第229話 許せざる者

「とはいえ僕にはどうしても許せない奴がいる。そいつだけは別だ」 

 どちらかと言えば何事にも穏健策を取る有斗が、珍しく放った過激な言葉に、そこにいた一同、皆驚いた顔を見せた。

「まさか・・・まさか! ダルタロスじゃないよね!? だとしたら兄様やわたしたちの今までの功績に免じて許してやって!!」

 アエネアスが泣きそうな顔をして有斗の袖を引いた。

「違うよ、安心して。攻め込まれたこともあるカヒに膝を屈しなきゃいけなかったんだ。ダルタロスだって辛い選択だっただろう。今後のことを考えると考えなきゃいけないことはあるけど、許せないほどじゃないよ」

 有斗はアエネアスを安心させようと笑みを作った。

 その姿をセルウィリアは複雑な表情で眺めた。

 確かにアエネアスは近衛隊長であって、王である有斗の身近な存在ではあるが、だからといって気軽に体に触れていい存在ではない。この世界で神性を帯びているとみなされている王の玉体に触れることができるのは、王の家族を除けば、王の着替えを手伝う限られた一部の女官だけである。

 だが尚侍も、そして当の有斗本人も、そのアエネアスの行動を咎める様子は見られなかった。そもそも問題視するようなことではないとみなしているようですらあった。

 有斗はどうもアエネアスを臣下の枠を超えて特別扱いしていることにセルウィリアは薄々勘付きつつあった。

 だがそれは有斗の心の中のことであり、今のセルウィリアの立場ではどうしようもないことである。セルウィリアは気を取り直すと、堅田城落城時の有斗の怒りぶりを思い出して問うた。

「では許せないとおっしゃるのは、やはりカトレウスですか?」

「違う。勝利したとはいえ、今回はあくまで畿内からカヒの勢力を追い払っただけだ。今の僕にカトレウスをどうこうする力はないよ。カトレウスのことを考えるのはまだ先のことさ」

 今の王にカトレウスよりも憎しみを向ける相手がいるのであろうかと、セルウィリアは小首をかしげた。

 後宮の奥深くに客人まろうどとして住まうセルウィリアには有斗の日常と戦争全体の大まかな流れは理解できても戦場での事細かな出来事までは知る由もないのである。

 だが同じく王城に日夜詰めている身とはいえ、中書令たるラヴィーニアならば居ながらにして戦場で何が起きたか逐一知っている。

「ということは、ニケーア伯ですか」

 横から割り込んだラヴィーニアの言葉を有斗は首肯した。

「うん。あいつの裏切りだけは許せない。許しちゃおけない」

「裏切りだけならマシニッサもしたよ」

 アエネアスの言葉に有斗は首を横に振って同意を示さなかった。

「そうだけどさ。うまく言えないんだけど・・・マシニッサにある爽快さが、あいつにはない。裏切りをするのにも時と場合ってやつがある。最悪の時に最悪の理由で裏切る男がニケーア伯だもの。とにかく許せない奴だ」

 有斗のその言葉を聞き、ラヴィーニアが進み出て一礼し苦言を呈した。

「陛下、王たるものが感情で諸侯の賞罰を行ってはなりません。それに四師の乱で罪を犯した臣をお許しになられたことで朝臣の動揺を抑えたように、ここでニケーア伯をお許しになれば、此度カヒに付いた諸侯たちも安心して朝廷に帰順するとはお思いになりませんか? ニケーア伯のような男にも使い道はあるということです」

 有斗の思い違いを正そうと、険しい顔を向けるラヴィーニアに対して、有斗も険しい顔を作って一歩も退こうとしなかった。

「四師の乱が起こった原因は僕になかったわけじゃない。だから君を許すことができたんだ。だけど堅田城が落城し、ヘシオネが死んだ原因はヘシオネや僕に無いことは確かだ。もちろん多くはカヒに原因があるけど、ニケーア伯が裏切り、交渉に誠意のない態度を取って時間稼ぎを計らなければ堅田城の件はまた違う結末になっていたはずだ」

「であってもです。それは可能性のひとつであって、現実の話ではございませぬ。戦国の世は離散集合常ならぬもの、王が裏切りを許さぬと皆が思えば、諸侯も帰参に二の足を踏むというもの。ニケーア伯を許すことと許さぬこと、その得失をお図りください」

 ラヴィーニアは今度は深々と頭を下げ、有斗に再考を促した。

「一度目ならばその理屈も通じるだろうけど、ニケーア伯はこれまでも何度も僕を裏切ってきた。許しても感謝することなく、そのたびごとに僕の期待を裏切って来た。今度許したとしても、また裏切る」

「ニケーア伯の裏切りはあくまでカヒの後ろ盾を当てにしてのこと。朝廷が優位な今、また裏切るとは限りますまい」

「それはどうかな? ニケーア伯は目先の利益に囚われ、大局を見ない男だ。僕が河東へ遠征した時にカトレウスにそそのかされれば、後々のことも考えずにがら空きとなった河北を見て奪おうと立ち上がるかもしれない。そうすれば朝廷のカヒ遠征は極めて不利な形になる。戦の先行きもどうなるかは分からない。その危険性は何よりも除いておくべきだと僕は思う。今、ニケーア伯には罰されるのにふさわしいと皆が納得するだけの理由があり、朝廷には罰するだけの力と余裕がある。ここで処断すべきだ。後の憂いを断つためにニケーア伯だけは排除する」

「ではどうあってもニケーア伯を許さぬと? それでは信をもって乱世を終わらすという陛下のお言葉が偽りとなってしまいますが?」

「それは相手も信に応えてくれるのが前提だよ。さすがに何度も裏切った相手を許すのでは、形だけでも謝れば王はどんなことでも許してしまうと思われてしまう」

「理屈ではそうであっても・・・民が陛下の言葉に偽りを感じるか否かが問題なのです」

「もう何を言っても無駄だよ。僕は決めたんだ。今回は他の諸侯は許すことで諸侯の心を掴むと同時に、ニケーア伯に対しては断固とした手段を取ることで諸侯への見せしめとする。それにしても常日頃、僕に対して何かと甘いと苦言を言う中書令にしてはおかしなことを言う」

 有斗はここぞとばかりにラヴィーニアに嫌味を言った。

「・・・そこまでお考えとあらば、もう反対は致しませぬ。ですが王の威信に少しでも傷が付かぬように策は講じるべきです」

「どんなふうに?」

「王師を派遣すればニケーア伯はカヒの動向によっては一戦も交えずに降伏しようとするでしょう。もしその場に陛下がおられて降伏を許さぬとあらば、陛下の信を持って戦国を終わらすという言葉は信念から単なるお題目と化してしまいます。ニケーア伯を処罰してもよろしいが、それはあくまで現場の将軍の判断、陛下の与り知らぬことという形を取らなくてはなりませぬ」

「河北には僕が行かず、将軍の誰かを派遣してニケーア伯を処断しろってこと?」

「しかり。幸い、陛下が親征なさるほどの相手ではございませんから。もっともニケーア伯は不利になれば、おそらく王都にいる陛下に助命を嘆願するはず。その使者が王都につく前に将軍にニケーア伯を始末させるよう予め内意を言い含めておくのです」

「でもそれじゃあ、僕の命令を聞いただけなのに、その将軍を罰しなければならないといった矛盾が生まれてしまう」

「兵符を預かった将軍は全てを専断する権限が与えられます。将、軍に在りては君命をも受けざるところにありと申すではありませんか。誰も将軍を罰しろとは声をあげませぬ」

 ラヴィーニアの謀略は理解できる。理解できるが有斗には気が進まない策であった。だけど有斗の中ではその嫌悪感よりも、ニケーア伯への嫌悪感のほうが上回った。

 堅田城を失陥し、ヘシオネや大勢の将士を失ったことは未だ有斗の中に大きな傷として残っている。

 その原因の一つであるニケーア伯の名前を聞くたびに、自分自身の考えの足りなさと力の無さを痛感するからかもしれない。とにかくあの男を脳裏から消し去りたかった。

「わかった」

 するとそれまでじっと黙って聞いていたアエネアスがたまりかねたように叫んだ。

「そんなの、唯の詭弁だよ!」

「詭弁であることは百も承知さ。だけど詭弁であっても民に対して弁明するために時には建前ってものも必要なのさ。赤毛のお嬢ちゃんには分からないかもしれないけどね」

「陛下はこのチビの言うことなんか聞かないよね? ね!?」

 有斗はしばらくアエネアスとラヴィーニアを代わる代わるに見た後、口を開いた。

「・・・・・・いろいろ思うところはあるけど、ここはラヴィーニアの策を取ろう」

「御意」

 ラヴィーニアは有斗が自分の策を受け入れたことに満足そうに頭を下げた。

 それとは逆にアエネアスは不満そうにむくれた。

「陛下がそう言うんなら仕方ないけど」

 

「ラヴィーニア、もう一つ意見を聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんなりと」

「ベッソスかマザイソスのどちらかを外したとしても、中書はうまくやっていける?」

「ベッソスかマザイオスを? 二人とも優秀な人物で中書には欠くべからざる存在ですが・・・新しく尚書令にでもおすえになるつもりですか?」

 中書侍郎を動かすとなれば、別の次官以上に任命するからということになろうが、二人はダルタロス出で朝廷の他の省庁の仕事には通じているとは言えない。となれば実務が似通っている尚書が適任であろうと考えるのが普通だ。

 だがアリアボネ、ラヴィーニアを腹心とし、前例に囚われない(というより先例を知らない)有斗が中書を政権の中心としたことで、政治の中心から遠ざかった尚書令や尚書僕射が不満を抱いていることは確かではあるが、有斗に反意を抱いているというわけでは無いし、何より無能な人物でもない。いや、むしろ今の朝廷の中で有能な人物と言っていい。

 この時期にあえて首を挿げ替える必要をどこにも感じられず、ラヴィーニア小首を傾げた。

「本人の意向もあるから行く先についてはまだ言えない。ただ可能かどうかだけ知りたいんだ。中書は政治の要だからね」

 ラヴィーニアは有斗が何を企んでいるのか詳しく知りたいと思ったが、それはそれとして王の下問に答えないわけにはいかない。

「その質問だけの御返答をお望みとあらば、お答えいたします。可か不可かと言えば可能です。関西朝廷から有為の臣下を抜擢したことで、朝廷の官吏不足は以前より改善されました。求賢令で登用した人材も育ちつつあります。もちろんまだまだ人材不足の側面はございますが」

「わかった。ありがとう」

 そう言うと、有斗は行儀悪く両肘で頬杖をついて考え込む仕草を見せたので、アリスディアが気を利かせてラヴィーニアやセルウィリアを上手く部屋から追い出した。


 有斗は筆を取ると、さっそく四十枚近くもの諸侯に送る書簡を書いた。

 といっても本文は中書省の役人が考えた文面を、書の上手い官吏が書いたもので、有斗のしたことと言ったら、一番最後に下手糞な字で自分の名前を書いただけである。

「書いてある内容、ほとんど同じだけどいいのかな?」

 ざっと見たところ三、四パターンしかないように見受けられる。言うなればコピペメール貰ったようなものだ。嫌な気分にならないだろうか? 誠意が無いにも程があるだろう。

「かまいません。どうせ隣の諸侯と見せ合いっことかしませんから。ここで重要なのは、陛下から直々に降誘の手紙を受け取ったという事実です。諸侯が敵対したことを陛下がお怒りになっているわけではなく、何ら罰することなく味方に引き入れたいと考えているということを知らせるのが目的です。向こうが頭を下げてきたのだから、と立場を変えることに対する領民や部下たちへの言い訳が立ちます。諸侯の面子も傷つかずにすみます」

「そんなものかな・・・」

 有斗はその効果に疑問が湧くが、だがやらないよりはやったほうがいいと気を取り直す。まったく効果が無いわけでもないだろうし、手紙だけで乱が終わるなら、兵を動かすよりもずっと楽だし解決が早い。

 今でこそ多くの諸侯が有斗に矛を向けているから、敵対諸侯も強気ではあろうが、少しでも帰順させてしまえば状況は変わる。包囲網に加わる諸侯が減るに連れて、残った諸侯は不安に駆られて兵を収める方法を模索するに違いない。

 有斗がそう考えていると、横からセルウィリアが手紙を覗き込みながら有斗に質問をしてきた。

「陛下、ひとことお聞きしてよろしいでしょうか?」

「なにかな?」

「陛下はこのように南部や河北の諸侯に対しては降誘を呼び掛けておられますが、反乱を起こした関西の諸侯にはいかがするおつもりでしょうか? 確かにカヒの野心に乗せられた者や、この乱で一旗上げようと考えた不届き者もおりましょうが、多くは関西の復興を旗印に立ち上がりました。長年仕えてきた関西の王家への懐旧の心、そしてわたくしがもはや関西の再興を望んでおらぬと知らぬ無知から起こした愚行でしかありません。もちろん、その罪は万死に値いたします。ですがそこをげていただけないものかと思いまして。それは前の主人に対する忠義の心の発露でもあります。前の主人に対して忠ならば、新しき主人に対しても必ずや忠義を尽くしましょう。できますれば陛下のご寛恕かんじょを賜りたく存じます」

 と、橙色の髪を垂らして優雅に頭を下げて頼み込む。

 そこは生粋の王女様、平伏とか拝跪はいきとかではなくお辞儀だ。

 でも意外だった。いちおう関西の諸侯のことを気にかけてはいたのか・・・

 なんていうか関東朝臣から見た王女に対するイメージや、白鷹の乱での対応、さらには引き継がれた時の関西朝廷の杜撰ずさんさから判断すると、有斗が持っていたセルウィリア像と言うのは、適当に日々をこなすだけの、無気力社員ならぬ無気力王女だったのだ。

 だがどうやらその認識は改めなければならない時が来たようだ。少しは国や民について考えるようになっている。

 自分の国が滅んだ姿を目の当たりにして、色々考えるところもあったのかもしれないな、などと有斗はちょっと上から目線で考えていた。

「うん、もちろん関西の諸侯にも書状は出す。今、矛を収めるのなら罪には問わないと、ね」

 返答代わりににっこりと笑みを浮かべると、生来の美しさが一段と輝く。笑うと大輪の花が咲くようだ、とか言う表現はまさに彼女のためにあるに違いない。

「でしたらわたくしからも書状を出すというのはいかがでしょうか? そのほうが彼らを説得しやすいと思いますし」

「ああ、それはいい。是非そうすべきですね」

 ラヴィーニアがセルウィリアに大きく賛同した。

 なんだかんだ言って初代皇帝である高祖神帝ことサキノーフ様に対するアメイジアの民の抱いている思いは信仰に近いものがある。その血を引いているセルウィリアの言葉は諸侯に良い影響を与えることが期待できる。

 まして少し前まで関西かれらの女王だったのだ、その要請は命令に近いものがあるはずだ。

「では私も書簡をしたためます。誰に出せばよろしいのですか?」

「ああ、ならばあたしが諸侯の名前を書き出しますので、その諸侯の実情にあった文章を考えていただきたい。もちろん代筆する者は中書から呼び寄せます」

 会話に混じれないアエネアスが暇そうに有斗が署名した書簡の宛名を眺めていた。

「見慣れない名前・・・河東の諸侯にも出すの? 効果はあるのかな?」

 見慣れない名前の宛名に、ああこれは河東諸侯に出す書簡かと気付いたアエネアスが効果に疑問を投げかけた。

 何せ河東と近畿の間には大河がある。朝廷に味方しようものなら、援軍が川を渡る前にカヒに攻め滅ぼされかねない。それを考えると、事実上、今の勢力範囲のままなら河東諸侯は否が応でもカヒに味方するしかないのだ。

「そこは駄目元。多少揺さぶるくらいの効果はあるはずさ」

「揺さぶってどうするの?」

「今度の戦いで大きな敗北をしたカヒは、しばらくは畿内に攻め込めるだけの力は無い。だけれども、こちらも今は遠く七郷盆地まで大規模な軍を催して遠征する力はとうてい無い。ということは双方睨み合いが続くと考えたほうがいい。だからといって何もしないわけにはいかないし、向こうも何もしないわけではないだろう。こちらが国力を蓄えると同じように、向こうも国力を蓄えるということは幼児でも理解できる理屈さ。ここからしばらくは双方、謀略と政治を持って対峙たいじすることになるだろう。その為には色々と布石を打っておかないといけないからね」

「謀略と政治ね・・・陛下が得手とは思えないけど」

 剣も戦争もあまり得意とは言えないけれど、ともアエネアスは思ったが、さすがにそこまで言っては可愛そうだと思ったらしい。そこで口をつぐんだ。

「・・・悪かったね」

 アリアボネがいたらな、と有斗は溜息が出そうになる。だけれども王たるもの失望や苦しみを外見に出してはだめだ、とぐっと気を取り直す。

「大丈夫ですよ」

 ラヴィーニアはその薄い胸を大きく張った。

「代わりにあたしがおります、陛下。剣の振り方ならともかく、他人を騙し、他人の心に付け込み、他人を利用する術ならば、このラヴィーニア・アルバノ、この世に並ぶものなき人物と自負しております」

「・・・」

 そんなことを力説されても同意していいやら悪いやら。有斗は苦笑いを浮かべながら、眉をひそめないよう我慢するのが精一杯だった。

「・・・本当にあんたって凄いわね。たいしたものよ。真顔でそんな言葉を大言壮語できるだけでも尊敬するよ」

 と、アエネアスは褒め言葉とも嫌味ともどちらにでもとれる言葉を呆れた顔をして呟いた。

 そんな言葉にもラヴィーニアはどこ吹く風だ。

「お褒めに預かりまして、実に光栄至極」と、芝居がかった仕草で大仰に一礼して見せる余裕すらあった。

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