ。王師が一兵でも多くないと勝機は見えないことを考えると、そういうわけにもいかなかった。

 ならば王師ほどではなくとも南部の強兵は知られたところではあるし、攻略しろなどとさえ無理を言わなければ、それだけの数があれば半年や一年は持ちこたえてくれるのではないかと考えたのだ。

 もちろん、問題は全体を指揮する将である。兵がいくらあっても将が無能ならばそれは軍隊として機能しないのである。

 考えた結果、有斗はそれにマシニッサを充てることにした。

 マシニッサは南部に侵攻したカトレウスを城ではなく郊外に布陣し、付け入る隙を与えなかった謀将だ。実績は十分にある。

 それに南部諸侯はちょっとやそっとの者の風下に収まるようなやわな男たちではないのである。その点、マシニッサには良くも悪くも諸侯に一目置かれるだけの名がある。もちろんそれは悪名ではあり、諸侯の中に大いに嫌悪と忌避の情を抱かせるものではあったが。

 それでもその中には自身では到底真似出来ないことを平然としでかすことに対する、尊敬の念がいくらかでも篭っていることも事実なのである。

 南部諸侯はマシニッサの実力を認めているのである。下手をすると生前のアエティウスよりも。

 ならば南部諸侯軍をまとめる将としてこれ以上ない存在と言える。

 だがこれはもちろん盛大な反対にあった。

「もしマシニッサが裏切った場合どうするのです? 芳野の兵に加えてマシニッサ旗下の兵、合計二万四千もの大軍が突如として退路を塞ぐように現れるのですよ?」

 そんなことになったら戦はもう負けたも同然なのである。これが戦の帰趨きすうを決める大事な分岐点になりかねないだけにプロイティデスも必死になって反対する。

「マシニッサはイスティエアで見せたように後背常ならぬ輩、味方の分厚い軍勢の中に封じ込めて、やつに自由に行動を許さないことこそが必要です!」

「マシニッサは裏切っても大丈夫なところに置くべきですな。予備兵力として置くか、マシニッサが裏切ってもすぐに攻撃し、殲滅できる形で布陣するべきかと。我々の眼の届かないところに置くのは危険です」

 リュケネもガニメデも反対を表明した。

「わたしはそもそもマシニッサが大嫌い! あんなやつが味方にいるというだけで、いつ裏切るかと考えれば夜も眠れないくらいだよ! いっそのこと始末してしまったらどう? 後腐れがない!」

 ついでにアエネアスまでもが反対する。まぁアエネアスのは感情論だから説得力がないんだけど。

 しかしここまで信頼がないと、自業自得とは言え、少しは哀れみを感じる。

「マシニッサを芳野に振り向けるには理由がある。マシニッサは裏切りを平然と行う男だが、無闇に裏切るわけではない。あくまで己の目で見て、勝利の可能性が高い方に裏切るというやり方をしている。伝聞や憶測で動かない現実主義者というわけだ。ということは決戦の場に連れて行ってカヒのように裏切られることだけは避けるべきだ。その点、芳野に置いていけば安心して戦える」

「ですがカヒに負けたと聞けば裏切って、退却する我らを襲うかもしれませんよ?」

「カヒに負けたら、その時点で既に僕の命はないかもしれない。そんなことを考える必要はないんじゃないかな。それに南部の諸侯がマシニッサの命令を全て無条件に聞くわけじゃない。副将としてはロドピア公もついていることだし。容易く裏切れるわけじゃないだろう。僕らが逃げ出す時間くらいはあるんじゃないかな」

 ロドピア公はカトレウスの畿内侵攻の際にも裏切らずにいてくれた南部きっての有斗シンパだ。

 例えマシニッサが裏切り、いくつかの諸侯がそれに同調しても、その前に立ち塞がってくれるはずだ。

「ならば芳野にマシニッサを派遣するのは反対いたしません。ですが南部諸侯を率いる将にするのは危険では? この機会を逃さず、南部諸侯の中に自身の勢力を植え付ける動きを見せるかもしれません。これ以上のトゥエンクの勢力拡張を許す機会を与えるべきではありません。第二のカトレウスになるかもしれませんよ」

「マシニッサはカトレウスとは違う。マシニッサはカトレウスよりもあくどい事を少しやり過ぎた。カトレウスの下につきたい諸侯はいても、マシニッサの下につきたい諸侯はいない。だって誰だって謀殺されたくない」

 有斗がそう言うとその場に一斉に笑いが広がった。

「確かに、あれの部下では命がいくつあっても足りませんな」

「夜だって満足に眠れやしない」

 笑いが収まるのを待ってから、有斗はさらに言葉を続ける。

「もちろんマシニッサの性格を考えると、彼がこの機会に乗じて諸侯の取り込みを計ろうとする事は想像できる。だが誰もマシニッサになびかない。マシニッサをこれまで成功させた要因であるその権謀が、今度はマシニッサの拡大を妨げる障害になるというわけさ」

 そう、マシニッサは小さな身代から大諸侯へとのし上がるために、ややもすると強引な手法を取らざるを得なかった。

 だが今まで取ってきたその強引な手法が為に、大諸侯にはなれても、さらに大きな成功を掴むことは決して出来ない。もちろん大諸侯になることは決して小さな成功ではないのではあるが。

 対して有斗はここまでややもすると理想論的な方法でもって物事を進めてきた。手を汚すことよりも、汚さないことを主眼において行動してきた。

 正しくても少数であらば切り捨てるなどといったことはしなかったし、権力を持つ官吏や将兵より、力持たぬ民衆に主眼を置いて政治を取った。

 だが手を汚すことも指導者に絶対必要なものである。少数を冷たく切り捨てることで、代わりに多数の幸福を確保することこそ指導者に求められる資質だからだ。そうでないと少数の為に多数が不幸になるという社会として間違っている社会が出来てしまい、政権は転覆する。

 もちろん民主主義の現在とは異なり、その多数少数とは純粋な数の大小ではなく、その勢力が持つ権力の大きさであるが。

 ともかくもそれを考慮しなかった為、有斗は四師の乱を起こされ、アドメトスの変のような政変沙汰も多々あれば、今でも何か物事を進めようとするたびに、官僚からの有形無形の抵抗にあったりもする。

 だがそれが有斗を唯の王よりも一回りもふた回りも大きくも見せた。かつて敵だった将士も官吏も、すんなりと有斗の下で働くことができるのだ。

 それを考えると有斗がとった行動はその瞬間は間違って見えたことも多々あったが、回りまわって結局は正しいやり方だったと言えよう。

「しかしマシニッサのその権謀は僕たちとしても十分利用するべき才能だ。彼のその才があれば、芳野の兵を半年以上釘付けしておくことは不可能じゃない。僕らは後顧の憂い無く、前だけ見て戦うことが出来る」

 それで合点がいったのか、ガニメデが一礼して有斗に賛意を表す。

「なんといっても不道殿は長年にわたるカトレウスの南部侵略の前に立ち塞がった実績がありますからな」

 そう、少しばかり大げさな言い方をすれば、マシニッサの存在がカヒの南部侵攻を阻んできたのだ。

「わかりました。陛下がそこまで考えておられたのであれば、我々としてもこれ以上反対はいたしません」

 エテオクロスの言葉に合わせて皆一様に頷いた。

 有斗はそれを満足そうに見て頷く。

「では次に、河東西部の南部を攻略する部隊の編成についてだけど・・・」

 これ以外は会議内で問題になることは無くなく、決められたことは諸侯を集めて、すぐさま発表された。


 後は大河を渡るだけである。

 集まった兵力は十万。いくら船を集めたといっても、この数をさすがに一度に大河を渡らせるのは無理だ。

 まず王師五軍と南部諸侯がまず先陣と次陣として渡り、陣地を構築して全軍が渡りきるまで敵の襲撃を警戒する。

 敵兵は河岸には見えないとのこと、さらには味方はこの大軍、普通なら襲い掛かってくることなど考えられないことだが、やはり油断は禁物、河を渡りきる前に攻撃を受けて負けを喫し、いきなり出鼻をくじかれると縁起が悪い。味方の士気に関わる。ここは石橋を叩いてでも警戒するべきところだ。

 だが王師を始めとする大軍に恐れをなしたか、全部隊が上陸を終えて、河岸を離れるまでの間に偵騎の一騎も確認されることは無かった。

 有斗は安全の為、最後の船団に羽林と共に乗り込み近畿を後にする。

「先行したベルビオ隊は既に東山道を三里程進んだ地まで確保したらしい」

 先行した部隊から現時点で入っている報告を船上で順次受ける。とりあえず出だしは順調のようだ。いい報告がずらりと並ぶ。

 先の長い戦いになるだろうから、こんなところでつまずいているわけにはいかない。

「さすがはベルビオ!」

 アエネアスは知己の活躍に満足そうに頷いた。

「芳野へ向けて南部諸侯たちも進発した。一週間の間には芳野と河東とを繋ぐ一帯の攻略にかかれるだろう」

 そこは河東と芳野を繋ぐ山岳回廊、険しく道幅も狭く、抜け出る箇所は多くは無い。

 最低限そこを確保してくれないと安心して河東奥部へと兵を進めることが出来ない。

 それまではまずは河東西部一帯の攻略、特にツァヴタットを中心とした南部一帯を攻略することになろう。そこはカヒの部下となって日が長くない。カヒを裏切る可能性は十分ある。できれば味方にしたいところだ。

 とはいえやはり実際にその目で見て、槍を交えてみないとなんとも言えないけれども。

 どうやってカヒから諸侯を引き離すか考え込む有斗の肩をアエネアスが叩いた。

「陛下、対岸に着いたよ」

「うん、わかった」

 羽林を先頭にしてアエネアスと共に船を降り立つ。

 既に多くの部隊が進発していたにもかかわらず、まだそこには王の到着を待つかのように、万を超える大勢の将士が残っていた。

 将兵の歓呼の声に恥ずかしそうに片手を上げて応えながら、有斗は船から桟橋に渡されたスロープを渡った。

 先に砂岸に降りたアエネアスが差し出した手につかまって有斗も岸へと飛び移る。

 今、有斗は再び河東の大地に降り立つ。

 苦い敗戦の記憶を過去のものとするために、そして天下を手に入れる最後の戦をするために。


 策を帷幕いばくの中に巡らす時間は終わった。

 このアメイジアで天下を争う権利を得た二人の男が決着をつけるのは戦場で、紙と硯ではなく剣と槍でということになる。

 決戦の時は迫りつつあった。


 [第七章 完]



戦国を終わらせるということはどういうことであろうか。

政府の意思に反する地方諸侯を撃ち従えて屈服させることで実現させることができるのであろうか。


否。


それは単に時の権力者の凶大な武威を目にして口を噤んだだけに過ぎない。

頭を押さえつけられた者たちは心中深くに不満を押し殺し、虎視眈々と反逆の時を窺っている。

天下はちょっとしたことから、たなごころから滑り落ちるのだ。

秦の始皇帝、隋の煬帝、平清盛、後醍醐天皇、足利義教・・・歴史がそれを証明している。

諸侯に、兵に、そして民に暴力で他者を虐げた方が得るものが大きいと思わせてはいけないのである。

その本質は、戦国というものを生み出した人々の残酷な考え方、戦国の世に植え付けられた人々の酷薄な考え方を踏み潰して払拭し、互いを尊重して平和に生きるという新しい考え方を人々に与えることなのであろう。

だがそれはある意味、土地を奪い、敵を殺し、多くの人々を奴隷のように討ち従えることよりもずっとずっと残酷なことだ。


次回 第八章 一統の章


有斗は迷いながらも青い髪の少女が望んだ天与の人になるために辛い決断を下した。

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