第63話 包囲網を破れ!(Ⅴ)

 三万にふくれあがった大軍を持って、有斗はクェンドラ伯の城を包囲した。

 もし有斗らが鹿沢城を出発したのを知って、カヒが大河を渡って南部に入ったと仮定すると、そろそろ接敵してもおかしくない。

 そうなればマシニッサも様子見などとは言ってはいられまい。おそらく敵に回る。

 城攻めの間も偵騎を出し、なおかつ周囲には不意の奇襲に備えて陣を敷いた。

 アエティウスの言を信じるなら、この三万の兵を持ってしてもカヒに勝利することはおぼつかない。その場合どうするのか、と有斗が聞くと、南京まで引き込んで、篭城戦で敵の兵糧を切れるのを待つしかないとアエティウスは答えた。

 その為いつでも退却できるよう、退路を確保しつつ慎重にクェンドラ伯攻めは行われた。

 堀があるとはいえ、平地に築かれた城だ。

 初日に攻城櫓こうじょうやぐらをつくり、二日目にそれで接近し、堀を埋め立てる。三日目には塀を壊してあっけなく陥落した。

 有斗はトゥエンクの地へと馬を進める。最後のひとつマンドゥリアの地はトゥエンクの北西、南部と畿内の境にある。マシニッサとカヒに対する示威行為も兼ねてゆるりと進むことにした。

 マシニッサも数日前に軍を出したとの報告があり、一気に本陣は緊張が高まった。

 そんな中、マシニッサから使者がもたらされた。

 だが意外なことにマシニッサがもたらしたのは朗報であった。


 王師が着実に反乱者を潰しているのを知り、怯えるマンドゥリア伯に対して、マシニッサの長い手が伸びた。

 先に大河の東岸に集ったカヒの兵は、続々と畿内へと渡河しつつある。王の強運もここまでだ。共に戦おうではないかとマンドゥリア伯に申し入れたのだ。

 マンドゥリア伯はこれに飛びついた。

 相手がマシニッサなのが不安ではあるが、現実にカヒの兵が渡河し、王師と交戦したとの一報はマンドゥリア伯も既に掴んでいた。常勝無敗をうたわれるカヒの騎馬軍団が相手では、いくら王師といえど勝ち目は薄い。それに加えて動きの遅い関西かんせいもさすがにそろそろ兵を出すだろう。ということはいくらマシニッサでも裏切ることはあるまい。そう結論づけたのだ。

 それに条件をつけた。

 主戦場はおそらくマンドゥリアになるであろうことから、援兵を求めることにしたのだ。

 ただしマシニッサ自ら兵を率いてくることは拒否し、指揮権はマンドゥリア伯が持つという厚かましい条件だった。

 マシニッサが側にいるだけで枕を高くして眠れなくなることは必定、なるべく近くに来て欲しくない。

 それと同時にトゥエンクの兵をこき使うだけこき使ってやろうという虫のいい魂胆だったのだが、幸いマシニッサからは承諾の返事が送られてきた。

 この時、マンドゥリア伯は返事が早すぎたことに気付くべきであった、いやそんな虫のいい要求をあのマシニッサが呑んだということに注意すべきであった。

 既にトゥエンク軍はマンドゥリアの国境に埋伏していた。

 城に援兵を入れた翌早朝、トゥエンクの兵は突如マンドゥリアの兵に牙を向き襲い掛かり、片っ端から城内に火を点け、城門を開き、城外にまで秘かに接近していたマシニッサ率いる兵を導き入れ、城兵や住人の混乱を尻目にあっという間に政庁を押さえ、伯を殺害し、兵は武装解除してしまうことで、マンドゥリアを手中にしたのだ。


 その数日後にマシニッサがやってきた。

「これはこれは陛下。益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」

 相変わらず笑ってはいるものの、目が一切笑ってない顔のマシニッサが有斗に形ばかりの拝礼をする。

「やあ・・・マシニッサ。元気だった?」

「陛下のおかげをもちまして」

「僕に代わってマンドゥリア伯を討ち取ってくれたそうだね。礼を言うよ」

「カヒに通じて陛下に兵を向けるなど、南部諸侯の恥さらしものですよ。当然のことをしたまでです」

 自分のことはすっかり棚に上げて、いけしゃあしゃあとマシニッサは神妙な言葉を続けた。

「これで例え河東の兵が畿内に入り込んでも、トゥエンクから兵を出して牽制することが可能です」

 すっかりもうマンドゥリア伯領は自分のもの前提で話を進めているな・・・まだマシニッサに加増するとは決めてないんだけどな・・・

「しかしカヒを見捨ててよく僕につく気になったね。てっきり様子見し続けるかと思った」

 アエティウスが驚いて、有斗のすそを引く。

 しまった。つい油断して本音を漏らしてしまった。

 うっかり口を滑らした有斗だったが、マシニッサはそれくらいで喜怒を表すような安っぽい人間ではない。

「カヒならば撤兵を開始していますよ。すでに大河東岸にも一人の兵もおりませぬよ」と軽くいなした。

 なるほど、カヒが兵を退いたから、マシニッサは火事場泥棒的な今回の行動を起こしたんだな。

 だけど、何故カヒは兵を退いたのだろう? 有斗は意外な成り行きに首を傾げた。


「アエティウス、相談があるんだけれども」

 とアエティウスの天幕に入って行くと、アエネアスと何事か話していた。

 アエネアスは入って来た有斗にいつもの無邪気な笑顔を向けた。僕の警護もしないでなにやってるんだか、と有斗は心の中で溜め息をつく。

「陛下。ご用件は何でしょうか?」

「ん・・・マシニッサのことなんだけどね」

 相談はマシニッサの扱いについてだった。

「マシニッサをどうしたらいいと思う? 僕らとカヒとを両天秤に掛けていたのも事実だ。なんらかの罪に問えと五月蝿うるさい者もいる。だけれどもマンドゥリアを僕等に代わって征したということも事実だ。褒賞を求めるマシニッサの意見にも一理ある」

「マンドゥリアを全部よこせとか言っているんだって? ふざけるなって言ってねつければいい!」

 アエネアスはそう簡単に言うけどさ・・・

「まだ確認は取れていないけれども、マシニッサの言ったとおりに、カヒが本当に河東へ帰ったというのは本当かな?」

「多分本当でしょうね。カヒがまだ対岸にいるなら、マシニッサのしていることは自分で自分の首に縄を掛けているに等しい。そんな生易しい男なら、我々としてはこんなに苦労しなくて済むのですが」

「僕らは軍を帰し、関西の大軍に備えることも出来る。軍監の中には、この好機にいっそトゥエンクに兵を向けて後顧の憂いを無くすべきとの意見もある」

「それはいい意見ですね! ぜひ、そうするべきです!」

 アエネアスはももを叩いて同意する。いたって簡単にそう言うが、有斗の立場からはそう容易く結論を出すわけにはいかない。

「と言ってもさ、明確に僕に兵を向けたわけでもないし、むしろ外から見たら、僕に敵対したマンドゥリア伯を倒してくれた功臣に見える。その功に報いるどころか剣を向けるというのは人の道に外れないかな?」

 有斗のその言葉すらアエネアスは一刀の元に斬り捨てる。

「安心して。アメイジアに住む全ての人間なら誰も、マシニッサがそんな殊勝な人物でないことは既知の事実なのよ!」

「それで」

 アエティウスが二人の掛け合いに割って入る。

「陛下はどちらの道をとりたいのですか?」

「僕は・・・正直マシニッサの経歴を聞いただけでも怖い。将来、絶対に牙を向くことが確定している人物を抱えていくのは不安の元だとも思う」

「じゃあ話は簡単。マシニッサがここにいる間に謀殺してしまえばいいんです」

 アエネアスはどうしてもマシニッサを処刑したいらしい。ホント嫌いなんだな。

「でも・・・でもそれは違うんじゃないかな、という気がするんだ。確かにマシニッサは油断がならないし、好きか嫌いかで言ったら嫌いだよ。だけれども僕は信じることがこの乱世を終らすのだと信じている。僕は諸侯や民に僕を信じてもらいたい。そうすればこの世は平和になる、そう思うんだ。ならば、そんなマシニッサであっても信じるというところを見せなければ、アメイジアの人々は誰も僕を信じてくれないとも思う。信を持って天下安寧にすると言うが、肝心の王が信じることをしていなければ、誰も信じることで世界が変わるとは思わないだろう。マシニッサが僕に正面切って裏切るのならともかく、そうでないのなら、僕は罰するのではなく、彼を信じて賞するべきだと思うんだ」

 アエティウスはその有斗の言葉を首肯する。

「立派なお心がけです。陛下」

「兄様、心がけで天下が取れるなら、とっくに誰かがなってますよ」

「いや、陛下ならできるかもしれないよ、アエネアス?」

「そうやって、また甘やかす・・・」

 アエネアスは眉をひそめて抗議の意を示した。

「ハハハハハ」

 そんなアエネアスの頭をアエティウスは軽く撫でる。

「では別の側面から考えていきましょう。私はマシニッサは生かして用いるべきだと進言します」

「兄様!」

 アエティウスの思いもかけない一言に、アエネアスは仰天した。アエネアスはアエティウスも、マシニッサを嫌っていると思っていたからだ。

「此度、カヒは南部でなく畿内に直接侵攻しました。南部には気心を通じた諸侯もいる。我々が倒してしまいましたが、叛旗を翻した諸侯もいました。なによりカヒから見て南部の出入り口はトゥエンクだ。マシニッサはカヒに通じていたのですから、畿内に比べて安全に渡れるはず。だが何故か南部を避け、実際に渡河したのは危険度の高い畿内でした」

「そういえばそうだね・・・不思議だ。何故だろう?」

「我々がマシニッサを不気味に思うようにカヒもマシニッサを気味が悪いと感じているからですよ」

 アエティウスは一旦言葉を閉じ、間を作った。

「例えば南部に渡河して南京に迫ったときに、急にマシニッサが我々と通じたら?」

「そうか・・・! カヒは補給線を絶たれることになる・・・!」

「そう。それを考えると迂闊うかつに南部に侵攻もできない。だからと言ってマシニッサと戦うのも馬鹿らしい。いちおう味方ということになっていますし、それにマシニッサは凡将ではありませんし、カヒとしても、あえて危険を犯して戦うことはしたくないでしょうしね。つまりマシニッサは存在することで、カヒから南部を守る蓋の役割をしているのです。もしここでマシニッサを始末したら、次の瞬間カヒは南部に雪崩の如く侵攻することでしょう」

 そうなっては大変危険だと、アエティウスは指摘する。

「しばらくはカヒが攻撃し、我々が守るという構図が東部戦線では展開されるでしょう。敵は大河の東側一箇所に軍を置くだけでいいのに、我々は畿内、南部の二箇所を守らねばならない。これも我々にとって不利な条件になります」

 畿内と関東の境は高い山や川、沼沢地があり移動に難をきたす。同時に二箇所を守らなければいけない僕たちは、兵力分散の愚を犯すことになる。大変不利だ。

「マンドゥリアなどくれてやればよろしい。それを加えてもトゥエンクは王師はもとよりダルタロスにも届きません。いつでも始末するなど簡単なこと。だがそれよりも、これからもカヒに対する蓋の役目を存分にしてくれたほうが我々も助かる。これが私がマシニッサを生かして用いるべきだと思う理由です」

「・・・なるほど。正論だね。わかったマシニッサの要求をもう」


 天幕の外でマシニッサはその会話を全て聞いていた。

 俺を自由にさせた王が悪い。ちゃんと見張りを立てないアエティウスが悪いのである。

 しかし、とマシニッサは思う。

 信を持って乱世を終らせるだって? とんだ甘ちゃんがいたものだ。そんなもので天下が手に入るなら、この俺だっていくらでも信じるなどという愚かなことをしてやるさ。

 だが乱世に勝利を得るのは権謀術数。どんな汚い手を使おうが最後に生き残って勝利することだけが全て。そうやって最後まで立ち続けていた最後の一人が手にする物、それが天下というもののはず。少なくともマシニッサの考える天下とはそういったものだった。理想や奇跡といった言葉は、弱者が力のない自分自身をなぐさめるために作り出した感傷、幻に過ぎないのである。

 そう・・・そうであるはずだ。

 マシニッサは大きく息を吐いた。

「どうやらこの腐った世の中にも・・・俺が思いもつかないことを考える途方も無い男がいるらしい」

 それが正しいかどうかはマシニッサにも分からないが。

 マシニッサは頭を何度も横に振りながら歩いた。

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