第222話 イスティエアの戦い(Ⅳ)

 イスティエア平原にて有斗側が取った布陣はこうである。まず全軍を左翼右翼中央の三つに分けるという定法どおりの考えではなく、左翼と右翼とに真ん中で分けた形で考えて布陣する。

 まず最左翼に第五軍以外の全騎兵を集めて配置する。これはエレクトライが指揮をする。

 そして第六軍、第八軍、第九軍の重装歩兵を集めて三列の戦列を組み、これをもって左半分を支える主戦列と為す。これの指揮はステロベに取って貰う。第六軍、第八軍、第九軍の軽歩兵と関西諸侯の歩兵たちはアクトールの指揮で、重装歩兵の後ろに位置する。そして次いで右翼、中央から順に、プロイティデスの第一軍、エテオクロスの第二軍、リュケネの第四軍と布陣する。

 今度の作戦では両翼の騎兵や左翼を構成する兵も大事なことには変わりは無いが、何より右翼の緻密ちみつな動きと敵の攻撃を食い止める巧妙な退却が作戦の成否を分けるのだ。

 よってここに精鋭を揃えることとなった。

 そして最右翼は第五軍こと加わったばかりのザラルセン隊が配置される。南部諸侯の兵と傭兵はリュケネの部隊の後ろあたりに配置、羽林は有斗と共に中央、やや左翼よりに位置した。

 残りの兵、すなわち第三軍と第七軍は中央やや右よりに位置した。


 それに対してカヒは、王師と正対する前面に河東諸侯の兵を分厚く置き、その両翼にカヒ自慢の二十四翼の兵を六翼ずつ配置した。

 これがこの戦におけるカヒの主力だ。左翼はニクティモ、右翼はダウニオスというカヒの誇る四天王がそれぞれ受け持つ。

 そして河東諸侯の兵の後ろで、そして王旗が真正面に見える位置に、本陣と親衛隊である赤色備え二千をはじめとする二十四翼の残り五翼を配置した。

 ここまでは通常時の布陣と言っても良い。両翼に包囲殲滅戦の主力となる騎兵を置き、中央が敵を食い止めている間に両翼から包囲する、その為の布陣だ。

 カトレウスが前面に展開する王の布陣を見てそれに手直しを加えたのはほんの一部、残った南部諸侯と傭兵隊を左翼後方に配置したことだけだ。


 王はカヒの接近により左翼、つまりカヒから見て右側に柵を作るのが精一杯だったように見える。あるいは少ない時間をやりくりして集中して配置したとも受け取れた。

 そこからカトレウスが導き出した答えはこうであった。

 柵があるのにそれを放棄して前進してくる馬鹿はいない。つまり、敵は左翼で敵を引き付けつつ、右翼に主力を集中させ我々を倒すことを目論んでいる。通常の斜線陣とは逆の形を取ることになるが、これも斜線陣の一つである。

 王師の最弱点は右翼の右側である。カヒとしてもそこを突くべく、左翼の騎兵が戦闘開始の合図が鳴るや、真っ先に敵に向かって駆けて行くことになるだろう。

 だが敵は右翼に兵力を集中している。その兵力を持ってカヒの左翼を打ち破ることを考えているのではないだろうか。その為の右翼への精鋭配置ではないだろうか。

 それに王側はカヒより総兵力で劣るが、格段に劣るというわけではない。

 もしカヒの左翼が動き出すのと同時に王師の右翼が動き出し、なおかつカヒの左翼を打ち破ることができれば、ひょっとしたら王師左翼とカヒ右翼が交戦する前、いや、王師の中央部とカヒの中央部が接敵する前に勝敗を決することができる。

 後は王は右翼の余剰戦力をもって二方向から中央の敵を叩きのめし、ついで左翼前面の敵を後ろに回りこんで壊滅させるだけである。

 つまり時間差による各個撃破が論理上は可能だということである。

 兵力に劣る王師が正面からカヒにぶつかるだけでは愚の骨頂であることを考えると、これは十分にありうることだ。なにより王師が左翼に重装歩兵を集中配置していること、さらには右翼に元関東王師の精鋭を配置し、左翼よりも右翼に多くの騎兵を割いていることがその考えに更に説得力を持たせていた。

 それに重装歩兵は拠点防衛に優れるが、機動力が無い。どう考えても左翼は動かない。

 ならばまずダウニオスに右翼の騎兵を率いさせ、敵左翼の騎兵を撃破させる。

 対する左翼はニクティモ率いる六翼よりも敵騎兵のほうが数は多そうではあるが、敵の主力は軽騎兵である。接敵すれば蹴散らせない相手ではない。それに一万を数える南部諸侯の兵を増援に付けた。

 ニクティモの六翼が攻め込んでくる敵の騎兵の側面に回り込み、開いた空間を南部諸侯の兵が埋めて半包囲陣形を形成さえすれば、殲滅することは難しいことじゃない。

 そうなれば、もう戦は勝利間違いなしだ。

 正面の河東諸侯を一斉に前へと押し出させ、両翼の翼を折り畳むように小さくすればいい。

 包囲されたと悟った王師からは、くしの歯をくように兵の逃亡が始まるであろう。

「ニクティモに命じよ。右翼への兵力偏在へんざいかんがみると、敵は斜線陣によって右翼から我々を半包囲するものと思われる。卿は敵の右翼の更に外へと騎兵を回し、南部諸侯と力を合わせて敵を二方向から攻撃せよ。敵作戦の鍵である敵右翼の攻勢を封じることができれば、敵は事態を打開する手段を無くすことになる。つまりこの戦の勝敗は卿の活躍いかんにかかっている、と」

 カトレウスは日頃広言を用いず、戯語も少ない。そのカトレウスが部下にここまでの期待を表し、言葉にして命じたことは前例のないことであった。

 ニクティモほどの誇り高い男がこの言葉に感激しないはずは無い。

 旗下の六翼六千の兵を率いて敵右翼の右側へ回りこむ準備として、さらに左方へと動き始めた。

 南部諸侯の兵が後方より前進して空いたスペースを埋めていく。

 それを見たザラルセン旗下の騎兵は内心の動揺を表すように旗を乱した。

 その後ゆっくりとカヒの騎兵隊に合わせて横へと移動を始める。それが開戦の合図となった。


 次の瞬間、右翼を構成する王師の歩兵隊から喚声が上がると出撃の角笛が鳴り響き、進軍の鼓が打ち鳴らされる。

 リュケネ、プロイティデス、エテオクロスと綺麗に右方から順番に敵へと向かって動き出した。それに同調してザラルセン指揮下の騎兵も前進を始めた。教本に載せたいくらいの綺麗な斜線陣が有斗の眼前に展開された。

「ちゃんと打ち合わせどおりやってくれよ」

 有斗は口の中でそう小さく祈るように呟いた。

 と言ってもこればかりは相手があることだから、どんなに上手く将軍が部隊を動かしても思い通りに物事が展開されるというわけではないのであろうが。

 なにせあの温厚なプロイティデスに、「そんな奇術みたいな部隊移動はできません」と苦い顔をされた程の難事だ。

 ここは四将軍に全てを託して、有斗は本陣にでんと座っているしかないのだ。

 動揺や心配をみんなの前であらわにしちゃいけない。


 近づく王師の右翼に向けてカヒの陣から次々と石礫いしつぶてが飛んでくる。

 石礫と言っても一、二センチの小石ではない。達人ともなると直径十センチ近くの石を投げるというから驚きだ。しかも投げやすい平らな石の端を打ち割って、鋭く尖らせたものを用意してくることも当たり前なのである。負傷するのは当然で、下手をすると死に兼ねない。弓矢と同じくらい厄介な武器である。

 だが当然死傷者を出しても王師はひるまない。淡々と距離を詰めるだけ。

 近づく王師に相対する河東諸侯、南部諸侯は印地いんじ撃ちを下がらせ、改めて戦列を整えて前進を開始する。

 双方、近づくままの勢いでぶつかり合った。

 ぶつかり合う得物の金属音、敵を威嚇いかくする戦士の雄叫おたけび、断末魔の声、全てが入り混じりイスティエアの地にとどろいた。切っ先を敵に振り下ろし、一歩でも前進しようと敵を押す。こちらで押したと思えば、その向こうでは押され、攻め争う。

 激戦が繰り広げられた。

 その均衡を破ったのは最左翼のニクティモの六翼だった。ザラルセン隊の騎射にはほとほと手を焼いたニクティモだったが、接近戦に持ち込みさえすれば話は別だった。

 ザラルセン隊は次々と負傷者を増やしていった。距離を取ろうとザラルセンは部隊に後退を命じる。

 もちろんニクティモはザラルセン隊に再起の隙を与えぬとばかりに、退却するザラルセン隊に喰らいついて離さない。

 それに元気付けられたのかカヒの兵は、リュケネの隊もプロイティデスの隊もエテオクロスの隊も押されだし、ずるずると後退を始める。

 ますます勢いづいたカヒ左翼の兵はさらなる攻勢に出、王師の兵を防戦一方に追いやる。


 その頃カトレウスは両翼の戦況が気になっていた。

 正面前面で行われている戦闘は一進一退を続けていたが、ここまでは柵を有する王師がやや有利に進めていた。

 だがカヒの幾度にも渡る執念深い突撃によって、何箇所かの柵は既に引き倒すことに成功している。

 敵の重装歩兵は数が少なく、一人当たりに割り当てられた距離は長く、同時に何箇所も攻められると対応に苦慮する場面が見られた。もちろんその後方には軽歩兵がいる。柵に近づいた兵を弓で狙い撃ち、どこかで兵が柵に取り付いたとわかれば一斉に集まってきて重装歩兵と協力し、押し返す。どちらかといえばそちらのほうが厄介であった。

 とはいえまだまだ河東諸侯の士気は高い。そして王旗は今も変わらず正面奥に鎮座している。陣を動かした様子は見られない。こちらは心配することは何もない。

 問題は両翼だった。カトレウスのいる位置からは両翼の戦況が見えなかったのである。

 両軍合わせて十五万を超える人間がいることで、前面に構成する戦列はびっくりするほど横に長くなった。それに戦士たちが上げる土煙で、戦場は軽くもやがかかったかのようにかすんで見通しが利かない。そのうえ味方優勢で両翼は押し上げている。つまり横一直線に構成された河北諸侯の戦列に隠れて、両翼の騎兵が見えなくなっていたのだ。

 カトレウスはこんな事態を想定していなかった。見えなければ指示の出しようがないのである。

 と伝令の旗を立てた騎馬が一騎、北の方角から本陣へと駆け込んで来た。

「ダウニオス様より伝令です! 敵は我が方の攻撃を支えきれず、後退を始めています!」

 うますぎる話にカトレウスはほっぺたをひねりたくなったほどだった。

 戦闘を開始してから半刻も過ぎてない。カトレウスは旗下のカヒの騎馬軍団に絶対的な信頼を置いている。アメイジア一の軍団だと自負するものがある。だが相手は曲がりなりにも王師である。最終的には勝利するとしても苦戦は免れないであろうと、もう少し歯ごたえがあると思っていた。

 次いでカトレウスは天を見上げて時刻を推し量ろうとする。雲に隠れている太陽はまだまだ日暮れまで時間があることを示していた。

「よし、引き続き攻勢を強めていけ。一度陥った頽勢たいせいは一呼吸おかねばくつがえすことができぬ。敵に休ませる時を与えるなよ。まずは敵騎兵を完全に排除しろ!」

 敵騎兵を中途半端に放置しておくと、再び戦場に舞い戻って重装歩兵に襲い掛かっているダウニオス隊を後方から攻撃するかもしれない。

 重装歩兵は機動力が無い。それは反対に言えば、不利な情勢に陥っても容易く逃走には移れないということでもある。壊走しにくいということだ。敵を打ち崩すのに手間取っている時に、前後から攻められたら、今度は逆にこちらが壊走するはめになる。

 完膚なきまでに打ちのめしておくことが必要なのである。

「はっ!」

 使者は一礼すると今度はカトレウスの指示を届けに、遥か遠く、ダウニオスの元へと馬を走らせた。

 と、しばらくして今度は南方より伝令が転ぶような足取りで本陣へ馬を走らせてきた。

 こちらの騎兵も上気した顔をほころばせていた。それだけでカトレウスには伝令が伝えようとしていることを察知した。

 どうやら良い知らせとは続くものであるようだ。

「ニクティモ様より伝令! 敵右翼騎兵の戦列の突破に成功いたしました。御館様! 敵騎兵は壊走を始めました!!」

「ようし!」

 ひざを肉厚の手で叩き小気味良い音を響かせると、カトレウスは深く腰をおろしていた床几しょうぎから勢いよく立ち上がった。

 南方に目をやると、ニクティモの様子は見えないが、敵右翼戦列は先程までの攻勢の勢いはどこへやら、逆に押し返されている。ならば全戦線でカヒが優勢に戦を進めている。敵を押し込んでいるということだ。

「本陣を前進させる! 王が負ける瞬間をしっかりとこの眼で見てやろうではないか!」

 勝てる。カトレウスは勝利を確信し、遂に本陣を前進させるよう命じた。

 それによって河東諸侯を鼓舞し、戦闘の帰趨きすうを決定付けようとしたのである。

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