第87話 北錘(ほくすい)の鼬(いたち)

 見渡す限り荒野の北辺の地をさらに北へ北へと進む王師の前に、軍人と呼ぶには武装が軽すぎるが、民と呼ぶには物騒すぎる得物を手にした数騎の影が現れる。

「あれは何かな?」

 疑問に思った有斗はアリアボネに尋ねる。今回の戦いはいかに敵の不意を突くかにかかっている。あれが関西の偵察兵だとすると厄介なことになると思ったからだ。

「あれは北辺の地に住む化外の民の一族でございましょう。お気になさらずともよろしいかと」

 アリアボネはにこりと笑って有斗の懸念を払った。

「化外の民?」

「地に足を付けて定住することなく、財産を抱えて馬に乗って大地を移動し、その時々の場所にて暮らしている民族。朝廷の支配にとらわれぬ、まつろわぬ一族でございます」

「害はない?」

「大まかには北辺の耕地にて遊牧して大人しく暮らしておりますが、時に財貨を求めて南下し、河北や畿内の集落を襲うこともあります」

「・・・それはほっとけない話だなぁ」

 有斗が関西遠征という本義を忘れ、目の前の賊を討ちたそうな口ぶりをしたことに危機感を覚え、アリアボネがそっと有斗の袖を引いた。

「とはいえ軍隊を相手に襲い掛かってくるようなことはありませんし、今回の目的は関西遠征、彼らに関わって時間を潰すことは上策ではありません」

「・・・わかったよ」

 有斗はアリアボネの言葉に納得はしたようだが、どことなく未練の残る口ぶりにアリアボネは少し考えるそぶりを見せた。


 寛大な気持ちで見逃してやると気持ちを切り替えた有斗だったが、その後も流賊は王師の前後左右を付かず離れずに数日にわたって付きまとう。

 さすがに矢頃に入ってくるほどには近づかず、広大な荒野の視界ぎりぎりにいるので実害はない。とはいえ気味が悪いので追い払いたいところだが、そのことを口にしそうになるたびにアリアボネに袖を引かれては有斗としても口には出せない。

 そんな中、東の空が土煙で黒くなり、有斗が見たこともないほどの騎馬の群れで東の大地が埋め尽くされる。

 どうやらあの数騎の騎兵はこの騎馬軍団の斥候だったようだ。

「あの旗印・・・厄介なのが来ましたね」

 有斗の馬車に馬を寄せて、そう話したのは河北の諸侯の一人、アクトール・バイオスである。

 戦にも段々慣れてきた有斗だが、移動は未だ馬車である。兵士の目には多少奇異には映るだろうし、陰で陰口は叩かれてはいるとは思うのだが仕方がない。有斗は馬に乗れないのだから。

「バイオス卿はあの連中を知ってるの?」

 有斗が尋ねるとアクトールは力強く頷いた。

「北辺の地に住まう者たちは基本家族や親族を一つの集団として暮らしており、家族単位で解決できない大きな問題があれば、血族で結ばれた部族で集まり行動します。ですが数年前のオーギューガの北辺征伐、ここ数年の天候不順、収奪地だった河北の荒廃など、諸状況が重なった結果、部族のはみ出し者など、血縁にとらわれない新たな集団が形成されました」

「それがこの軍? 率いているのは誰?」

「賊の頭は身長八尺を越える大巨人にして弓の達人、ザラルセンとか申す者です」

「ザラルセン・・・」

「狡猾にして残虐。武人としての矜持もなく、道理のわきまえぬ無法者です」

「手ごわいの?」

「流賊なれば王師の敵ではございませぬが、配下はならず者どもの集団だけに性質たちが悪うございます。卑怯な手をいとわず使うので戦いかたに注意を払う必要があるかと」

 アクトールの口ぶりでは単なる流賊と軽く見てはならないようだった。

「さて・・・どうしようかな」

 想定外の出来事であり、本当は直ぐにでもアエティウスの意見を聞いてみたいのだが、周囲の目もあって、有斗は威厳を保つために一旦、考えるふりをした。

 何事もアエティウスやアリアボネにすぐに投げ出すようでは、王という存在が軽んじられてしまう。例え現実はそうであっても、周囲の目にまでそう見えてはならないのだ。とはいえまだまだ有斗は、こうした重大な決断が下せるほど、王として成熟してはいない。

「戦いは避けられないとして、どう戦うかだね。平原での戦い、奇策も何もないとは思うけど・・・アエティウスの意見も聴こう」

 頭の中で数を数えて時が過ぎるのを待っていた有斗が、そろそろ頃合いかと羽林の兵にアエティウスを呼びにやらせようとすると、

「陛下、このアリアボネに一計がございます」

 傍にて控えていたアリアボネがにこりと笑んでみせ、有斗にゆうの礼をした。


 一方、有斗が想定外の事態の対処に頭を悩ますのと同時に、対峙するもう一方の将も悩んでいた。

「う~む」

 ザラルセンはうなった。町を襲ったことも、北辺を守る関西の警護隊と小競り合いをしたことも、諸侯の軍と戦ったことすらもあるが、目の前の軍隊はさすがにザラルセンがこれまで戦ってきた相手とは規模と格が大きく違いすぎる。

「う~~~む」

 ザラルセンはもう一度唸った。

 ザラルセンの手勢は一万、と北辺きっての大勢力ではあるが、目の前の関東の軍は軽く五万はいそうである。唸るしかないというのが実情だった。

 そもそも自分の庭だと勝手に思っている北辺南部に自分の許しなく足を踏み入れた集団がいると聞いて追い払いにかけつけただけである。てっきり難民か流賊だとばかりに軽く考えていた、まさかそれが完全武装した王師だとは思いのほかだった。

 しかし、ここまで兵を率いて来てしまった以上、何もせずに帰るというわけにはいかないのである。それでは臆病者とさげすまれることになる。

 ザラルセンは勝ち負けが絶対の世界でなく、任侠の世界に生きる男である。彼の部下たちもザラルセンの侠気に惹かれて集まって来た男たちである。自分の気持ちの問題だけでなく、部下たちをつなぎ留めておくためにも、ザラルセンにその手を選ぶことなど許されるはずもなかった。

 となると軽くひと当たりして武辺の意地を示し、勝敗が傾く前に逃げ出すというのが現実的なところかと考える。とはいえ戦力差を考えると慎重にことを推し進めねば、逃げ出す前に全滅することもあり得るのだ。

 しかし王師は重装、逆にザラルセンたちは軽装である。多少気にいらないが、白兵戦は避け、矢戦だけを行って退くのが現実的な解決策かとザラルセンは思い立った。

 彼らは所詮は流賊と呼ばれる存在、最低限の意地と面目が立てばそれでいいのである。

 戦機を窺うという名目で軽騎兵を前に出し、女子供や足弱は後方に下げ、いつでも逃げ出せるように陣形を整え直す。だがその努力は水泡に帰す。結局、矢戦すら行うことはなかった。

 その前に王師の使者がザラルセンの下に訪れたからである。


「王が会いたいだぁ?」

「はい。陛下は良い機会だから、この北錘ほくすいの地で名の知られたザラルセン殿に是非一度お目にかかりたいとおっしゃっております」

 王の使者だというのにその男は、ザラルセンに辞を低くして頼み込んだ。

「・・・悪くねぇ話のようだな」

 王が大なりとはいえ一流賊の自分の名を知っていたということや、王のほうから会いたいと言っていることにザラルセンは自尊心をくすぐられた。

「罠かもしれませんぜ。兄貴よぅ、行かねえほうがいいです。とかく町に住まうやつらは狡賢ずるがしこくていけねぇ」

 ザラルセンの手下は街の人間が聞いたら憤慨しそうなことを言った。誰であれ、平和に日々を暮らしているところにいきなり襲い掛かり、女や食料や金を奪い去っていくような無頼の輩に言われたくはないところであろう。

「かまうものかよ。この俺を殺せるものなら殺してみろってもんだ。万人に囲まれても逃げ延びてみせるさ」

「さすがは兄貴だ。肝がふてぇや」

「そうと決まれば、善は急げだ。王の顔とやらを拝みに行こうじゃねぇか」

 ザラルセンには何よりも王とかいう威張り腐った奴の顔を見てみたかったし、その王が自分に何を言ってくるのか興味があった。


 流石に諸侯として高名なテイレシアと違い、ザラルセンらは人数を三人に制限され、武器を取り上げられて、急遽組み上げられた御座所の入り口近くで王を待つ形となった。

 入って来た有斗のあまりもの貧弱な体を見て、俺の下では馬丁ばていにもなれそうにねぇなどとザラルセンはふてぶてしく思った。

 王の横にいる目がくらまんばかりの美女アリアボネに、流石は王だ、いい女を連れてやがると妙なところに感心してみたりもした。

 だが王とザラルセンの間に立つ幾人もの王師の将軍たちは、鋭い眼光に隙の無い雰囲気を漂わせ、なるほど数多の戦場を生き抜き、万の荒くれものを率いるだけの器量を感じさせる重厚な気配を感じて、ザラルセンともあろうものが首筋に少し汗をかく。

 流石に流賊相手の直答は軽んじられるだけであろうと文官が一人、間に入ってザラルセンと会話することとなった。

 もっとも直答であっても、有斗はアリアボネの考えた通りにただしゃべるだけだから、結果としては変わらないのである。

 とはいえそれは有斗にしてみればということで、されるほうになったザラルセンらは待遇に不満で対面前から大きく気分を害したことは否めない。

「それで王が俺に用があるって言うのはなんなんだい?」

 ザラルセンの無礼な物言いに、武官も文官も険悪な表情を向けるがザラルセンらは武器を取り上げているにもかかわらずザラルセンは一向に悪びれない。配下など、にやにやと馬鹿にした顔つきで将軍たちを挑発する余裕まで見せる。

「陛下はザラルセン殿と争う気はないとおっしゃっている。ザラルセン殿もこのアメイジアに生きる一人の人間として、陛下の天下一統という大志に共鳴して共に手を携え歩んでほしい」

 宮中では当たり前なその言い方も、実力だけが全ての北辺の地で生きるザラルセンにとっては理解できず、うざいだけだった。

「遠回しな言い方は止めな。具体的には何をしろって言うんだ?」

 耳を掻きながら、そう吐き捨てる。

 有斗の意を受けて、ザラルセンに下手に接していた文官も、これにはさすがに鼻白んだのか、一瞬口籠った。

「・・・・・・・・・王師が北辺を安全に通行できるように約束してもらいたい」

「俺が約束を守るとでも? 朝廷からしてみれば、俺らは賊や悪人の類だろうが」

 ザラルセンのその言葉に取次の文官ではなく、有斗が直接、ザラルセンに聞こえるように大きな声で応えた。

「ザラルセン卿という人物は任侠の世界に生きる人物と聞く。一度した約束は決してたがえぬだろう。約束ができればこれほど心強いことはない」

 その場にいた全ての者が有斗が北辺の賊の長ごときに直々に言葉をかけたことに驚きを見せる。それはそうだろう身分が違いすぎるのだ。

「陛下!」

「陛下!! このような者に直答などなさってはいけませぬ!」

 文官も武官も大きく狼狽する。

 反対に満足げな表情をしたのはザラルセンだった。王がこの俺に、北辺の賊の長である、この俺に対等に言葉を交わした。そう思ったからである。

 だから───

「王にそうまで言われては、このザラルセン、約束せずば男が廃るというもの。だが後から梯子を外されたんじゃたまらねぇ。ひとつだけ聞きてぇんだが、今度のこの遠征、俺らの縄張りを荒そうっていうんじゃねぇんだな?」

「僕らは北辺をただ通過したいだけだ。僕らの目的は別にある。信じて欲しい」

「決まった!」

 ザラルセンはこぶしで太腿を叩いて小気味よい音を鳴り響かせた。


 有斗と一緒に退出する間、アリアボネは袖を口に当て、ずっと小さく笑い続けていた。

「アリアボネ、笑いすぎだよ」

「ですが・・・陛下が直答した時の将軍や文官たちの驚いた顔を思い出すたびに笑みが零れてしまって・・・申し訳ございませぬ」

「見事でしたよ、陛下。ザラルセンだけでなく、王師の将軍たちやおそば仕えの文官たちまで騙されましたからね。陛下はたいした役者ですよ」

「そうかな? えへへへへへ」

 あえて最初はザラルセンらの扱いを粗雑にし、後々に王がわざわざ直答すれば、ザラルセンはその衝撃で驚きのあまり、深く考えもせずに約定する。それがアリアボネの策であった。

「これで北辺のことは何一つ憂いが無くなりました。陛下ありがとうございます」

「ザラルセンは本当に約束を守るかな? だって流賊だよ?」

「王と面会することでザラルセンの面子も立ちます。それにザラルセンは侠気の世界に生きる男と聞き及んでいます。その評判を守るためにも、王と一度約束したからには、約束を守らざるを得ません。ザラルセンが王に敵対せぬと誓ったと知れば、北辺に生きる者たちはザラルセンを恐れていますから、王師を襲うようなまねはしますまい。一挙両得とはこのことでございます。これで関西遠征中の糧道の心配は格段に減ります」

「さすがはアリアボネ、よく考えてるなぁ」

「陛下のおかげ様をもちまして」

 心から感心してみせる有斗にアリアボネははにかんだ。


 一方、王との会見を無事に終えたザラルセン一行は大盛り上がりだった。

「王に会って約束を取り付けるなんて、さすがは兄貴だ」

「口では偉そうなことを言ってたが、なんてことはねぇ、俺たちの許しあってこそ王師が北辺を通れるってもんでさぁ。つまり王が俺たちに頭を下げたんだ!」

「ねぇ兄貴?」

「ん? まぁ、そうだな」

 盛り上る配下のならず者たちと違って、ザラルセンはどこか上の空だった。

「兄貴・・・?」

「ちょっと気に入らねえな」

 何にも縛られぬことがザラルセンの矜持の一つである。野生の本能で何か操られた感がしたザラルセンは心中、不快を感じていた。

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