第79話 両雄激突

 そこは田畑が広がる一面の平地。それでも布陣によって、有利不利は存在する。

 冬の田は収穫が終わり水が抜かれているとはいえ、稲の切り株が残る。畑のほうは白菜と大根が残る上、うねは土も柔らかく足を取られる。

 しかも用水路は天然の堀、農道は盛り上がっており、城壁の代わりになる。

 双方お互いの姿が見える距離になった、普通ならもう布陣する距離だ。だがバアルは布陣をせずにまだ行軍を続けた。

 狙いは明らかであった。双方の中間に位置する東西を通る大きめな農道とその横を流れる用水路を、天然の城壁と堀に見立てて確保する狙いだ。

 しかしアエティウスは慌てなかった。なぜなら例えアエティウスが兵を走らせて農道を確保しても意味は無い。防衛面に当たる南側には用水路が無い。しかるに陣地内に当たる北側に幅一メートル強の用水路があり、布陣するには難がある。だからここはあえて関西勢にあの地を取らせ、距離を開いて布陣しおびき寄せようと思っていた。

 もしくは布陣したところを左右どちらかから後方に迂回させ挟み撃ちにするのも悪くない手だ。

 長期戦になったとしてもかまわない。必ずいつかは敵も出てこざるを得ない。なぜならアエティウスの背後には鹿沢城があるので補給に難はないが、バアルの後ろに壷関は無いのである。ざっと見るところ数は一万三千、大部隊だ。手持ちの糧食はすぐに尽きることだろう。

 壷関に戻るためには、嫌でも前面を塞ぐ我々を攻めるしかないのである。ならばわざわざあの農道を巡って争う必要はない。

 そうアエティウスは判断した。


 農道は馬踏ばふみ(頂上部)が一メートルしかなく、兵を展開させるには少し空間が不足しているように感じる。幸い根敷ねじき(基底部)も二メートルほどしかなく切り立った形をしているため、防衛には思ったより強い力を発揮してくれるだろう。

 しかし、とバアルは苦笑する。それは敵がこちらに攻め込んでくると仮定した場合だ。敵将はその手にはのってくれそうもなかった。一刻経っても微動だにしない。どうやらなかなか手強く思慮深い敵将のようだ。布陣した陣形を見ればそれが明らかだった。軍旗が店頭に並べられた商品ででもあるかのように美しくならんでいる。一糸乱れぬとはまさにこのことだ。

「しかし弱った」

 助けを求めた氏族に援軍を送ったという事実だけあればよかったのだ。長期滞在できるだけの輜重はつれていないのである。彼らが素直に関西行きを同意してくれるなり、援軍を謝し、我らは土地を離れるのは出来ぬので帰られよとでも言ってくれれば今の苦労は無かったのだが。

 時間を浪費することなく敵に気付かれぬまま壷関に兵を退くことが出来たであろうに。

 とはいえ関西が彼らをどう扱うかということを全南部諸侯が注視していると思うと、うっかり文句も言うわけにもいかない。

 夕日があたりを赤く照らし出しても、関東勢に動く気配は無い。

 夕闇が襲い掛かるまでわずかな時間だ。暗くなったら勝っている方も闇夜の中は追撃しずらいし、負けた方とて逃げるのが容易である。

 良くない結果が起きても被害は抑えられる。翌朝までに陣を立て直させることも比較的容易だ。

 兵力は五分。ならば兵の士気が高い今、いちかばちかで短時間の争いをするのは悪くない選択肢だ。両者とも相手がそれを選択することを切に願っていた。

 だが両将軍とも動かない。

 どうやら敵は必要になればいくらでも気長に待てる男のようだ、やっかいだなと、バアルもアエティウスも同じ結論に達する。

 相手を誘い出そうとする局地的な小競り合いはあったものの、翌日も両軍は大きく動くことは無かった。


 事態が動いたのはさらに次の日の早朝だった。盛り上がった農道を天然の土塁に見立てて陣地防衛をしていた関西勢だったが、東西の端に行くにしたがって農道は高さを減じており、一メートルほどの用水路が水壕となっている他は障害物が少ない。

 それに本陣からの距離が遠い、直ぐには即応の対処はできかねるであろう。

 もちろん平野での布陣だから両陣営とも夜討ち朝駆けの警戒はおこたらない。

 だが怠らないことと睡眠はまた別問題である。警戒している見張りの兵以外の兵たちの多くは睡眠を貪っていた。

 アエティウスは敵が眠りについている間に、その右翼に持てる騎兵を集中配備し、一点突破を計ることとする。

 アエティウスはベルビオに命じて、東の空から陽が影を落とすのと競争するように騎兵を走らせた。

 まだ大地はくらい。陽が大気の中に馬影を形作ることをバルカ隊の見張りの瞳が認識した時には、馬は水壕を越え、未だ就寝中の兵士たちの横を駆け抜けていった。

「奇襲だ!!!!」

 見張りは慌てて大声で告げた。

 早鉦がなり、兵士たちは一斉に飛び起きる。寝ぼけまなこに槍をあわてて構える者もいれば、敵襲に混乱し背を向けて逃げ出すものもいた。

 闇の向こうでうごめく様子はまだアエティウスの目には見えない。

 だが、皮膚に伝わる空気でこれから何が起きるかわかる。騎兵で左翼を強襲されたのだ。一旦は全面攻撃を想定し、前方を警戒するだろうが、攻撃がないとわかると、敵は左翼を突破してからの片翼包囲を狙っていると考えるのが普通だ。主力を左翼に振り向けるに違いない。

 そこで一呼吸置いてから、アエティウスの歩兵部隊は薄くなった正面を突破し、大きく回りこんだ騎兵とともに後方から痛撃を与える。

 薄明かりでよく周辺が見えない薄明はくめいのうちだからこそ、取れる作戦である。

 前方で何かが移動する音が聞こえてきた。おそらくは兵が左翼に移動している物音だろう。ということはそろそろ作戦も次の段階に移らねばならない。

「よし、そろそろ動き出すぞ」

 アエティウスの指令と共に兵は槍を構えて一斉に動き出す。

 前方には農道と水路がある。だが今やその上に配置されていた兵はいないはず。いや、まだいるとしても極少数だ。

 突破するなど造作も無いことだ。


 近づくにつれ、前方に見える影が大きくなる。その速度が少しばかり速い。思っていたより農道の土塀は近かったということだろうか? 

 いや、それにしても近い。薄明がそう思わせるのだろうか、アエティウスは疑義の念を抱いた。

 突然光が差し込む。太陽が東の山岳の稜線を越えたのだ。

 すると、目の前の影が正体を現す。土塀ではない。あっとアエティウスは息を呑む。土塀だと思っていた影は突如としてこちらに向かってくる大勢の兵へと変貌した。

「何!!?」

 だが驚いたのはバアルも同じだった。彼も前面に兵がいるとは思っていなかったのである。

 左翼を騎兵隊が襲撃し、戦線を突破されたと聞いて、バアルは左翼のほつれを修復する意義を見出せなかった。

 敵は左翼を壊乱させたのだ。半包囲をするか、騎兵を後方に回り込ませる作戦を取るはず。すなわち、防衛線がその役目を果たさないのなら、もう農道を防衛線として守りきる作戦は捨てるべきと考える。

 それに左翼の救出に兵を出しても泥沼の消耗戦に引きずり込まれるのがオチである。

 だが考えようによってはこれは好機だと思った。

 関東の王師中軍は左翼に兵力を集中していると考えてもいい。つまり正面は兵力が少ないはず、ひょっとしたらいないかもしれない。

 ならばいっそのこと、我々は前に進み、敵の薄くなった防衛線を蹴散らし、街道を北へ北へと走るべきだ。そして敵の追撃を振り切ればいい。

 バアルの目的は敵軍の打破ではなく、壷関に帰還することであるのだから。

 そう思ってバアルは後ろや側面の敵を無視し、全部隊を前進させることにした。まさか敵がまだいるとは想像外だった。


 双方が相手に向けて走っている最中に敵の存在に気付いたのだ。だからといって立ち止まるわけにも行かない。もう敵は目の前なのだから、ぶつかっていくしかない。勢いをがれたら、押し切られるのだ。

 だから双方の接触は槍合わせもそこそこに、近接戦闘から始まるという、戦の常道からはかなりかけ離れたものとなった。陣形を崩しての白兵戦、いや乱戦である。予期せぬ接近遭遇に隊列も乱れていれば、目の前の敵にどう当たるかといった戦法もなかった。兵たちも伍長も旅長も眼前の敵とただ戦うのみ。

 だがバアルのほうに有利な条件がひとつだけあった。騎兵を持っていたことだ。

 対するアエティウスは持てる騎兵を全て右翼に集中し使い切っていた。機動力に欠けた部隊だけだった。

 ここが勝負の分かれ目になった。

 バアルは騎兵を敵の左翼に回りこませ、陣形も整わぬ敵の柔らかな横腹に襲い掛かる。一瞬、ひるむものの、さすがは王師中軍だ、持ちこたえ、槍を一斉に突き出し敵を押し返す。だがその一瞬が全てだった。アエティウス達の意識が左に向いている間に、バアルは前面の敵の真ん中付近に重装歩兵を叩きつけた。

 一度穴が開くと戦列の崩壊は早かった。バアルは続けざまに兵を出し、穴を広げて中央突破を行う。

 アエティウス率いる左翼部隊は三方に敵を抱えることになり、苦戦におちいった。


 当初、バアルは三方から攻撃しても殲滅せんめつする気はなかった、さっと兵を退き壷関に帰るつもりだった。

 長時間戦うと南部諸侯の援兵も来るとは限らないし、どうも兵力的に見ると五分五分であるようだ。戦場では一つの選択が勝敗をひっくり返すことがある。優勢に見えてても油断は出来ない。

 だが真ん中で兵を指揮している金髪の男に目が留まる。あの金髪には確かに見覚えがある。

「たしかあれは・・・このあいだ、壷関に攻め込んだ将・・・!」

 王は左軍と共に王都へ帰ったと言われている。ということはあれは王でも左軍将軍エテオクロスでもなく、ダルタロスの長、アエティウスということになる。

「充分すぎる大物だな。ならば是非とも討ちとりたいものだ」

 バアルが合図を送ると、兵たちは三方から一斉に金髪の将を目掛けて襲い掛かった。


 アエティウスは三方を敵に囲まれても、真ん丸になって体勢を立て直し、持ちこたえ続けた。

 しばらくすればベルビオたちが長駆して助けに来てくれるのだ。踏ん張れば命が助かると力戦した。

 だがバルカ隊の将士もそれはわかっている。だからこそ短期で勝負をつけようと死に物狂いだった。

 だが押しても押しても最後の一歩が押し切れない。逆に何度も退けられた。

 バアルは後方を確認する。騎影がもうもうと砂煙を上げていることを見ると、

「ここまでだな」と、遂に退くことを決心した。

 王師中軍の半分の歩兵と後方に回り込んだ騎兵隊がやってくるまでに、この地から離れなければならない。このまま目の前の敵を倒すために兵力を注ぎ込んでも、時間的には全滅させるよりも援軍が到着するほうが早いであろう。そうなれば今度は攻守ところを変えることになる。背後に回られるバルカ隊のほうが圧倒的に不利になるのだ。

「兵を退く。敵に構うな」


 ベルビオ率いる騎兵が変事に気付いて駆けつけた頃にはバルカ隊は既に北に向けて立ち去っていた。

「追いかけますかい? 若」

 ベルビオが首でバルカ隊の消えた方向を指し示した。どうやらベルビオはまだ戦い足りないらしい。

「いや・・・追いかけようにも敵に正面突破されたことで兵の士気も落ち込んでいる。ここまでだろう。我々も潔く退くとしよう」

「残念です、若。勝てると思ったのですが・・・」

「戦は兵家の常、それに捲土重来けんどちょうらいの機会はまた来るさ。その時を楽しみに取っておけばいい」

 だがアエティウスの声は心とは裏腹に、どことなく残念そうな響きがあった。その言葉はベルビオではなく自分に向けられているのかもしれない。

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