第96話 長征(Ⅸ)

 そこに遅れてヘシオネが到着し、軍議が始まった。

 斥候がもたらした情報をまずは共有し、諸将が口々に意見を述べる。

 意外なことに城を出て野戦に持ち込む意見が多数派だった。敵将のバアルとやらには散々苦い目に会わされているのに不思議なことだとヘシオネは思ったが、散々な目に会わされていたからこそ、武人として復讐戦を挑みたいのであろうと思い直した。

 だがヘシオネに与えられた役割は、有斗らが関西に攻め込んでいる間、鼓関を蓋することである。それに最適なのは籠城戦だ。鼓関ほどではないが鹿沢城も一朝一夕に落ちるような軟な城ではない。乾坤一擲かんこんいってきの野戦などもっての外だ。もし破れたら王都まで無防備な無人の野が広がっているのだ。

 やたら好戦的な部下たちをどう説得したものかと考えるヘシオネに、横合いから声がかかる。

「ヘシオネ卿、発言の機会を頂きたいのですが」

「認めよう」

 ヘシオネは考える時間が欲しかったこともあって、ラヴィーニアに軍議においての発言を許可した。もっともこの時代、文官と武官の敷居は低いから、仮にも鹿沢城の文官最高位であるラヴィーニアには許可を貰わずとも口を挟む権限はあるのである。

「さて諸将には現在我々が置かれている状況を正しく把握してもらいたい」

 ラヴィーニアの最初の発言が、どちらかというと上から目線であったことが気に食わず、諸将は一斉に顔をゆがめる。確かに王師みたいな出世街道を歩いてきた武人ではないが、彼らにも地方を長年に渡り警護してきたという自負があった。前の科挙で受かったばかりのラヴィーニアのような小娘に兵事についてうんぬん言われる筋合いは無いのである。

「鼓関を出た二万の兵は鹿沢城を落とすことを目的に出て来た。そうとしか考えられぬが・・・」

 それくらいわかっていると、ラヴィーニアにガニメデはいぶかる顔を見せる。

「疑いなくその通りだと思われる。だが何故兵を出したのか、それが何故今で無ければならなかったのか、その意図を把握することが重要だとは思わないかい?」

 またか。そんな基本、槍の持ち様も知らぬであろう小娘風情に教えてもらわなくても知っている、と高圧的なラヴィーニアの言葉に将軍たちは大いに気分を害した。

 それに気付かぬラヴィーニアではない。だがそれに一切、頓着とんちゃくしない。

 不快が顔に出ているぞ、とそれを見て内心でニヤニヤ笑うほどであった。

「それについて考える前に皆に見てもらいたい物がある。これがつい先日、関西から河東に送られた書簡だ」

 血の付いた書簡を懐から取り出すと、皆の目の前に放り投げる。

 ガニメデが書簡を広げると一斉に皆が覗き込む。読み進めると驚きの声をあげた。

「陛下は大軍を率い、ついに北辺に達したのか・・・!」

 そこには朱龍山脈を越えて王が関東の兵を率い、関西の北辺に攻め込んだと書いてあった。

 ヘシオネ以外は出兵の詳しい作戦は知らされていなかったのだ、驚きもする。まさか関西へ攻め込むとは・・・!


 驚く将軍たちの中でヘシオネは一人、驚きを面に見せなかった。外貌は平静を装っていたが、その実、内面では苦々しいものを感じていた。ラヴィーニアはこの重大な情報を将軍たちだけでなく、ヘシオネにも知らせなかった。普通ならば驚き慌てて口外する、この秘事をだ。

 つまり、この情報の持つ意味を正しく理解していたということであろう。秘中の秘であり、当初は遠征軍の将士や諸侯にも知らせないという関西遠征を仲の良いアリアボネから聞かされていたとしか思えない。つまりヘシオネは鹿沢城城守とは名ばかりで実質、蚊帳の外に置かれていたというわけだ。

 驚愕で言葉を無くした将軍たちと、深く考え込む様子のヘシオネを無視するかのようにラヴィーニアは言葉を続ける。

「敵の狙いは明らかだ。出兵することで関西に攻め込んだ我が軍を牽制し、撤退させたいということだろう。もし東京を落とされでもしたら、関西に侵攻した軍は孤軍となり枯れ果てる。それを考えると慌てて兵を返さざるを得ないからな。そしてできるものならこの好機に乗じて関東をかすめ取りたい、っていうところかな」

 確かに関西に侵入した士気の上がった大軍を撃退するより、強行軍で引き返した疲労困憊ひろうこんぱいの軍を撃つほうが良策といえる。

「だが敵はまだ知らない。既に陛下が北辺軍を破り西京に向けて南進していることを」

「なん・・だと?」

 一斉にその場がざわめき立つ。もはや関西攻めはそこまで進んでいたのか、と。

 しかし不思議だ。何故同じ地にいる関西の者より、ラヴィーニアはそれを早く知りうることができたのだ? まさか偽の情報を流して我らをだまそうとしているのか?

 だがすぐにその可能性を否定する。そんなことをして何になるというのだ。

 それにラヴィーニアは王の信任篤いアリアボネ殿と知り合いだ。ならば知りえる可能性はないわけではない・・・

 他の人はどう考えているのか、と顔を見合わせて互いの表情をうかがう将軍たちを笑ってみていたヴィーニアがガニメデの禿げ散らかした頭を指差した。

「逆にして考えよう、ガニメデ卿。もし我々が鼓関に攻めているものと仮定しよう。そこに東京にカヒの兵が迫っていると聞いたら、卿ならどうする?」

 指名されたガニメデはしぶしぶ返答をする。

「・・・疑問を差し挟む余地は無い。急ぎ兵を反転させ、救援に向かう」

「その通り。とすると、我々が取るべき道は唯一つだ」

 そこで言葉を区切り口をつぐむ、ガニメデを見上げる。回答を待っているのだ。教師のように。

 実に不快であるが、だからと言って。無視するわけにはいかない。現状、誰よりも正確に情報を持っているのはラヴィーニアであることは明白なのだ。

「敵兵をこの城に釘付けにし、例え全滅してでも敵を西京へ向かわせぬこと・・・」

「よくできました♪」

 その場がざわめく。確かにその通りではあるが、今この鹿沢城には五千の兵馬しか存在しないのである。

 それも各地の城砦の守備隊を集めただけの急造の新設部隊。

 鹿沢城は堅城。敵は四倍でしかない。だが敵将バルカは就任してからわずかの間に立て続けに関東を手玉に取った恐るべき将軍だ。

 それに・・・今の関東には余剰兵力が無い。王師も諸侯も皆出払っているのだ。王都に王師右軍はいるらしいが、果たして攻められたと聞いて、鹿沢城に救援に来てくれるだろうか。この情勢を考えると王都防衛、河東牽制の為に王都から動かせないというのが常道だろう。つまり後詰は無い。

 ”全滅してでも”ではなく、”全滅する”しかないのではないか、と暗い気持ちが浮かび上がる。

「そう暗い顔をするな。希望はあるぞ」

 想像通り塞ぎ込んだ諸将を見て、ラヴィーニアは実に楽しそうにクククと笑う。

「何、二ヶ月守りきればいい。二ヶ月後にはケリもついているだろうさ」

 何故かラヴィーニアは自信満々に言い切った。

 だがラヴィーニアのその言葉に希望を持った者はいなかった。二ヶ月後に我々は全滅するということなのか・・・と、ラヴィーニア以外の者は救いの無い未来を想像しただけだった。

「執事の申す事、まことにもっともである。諸将は籠城に備える心づもりをしてもらいたい」と言うヘシオネの言葉で散会になった。


 退出する将の中で、ヘシオネがラヴィーニアに声を掛けた。

「見直した。さすがはあのアリアボネの次の順位で科挙に受かっただけのことはある。見事の見識と弁舌だった」

「そいつはどうも」

 ラヴィーニアは軽く頭を下げると、不思議そうな顔でヘシオネを見上げた。

「で相談がある。出兵したいとおもうのだがどうだろうか?」

「・・・理由は?」

「このままでは戦にならないからさ。兵士が兵士たりえるのは、戦士としての誇りがあるからだ。一戦も交えず篭城などしたら、兵たちの士気に関わる。まして後詰の期待できない篭城をすることになる。こんなに意気消沈した兵のままでは、守れるものも守れなくなる。敵もまさかこれから攻めに向かう、士気の高い万を越える大軍に立ち向かう兵がいるとは思いはすまい。強襲をかけて敵を切り崩し、士気を鼓舞したい」

「結構と存じ上げます」

 ラヴィーニアはなんでもないことのように、あっさりと承諾した。

「ほう? 反対しないのか? 執事殿は籠城を主張していた、と思っていたのだが」

「あたしの主張は敵と正面からぶつからず、時を稼ぐことです。ですが深入りはくれぐれも避けていただきたい。ただ街道にて急襲し、前備を軽く叩いたら直ぐに城に帰ってくることをお約束してください。色気は決して出してはなりません。兵の士気をあげることが目的だし、全部隊を相手にしては四分の一の兵力しかもたない我々は全滅いたします」

「わかった、わかったよ」

 ヘシオネはラヴィーニアの口うるささに閉口した。アリアボネが例外なだけで、南部の人間は元来、陽気で口よりも先に行動するタイプの人種なのである。

 部屋から出て行ったヘシオネの豊かな髪が揺れる姿を見送りながら、ラヴィーニアは込み上げてくる笑いを隠すのに必死だった。

 実はどうにかしてヘシオネたちを囮として使い、敵を鹿沢城近くまでおびき寄せられないものかと考えていたのだ。

 なぜなら今この瞬間にも、女王の使者が鼓関に向かっているかもしれないのだ。それが敵将の耳に入れば必ずや軍を返すだろう。だがそれは防がねばならぬ。西京に向かうことを一秒でも遅くし、到着する援兵を一人でも少なくすることが、王の長征の成功を左右する要素になりえる。

 そのための方法はと考えると、鹿沢城を攻めてもらうのが手っ取り早いという結論が出る。

 鹿沢城を攻めるということは鼓関にいるときよりも西京との距離は遠くなる。

 それに陣形を城攻めに変更するということになるだろう。当然退却するときには陣形を整え直さねばならないから時間もかかる。

 そのうえ、城からの攻撃を恐れるから、ゆっくり退却せねばならない。さらには敵が退却する、その後ろから襲い掛かることで退却を遅らすことだって出来る。


 この関西征伐には関東の総力を注ぎ込んでいるのだ。

 かならず成功させなければならない。例えどんな手段を使っても、だ。

 そう考えると確実に敵には城を攻めていただきたい。攻城器具を持って出兵したとの報告はあるが、それとてどうだかわからないからだ。我々をおびき寄せる罠であるかもしれない。なにせ策の多い男らしいからな。

 つまり例え今の敵の動きが罠であっても兵を出すべきだ。勝利するか敗北するかはわからないが、とにかく数の差が大きい。結局はこちらの兵が逃げて、向こうの兵が追いかける形になる。

 自然、鼓関の兵は鹿沢城前に来ることになるであろう。

 だが鼓関と鹿沢城という狭い範囲の戦場で考えると、こちらにとっては利のない戦となる。払う犠牲に対して得るものがあるわけではないからだ。将兵に『安全な城から出て欲しい、いいからとにかく敵と戦って死んで来い』と言うようなものなのだ。

 だからヘシオネを説得できる言葉がなかなか思い浮かずに苦労していたのだ。向こうから言ってきてくれるとは、まさに渡りに船、いやはやありがたいことだ。


 戦略的に見れば、鹿沢城が陥落して全員が討ち取られたとしても、王の長征が成功すれば勝ちは関東にあり、負けは関西にある。

 もちろん、もし西京を落とせたらの話ではあったが。

 それに・・・とラヴィーニアは思う。このあたしがいるんだ。めったなことで負けさせてたまるものか。

 誰もいなくなった部屋でラヴィーニアは一人物思いにふける。

 南部で暮らしたことのないラヴィーニアはヘシオネのことをあまりよくは知らない。

 だが仮にも女の身でハルキティア家を切り回し、戦国の世を生き抜いてきたのだ。頭の鈍い女ではないし、戦場での指揮もそこそこのものは持っているだろう。

 ラヴィーニアはそう気楽に考えていた。

 さてさて何人の兵が死に、何人の兵が生き残ることになるだろうか。

 二千は残して欲しいな、とラヴィーニアは城の壁面や塔に配置する人数を指折り数え上げて、そう思った。二千あれば二週間守り抜いてみせる。

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