第93話 長征(Ⅵ)

 王の命を受け、南部諸侯は奮い立った。

 北辺に来てから自慢の腕を振るう機会がなかった彼らにしてみると、やっと訪れた活躍のチャンスだった。

 それになんといっても作戦が気に入った。

 敵の中央を堂々突っ切って、背後に回りこみ敵を殲滅せんめつする。同じ包囲するにしても、側面や両脇から回り込むのと違い、味方の視線が集まる中、華やかに敵中突破を計るというところが血の気の多い南部諸侯の琴線に触れたようだ。

 大きな喊声と馬蹄ばていを響かせ、南部諸侯はまるで年始の福袋に群がり奪い合う人々のように、敵は目の前の兵ではなく、真の敵は隣で槍を並べている味方であるとばかりに、周りの人物に一秒たりとも遅れまいと走り抜けた。もっともこの世界には福袋どころか百貨店も家電量販店も存在しないのではあるが。

「どけどけえ!」

 後方から湧き上がった突然の怒声に、前面で敵兵と対峙していた王師下軍の兵や王師中軍の兵は慌てて道を開ける。

 その空いた空間に、次の瞬間人馬が殺到した。

 この日まで溜め込んでいた鬱憤うっぷんを晴らすかのように南部諸侯は敵に刃を突き立てる。

 撃砕、その言葉が相応しいほどのスピードで南部諸侯は敵の防衛線を瞬時に切断した。

 ステロベはとにかく左から回り込むことを優先させたため、戦列を左へ左へと移動させすぎていた。自然左翼と中央との間に防衛するための兵は満足に残っていなかった。いってしまえば南部諸侯の攻撃を支えきれるだけの力がもう残っていなかった。

 敵の後ろに抜け出すことに成功した南部諸侯はすぐさま二手に分かれ後方より襲い掛かる。それは、川の浅瀬をようやく渡り終え、対岸に現れた王師騎馬隊を北辺軍の右翼が目にしたのとほぼ同じ時だった。

 それまで沼沢地帯という地形と斜行戦術とで優勢に進めていた北辺の軍は、一転して中央突破され、包囲されるように三方を囲まれたことに狼狽する。

 特に大将であるステロベと分断され、指示が仰げなくなった右翼と中央に配された北辺の諸侯の軍兵は、恐怖に心臓を捕まれ、包囲が完成される前に逃げ出そうと我先に逃げ出した。諸侯や部隊長が逃亡兵の首根っこを捕まえ、どやしつけるが一行に効果があがらない。当初は懸命に兵を戻そうと努力していた諸侯も、こうなっては自分の命が危うい、兵に紛れるようにして持ち場を捨て去る。

 全面的な崩壊が始まった。

 王師中軍と左軍の兵は勢いづき、牧羊犬が羊を追い立てるように後ろから襲い掛かる。

 戦の趨勢すうせいは決まった。


 左翼で下軍とざらるせんバルブラ隊相手に一進一退の攻防を繰り広げていたステロベの目にも中央と左翼の付け根が分断されたことは映っていた。

 だがステロベはそれを見ても何一つ手を打とうとしなかった。味方が壊乱する様をステロベは冷えた目で眺めていた。

 手を打とうとも、彼にはもう兵がなかった。余剰の兵は全て前面に投入していた。

 もう少し今ここに兵があればな、とステロベは嘆く。最左翼に新たに現れたは兵は弓戦こそ五分の戦いを見せたが、軽装だけに打物取っての白兵戦はそれほど得手ではないらしく、優勢に戦を進めていたのはステロベたちの方だった。だがそれももはや何の意味も持たない。

 このまま戦い続けたらまもなく右翼と中央を壊滅させた敵兵は津波のように彼らに覆い被さり、ことごとくを灰燼かいじんと化すに違いない。

 あと少し、あとほんの少しだったのだが。

 既に中央と右翼が崩れた上は、もはや働いて何のせんがあるというのだ。

「ルクルス、引きがねを叩け、太鼓を叩け。兵を退かせろ。戦は終わりだ」

「はっ」

 戦は終った。

 だが彼にはまだやらねばならぬ仕事があった。指揮下の八千の兵を一兵でも多く逃がすことだ。

 彼らの家族の為にも、自分の名誉の為にも、そして国家の為にもそうしなければならない。

 まずは部隊を集結させる。崩れ去るように個々に退くと余計に被害は大きくなる。

 ならば陣形を整え、襲い来る敵を叩きのめし、敵の呼吸に合わせるように退却し、整然と戦場を脱することだ。

 前線から命からがら逃れてきた兵士をさっと陣内に収容すると、それを追って来た敵を槍先を揃えて向かい討つ。目を吊り上げた兵士たちは喊声をあげ襲い掛かると、たちまち十メートルは捲り返した。相手を追い散らしたその隙に、ステロベは兵士たちを後退させて再び戦列を整える。そして敵を追い散らした兵が追いつくのを再び待つのである。そうやって雪崩のような関東勢の猛攻に耐えつつ、死者を出しながらも出来うる限りの速度で戦場を退いていた。

 先ほどまで相手をしていた河北諸侯軍と王師下軍だけなら犠牲者は出るだろうが、撤兵に成功しえたであろう。

 だが敵は崩れ落ちた右翼や中央の北辺の諸候軍の追撃もそこそこに、何故かステロベを追うように集まった。

 丘に登ったところで背後に騎兵が回り込み、終に四方を完全に囲まれてしまっていた。

 大苦境に陥ったステロベは最後の勝負として、比較的薄い東面からの正面突破を計ろうとした。

 側面も後居も構わずただ一筋に押し出せば、何割かは逃れることもできよう。今の関西にはそれでも貴重な戦力になりうる。

 例え逃れ得なかったとしても、一兵でも多く地獄へ道連れにできれば、ステロベの武人としての名誉も守れようと言うものだ。


 と、突然停戦の意を告げる甲高い鏑矢の音が鳴り響き、眼下の敵陣の中から大きく白い旗を掲げて馬車が近づいてきた。

 両軍息を呑んで互いの出方をうかがう中、ことことと揺れながら馬車は丘を駆け上っていく。馬を止めて席から降りた使者はステロベに向かって優雅に揖の礼をした。

 両者の間は五メートルもない。槍を突き出せば一突きで命を奪うことが出来る距離、とんでもない豪胆さだ。

 礼儀としてステロベも馬を降り、揖の礼を返した。

 顔を上げた使者を見てステロベは目を見張る。若く細細しい佳人。およそ使者に、いや戦場に相応しくない姿だった。

「私は関東にて宰相と中書令を勤めているアリアボネと申します。この度、陛下の意を受けてまかり越しました」

 そう言うとアリアボネと名乗る女はもう一度深々と揖の礼をした。

 宰相で中書令を兼ねるということは宮廷内ではかなりの実力者と言うことだ。それが何故、わざわざ危険な戦場に出てきているのであろうか? ステロベは事態が分からず困惑する。

「見事な戦いぶり、さすがは関東にもその名が鳴り響くステロベ卿。陛下も戦いぶりを見て感心することしきり、名将を失うはこれ関西の損失に非ず、アメイジアの損失なりと仰せになって、私を遣わした次第です。どうでしょう降伏なされては? 関東の大軍に寡兵かへいで戦ったことでステロベ殿の武人としての矜持きょうじは天下に示せたと申せましょう。ここで降伏しても責める者などどこにもおりますまい。陛下は降伏いたせば、将兵の命も保障するとおっしゃっております」

「・・・」

「この通り、陛下の誓紙せいしもございます」

 見事な筆運びに立派な文面、だが署名は別人が書いたのか、お世辞にも綺麗とはいいづらい文字だった。これが王の筆跡かとステロベは眉をひそめて凝視する。

 といっても関東の偽王の手など見たこともないステロベには、いくら凝視したとしても真贋など分かりもしなかったのだが。

「かたじけなくも誓紙のご文面を拝見いたし、またご使者のご口上も承りました。このような愚臣にもったいなき仰せなれども、代々フラヴィウス家に仕え、浅からぬ君恩を受けてきた身、今更裏切り関東の手先となるなど、思いも寄らぬことです。どうぞ、そう申していたと関東の新王にお伝えしていただきたい」

 ここでフラヴィウス家について説明しなければならない。東西の対立は第二十代昏帝死後の王位継承権の問題から起きた。男系のみに王位は受け継がれると主張した荘王に対し、武帝の故事を引き合いに女系でも王位を継承できると主張したのがフラヴィウス家である。当時フラヴィウス家はもっとも血統的に昏王に近かった。荘王の子孫は今は滅んだ関東の王家となり、フラヴィウス家の子孫が今の関西の王家となった。そのため関東の人間であるアリアボネに対して関西の王家を指す言葉としてわかりやすかろうとフラヴィウス家と言ったのである。

「立派なお覚悟とお見受けします」

 硬骨漢であるステロベがおそらく拒否するであろうことはアリアボネも織り込み済みだ。

 ここからはラヴィーニアから仕入れた不確かな情報だけが頼り。だが信じるしかない。

 それだけの価値はある。

 もし彼を翻意させることが出来たら、この遠征の帰趨きすうを左右する要因になりうるのだから。

「だがステロベ卿一個人の意思はそれでよくても、国家の社稷しゃしょくを考えねばならぬ身としてその考えはいかがかと存ずる」

「・・・」

「将軍の才はこれからのアメイジアに無くてはならぬもの。それに将軍の預かる兵は関西の兵であるが、同時にアメイジアの大事な民でもある。それを将軍の意地で冥府に連れて行かれては迷惑至極」

 意外なアリアボネの言葉にステロベは少し動揺を見せた。配下の兵のことでとやかく言われるとは思っていなかったのだ。確かに己の矜持の為に兵を死なせたなどと後世の者に言われる可能性はあると今更ながら思い立った。そんなことを言われてはステロベの名も輝きが失せようというものだった。

「・・・私は陛下の人となりを知らない。兵だけなら降伏させることにやぶさかではないが、武装解除したとたん襲われ全滅したら、私は兵たちの家族になんと言えばいいのか言葉を知らぬ。陛下に直接会って信頼できるかどうか判断せねば、降伏はいたしかねます」

 考えた結果、ステロベは苦衷に満ちた表情でそう言った。

「よろしいでしょう。ならば我が陣まで来ていただきたい。陛下に会っていただきます。将軍の命は私の命にかえて必ずや補償いたします」

「いや、陣まで出向いて囚われでもすれば我が一生の不覚。また好餌に約定され前言を翻したなどと後ろ指を差されたくはない。会見は軍兵の目の前で、陛下と私の二人だけという条件でお願いいたしたい」

「・・・それは!?」

「難しいことは存じています。だがその条件をのんでいただきたい」

 アリアボネは言語道断な提案に顔の色を失う。

 両軍は一斉に息を呑む。関東勢は馬鹿にするにもほどがある、と怒りに満ちて。そして関西勢にはそんな虫のいい提案を受けるわけがない、将軍は気が狂いでもしたのか、と呆れ顔で。

 実際のところ、ステロベは本当にそれが実現すると思って、こんなことを言い出したわけではない。武辺の意地として降伏などもってのほかというのが本心だった。

 だが己の意地の為だけに幾千の兵を冥府に連れて行ったなどと後になって言われることだけは御免だ、と思っただけだ。なんて狭量な男であろうと未来永劫馬鹿にされるに違いない。

 ここは多少の無理難題を押し付けて、交渉を向こうから決裂させるのが望みだった。

 あくまで交渉には応じたが、決裂した結果戦わざるを得なかった。これなら例え全滅してもステロベのことを悪く言う者などおるまい。この後、関西がどうなろうとも、ステロベは忠義に殉じた忠臣として後世に伝えられるに違いない。先祖代々の名誉も守られようというものだ。

「・・・き、聞いてまいります」

 アリアボネは明らかな狼狽を示す。

 その時だけステロベは目の前のこの麗人に少しだけ憐憫れんびんを覚えた。

 なんて言われて来たかは分からないが、まさかこんな人を食った返答を持って帰ることになるとは思わなかったに違いない。聞いてくるというが返答はひとつ、赤子でも理解できる。聞き入れるはずなどありえないのだ。かわいそうにこの若い中書令は偽王に叱り付けられることだろう。

 馬車は来た道を同じようにことことと揺れながら帰っていく。行きと同じ馬車、同じようにゆっくりとことこと揺れながらではあったが、ステロベの目にはアリアボネと名乗るその使者の狼狽が移ったかのように揺れているように見えた。

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