第82話 適格者

 翌日、有斗は来るべきカヒや関西との決戦に備え、足元を安定させることを優先し、まずは河北に出兵して流賊を根絶することを発表した。

 同時に主だった諸侯へと参戦を求める使者が王都から一斉に派遣された。


 今回の策は王の言葉から始まったものだが、細部を修正したのはアリアボネである。

 それにこの策はちょっとしたことで大きく局面が変化する、その度に修正を図らなければならない。アエティウスは戦場では応変の才を示すし、大軍勢の指揮も見事にこなす王師の支柱だ。戦略や謀略もお手の物。だが、一度立てた戦略や謀略に固執するところがある。

 想像と違う状況が起きたときに、急ぎ修正し対応するといったことは得手えてではないとアリアボネは見ていた。

 ならば自分がついて行き、王を正しく導く軍師の役目をするしかないであろう。言い出した責任もあることだ。

 そうなった場合、問題となるのは兵站へいたんだった。まもなく兵を動かすというのに、必要な物資を全て確保したわけではない。ということは後方でアリアボネに代わって一切を取り仕切る人物が必要だ。アリアボネはこの困難な任務を任せられるだけの信頼と才覚の持ち主を頭の中で探し始めた。

 元から官僚にいる人材、求賢令で得た人材、前歴を問わずにだ。

 ベッソスかマザイオスはどうだろうか? 一瞬二人の名前が脳裏に浮かんだが、能力的には問題ないが、今すぐに彼らを中書から離すのは辛い。アリアボネがいない間の中書の仕事は彼らに続けてもらわなければならないからだ。そう、中書は朝廷の要、動かすわけには行かない。

 と、すると・・・他の適格者が思いつかない。

 ・・・

 やっと一人、それに足る人物の顔を思い出す。自然と溜め息が洩れた。

 才覚のほうは問題が無い、けちのつけようが無い人物だ。だが信頼できるかといわれれば五分五分であると答えるしかない。だが背に腹は変えられぬ。その人物を王都に呼び出すために召喚状を溜め息をつきつき書き始めた。


「軍の規模はどれくらいになりそうかな?」

 河北の賊退治ではなく、実際の目的は関西攻撃だ。どのくらいの規模で攻めかかるかは有斗でなくとも気にかかるところだろう。

「王師中軍、左軍、下軍、河北と南部諸候の一部、全部あわせて五万を越える大兵です」

「王師右軍は連れて行かないんだ?」

 正直なところ、やはり王師と諸候軍とでは、その質にかなりの差がある。それに諸侯はいつ裏切るかわからない。だからこういった大戦には、できることなら王師は全て連れて行きたいというのが有斗の本音だ。

「右軍は新兵を入れたばかり。調練もありますし、今回は王都に残ってもらって輜重を扱ってもらいます」

 アリアボネは輜重の警護を任せるのに足る者が他にいないのです、と愚痴をこぼした。たしかにマシニッサあたりにそれを任せたら横領した挙句に背後から襲うとかしかねない。

「問題は我々が留守の間、鹿沢城を誰に守らすか、だな」

 アエティウスは自身が負けただけあって、やはりバルカとかいう敵将が気にかかるのだろう。

「今回の作戦は壷関の兵を鹿沢城でくいとめることが第一条件です。人選をしっかりしないと、後々窮地に陥るやも」

「リュケネはどうだろう?」

 有斗はこういうときに頼りになりそうな将軍といえば真っ先に思いつくリュケネの名を出す。本人にしてみれば迷惑この上もない指名かもしれないが。

「リュケネ殿は下軍を統括するに必要不可欠なお方。下軍を外征に連れて行くのに、あのお方だけを外すのは合理的ではありません。同じ理由でエテオクロス殿やアエティウス殿もやめていただきたい」

「え・・・それ以外の名前なんて思いつかないよ」

 有斗が名前を覚えている将軍なんて一握りでしかない。たちまち答えに困り果てる。とはいってもベルビオやアエネアスみたいな猪武者は絶対に選んではいけない選択であることくらいは有斗にもわかる。二人に城を預けたら、敵の挑発に乗ってあっというまに乗っ取られてしまうだろう。

「それならば私にその大任をお任せくださいませんか、陛下」

 そこまで口を開かず黙って話を聞いていたヘシオネが、アエティウスとアリアボネの顔を交互に伺いながら自分を売り込んだ。

「そっか、ヘシオネがいたね。どう? 本人はやる気みたいだけど?」

 有斗が同意を求めてアエティウスに視線を投げかけるが、アエティウスは不同意なのか視線を反らした。

「私では不足か? アエティウス」

「あ、いや、そう言われると困ったな・・・もちろん、ヘシオネ殿なら不足などあろうはずがない。ただ・・・」

「ただ・・・? なんだ?」

「その・・・なに・・・征西にハルキティア公の兵力を当てにできないのは辛いと思ってな」

 取ってつけたような理由に、明らかにアエティウスはヘシオネを鹿沢城の留守居役にするのに難色を示していた。

「諸侯の兵なんて飾りさ。主力は王師、違うかい?」

「それは・・・そうだが」

「それに、なんならハルキティアの兵は連れて行ってもらっても構わない。代理の者に率いさせる。私は所詮、代理であって本物の公爵と言うわけじゃない。自由な身さ」

「・・・・・・・・・」

 黙りこくったアエティウスに代わって声を上げたのはアリアボネだった。

「陛下、ヘシオネ卿の御言葉、もっともです。是非そうなさいませ」

「アリアボネまで・・・弱ったな。これじゃ同意するしかない」

 アエティウスの言葉に、アリアボネも同意をしたのなら、と有斗は了承代わりにうなづいてみせた。

「陛下ありがとうございます」

 ヘシオネが有斗に深々と叩頭する。


 アリアボネはアエティウスがその場では口にしなかった、ヘシオネを鹿沢城留守居役に据えたくない本当の理由を見抜いていた。

 これから有斗がこのアメイジアを平和にするというのなら、臣下として何よりも評価の値となるのは武勲である。

 その対象は兵を率いる者、すなわち王師の将軍と諸侯と言うことになる。だが王師の将軍や普通の諸侯は常日頃、王とめったに会うこともないし、国政に大きく参与することもない。

 だがヘシオネは違う。ヘシオネはハルキティア公の代理人であるだけでなく、後宮の有斗の部屋にも立ち入れる、アエティウスと同格の人物なのだ。

 アエティウスは今後の政権運営のことを考えると、ヘシオネにあまり功を立てられたくはないのだ。有斗の下にはまず自分が居て、その下に他の全ての臣下がいればいいと思っている。

 だがアリアボネにしてみれば、その政体は不安定で危険な形に見える。アエティウスに権力が集まりすぎることになる。アエティウスが叛意を抱いたとき、有斗を守る者がいなくなるし、アエティウスが失政をした場合に、王がアエティウスを上手く切り捨てられずに、もろともに破滅する可能性がある。

 だからむしろアリアボネはヘシオネに功を立てさせ、有斗の足場を増やしておきたかった。

 それはアエティウスの望んでいることとは違うが、アエティウスのためになることでもあるとアリアボネは思う。突出した権力の持ち主は嫉妬と反感を集めやすい。権力が複数分散していれば、嫉妬も反感も分散するのだ。ヘシオネがアエティウスと反目し、権力を握ろうとするようなあくの強い人物なら排除もやむなしだが、そうでないなら逆に、アエティウスの身を守ることに繋がるに違いない。

 アリアボネはヘシオネにも不足な点はあるが、全権を与えずに城を守ることを厳命すればなんとかなる程度の器量はあると踏んでいた。


 本当のことを言えば、アリアボネは本当はそれに相応しい人物に一人心当りがあった。

 バルカ卿の上げた武功を吟味ぎんみすれば空恐ろしいものを感じる。アリアボネも滅多なことでは他人に影も踏ませやしないだけの才覚を所持していると自負しているが、そのアリアボネとアエティウス二人掛かりで戦っても勝てると言い切れないだけの人物とさえ思っていた。ひょっとするとバルカ卿を上回る軍才の持ち主は関東の朝廷にはいないかもしれない、そうも思う。

 しかし方法が無いわけではなかった。ようはその軍才を振るわれる心配の無い状況にしてしまえばいいのである。そういった権謀なら、アメイジアに冠する才を持つ人間にアリアボネは多いに心当たりがあったのだ。

 だが、それをその場で口に出すことは差し控える。その者を重職に就けることに有斗の同意を得られないことがわかっていたからだ。

 ・・・ならば、アリアボネが自己の権限を使い、自己の責任において彼女一人の判断でやればいいだけのことだ。失敗した時の責任は全て彼女がとればいい。


「久々の王都。やっぱりここはいいねぇ」

 彼女は久々の王都の空気を満喫していた。

「田舎と違って活気がある。郡司ってのはさ、退屈で退屈で。まともな仕事がありゃしない」

 中書省のアエネアスを訪ねてきたのは、地方に左遷されたラヴィーニアであった。

「で、あたしを赴任先から急遽呼び出したってのは何なのさ? あの王様のお許しでもでたかい?」

「いいえ」

「・・・なかなか許してもらえない・・・か。まぁ仕方がないわね。ところで結構な騒ぎだね。また出陣するとか」

 王都の中は出陣に備えて軍事物資が集積されつつある。そのおこぼれに少しでも預かろうと商人たちが商魂しょうこんたくましく駆けずり回っていた。

 その混雑を細い体躯からだいっぱいに感じて王城に入ってきたのだ。ラヴィーニアにも心躍る光景だった。それに自分が関わってないことだけが残念だった。

「ええ。そのためにとどこおりなく糧秣を手配できる人間が必要なのよ。あなたにそれをしてもらいたいの」

 なんだ自分を呼び出したのはそんなチンケな用件だったのか、ラヴィーニアは不満げに鼻をならした。

「アリアボネがすればいいんじゃない? 誰よりも得意でしょ? 計算は」

「私は今回は陛下のお供をします」

「女連れで出兵か・・・ずいぶん余裕じゃないのさ。それにしても補給程度の任務ができる官僚くらい宮中にいないわけじゃないだろ?」

「今回はちょっと事情が特殊なの。この任を任せられるのは商人に顔が広い貴女しかいない。それに陛下に貸しを作ることになるわ。貴女にとってもやりがいのある仕事よ」

「そう聞くと、やってあげてもいい気はするな」

 ラヴィーニアの言葉は何故か一段高いところ、上から目線で放たれた。

 アリアボネは文机に積まれた書類の中から一枚の書類を探し出すと、ラヴィーニアに突きつける。

「そしてもうひとつ、ここへ行ってもらう」

「え? また移動かい? せっかく今の仕事になれたって言うのにさ」

「文句言わないの。はい、赴任の命令書」

 尚書の署名と中書令の印が押された紙を一読して、フンと鼻をならした。

「また、めんどくさいところに行かせる。王の嫌がらせかな?」

「違う。私が選んだ。あなたの頭脳が必要になると思うわ」

「ハハン。そういうこと・・ね」

 ラヴィーニアは命令書を小さくたたんで懐に入れた。

「鼓関を封じなきゃいけない事態が起こるというわけか。すると膨大な食料が必要になるな。保存食の塩、馬の飼葉かいば、矢や予備の武具。立て続けの出兵で使ったから在庫は少ないだろ? 予算はある? 軍票を使う許可は最低限欲しいな」

 するどい、とアリアボネは思った。そしてラヴィーニアの叡智に満足すると同時に、惜しいとも思った。

 これだけのことで次の布石を見通せる才を辺境に追いやれるほど、今の政権に人材が豊富というわけではないのだ。一人の人間ができることなど限られている。ましてやアリアボネは体に病魔を住まわせているのだ、一人でも有為の人材は手元においておきたかった。

 でも陛下はまだお許しになってはいない。

 王城で顔を会わせたりしたらどういうことがおこるか。アリアボネは一人ため息をついた。

「軍票は必要だと思う数だけ貴方が発行すればいい、後始末は私がやります」

「それはなにより」

 その変事に満足そうに頷くと、ラヴィーニアは手をこすり合わせて笑みを見せる。

「そうだ」

「なに?」

「関西を攻めるのにどういう方策を使うんだ? 北から? 南から?」

 アリアボネの返答を待たず、ラヴィーニアは言葉を続けた。

「そうだな・・・海路じゃ補給も難儀だし、補給線も伸びきるし、港湾を押さえる兵を残さねばならない、退却だって容易ではない・・・とすると、あの朽ちた桟道を修復するか北周りってことか。今の関東の力で関西を攻める・・・か。壷関が難攻不落の要塞とはいえ、それを無視して迂回するとはとんでもない代案を思いついたね。さすがはアリアボネ」

 やはり、この策は上手く行くかもしれないと思った。ラヴィーニアですら考えてなかったというなら、なおさら関西には我々の動きを察する人物はいないはずだ。

「関西を攻めるとは一言も言ってないわ」

「ふふん。わかったわかった、そういうことにしておいてやるよ」

 一旦出て行こうとしたラヴィーニアだったが、出口付近で足を止める。

「そうだ。退屈している私の脳にたいそうありがたい暇つぶしを下さった美人軍師様に耳寄りな情報をおひとつ」

「何?」

「ステロベ卿を知っているね」

「関西の名将の一人ね、知らないほうがおかしい」

「アレは落ちる」

「・・・・・・どういうこと?」

 ラヴィーニアの言葉に驚き、アリアボネは書きかけの書類から顔を上げた。

「ステロベ卿は関西の背骨とも言っていい忠義の士よ。たびたび女王にも諫言かんげんしているほどのお方。権に興味なく、真心忠心を持って女王に対しても正言をぶつける気骨のある人物として、その名は関西だけでなくアメイジア全域にその名が知られた武人よ。その御仁が裏切るとでも?」

「その諫言の内容を知っているかい?」

「いいえ」

 知るわけが無い。そのような関西の機密情報を。それを知る者は書を受け取った関西の女王だけであろう。

「あたしは知っている。一通残らずね」

 アリアボネは驚きで目を見開いた。もしそれが本当だとすれば、彼女はいつか来る関西攻めのその日に備えて、ずっと関の向こうすらも監視していたということか? 生きているうちにその日が来るとは限らないのに・・・? 私すら陛下が攻めると言うまでは、関西のことなど考えてもいなかったというのに・・・! ・・・やはり・・・この才は必要だ、陛下が天下を手に入れるには・・・!!

「その諫言の内容を熟考すればわかる。ステロベ卿は女王、いや関西の朝廷の忠実たる臣として忠言しているんじゃない。あれは朝廷を支える社稷しゃしょくの臣として名を上げたいという表現の表れなのさ。功名心、歴史に自分の名を残さん・・・ってやつだな。何が何でも関西の朝廷に命を捧げるという、正確な意味での忠臣ではないのさ。すなわちステロベ卿に、もし関東の王こそ、このアメイジアに必要な王だと認めさせれば・・・、いや思い込ませるだけでもいい、それに成功すれば」

「成功すれば?」

「やつは寝返る。すると関西に一将軍、一軍の裏切りという実質的な損害だけでなく、心理的に大きなを圧力を加えることができるだろうな。それはステロベ一人に納まらない。関東の大軍を目の前にした関西の諸侯の心理に大きな影響があるはずさ。ステロベほどの忠臣が寝返ったのだ、自分が寝返ったとしてもなんら恥じることは無い、とね」

 もし、とアリアボネは思う。もし、それに成功したら関西を半分手に入れたも同然だ。前代未聞の大功といえるだろう。

「だけどステロベ卿にも体面がある。面子めんつってやつがな」

「・・・」

 見事にアリアボネが押し黙るのを見て、ラヴィーニアはにやつく。アリアボネほどの人を驚愕きょうがくさせることができたということは、彼女にとっても愉悦ゆえつに値することだった。それにアリアボネに少しは貸しを返しておかないと寝覚めだって悪いというものだ。

「そこをうまくつつくんだね」

「あなたならどうするの?」

 ラヴィーニアは心底楽しそうに笑った。

「全部教えたんじゃあ・・・さすがにおもしろくないだろ? 榜眼ぼうがん様なら探花の私なんかより、よほどいい策を思いつくはずさ」

 もう一度ククク、と低い声で実に楽しそうに笑った。

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