第123話 全てを失ったならば、彼女は。
凱旋の行軍はゆるゆると進んだ。
駆け寄る家族を抱きしめる兵、夫や子や兄弟の顔が見つからず悲嘆にくれる家族。
悲喜劇を同時進行しながら行軍は王城へと進む。
そして王城に着くや否や、有斗の目にいきなり赤い髪が映りこんだ。
一際目を引く赤い髪を持った彼女は、待ちきれないとでも言うように正門中央に腕を組んで、彫像のように立っていた。
有斗の馬車を見つけると帰宅した飼い主を見つけた犬のように小走りにかけよって来る。
「やりましたね! すごいじゃないですか!」
馬車が止まるのを待たず、馬車に併走するような形で並んで有斗に声をかけた。
「見直しました! 見事、大業を成し遂げましたね!」
有斗が声を上げる間も与えずに嬉しそうにバシバシと肩を平手で叩いた。
「まぁ兄様とアリアボネがいるから勝利は疑いませんでしたけど、まさかこんなに早く帰って来るとは思いませんでした!」
「う・・・うん」
「ところで兄様は? 陛下と一緒に入ってくると思ったんだけど、もっと後ろなの? それとももう入っちゃったかな? 見逃した?」
有斗は決断する。アエティウスのことを今すぐ言うべきだ。こういうことは後になればなるほど言い出しにくくなるものだ。
「アエネアス」
キョロキョロと首を忙しく左右に振ってアエティウスを探しているアエネアスの袖を掴んだ。
「何? 何なんです? この忙しいときに? 用件なら後にしてください、今は一刻も早く兄様をお祝いしなきゃならないんだから♪」
アエネアスは関西を陥落させた慶事と、久しぶりにアエティウスに会えるという嬉しさからか、子犬のようにはしゃいでいた。
「アエティウスはもういない」
「・・・?」
瞬間、アエネアスは固まった。
「何わけの分からないことをおっしゃってるんですか?」
「・・・・・・」
「は、はやく放してください。兄様を探すんだから」
「アエティウスは死んだ。僕をかばって死んだんだ・・・」
有斗の言葉にアエネアスの表情が一瞬凍るように固まった。
「・・・・・・じ、冗談きついですよ、陛下。一瞬、本気にしちゃったじゃないですか」
「冗談じゃない本当のことだ」
有斗の後ろの馬車に乗っていたアリアボネが馬車から降り、アエネアスに近づいた。
「ア、アリアボネ。陛下ったら、こんな祝いの場でたちの悪い冗談を言うのよ。兄様が死んだとかさ」
だがアエネアスの目線は泳ぐように宙を彷徨っていた。冗談だと信じたいのに、有斗もアリアボネも真顔だったからだ。
アリアボネはアエネアスの両肩に手をおいてゆっくりと言う。
「・・・アエネアス落ち着いて聞いて。アエティウス殿は名誉の死を遂げられました。二週間前のことです」
次の瞬間、アエネアスは膝に力が入らなくなり、崩れ落ちるように尻餅をつく。
そんな馬鹿なことをと笑い飛ばしたいのに、口が思うように動かなかった。
顔から血が引いていくのが傍目にもわかる。
アエネアスはゆっくりと崩れ落ちるように地面に伏した。
寝台に寝かせたアエネアスは一時間以上昏睡していた。よほどショックだったのだろう・・・
それは当然のことだと思う。
アエネアスにとってアエティウスは自分の命の恩人であり、崇拝の対象であり、たった一人の家族であり、憧れの対象であり、愛を捧げる対象でもあった。
つまり彼女の世界の全てが彼であったのだ。アエティウス以外のものは彼女には存在してもしなくても同じことだったに違いない。
それが突然理不尽にも失われた。それも自分の目の届かないところで。
「・・・」
「よかった・・・目覚めた。アエネアス大丈夫?」
有斗はようやく目を開いたアエネアスを覗き込んだ。
その有斗やアリアボネの視線を
「・・・ならよかったのに」
「・・・?」
「夢ならよかったのに・・・でも側にアリアボネも陛下もいるってことは・・・本当なのね」
「ゴメン」
「謝らないでください。陛下が悪いわけじゃないのに」
「・・・僕が悪い。アエティウスは僕を
そうアエティウスが死んだ責任のいくらかは有斗が背負わねばならないことだ。
「・・・・・・ゴメン」
アエネアスは悔しそうに大きく下唇を噛み締めた。有斗はアエネアスから平手打ちのひとつも飛んでくることを覚悟した。
だがいつまで待ってもアエネアスは指先一つ有斗に向けなかった。
でもパンチやキックが飛んできたほうがどれほど有斗の心が救われたことだろうか。その元気すらない。あの元気だけが取り柄のアエネアスが、である。
そのアエネアスの心の痛みこそが有斗にはどんなパンチやキックよりも
アエネアスは寝台から立ち上がろうと、上半身を起こした。
「だめだよ。急に起き上がったりなんかしたら」
有斗は必死にアエネアスの身体を横たえようとするが、アエネアスはその手を邪険に振りほどき立ち上がろうとする。
「兄様の顔を見たい」
「それは・・・」
アエティウスが死んだということが、まだ頭で理解できないのか? それとも死んだ顔をひと目見たいということだろうか。
「兄様に・・・兄様に会わせて」
「・・・」
「兄様の顔が見たい」
どう答えるべきかわからずに、皆、返答に詰まり、顔を見合わせるばかりだった。
「お願い・・・」
そう言って有斗に頭を下げた。そこにはいつもの元気なアエネアスはいなかった。弱弱しい一人の少女がそこにいた。
「・・・うん」
有斗は弱弱しく頭を縦に振った。
アリアボネ、ベルビオやプロイティデスと共に王城の地下にある冷暗所に向かう。
とりあえずそこにアエティウスの遺体は運び込まれていた。腐臭対策の香水と花でむせ返るような匂いが充満していた。だがそれは必要なかったかもしれない。今が冬なことも幸いした。関西からの道中も
血が通わないため、色が真っ白になっていた以外は生前のアエティウスとなんら変わらない姿だった。今にも起き上がってくるんじゃなかろうか、そんな雰囲気すら抱かせた。
アエネアスは冷たくなったアエティウスの頬を、何度も何度も
「兄様・・・起きて下さい。私をからかっているんですよね? 兄様」
アエティウスの
「私は兄様に一生かかっても返せぬほどの恩義があるんです。兄様の為に死ぬのが私の望みですらあったのに・・・だのに・・・!」
アエネアスの話す言葉の重さに有斗は驚きを隠せなかった。
アエネアスとアエティウスの過去を知っている有斗だったが、そこまでの想いがあるとは思わなかった。
もう少し、言葉を選んでアエティウスの死を伝えるべきだったかもしれない、と有斗は優しさの欠如を深く悔いる。
「その兄様が危険に
顔に手を当てるその姿はアエティウスの蘇生を信じて治療を続ける看護師のようだった。
今もあの時と同じ服を着ているアエティウスの、致命傷となった腹部に指をそっと押し当てる。そこは大きく生地が切れており、血で赤黒く染まっていた。
アエネアスはアエティウスの死をとうとう納得するしかなくなったのか、大きく
「アエネアス・・・?」
有斗はアエティウスの遺体の上でいつまで経っても動かないアエネアスが心配になって声をかけた。
「・・・」
泣いているのだろうか・・・よく見ると小刻みに震えていた。
「アエネアス、大丈夫・・・?」
何度も呼びかけたが、
何分経ったのだろう・・・ようやくアエネアスはふらふらと立ち上がると、有斗に正面から向き直った。何回も震えた唇を動かして、ようやく出たアエネアスの声はもうすでに涙に曇っていた。
「ひとつだけ・・・ひとつだけ聞かせてください」
「・・・僕に答えられることならば」
「兄様は立派な最期だった?」
「ああ、誰よりも立派な最期だった」
有斗のまぶたには今もアエティウスの最期が映るようであった。
「慌てるだけの僕に、自分が死んでもアリアボネ、プロイティデス、ベルビオらがいるから大丈夫だと言い切り、ダルタロス家の後事を僕に託そうとした。最期まで立派な貴族だった」
それに・・・
「そうだ・・・君のことも心配していたよ」
有斗のその言葉に苦笑したように口の端で力なく笑うと目を閉じた。
「・・・ありがとう」
その声は明らかに『気を使ってくれてありがとう』の意味合いが含まれているような、投げやりな『ありがとう』だった。
でもあの時の死を目の前にしたアエティウスは、アエネアスの名を聞いたとき、確かに表情が変わった。きっとそれが『陛下がいるから・・・大丈夫ですよ・・・』という言葉に繋がったのだ。
だがどう説明すればそのアエティウスの想いをアエネアスに伝えることができるのか、有斗にはわからなかった。表現力の乏しい自分が恨めしかった。
有斗の肩にゴトンと頭をぶつけてうつむいたアエネアスの肩は震えていた。
アエネアスは小さく、本当に小さく泣き出した。
アリアボネが目配せをしてベルビオやプロイティデスとともに冷暗所から出て行った。
こんな時は肩の一つも抱きしめたりしたほうがいいのかもしれない。アエティウスだったらそうするだろう。例えそれがアエティウスじゃなくて僕であっても、アエネアスだって少しは慰められるのかもしれない。でもアエネアスのアエティウスへの気持ちを知ってる身としては、その慰め方は違うだろうという気がした。
だから有斗は泣きじゃくるアエネアスに何もしてやれなかった。
悲しい・・・僕は王だ。王なのにこんなに傷ついているアエネアスに何ひとつしてやることが出来ない。
有斗は無力な自分がただ悲しかった。
それから二日間、アエネアスは一歩も自分の部屋から出てくることは無かった。
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