第75話 人之將去 其言也善

 諸臣が王に叛意を抱いた理由は簡単である。

 自らの才覚に相応しいだけの待遇を王から受けていないと思ったからである。

 有斗は官位を上げ、先非を問わないことで彼らに配慮をした。正確に言うと配慮をした、と有斗だけが思っていたと言うべきか。処罰もしなかったし、職を取り上げることもしなかった。だから彼らは感謝して仕えてくれるものばかりと人のいい有斗は思っていた。

 だがそれはあくまで賞罰をする側の論理である。

 彼らの認識では、王は天与の人かもしれないが、相変わらず無能でこの世界のことを知らない少年でしかなかった。新法派に利用されていたのが、今度は南部貴族に変わっただけであるという認識だった。

 なぜなら国家を運営する以上、有能な官吏を適材適所に使ってこそ、有能な王であるという思いは彼らには根強い。この場合の有能な官吏とは他ならぬ彼ら自身のことであり、決して南部の人間たちのことではなかった。そして有能な人材である以上は、王に評価されるのも、職を与えられるのも、当たり前のことで、それを感謝の材料にするなどというまっとうな考えも、彼らの中には存在しなかった。

 しかし公卿の職こそ彼らが多くを占めていたものの、中書や尚書といった文官の要、軍や近衛をはじめとする軍官の要に彼らはいない。

 つまり南部の人間や求賢令などで集められた胡散臭い人材が要職で働いているという現実は、彼らにとって不快以外のなにものでもなかった。

 もし王が無能でなく、個々人の実力を把握して官吏を任命しているとするならば、彼らは自身がその胡散臭い人物以下であると認めることになる。

 彼らのプライドに懸けても、それだけは認めるわけにはいかなかったのである。

 だから己が無能でないと思うためには、逆説的に王が無能でなければならなかった。

 もちろん、それを公の反乱理由にはしない。もっともらしく態勢は整える。混乱をもたらした新法を廃止しようとしないだの、民をかえりみず、立て続けに出兵をするだの、美貌の中書令の操り人形にすぎないなどといったふうな具合にだ。


 さてさて、こういった動きはアリアボネに看破できなかったのか?

 いいや、それは誤った見方だ。アリアボネは当然既に気付いていた。対応をしていなかっただけなのだ。

 見逃したのは理由がある。まず具体的な行動計画が練られた形跡が無かったこと。さすがにこんな時代でも、王に不満を持っていることだけを理由に罰するというのは無理がある。道理が通らない。それに軽々に罰して、彼らの警戒心を煽り、アリアボネの手が入り込めないような深さでことが行われたら、防ぎようがない。

 ・・・と、ここまでがアリアボネが有斗に告げていた公の理由だった。

 本当の理由は相手が行動を起こすのを待っていたのである。

 反乱を企み実行したという、誰からも非難されるいわれの無いほど明確な公職からの追放理由が欲しかったのである。てぐすね引いて乱が起こるのを待ち構えていたのだ。


 革命を起こしたものや、征服者が新しい政権を作るときに必要になるのは、実は古い権力構造で働いていた人材だったりする。

 長い年月に蓄えられた知識、先例、人脈が官僚機構を動かすには必要なのだ。

 この時、古い権力構造を残せば残すほど、皮肉なことではあるが新政権は初期から安定する。新しく権力を握った人間は大概の場合理想こそあれど、どうやって政権を運営していけばいいか分からないからだ。だが、そういった人間を残せば残すほど、新しく権力を持った理想家たちも周囲に影響されて体勢に取り込まれてしまう。その結果、変革は掛け声倒れ、中の人間が変わっただけという事態が多々起こりうる。

 それでも看板が変わったからには良くなるに違いないという思いこみだけで庶民は喜び、官僚は職を失わずにすみ、新しい権力者は理想などそっちのけで権力の行使に酔いしれる。全てが喜ぶのだからいいではないかと言う者もいるだろう。

 だけれどもアリアボネは有斗にそれで満足してもらっては困るのだ。

 それではまがいものの天与の人だ。この世に平和をもたらすということが有斗の理想ならば、その実現にするべきことは何かと言えば、権力を王に集中し、全てのものを王の支配下に置くということだ。

 今の官僚組織は肥大化して王のコントロールを受けない部分も多い。

 それに官僚たちも権限や権力を持ち、王をないがしろにする言動が多い。

 根本から王権を立て直さないと、いずれ王は飾りものとなり、官僚たちが思うがまま国を動かすことになるだろう。

 そう、今の関西の宮廷のように。

 ならば四師の乱の時に一気に官吏の首を切ればよかったのではと思う人もいるかもしれない。

 だがあの時大量の官吏を一度に解雇してしまえば、その代わりを務める人材がいなかった。それに残された官吏も動揺する。結果として国が倒れてしまっていただろう。


 しかし今は違う。求賢令のおかげもあり、そこそこ有能な人材を新しく抱えることが出来た。

 まだまだ指示をしないと仕事も満足に出来ない状況だが、日々一日と彼らも一人前に近づいている。

 それになにより重要なのは彼らは旧権力に迎合していないということだ。右府や亜相の派閥に入り込もうといった動きをする者もいないではないが、中書や尚書に勤めている者は、王がアリアボネの言うことを重視していることを目の当たりにしているだけに、旧権力とは距離を置くものが多い。

 いずれは彼らが王を補佐する能臣になってくれればという思いもある。


 ということで是非とも派手に反乱を起こして欲しいな、とアリアボネは反乱を企む不届き者たちの行動を心の中で応援していた。声援をおくってやりたいほどだった。

 反乱に加わる人数が多ければ多いほど、政権内の旧勢力を排除できることになるのだから。

 反乱を鎮圧すれば、以降、王に抵抗する者は少なくなるに違いない。残った朝廷内の旧勢力から権限をがすことだって容易になることだろう。


 一方、その頃、鼓関では再建作業に兵士たちが駆り出されていた。

 燃え落ちた木材を外に出し、再び兵舎やら厩舎やら外壁の焼け落ちた門扉を再建し次なる戦いに備えなければならない。

 そんななか、西京鷹徳府さいけいけいとくふから予期せぬ客がやってきた。

 関東の軍と戦い、敗北したとの一報を受け、鼓関こかんにやってきたのは武部ぶぶ僕射ぼくや、勲功調査をつかさどる官だ。

 ただ武部僕射は左府の股肱ここうをもって自他共に知られる男だ。実際は左府からバアルへの譴責けんせきの使者とみてよいだろう。同行する人物に中立派で温厚で知られる尚書令がいるのは、左府との仲が悪いバアルを気遣きづかった王女の配慮であろうか。

「勝敗は兵家の常。とはいえ今回は五千もの兵を失うという古今未曾有の大敗北だ。しかもあやうく壷関を落とされるところであったという。亡くなった将兵の家族の為にもさすがに罪を問わねばならぬだろう。してグナエウス卿、此度の戦の敗因は何とお思いか?」

 その問いにグナエウスは沈痛な面持ちで返答する。

「逃げた敵を囮とは思いつかず、三方から挟まれる必敗の形に持っていかれたことだ」

「グナエウス将軍ほどの人が囮に気付かぬとは・・・何か理由がおありですかな?」

「囮となった敵が当初想定した敵の数とほぼ同じであったのだ。それで囮だとは気付かなかった」

「ほう・・・! すると間違った情報が将軍の判断を狂わしたということですね!」

 武部僕射はちらとグナエウスを見る。

 そういうことか、とバアルはようやく納得した。

 おそらくグナエウスが派遣された時に、このくだらない茶番劇は左府との間で話し合われ用意されていたに違いない。

「ということはバルカ卿がこのまえ提出された、敵を討ち取ったという報告が嘘だったということですな!」

 筋書き通りに進むこの茶番劇に、どう抗弁するものか。そうバアルが考えようとするや、よこから反論の声が上がった。

「いや、バルカ卿の報告は正しい。私がバルカ卿の言を聞かず、敵を過少に見積もり、敵を追ったことが敗因だ。今回の敗北は敵の策を見破れなかった自分にある」

 おもいもよらない方向からの援護にバアルは気が動転する。戦場で奇襲を受けて四方を囲まれても、きっとこうなることはないといったほどの狼狽ぶりだった。

「なんですと!」

 おどろいたのはバアルだけではない。武部僕射も、バアルをかばおうと弁明を考えていた尚書令も驚いた。

「・・・・・・本当にそれでよろしいのか!?」

「くどい。武人に二言は無い。他の将士は命令に従って己の責務の限り戦った。責は上将軍である自分にある。存分に罰せられるがよかろう。覚悟は既に出来ておる」

 武部僕射は予想と違うグナエウスの返答に頭がクラクラとする。

 ここが二人きりなら気は確かかと問いただしたいところであるが、尚書令のいる場での発言だ、勝手に訂正も修正もできない。

 グナエウスの裏切りに左府様も大いに失望することであろう。武部僕射は大きく溜め息をつくと、尚書令としばし話し合い、決定を告げた。

「グナエウス卿を上将軍の地位から解任する。傷ついた諸侯の軍は解散する。配下の兵は後任の者が決まるまでバルカ卿が与ることとする」

 グナエウスとバアルは武部僕射に大きく頭を下げて了承の意を表した。


 バアルは先ほどの件に感謝の意を伝えるべく、グナエウスの部屋に向かう。そこでは荷物を片付け、書類を整理して、去る準備に追われているグナエウスの後姿があった。

 上将軍という権威が失われたからか、その後姿はやけに小さく見える。

「あと片付けですか。手伝いましょうか?」

 バアルの声にもグナエウスは振り返ることなく荷物をまとめていた。

「なに、身一つでここに来たのだ。そう手間はかからんさ」

「私に責を負わせればよかったのに」

 あくまでグナエウスはバアルのほうを一切見ようとはしない。たぶん人間的に合わないのだろう。とにかく好きではないことだけは間違いない。しかし・・・だとしたら何故、バアルを守るような発言をしたのだろうか?

「借りは返すといったはずだ」

「しかし・・・これでは・・・左府殿の恨みを買うのでは?」

「問題ない。どうせこんな失態をしたのだ。良くて免職か、身分を庶民に落とされるか・・・悪ければ打ち首だ。左府様とは今後関わりあうことなどあるまいよ」

「しかし・・・!」

 いくら官を辞しても、政界の有力者である左府の恨みを買ったままでは、生きていくのにも苦労するはずだ。いやがらせのひとつやふたつだってあるだろう。

 それに借りがあると言っても、あれは戦の流れの中でのこと。主将を救うのは補佐の将軍のつとめ、バアルにしてみればあくまで職務に忠実であっただけで、グナエウスが自分の人生を投げ出すまでの格別なことをしたわけではない。

 そう狼狽するバアルにグナエウスが投げかけた言葉は意外なものだった。

「・・・卿はあの策を見抜いていたか? あんな何かひとつが上手く行かなかっただけで崩壊する、どう考えても愚策でしかない策を。そしてそれを使ってくる人物がいるということを予測できたか?」

「・・・いいえ。残念ながら」

 そう、見抜けなかった。見抜けるだけの情報は無かったわけではないのだ。

 だが常識が判断することを妨げた。全ては自分の不明を恥じ入るばかりだ。

「そう、敵は兵理を超越した、おそるべき兵略の持ち主であるかもしれんということだな。だとすると鼓関という難攻不落の要害があったとしても、我々は今までのように惰眠だみんむさぼっている場合ではない。違うか?」

「はい」

 そうだ。今回はさらに付け入りまでされてしまい、外壁一つを突破されるという醜態しゅうたいさらしてしまった。偶然だなどと甘く見て、用心しないでいると今度は鼓関そのものを失陥することだってありうるかもしれない。

「ならば国難にあたる今こそ、関西第一の勇将を持って、その防衛に充てることが必要だとは思わんかね」

「グナエウス卿・・・」

 グナエウスはバアルの肩を二回軽く叩く。

「左府の為とか、王女の為とかではなく関西全ての民の為だ。よろしく頼むぞ」

 そう言うとグナエウスはわずかばかりの荷物を持って扉を開け、挨拶もせずに廊下を歩き出していた。

 その後姿に思わずバアルは大きく揖礼ゆうのれいをする。

 きっとグナエウスは振り帰らない。バアルを見ることは二度とないだろう。

 それでもだ。それでもバアルは去り行く老将にそれをせずにはおれなかったのだ。


 見事だな・・・実に見事な去り方だ。


 どんな人物にも何かから去らねばならない時は必ず来る。友であったり、恋人であったり、職であったり、夢であったり・・・あるいは人生だったり。

 自分にも訪れるであろう『その時』が来たときに、ああいう見事な去り方ができるのだろうか?

 バアルにはそう言いきれない自分が少しだけ悲しかった。

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