第129話 外出許可

 そんなセルウィリアにも苦手なものがあった。それはアエネアスだ。

 さすがにこの間のように、顔を見るなり剣を抜いて切りかかってくることはないが、露骨に嫌悪の表情を向けるのだ。生まれてから今まで、他人にそのようなことをされた覚えのない、高貴な生まれであるセルウィリアにはそれだけでもう萎縮いしゅくしてしまうのだった。

 だから遠目に赤い髪が見えるや否や避けるようにきびすを返す。

 その時だけ、毎日セルウィリアに振り回される一方の、御付の女官たちは口元を袖でそっと隠すのだった。

 それを見て、ますますアエネアスはセルウィリアに対する感情を悪化させた。アエネアスにしてみれば、アエティウスの死にセルウィリアが積極的な関わりがなければ、平然としていればいいのだ。もしくは少しくらいはアエティウスの死について責任を感じているとでも言及して頭を下げればいいのだ。それならアエネアスも不快は腹の中に沈ませて、少しは温顔を見せようと努力するだろう。

 それをわざわざ顔を合わせないように避けるなど、後ろめたいことがあると自ら言っているようなものだ。

「後ろ暗いことがあるやつは、泥棒と同じでやはりコソコソするものね・・・ふんっ!」

 アエネアスはわざわざ聞こえるように、王女の後姿に大声で罵声をぶつけた。


 アエネアスは有斗の警備責任者であるがたいへん呑気なもので、基本外出する時、朝議に出席する時などの内裏から外へ出るときと、おやつがもらえそうな時と、アエネアスがからかう玩具おもちゃとしての有斗の有効性を思い出したとき以外は王の執務室に来ることはない。

 羽林中郎将としては職務怠慢を指摘されてもしかたのないところであるが、有斗がとにかくアエネアスに甘いので許されていた。

 有斗がそんな有様だから、宮廷の他の者は推して知るべしである。

 南部で挙兵してからの長い付き合いであることは隠れもない事実だし、死んだダルタロス公のこともある、人がいいだけの有斗がとがめないことを勘違いし、特別な存在だからこそ、あの扱いなのだろうと皆、遠慮していた。中には有斗の恋人だと早合点をしている者すらいるのだ。

 おかげでこの朝廷におけるアエネアスの立場はすっかり治外法権と化していた。

 せいぜいアリスディアがたしなめる程度である。とはいえそこはアリスディア。あくまで優しく言うものだから、まったく効果がないのではあるが。

 というわけで、一週間経って、各人の行動パターンを把握したセルウィリアが昼間いることに決めた部屋は王の執務室だった。昼間、王の部屋にいることが一番アエネアスと顔を合わせないことに気づいたのである。

 それに例え、そこにアエネアスがいたとしても、まさか王の御前、いきなり切りかかってくることはあるまいという計算もあった。有斗がそういう時には頼ってほしいと言っていたことも、セルウィリアはかなり当てにしていた。

 それになんというか関東の官吏も女官も知らない顔ばかりだし、話しかけても型通りの言葉しか返さない。まったく面白みもなかった。

 かつていた西京の華やかな雰囲気に慣れた関西の女王たる彼女には、冷たく感じられたのだ。

 そこへいくと王の執務室ならば違う。

 少なくとも、かたや関東の王であり、もう一方は尚侍ないしのかみである。話し相手としては問題がない。セルウィリアは敗戦国ではあるが関西の女王だ、関東の王である有斗とは同格であるという自尊がある。

 確かにあの赤い羽林から守ってくれた時の有斗の姿に、セルウィリアは自身とは違う”神に愛された存在アマデウス”を感じた。あの時こそ有斗に気押されたセルウィリアだったが、その後の観察で得た結果では凡百の王といった雰囲気だった。あの時感じたものは命を救われた自身の感謝の心が見せた幻ではなかったかとさえ感じていた。

 つまりセルウィリアにとって有斗とは話しかけるたびに顔をぱっと赤くして、モジモジする思春期の単なる少年だった。

 その姿に当初ほどの嫌悪感を感じることはなかった。といっても異性を強く感じることもなかったが。

 そう、からかいがいもある少々大きな子犬みたいな存在と感じれば、可愛いところもある。セルウィリアの一挙手一投足にうろたえる有斗の姿は、悪戯好きな彼女からすると大いにからかがいがあるように思えた。

 それにアリスディアだって話し相手としては申し分ない。さすがは関東の尚侍ないしのかみといった受け答えをする。

 というわけで有り余る暇を費やすためにも、執務室に入り浸ることになってしまったのだ。


「陛下は・・・」

 セルウィリアはこんな感じで、突然思いついたことを思いついたまま、どさりと有斗の前に投げ出すのだ。

「毎日、大量の上奏なんかをお読みです。それは立派なことだとは思いますが、少し自分で何事もやりすぎていると思うのですけど」

 なにか別の方法でもあるというのかな? 最近徹夜気味で、寝不足な有斗は王女の言葉に興味を持ち、彼女に尋ね返す。

「と言うと、君としては何か別の方法があると考えているんだね?」

「王のやることは臣下を監督し、彼らを働かせることです。彼らと同じことをやる必要はありません。大まかな方針を決めるのは王の役目ですから、それはやらなければなりませんが、雑務は大臣や各省の長官に任せてしまえばいいのです。彼らは科挙を受け、宮廷で切磋琢磨し、勝ち抜いてきた選良なのです。わたくしたちが考えるより彼らに考えさせたほうが効率的でよいと思うのですけれども」

 確かに理屈はそうだろうけど、臣下に任せすぎると好き勝手に組織を作って、汚職や腐敗が横行する危険が高くなる。

 なるほど、国のトップの王女様がこんなだから、関西があんな非効率なことになったんだな・・・

「官吏に仕事を投げ出せば、僕は楽になるけど、その分、官吏が好きかってにやって、民に迷惑がかかる可能性が出る。その手はあまり良い策とは言えないよ」

「それは・・・確かにそうですね・・・ではこうしたらいかがでしょう! 官吏を見張らせたら良いのです! そうすれば悪いことを働く官吏は排除できます!」

「そんなことをしていったら、ますます官吏が増えて国が傾いちゃうよ」

 それに官吏を見張らせる官吏が見張る相手の官吏と結託し、良からぬことを企む者も出ないとは限らないし。

 やっぱり自分がやるしかないか、と有斗は溜息とともに仕事に戻る。


「入るよ~」

 扉が突然開くと、アエネアスが王が執務中にも関わらず、執務室に入ってきた。

 声こそあるが、あいかわらずノックひとつしないし、大きく欠伸をしながら入るなど、礼儀などかけらもありはしない。

「む~!」

 そこにセルウィリアの姿を見つけると、とたんに不機嫌な顔になった。

 セルウィリアはあわてて立ち上がり、

「陛下、それではわたくし急用を思いついたので少々失礼させていただきます」

 と、まるで何かやらなければならないことを見つけたとばかりに急いで部屋を退出する。

「陛下、それではまた」

 と言って、扉の前で小さく手を振った。

「う、うん。またね」

 その可愛らしさに有斗も釣られて手を振る。

「陛下ってば、またたぶらかされてる! 一見可愛くて優しそうな、男にとって都合のいい女に見えるかもしれませんけど、ああいうのが一番性質が悪いんだから! あれは猫を被っているだけ! 腹の中は真っ黒なのよ!」

 嫌味たっぷりのアエネアスの声に有斗は少し顔を曇らせる。

「アエネアス・・・あの王女様を殺すわけにはいかないんだ。なんとか仲良くやってくれないかな?」

「私は王女を殺さないと誓ったけれども、あれと仲良くするとまでは誓ってません!」

 アエティウスの死の一因が彼女にある限り、容易く許せるとは有斗も思ってはいなかった。

「気持ちはわかるけれども・・・」

 だけど、そこは大人なんだから、大人としての態度ってものがあると思うんだけど。表面上くらいはニコニコと笑みを絶やさないとかさ。

 しかしアエネアスは

「じゃあ私の行動も許してよ! あの女を許したように!」

 と言って、むくれてしまった。有斗に残された手段はたったひとつ、溜息をつくしかない。

 でも、たびたびこんな場面に出くわすのは勘弁願いたい。

 二人の間に挟まれることになる立場としては、このまま双方の感情がもつれて、とんでもないことになった末に、板ばさみになどなりたくはない。なんとか解決してほしいけれども、こればかりは王といえどもどうにもできないよなぁ・・・心の問題だし。

 アエネアスはアリスディアとここに来た目的である、警備や宿直の問題について話し合っていた。

 その間は、文字が読めない有斗はやることがない。

「・・・」

 有斗が頬杖をついて溜息を吐くと、話し合いが終わったアエネアスがその様子を見つけて気になったのか声をかけた

「どうしたの?」

「え? な、何?」

「何か気にかかることでもあるの?」

「え・・・」

 アエネアスが有斗を気にかけるなど珍しい。明日は雨かもしれないなと有斗は思った。

「心配してくれてるの?」

「だって、さっきからため息ばかりついてるよ」

 本当は王女とアエネアスのことを考えていたんだけど、これ以上、話を蒸し返しても無駄だろうから、そのことは心に仕舞っておいて、有斗はもうひとつ、最近気にかかっている心配事のほうを口に出した。

「アリアボネって、まだ体調がすぐれないのかな・・・」

「あ・・・」

 アエネアスが口篭る。

 今度は有斗が聞く番だった。

「何?」

「・・・」

 何故か考えるように口ごもるアエネアス。

「ちょっと体調崩してるの。ほら、アリアボネってば病弱でしょ?」

 だけど口調の軽さとは違い、アエネアスの笑みは有斗でも分かるくらいのつくり笑いだった。

 関西から帰ってきてすぐに朝議に出ようとするアリアボネに王命で休養を取らせたんだけど、二週間たってもまだ出てこれないというのは結構重症なのかもしれない。

「お見舞いに行くか」

 有斗はアエネアスに外出許可を出してくれるよう促した。

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