第232話 行幸(中)

「というわけで来たよ」

 三時間後、いぬの半刻(午後九時)、有斗はすっかり闇に包まれたラヴィーニア邸の門の前に一人立っていた。

 有斗は半日考えた末、権勢争いに加わらず、派閥に属さず、それなりの存在感がある人物についに思い当たったのだ。

 その者は比較的関東の朝廷にいた朝臣とは親しいものの、どの派閥にも属さず、要職に就いているにも拘らず交友を広げて派閥を作る様子も見られない。しかも中書令という朝廷の要の地位である。大臣公卿といえども正面から喧嘩を売ることはなかなかに難しい存在だ。

 つまり、ラヴィーニアならその条件を全て完璧に満たしている。

 しかもアエネアスのように有斗に近すぎると思われる心配は皆無だ。

 四師の乱の首謀者で、有斗が御執心だった典侍セルノアの仇であるという話は今や関西の朝臣の間にも知れ渡っていた。高位高官として復帰したことがむしろ不思議に思われているくらいだ。

 とは言ってもさすがに訪れるのに有斗一人きりと言うわけにはいかない。馬車には商人に扮装した羽林の兵が一緒に乗ってきたし、この辺りの一帯の路地と言う路地には兵が配置されている。

 そこまでしなくていいと思うんだけどな・・・

 ちなみにアエネアスは早く寝たいとかで付いて来ようともしなかった。職務怠慢にもほどがあるぞ。

 だが突然の来訪者にラヴィーニアは大きく困惑した顔を見せた。

「そんなに嫌そうな顔をしなくても・・・」

「あ、申し訳ありません。おもわず顔に出ておりましたか」

 と、ラヴィーニアは有斗の言葉が本当であることをうっかり認めた。

 最初に訪問される朝臣は名誉あることですからとアリスディアに言われたので、さぞかし喜んでくれるだろうと意気込んできたのだけれどもな・・・

 そうなんだ。やっぱり迷惑なんだ、と有斗は微妙な気持ちになる。

 そんな有斗に、ここで立ち話もなんですので、とラヴィーニアは館内へといざなった。

 なんというか・・・思ってたのより質素。

 アリアボネの家より半分・・・いや、三分の一程度の家だった。瓦も無く屋根は茅葺かやぶきの質素なものだ。それもつたが這い、藁からは別の植物が元気よく生えていて、いつき替えられたのかと心配になるくらいだった。それに館があるのは高級住宅地である官吏街の一角でなく、外れの商業地区に近い、王城から離れている場所である。

 だがそもそもが科挙を受けるというのは子供のころから格段の勉強をしないといけないので、子供に師をつける程度は家産が豊かであることが必須条件だと聞いた。

 ラヴィーニアも当然そういう家の出身であろう。

 それに中書令といったら朝廷の高官、参議の分も合わせたら、俸給は並みの亜相をも上回る。

 それにラヴィーニアがしているかどうかは知らないけれども、中書は王と国家を繋ぐ顕官けんかん、その気になったら賄賂だって取り放題だし、商人に伝手つねもあるから、そちらからも献金が凄い額もらえる気がするからお金に困っているとは考えづらい。

 単にケチなだけかな・・・?

「せっかく来たんだから何か自慢のものでも見せてよ」

 有斗は気楽にそう言ってのけた。

 ラヴィーニアだって朝臣の端くれ、庭の木とか、伝来の宝物とか他人に自慢したいものの一つ位あるだろう。もちろん、そんなものよりも美味しい食事とかが出たら最高なんだけど。

「う~ん・・・我が家の自慢ですか・・・」

 ラヴィーニアは有斗を館の奥へと案内しつつ、顎に手を当てて考えていた。

 客間に通されて客席に着席すると、思い出したかのようにラヴィーニアが叫んだ。

「あ、あれがあります! 我が家には秘蔵の旧辞記くじきがあります!」

「旧辞記?」

「サキノーフ様降臨以前のアメイジアの歴史を記した書です。そうは見つからない幻の本ですよ! 特に戦火で大半は焼けちゃいましたしね。しかも五十二冊欠巻無し、系図までついているという一品ですよ! ひょっとしたら、関西の高官たちでも持ってないかもしれないほどの珍品です! そうそう、他にも南部古史拾遺だとか、ナカツフミもありますね!」

 なんだかよくわからなかったが、どうやらそれらが貴重な本であることはなんとなく理解できた。

「・・・難しい本なんか僕にわかるはずもないじゃないか。それにどうせ草書で書かれているんだろ?」

 同じ珍しい本でも、薄くて高い本ならば喜んで見るんだけどな、と有斗は思った。漫画とかラノベとかこの世界には無いだろうしな・・・あったとしてもラヴィーニアがそういう本を持ってるとはとても思えないが。

 有斗のイメージでは参考書とか古典文学とか資料集とかしか持ってないイメージだ。

「あ・・・」

 と、押し黙ったかと思うと、有斗を残念な子を見る目で見つめた。どうやら草書で書かれているようだ、有斗は大きく溜息をついた。

 まぁ楷書で書かれていたからって読みたいとは思わないけどさ・・・

 溜息と共に俯いた有斗の目の前でことり、と音がする。目の前の机の上に急須や茶碗が置かれていた。使用人の老婦人がお湯を沸かして持ってきてくれたのだ。

「去年の白茶です」と、手早くラヴィーニアが茶をれて有斗に差し出した。そして文句を言った。

「来てくださるのでしたら、前もって言ってください。そうしないとこちらも困ります」

「突然、訪ねたほうが喜ぶかと思ったんだけど・・・」

 おかしいな・・・選びに選んでラヴィーニアの家に最初に訪れたんだぞ・・・もっと喜んでくれるかと思ったんだけど・・・

「迷惑なだけです。そういったことは直接臣下におっしゃらなくても、後宮の者とかから密かに洩れ聞こえるようにしておくのが筋ってものです。陛下をお迎えするのに臣下としては、普段食べている粗食を差し上げるわけにはいかないのですよ。いろいろ準備もいります。陛下が御口に入れるのに値する珍しい食材を仕入れたりとか、座を盛り上げるために、花街からとびきりの美姫を呼んでおくとか」

「えっ・・・!! 前もって言ってれば、そんな素敵イベントがあったの!?」

「・・・どっちに反応したんですか・・・?」

 ところが大喜びな有斗とは裏腹に、ラヴィーニアは右の眉と左の眉がくっつきそうなくらい眉間みけんしわを寄せていた。

「・・・えっ・・・その・・・」

 微妙な空気に有斗は少し狼狽する。

「どちらですか?」

 ラヴィーニアは有斗にあくまで冷静な声で問いただす。その姿は悪事をした者を取り調べる冷血無比な女性裁判官のようだ。ちょっと怖い。

「こ、後者のほうかな・・・」

「・・・・・・」

「・・・ゴメン」

 厳しい目線にすっかりしょげる有斗。おかしい、話を振ったのはラヴィーニアのほうで、これは有斗から言い出したんじゃないんだけどなぁ・・・と少し愚痴もこぼしそうになる。

「別にお望みなら、今からでも用意いたしますが・・・ただ尚侍ないしのかみや赤毛のお嬢ちゃんには報告いたしますよ」

 一瞬喜びそうになったが、付帯条件を聞いてみるみるその気持ちが失せてしまった。

「やっぱいいや・・・」

 それじゃあ、絶対なんか厄介なことになりそうじゃないか!

「じゃあ、わかりました」

 というと先程の老婦人をもう一度呼びつけて、耳元でささやく。

「セルギウスの店に行き、至急、何としてでも最高級の料理を二人分用意して欲しいと、あたしが言っていたと伝えて欲しい。これを持って行けば、店の者には誰からの依頼か分かるだろうから」と言って、何かしら由来ありげな短剣を手渡した。

 だけど耳聡く聞いていた有斗は慌ててそれを止めさせようと立ち上がった。だってラヴィーニアの家にたかりに来たんじゃないし。

「いいよいいよ。お茶だけで十分だよ。それに、こんな夜間にお年寄りが出て行くのは危険かもしれないじゃないか」

 有斗が治めるようになってからの王都では、官吏の綱紀粛正と並んで治安の安定が最重点項目として重視されている。そのおかげで王都は格段に安全になったと評判ではある。それでも殺人事件や刃傷沙汰は後を断たないらしいし、もうこんな時間だ。万が一のことがあったらいけない。

「それは駄目です」と、ラヴィーニアはくるりと振り返って大きく主張した。

「え? 王である僕がいいって言ってるんだよ?」

 有斗はそう言ったが、だめですとラヴィーニアは首を横に振った。

「これは陛下が臣下の家を初めて訪ねられた記念すべき行幸みゆきです。誰の家に行ったか、何時ごろ行ったか、どんなふうに訪ねられたということから、そこでどういった歓迎を受けたか王都中の噂になるのですよ。わざわざおいでくださったのに、陛下に料理さえ出さなかったということが知れ渡っては、私の沽券こけんにかかわります。それだけでなく、陛下は中書令如きに料理を出されないほど馬鹿にされていると悪い評判が立つのですよ。陛下の威信が大きく傷つくのです。例え陛下が一口も召し上がらなくても、都中に話題になるほどの料理を用意させていただきます」

「・・・そっか、うんわかった」

 口ではそう言ったが、こうも毎回理詰めで攻め込まれると腰が引けてしまうな、などと有斗は考えていた。かといってラヴィーニアが言っていることが間違っているわけではない、正しいのだ。その正しさがわかるだけに反論できない。

 アリアボネも似たようなタイプだったけど、理屈だけで無く情熱があった。説得するにも情に訴えかける。ラヴィーニアにはそれが無い。

 しかしラヴィーニアって、なんていうか・・・理知的というか、小難しいというか、小言が多いというべきか。頭がいいのは分かるけどなんか理屈くさくて、ラヴィーニアと付き合う人は大変だな・・・とか有斗は思った。

「しかし陛下が来られると分かっていたら、先に風呂に入っておけばよかった」

 ぽそりと口洩らしたラヴィーニアのその言葉に有斗が飛びつかんばかりに喰いついた。

「・・・風呂って、あの風呂? お湯がいっぱい入ってるお風呂?」

「それ以外に風呂と呼ぶ何かがあるのなら是非教えていただきたいものですが」

「お風呂があるんだ・・・いいなぁ・・・」

「後宮にもあるではないですか」

 と、ラヴィーニアは首を傾げる。

 確か後宮には大きな風呂があったはずだ、とラヴィーニアは記憶の片隅から内裏の地図を引っ張り出して確認した。

「四師の乱で燃え落ちて無くなったよ」

「・・・」

 そう言われては四師の乱の首謀者であるラヴィーニアは苦笑するしかなかった。

「しかたなく今は湯を入れたたらいを持ってきてもらい、タオルで体をいてるんだ」

 最初は女官がくと言い出して有斗の服を全部脱がせにかかった。恥ずかしさのあまりに自分でやることにしたけれども。

「新しく作ればいいではありませんか。朝議でおっしゃられればいいのです。さすがに生活に必要な施設です。特に反対する者もいないと思いますよ」

「なかなか言い出せないよ・・・」

 一棟まるまる後宮の建物を建てるとなると結構な金額が飛んでいくのである。今は倹約の時、贅沢は言い出せない。

「・・・ふむ・・・それでは料理が来る前にお入りになりますか?」

 ラヴィーニアがそう薦めると、

「入る! 入る!」

 と、有斗は大きく喜びの笑みを浮かべて何度も何度もうなずいた。

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