第85話 先んじて発言す。

「北を回って西京を攻撃するですと!?」

 参戦した諸侯は、全部で三十一。その一人残らずが王の発言に耳を疑った。

 確かに兵糧は全て朝廷が持ち、諸侯の負担は少ない。とはいえ長駆して西京を攻めるのだ。周囲は敵だらけだ。少なくない犠牲がでるだろう。

 しかももし万一、攻略に失敗し敗走することになれば、犠牲者の数は跳ね上がる。下手をすると全滅しかねない。関東に無事に帰れる保証などない。とはいえこれは王の発言だ。一度発せられたからにはなまなかには取り消すこともできぬであろう。

 諸侯は一斉に沈黙した。あたりは一瞬にしてしじまに包まれる。

 目線を左右に走らせ、互いの顔色をうかがう。

「諸侯をだますような形で連れて来たことは謝る。だがこの作戦の可否は敵に一瞬でも遅くまで気付かれないことにあるんだ。素早く北方を回り込み、敵の弱体な防衛線を一気に突破し後背に回り、情報と補給を遮断し、敵がその対応を行う前に要地を確保することで、北方に点在する敵戦力を無効化しつつ王都を強襲するというものだ。情報の秘匿が必要だった。諸侯にはこれを理解して欲しい。意見があれば忌憚きたんなく言って欲しいし、もし付き合いかねると思ったら遠慮なく立ち去ってもらっても構わない」

 有斗はそう言うが、諸侯はだからと言って、はいそうですかと納得できかねる思いであった。

 とはいえ、それではお暇を頂きたいと名乗り出るだけの勇気ある発言者もいなかった。

 真っ先にそれを言い出した諸侯は、今後、王との関係にひびが入ることを覚悟せねばならないからだ。もし王が関西遠征で亡くなってしまうことが決まってるのなら、それでも構わないだろうけれども、もし生き残ったなら、いやそれどころか王が勝ちでもした日には、その諸侯は今後の立ち位置が危ぶまれる。命の危険や諸侯位の剥奪さえあるかもしれない。

 諸侯たちの望みは、そういうことに一切、無頓着な愚か者が真っ先に撤兵を表明し、それに追従することだった。王は最初の人間を恨みに思うだろうが、二人目三人目ならばそれほどの怒りを買わずにすむはずである。

 ここまではアリアボネの想定通りだ、と有斗は思った。

 問題はこのままではいつまでたっても物事が進まない危険性があることだ。

 実は解決策はすでに練ってあった。こういうことは勢いなのである。誰かが帰ると最初に言い出だせば諸侯も帰ろうとするだろうし、誰かが王に味方すると言えば、諸侯たちも雰囲気に流されて王に味方するに違いない。

 つまり最初に発言する者をあらかじめ作っておけばいいということになる。

 最初はアエティウスがその役をやろうかと言ったのだが、ダルタロス家と有斗との緊密な関係は皆周知するところ、アエティウスが発言しても諸候は当然のこととこそ思えど、味方すると言うまでにはならない、とアリアボネが反対したのだ。それはもっと有斗とのかかわりが薄い諸候がやったほうが諸侯に心理的な圧迫を加えることとなるであろう。

 そこで河北征伐のときに活躍を見せたバイオス卿に話を通して、味方するという発言をしてもらうことになっていた。

 そろそろ頃合か。アエティウスの目配せに合わせてバイオスが立ち上がろうとすると、発言する前に意外なところから声が上がった。

「余人は知らず、我がトゥエンク家は南部四衆に数えられる名家です。苦境にあって手助けを求められているのに見放すなど大丈夫のすることでは無い。私は陛下にどこまでも付いていく所存だ。例えそれが地獄の業火の中であってもひるんだりはしない!」

 突然、王に味方する発言をする諸侯が現れたのだ。

 そう大演説をぶち上げたのは、意外や意外、なんとマシニッサだった。

 意外な男の意外な発言に驚いたのは諸侯だけではない。有斗もアエティウスもアリアボネも、発言しようと立ち上がったバイオスもあっけにとられていた。

 その言葉の内容と、発言した人物とのアンバランスさに皆二の句を告げられない。

 奇妙な静寂が訪れた。

「我がバイオス家も陛下の行くところ、どこであっても付いて行きます」

 バイオスが続けてそう言うと、我に返った諸侯たちは雰囲気に押され、次々と協力を申し出た。

 もはや帰還を口にできる雰囲気ではとても無かった。

 あのマシニッサでさえ賛成したという現実に動揺し、一刻も早く味方であることを表明しなければ、まるで大事な何かを失うかのような感覚にさえ襲われていたのだ。

 予定とは違ったが、想定していた結果を得られたことにアリアボネはほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、と首を捻る。何故、不道殿はあんなことを言い出したというのだろうか。彼女の知っているマシニッサという男はあんな殊勝な言葉を軽率に口に出す男ではない。額面どおりに受け取ってはどんな目に会わされるかわかったものじゃない。


 マシニッサの腹の中はこうであった。

 今回の出兵がどこか妙であることは実は気がついていた。マシニッサは聡い男なのである。

 関東の兵力の過半を投入するのであるから当然だ。賊を退治するには多すぎるのである。

 だからマシニッサは軍を畿内から動かすことで隙を作り、カヒか関西か裏切り者か・・・それらのうちどれかを挙兵させた後、軍を畿内に反転し叩くための出兵だとばかり思っていた。まさか関西を攻めるなどとは毛頭思わなかった。

 マシニッサは頭脳には、いや謀略には自信がある。だからこそ、この策を見抜けなかったことは、裏を見事にかかれたようで大いにしゃくだったが、だからと言ってここでヘソを曲げて王に逆らうことで生じる得失を見誤るような男ではない。

 確かにここで兵を帰せば損害はない。だが得られるものもないのだ。

 王の不快を買うだけでなく、立身出世を夢見る彼の兵たちも、手柄を立てる機会をいつし、不満に思うことは必定だった。彼のような一代でのし上がった男には代々の臣下とかいう命運を共にするような家臣はいはしない。皆が皆、マシニッサの下にいれば生き延びる可能性が高そうだ、あるいはいい目に会えるといった利害損得だけでついてきているだけに過ぎない。彼らを失望させることは、すなわちマシニッサの築き上げてきたものが瞬時に崩壊すると同義語なのだ。

 だがここは逆転の発想だ。逆に王に味方すると決めたらどうだろうか? それも諸侯がその去就を明らかにする前に宣言したとすれば・・・?

 どうすべきか迷っている諸侯はおそらく雰囲気に流されて、王に味方すると言うに決まっている。

 当然、王は関西攻略のあかつきには、最初に発言して諸侯の軍を味方につけてくれた男に大いに感謝するにちがいない。

 その功は戦場で万の敵を滅ぼす功よりも大きいとは思わないか、と言うのがマシニッサの考えだった。

「それが俺が王に味方すると諸侯に先駆けて発言した理由さ」

 とマシニッサは得意げに副官のスクリボニウスに説明してみせた。

「兵を損じるかもしれませんよ?」

 損得にうるさいマシニッサには珍しい判断だ。スクリボニウスはそこが気になった。

 まさかあの発言の内容そのままに王に忠心を示す気なのだろうか・・・?

「なに、戦闘の主力は王師さ。諸侯の軍は補佐に回るだけであろうよ。戦闘になったらせいぜい隅の方で小さくなって大人しくしておくさ」

「西京攻略などということが本当に成功するとお思いで?」

「それは俺にもわからない。計画しているアエティウスやアリアボネにもたぶんわかってはいないはずさ。神以外知るものぞなしってやつだな」

「それでも味方すると?」

「ああ。成功したときのことを考えればそうすべきだ」

「関西攻略が失敗したら・・・?」

 退却戦はきっと困難な戦になるだろう。半数も帰れるかどうか・・・スクリボニウスはその幸運な半分に自分が入っているとはとても思えなかった。

 何せ、よりによってマシニッサに仕える家系に生を受けてしまった彼である。同じ南部四衆ならダルタロスとかロドピアとかに仕える家系に生まれたかった、とは彼の十八番おはこの愚痴であった。

 何度考えても、神様に嫌われているか、前世でよほど悪いことをした報いに違いない。

 マシニッサはその不安を取り払うようにスクリボニウスの肩を叩く。

「その時は」

 マシニッサは声を一段と低くしてスクリボニウスの耳にしか聞こえぬようにささやく。

「王の首を獲って、関西の女王の陣にでも駆け込むとしようじゃないか。きっと大いに歓待されるぞ」

 スクリボニウスはマシニッサの言葉に顔をしかめた。


 諸侯の同意を取り付けることに成功した有斗は、まずここに一部の部隊を残して前線基地とすることにした。そうすれば最悪の場合、負けた味方が撤退してきたとき、ここで食い止めることが出来る。

 王都からの輜重しちょうも予定より若干早めに届いている。これで三十日分の食料は確保できた。

 見張りの兵が北東の丘の上に小さな部隊を発見する。鎧兜に身を固めた騎兵だった。

 賊か、と色めきたったが騎兵は臆することなく近づいてくる。使者らしく白い旗を掲げて近づいてくる。

 万を越える軍に正対しているのに、まるで無人の野を行くが如しといった余裕さえ感じられた。

 だがそれもかくありなん。どの武者も面構えが尋常でない。それぞれが一騎当千の剛の者であろう。

 やがて陣営に近づくと馬を止め、声をあげた。

「王がこの地まで行幸なされていると聞いた。是非ご挨拶いたしたい」

バイオスがその謎の集団に大声を上げ返した。

「人に物を頼むなら、まずは名乗るのが礼儀というものであろうが」

 その一行の中心人物であろう白覆面の細身の武将が突然笑った。

「アハハハハ」

 戦場に不釣合いな甲高い女性の笑い声が響いた。

「それもそうだ。オーギューガの当主テイレシアが参ったとお伝えくだされ」

 ざわ、と一斉に諸侯も兵も色めき立つ。

 カヒ家の当主カトレウスは戦国が生んだ巨人である。猛将名将を綺羅星のように揃え、常勝をうたわれる騎馬軍団を己の手足のように動かし、立ち向かう敵を叩きのめし、一代で領土を拡大してきた。有斗が来る前は次の天下人に一番近いとも目されていた存在。まさにこの世界の生ける伝説である。

 だが、そのカトレウスに一歩も後れを取らない剛の者がいる。五万のカヒ兵を万に満たぬ兵で打ち負かした、軍神の生まれ変わりとも言われる存在、それがテイレシアである。

 こんな機会はめったに訪れまい、と諸侯も兵も興味津々で身を乗り出し、どれが名高き軍神であろうかと一行を見つめる。


 突然の事態に有斗も混乱した。

 何故ここに有斗がいることが、遠く越の国にいたテイレシアにばれたのであろうか。内通者でもいるのではないだろうか?

 有斗はアリアボネに不安な眼差しを投げ返した。

「本物かな?」

「おそらくは。偽物が名乗って出てきたのだとしても、それで彼らが何か得になることがあるわけでもありませんし」

「どうしたらいい? 会っても大丈夫かな?」

「・・・会いましょう。どうやってこちらの動きを知ったのか、どういう目論見があってここに来たかは不明ですが、ここまで来た以上会わざるを得ません。会って彼らの動きをうかがいつつ、その真意を計ろうではありませんか」

「ではご苦労だけれども、ここへ連れて来てはくれないかな?」

 アエティウスは有斗の言葉に無言で頷くと、彼らを迎えに行くために陣幕の外へ出た。


「陛下に拝謁いたします。私はオーギューガ家の当主テイレシアと申す者」

 目の前でひざまずく武人はぱっと見、三十辺りに見える。化粧っけは無いが、精悍せいかんで整った顔立ちの女性であった。若い頃はさぞかしもてたであろう。

「僕は有斗よろしくね」

「お目にかかれて恐悦至極」

 有斗の言葉に華麗に頭を下げて礼をする。

「要請に応じてカヒに出兵してくれたことを感謝する」

「お気遣いに感謝いたします。ただカヒとは長年の宿縁、思うところもあらば、兵を出しただけです。それを陛下に感謝されると、こちらが気恥ずかしさで身も縮む思いです」

 ひとつひとつの受け答えにそつがない。オーギューガは東北の鎮としてサキノーフ様に認定された家であるが、遥か以前より越に根付いていたという歴史の長い名家だという。さすがは名家の出だと褒めるべきであろう。

「ひとつ聞いていいかな?」

「なんなりと」

「どうして僕が北辺にいると知ったの?」

「我々は陛下が河北に来られると聞いて、一度お目にかかろうと越から足を伸ばしたのです。まさかこのようなところでお会いできるとは思いませんでした」

 そうか、と有斗はほっと一安心する。情報が洩れたってわけではないんだな。

 しかし越の軍神と名高いから、どんな猛将かと思ったら、こんなに静かな大人の女性だなんて。

 午後にコーヒーでも飲みながら、光が差し、風が吹き込む窓の横で本を読んでいる姿が似合いそうな落ち着きのある女性だ。この人が王師の将軍たちが畏れ敬う軍神だなんて。世の中には僕の想像もつかないことがいっぱいあるんだな・・・

「しかし越の軍神と名高いテイレシア殿がこんな美人だとは思わなかった」

 有斗のその何気ない一言がテイレシアの御付の従者たちの気に障ったらしい。一斉に険悪な気配になる。

 そうか彼らにしてみたら尊敬する主君が軽んじられたようでいい気はしないな。しまった。失敗しちゃったかな・・・まったく、王は軽々しく口を開くこともできないと有斗は反省した。

「ま、陛下はお世辞がお得意な様子。このうばめをからかいなさって」

 だがテイレシアは無難に軽く言葉を受け流すことで、その場を上手く丸めようとする。

「陛下、テイレシア殿はよわい五十を越えておりますよ」

 背後に立っているアエティウスが小声で有斗に耳打ちする。

 有斗は驚愕する。

 そうなのか。本当にこの世界の人間の年齢は分かりづらい。

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