第171話 親と子と

 船は下流に向かって進んでいた。

 メッシニナの港に着くころには夕飯時を過ぎるとのことで、有斗たちには船内で食事が用意され振舞われた。戦場で粗食に耐えてきた有斗たちには何よりもの馳走である。

 特にこの数日は満足に食べ物を食べてなかっただけに誰もがその豪華な料理を目の前にして唾を飲み込んだ。

 しかし並べられた豪勢な料理を目の前にしても、誰一人箸をつけようとはしなかった。

 それはそうだろう。だってそれを用意したのはマシニッサなのだから。

「陛下、お腹がおすきになったでしょう。はい、あ~ん」

 アエネアスは箸で、一番毒を仕込むのに適した形態かつ料理法である肉団子を摘むと有斗に突き出した。

「アエネアス様、それでは私がまず食べますので・・・」

 横から羽林の兵がアエネアスにもっともな提案をする。それがいい、と喜びで顔を上げた有斗だったが、あっさりとアエネアスはその申し出を却下した。

「わたしは有斗に食べてもらいたいの! 邪魔しないで!」

「え・・・なんで?」

 別にアエネアスが僕の為に心を込めて作った手料理ってわけでもあるまいし。アエネアスの手料理だと真心というよりは毒か下剤が込められていそうだが。

「さっき私を毒見に使ったじゃない! もう忘れたの!? だから今度はわたしの為に陛下が毒見をする番だよ!」

「いや、忘れてないけどさぁ・・・王様が近衛隊長の為に毒見をするなんてことは聞いたことがないぞ!」

 毒見ってのは偉い人の身代わりにやるもののはず・・・むしろ今回こそ羽林中郎将たるアエネアスの出番だと思うんだけど。

 いや、別にアエネアスに死んで欲しいとかじゃないよ? アエネアスのことは大事に思っている。幸せになってもらいたい。アエティウスの代わりに、そう心の底から思っているさ。

 ただ物の道理としてはそうなんじゃないかって言いたいんだ。

「いいから口を開けて!」

 アエネアスは有斗の鼻を掴むと、女とは思えない例の馬鹿力で鼻を引っ張り上げる。

「痛い・・・痛いッ!!!」

 鼻が千切れそうなあまりの痛さに口が開く。アエネアスは容赦なくあんかけ肉団子を放り込んだ。そして吐き出さないように、力ずくで無理やり有斗の口を閉じる。

 痛い! そして熱い! 舌が火傷しそうだ!

 悶絶しながらもなんとか咀嚼そしゃくする。僕は王様であって、リアクション芸人じゃないぞ!!

「・・・なんともないな」

 しばらく口の中で味わったが、痺れとか吐き気とか痛みとかは無い。普通に美味しい。

「そう・・・! それはよかった!」

 アエネアスはそう言うとさっそく自分の目の前に置かれた豪勢な料理を片付けに入る。

「そもそも私の美貌にべた惚れのマシニッサが、私の食膳に毒を盛るなどありえないと思っていたもの!」

 まるで全て見抜いていたとばかりにアエネアスは高笑いをする。

 思いっきり疑ってただろ、さっきまで。

 でもまぁ、毒が入っていることは正直考えづらいことだったもんな。だからこそ僕にさっきの仕返しとばかりに毒見まがいのことをさせたのだろう。アエネアスらしい稚気ちきではある。

 毒入りの食事みたいに面倒なモノを作るくらいなら、さっきのお茶に毒を入れたほうが手っ取り早いからな。

 ていうか、有斗を殺す気なら毒など使わなくても今すぐ武装した兵をこの部屋に突入させるだけですむ話だ。

「そういえばそうですねぇ」

 上機嫌に自身の美しさを褒め称えるアエネアスに羽林の兵たちが同意する。・・・なんだこれ? アエネアスに対する接待パーティーかなんかか?

「美しいって罪だな!」

 上機嫌なアエネアスと有斗以外の皆が一斉に箸を進めるその様子を、有斗は複雑な表情で見ていた。

 と一人の若い羽林の兵がじっとアエネアスを見つめていることに気付く。

 彼らにしてみればアエネアスは本家のお姫様だ。外見は美人だし、憧れの対象になっていてもおかしくない。中身は能天気な脳筋だが。

 有斗は、一刻も早くその羽林の兵が若さゆえの過ちから目覚めてくれることを祈らずにはいられなかった。

「・・・」

「ん? なに? まさか・・・遅効性の毒でも入っていたの!?」

 アエネアスもその目線に気付き、顔を若干青ざめさせながらその羽林に問いただした。

「いえ・・・その箸、さっき陛下が口にくわえておられましたよね。で、そのままアエネアス様がお使いになってらっしゃる。私には恋人もいませんのでそういった光景は刺激的といいますか、なんと言いますか・・・率直に言って羨ましいなぁ、と思いまして・・・」

 その羽林の指摘にアエネアスは一瞬で顔を真っ赤にするとうろたえた。

「ち、違うっ! これは間接キスとかそうゆうのじゃなくって! そ、そのつい、そ・・・そう! 単なるうっかり、うっかりなのよ!」

 だがうろたえればうろたえるほど、彼らには違う理由でうろたえているように見えるようだった。

「お嬢もお年頃なんですねぇ。初めてお会いした時はまだちいさかったのに」

 と座った目線の少し上辺りに手でひさしを作ってそのころの小ささを表す。

「私が出会ったころでも今の三分の二くらいでしたねぇ。でも当時から大人用の大剣を使い、二、三歳上の男でも歯が立たないと評判でした」

「そうそう、『ダルタロスの赤い薔薇』とか名乗られてましたっけ」

「こ、こらっ! その名前を口にしないで! 恥ずかしいんだから! それから何を勘違いしているの! わ、わたしの言うことを聞いてないの!?」

 だが彼らは一向にアエネアスの抗議を受け入れない。まるで親戚の子供について評論する大人たちのようだった。

「そう思うと感慨深いものがありますねぇ」

「本当ならお嬢もとっくに嫁に行ってもおかしくない年だ。いや、ダルタロスという大家の令嬢としたら遅すぎるくらいです。そうですか実にめでたい! これで死んだ若も草葉の陰で安心なさることでしょう」

「こ、こらっ兄様の名前まで出して勝手に納得しないで! 違うって言ってるでしょ!」

 アエネアスが訂正しようとするが、彼らはひゅーひゅーと口笛ではやし立てて、それに応えるだけだった。


 陽がつるべ落としに落ちていく中、船はメッシニナの港内へと吸い込まれていく。

 岸壁には大勢の人が集まって待ち受けていた。その先頭に目も彩な着物で着飾った小さい子供たちがいた。その中の一人が船が岸壁に固定されるより早く、岸壁を蹴り船に飛び乗るとマシニッサにしがみついた。

「ち、父上、早のご帰還でしたね! ご無事で何よりでした!」

 まだ小学生低学年くらいであろうちいさな男の子がそう言ってマシニッサに対して一礼する。マシニッサの子供ということか。

 大人びた言葉とたどたどしいその拝礼が有斗らの頬に微笑を浮かばさせずにはいられなかった。

 と見慣れぬ顔がマシニッサの近くにいることに気付いたようだ。警戒しているのか恥ずかしいのかさっとマシニッサの背中に隠れる。

「新しい家来?」

「違うよ。陛下と羽林の方々だ」

 と言うと、ことの大事に気付いたのか狼狽する息子を前に押し出した。

「陛下、これが私の息子です」

「陛下に拝謁いたします。トゥエンク公を任じられておりますマッシウァです。お目にかかれて光栄です」

 ちいさいのに実にしっかりしているなぁ・・・この年で当主とは大変だ。まぁ実務はマシニッサが一人で仕切っているのだろうけど。

 そういえば幼くして当主になったアエティウスは苦労したって言ってたな・・・ そのアエティウスにはもう会えない、そう思うと悲しいものが喉元にこみあげてしまう。

「僕の名前は有斗。僕がこの世界の王だと言うことになっているようだよ。今日ここでトゥエンク公に会えたことはとても嬉しい。これからよろしく」

 笑って手を差し出すとちょっと照れた顔を浮かべ小さな手で有斗の指を握った。

「よかったな。陛下のお目に留まったらしい。これでトゥエンクは三十年は安泰だ」

 そうマシニッサが頭をくしゃくしゃと撫でて褒めると、まだ見知らぬ僕らに警戒があるのかマシニッサの後ろに隠れた。

 微笑ましい光景にアエネアスまで優しく笑っていた。

 岸壁に下りると二人の少女がマシニッサを待ち受けていた。

 そのうちの、たぶん三歳くらいの女の子が有斗を指差してマシニッサに尋ねる。

「おとう。これはだぁれ?」

「陛下だ。挨拶を」

 とマシニッサが言うと姉であろう十二歳くらいの少女が慌ててひざまずいて礼をする。

「マシニッサの娘、ソフォニスバと申します。陛下にご拝謁が叶いましたこと、一生の誉れといたします」

 王だということで緊張しているんだろうなぁ・・・ゴメンね、こんな威厳のない王で。

「マシニッサにこんな美人のお嬢さんがいるとは思いもしなかった。お目にかかれて嬉しいな。よろしく」

「まぁ」

 と有斗の見え透いたお世辞にも頬を染める様が初々しかった。

 だが小さな妹のほうは何がなんだか理解できないのだろう、姉が挨拶している間もきょとんとした目をして立っているだけだった。

 まぁ子供だからな、仕方がないだろう。むしろマシニッサのこの二人の子供がしっかりしすぎているくらいだ。

「おとう、へいかってなぁに?」

 と尋ねる。陛下とか王って言ってもまだ理解できない年齢なのだ。

「お客さんだよ」

「ふぅん」

 というと有斗にむかって開いた手のひらを差し出した。

「お土産はなぁに?」

 マシニッサは南部でも屈指の大諸侯だ。客人が来るときっと幼い彼女にも何かしらの分け前にありつけることだけは覚えたのであろう。

 有斗はその可愛らしさに思わず微笑んでしまう。

「ごめんね。今日は急なことだったので持ってきてないんだ」

「ふうん」

 残念そうに手を引っ込めるが、何故か興味津々といった表情で有斗をそのつぶらな瞳でじっと見つめていた。


「とりあえずは我が城へどうぞお越しください」

 マシニッサに招待され城へ行くことになった。本当は一刻も早くトゥエンクを離れてダルタロスにでも逃げ込みたいんだけど、がっちり囲まれているからなぁ・・・

 とりあえず上陸するやすぐに羽林の一人を走らせ、ダルタロスへと有斗の無事を知らせに行った。有斗がトゥエンクに戻ってきたということを知れば、例え何かあろうとも、王師や朝臣がなんとかしてくれるはずだ。それだけが心の頼りだった。

 アエネアスと一緒に用意された大きな馬車に乗り込むと、何故かあの小さな幼女までもが乗り込んできた。

「申し訳ありません陛下。どうやら陛下が気になったようでして」

 お姉さんのほうがそう言って妹を無理やり馬車から降ろそうとするが、妹は有斗からしがみついて離れようとはしなかった。

「いいよいいよ。僕が預かろう」

 こんな可愛らしい同乗者なら大歓迎だ。

 アエネアスもこういった小さな子供には甘いのか、おどけた表情で妹をあやす。だがやがて馬車の振動が眠気を誘ったのであろう。少しずつ言葉数が少なくなり大人しくなっていく。きっとマシニッサが帰って来るのをずっと待っていて疲れたのかもしれない。最後には横になると、すやすやと寝息を立てて寝てしまった。

「可愛い。まるで天使」

 そういってアエネアスは風邪を引かないように、そっと毛布を少女の上にかける。

 有斗はアエネアスを驚きの目で見つめた。アエネアスからそんな言葉が出てくるとは夢にも思っていなかったからだ。

「何?」

「驚いた・・・アエネアスはマシニッサのことが嫌いなのだと思っていた」

「嫌いだよ。いくら戦国の世であっても、あそこまで他人を踏みつけて平然としていられるなんて正気じゃない」

 そう言ってアエネアスが心底嫌いな人間に向ける例の顔をしてみせた。会ったばかりのころは、たまにあんな顔を有斗にも見せていた。・・・そういえば最近その顔を僕に向けたことはないな、と有斗はふと思った。

「・・・でもこの子らに罪はない。子供は親を選んで生まれて来れないから・・・」

 そう言うアエネアスの顔は少し沈んでいた。

 そうか・・・アエネアスもそうだもんな・・・

 母親は父親にアエネアスを預けて蒸発し、その父も幼くして亡くなった。それどころか父親は誰か分からないなどと陰口も言われたに違いない。

 アエネアスは誰が親であってもアエネアスだ。でもそう扱ってくれる人はダルタロスでもそうはいなかったに違いない。

 親のことでとやかく言われるのは嫌なのだろうな、有斗は少しだけアエネアスのことがわかった気がした。


「陛下、お願いしたき議がございます」

 その夜、マシニッサは城の一室に有斗とアエネアスだけを招きいれると、突然こう切り出した。

「いいよ、君は命の恩人だ。できることなら叶えてあげたい。言ってみて」

「ありがとうございます! 河東で王師を破ったカヒは必ずや南部や近畿に兵を送り込み勢力拡大を目論むでしょう。しかしこう言った言い方は不遜に当たるとは思いますが、そこをあえて言わせていただけるなら、今の朝廷に南部と畿内でカヒ相手に二正面作戦をしていけるほどの力はないと思われます。我がトゥエンクは南部の中で一番河東に近い。だが我が家も単独でカヒ家に対抗するだけの力は持っておりません。このままでは座して死ぬも同然です」

「・・・だろうね」

 手厳しい意見だがそう考えるほかはない。王師全軍を持ってしても三万でしかないカヒの兵には勝てなかった。

 しかもあの場にいたカヒはカヒの持てる全ての兵力ではなかったのだ。カヒの最大動員兵力は七万という話なのだから。

 王師はもとよりマシニッサのトゥエンク程度ではそれに抗しきることは不可能であろう。

「ですから私はしばらくカヒに下ろうと思います。いや、もちろん偽降です。機を見て陛下の命に応えて敵を後ろから襲うための埋伏の計を施したいと思うのです」

 カヒに下ると言ったあたりでアエネアスが睨んだため、あわてて最後をマシニッサは取りつくろうような言葉に切り替えた。

「その間、攻めないで欲しい、と?」

「さすがは陛下、ご明察です」

 マシニッサが嬉しそうに有斗に一礼する。

 今や王師は敗北しその数を減じた。勝利したカヒが南部と畿内に侵攻するのは火を見るより明らかだ。

 マシニッサはカヒと王のどちらからも攻められないような都合のいい立場に自分を置いておきたいのであろう。

「わかった。それを許す」

「ありがとうございます!」

 マシニッサはよほど嬉しかったのか満面の笑みであった。


「有斗は本当にお人よしすぎる!」

 部屋に戻るなりアエネアスが不機嫌な顔で有斗に文句を言った。

「マシニッサはカヒと我々を両天秤にかけ、勝ち馬に乗ろうと考えているんだよ!」

「わかっているよ。だがこれしかない。この提案を拒否してもマシニッサが僕の味方になる可能性はない。それどころかカヒにつくことだって考えられる。それを考えると、公然と敵にまわられるなら、日和見されたほうがどれだけマシなことか」

「そりゃ、まあ・・・確かに」

「それに僕らは未だマシニッサの手の中にいる。先の提案を拒否していたら、僕らは死んでいたかもしれない。今の僕らに必要なことは二つ。勢力圏に戻ることと、カヒが侵攻するのを少しでも遅らせて、王師を再建するしかないないんだ」

「・・・なるほど道理だね」

「ならばここはマシニッサの申し出を快く受け入れておくことが一番いい選択だと思う」


 有斗がトゥエンクにしばらく滞在している間、何が気に入ったのか妹のほうは始終有斗にくっついて離れようとはしなかった。へいかへいかと呼んで常にまとわりつく。

 有斗もその可愛らしさについつい相手をしてしまう。アエネアスに親になったら子を甘やかすタイプだ、と呆れられる始末だった。

「おとう。へいかといっしょにいたい。おうちでいっしょにいちゃだめなの?」

 ・・・僕は捨て猫か野良犬か何かか、有斗はその好意は嬉しいながらも、その扱いに関しては不服であった。

「これは失礼を陛下。どうでしょう我が家の姫は? どうやら陛下を気に入ったようですし、陛下もまんざらではないご様子。幸いにして陛下は独身であられます。私も陛下の岳父となれるのなら一身の栄誉これにすぐるものはなしと心得ますが・・・」

 マシニッサのそのとんでもない提案に有斗はただ苦笑した。

「いや、遠慮しとくよ。この子はまだまだお嫁に行く年じゃないよ」

 ・・・こんな幼女を嫁にするなんて、さすがに犯罪を通り越して、人として存在しているのが許されないレベルだろ。

 有斗はぐずって有斗の足にしがみつき離れようとしない幼女にまた会うことを約束することで、ようやく解放してもらえることになった。

 ソフォニスバもマッシウァもその頃にはだいぶ有斗に打ち解けていたから、別れを告げるとがっかりしていた。

 しかし、この子らの屈託のない表情を見ると険しい戦国の世であることを微塵も感じさせない。

 ああ見えてマシニッサって意外と家ではいいお父さんなのかもしれないな・・・

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