第58話 陰謀応酬

 関西では左府が女王に奏上する出兵の表を今ここに作らんとしていた。

 ふと、途中まで書きかけた筆を止めた。

「左府様、出兵する関西の将軍はどなたをお考えで?」

 左府の求めに応じて文章を書くのは名文家と名高い関西の中書令である。

「むろんワシだ」

「それは・・・いかがなものでありましょうか?」

「何か問題でもあるのか? 前例がないわけではあるまい」

「問題はございませんが、ふと思ったのです。左府様のこの策はまず最初に兵を挙げた者が一番損をするのではないか・・・と」

「わかっておる」

「しかしそれはこの盟約に参加した者全てがそう思っていると思うのですが・・・自分以外の誰かがまず攻めかかってくれないか・・・と」

「であろうな」

「でも、誰も兵を挙げなければこの策は自然消滅してしまいます。左府様の空前絶後の大功も泡と消えます。ということは盟主たる関西が損な役割を引き受けねばならないと愚考しますが・・・」

 左府は嫌な顔をした。

「それをワシにやれと? 冗談ではないぞ!」

 ま、ま、そう怒らずに私の話を聞いていただきたい、と中書令は左府をなだめる。

「それをバルカ卿にやっていただいてはいかがでしょう?」

「バアルに、だと? それこそ本末転倒の話だ。もし万が一、あの小僧がまた武勲を立てたとしたら・・・」

 そこまで言うと左府は口ごもった。

 亜相、いや大臣になることは確実だ。きっとワシを押しのけて関西の政治の中心になるに違いない。ワシは左府とは名ばかりで実権は何も与えられぬであろう。

 それを防ぐためにこの策を立てたのだ。あいつに功を立てさせるためではない。

「果物を小刀でいたとしましょう。果物を剥いたのは小刀でしょうか? それとも小刀を持っていた者でしょうか?」

 だがその抽象的な言い回しに、中書令が言わんとしたことを左府は一息で飲み込んだ。

「・・・なるほど」

「それに必ずしもバルカ卿が成功するとは限りますまい。関東は強兵で知られています。むざむざバアルに功を立てさせはしないでしょう。万が一成功しても、それは左府様が立てた策のおかげ、バルカ卿とて功を誇ってばかりはおられますまい。念のためにバルカ卿には今所持している鼓関こかんの兵以外は、一兵たりとも与えなければ、なおよいかもしれません。さすれば河北、河東、南部と四方から包囲するという、必勝の形を作ったにも関わらず、敗北した将と言う汚名を着せることができます」

「そうすればバアルをおおっぴらに解任する口実ができるな・・・」

「ええ。左府殿はその後で大軍を率いて関東に攻めこめばいいのです」

「なるほど・・・その策、気に入ったぞ」

 できればバアルが関東の兵に討たれる形が理想だな、と左府は夢想した。

 バアルは女王のお気に入りだ。きっと悲嘆に暮れて、全軍をもってして関東を攻めることになるだろう。その時の主将は当然私だ。そのころには関東は四方から攻められて、もう国としての形をとどめておるまい。楽な戦になるはずだ。


 中書令が家に帰ると、入り口近くにいた顔馴染みの商人が顔に愛想笑いを浮かべ、み手をしながら近づいてきた。

「中書令様。ご首尾はいかがでしたか?」

「左府様には大層なお喜びで、お褒めの言葉を頂戴した。いや、そなたを見直したぞ。金勘定だけでなく政治向きのこともできる男だったとはな」

 出兵となれば準備が要る。今からまぐさ、塩、米を大量に集めなければならない。

 その為に懇意こんいの商人たちに命じたのだが、セルギウスという商人は勘の鋭い男で、関東に攻め込むことをすぐ見抜いたのだ。

 ならば、とセルギウスは先の策を話し、これで左府様の歓心を買うのはいかがでしょう、と提案してきたのだ。

 中書令はその言葉に先見の明があることを感じ、今日左府に提言してみたというわけだ。

 とはいえ、ここまで左府殿に褒めてもらえるとは思わなかった。やれやれ有難い、これで今後の政界遊泳も多少は楽になるというものだ。

 ま、あがってくれ、と中書令は旧友にでも対するような親しげな様子で商人の肩を抱き、部屋へと招いた。

「どうだ官につく気はないか? 今なら左府殿もきっと後押ししてくれるぞ」

「いえいえ手前が官吏などといった大層なものは務まりませぬ。それよりもこれからも御贔屓ごひいきにしていただいて、官の仕事などを回していただきたく願っておりますよ」

「あはは。抜け目のないやつだ。よしよし、任せてもらおうか。当然、左府様出陣のための塩や秣の調達は全てそなたが担当することになるぞ。喜べ大儲けだ」

 官吏になれば収賄や役得で莫大な富を得るのは容易なのに、いったい欲があるのやらないのやら。

 だが同時にほっとしている自分がいることを中書令は感じていた。セルギウスが官吏になって競争相手になられては敵わないことを中書令もわかっているのだ。

 ならばセルギウスには自分の知恵袋になってもらって、代わりに官の仕事を与えたほうが双方にとって都合がいいし益があると言うものだ。

「これからもよろしく頼むよ」

 との中書令の差し出した手を掴むと、

「いえいえこちらこそよろしくお願いいたします」と、額を低く低く曲げて、セルギウスは叩頭こうとうする。

 セルギウスの曲げた身体を持ち上げるように立たせると、中書令は笑いかけた。

「ま、飲もう。今日は心行こころゆくまで飲もうではないか!」


 中書令宅を出る頃には夜もとっぷり更けていた。

 美食と上質の酒を堪能たんのうし、お土産まで貰ったセルギウスは千鳥足ちどりあしで街路を歩く。ケチで有名な中書令にしては破格の扱いといえよう。それだけセルギウスの提示した策が気に入ったのだろう。これからの関西での商売は更にやりやすくなる。

 それに・・・とセルギウスは思う。

 なによりこれでアリアボネ様からうけたまわった難しい任務を無事終えることが出来た。

 左府とバルカ卿の空隙を突き、少しでも出兵規模を小さくさせるという策謀だ。

 関東の朝廷にとって何よりの吉報となるに違いない。


 河北において征北の時に王師が拠点とした廃城は、今や朝廷が河北を治める拠点となっていた。家が建てられ、井戸を復旧し、外壁を整える。王都から官吏が派遣され、道路を敷き直し、水路を復旧し、村が作られ、田畑を開墾する。河北は王朝の中に急速に組み込まれつつあった。

 とはいえ河北には長年の困窮で明日をも知れぬ、何も所有せぬ民がいるだけだ。

 食料の給付、賊の退治、村民同士の争い、犯罪人の捕縛、水利権争い、境界騒動。問題は山積していた。リュケネの前に立ちはだかった難題は山のように積みあがっていた。


 だがリュケネの治世によって、河北は格段に安定した。リュケネは軍事だけでなく、政治の才もあるところを見せたのだ。

 リュケネは少し融通の利かないところがあるが、それだけに法律に乗っ取って行う公平な政治は、長く無法の地に住んでいた河北の民に、自由を法によって押さえつけられる不自由さよりも、民も官も兵も一様に罰し賞される、その厳しさに好ましいものを感じさせたのだ。

 リュケネは賄賂や口利きも一切受け付けなかった。当然、朝廷から派遣された官吏や将士の中にいる、この機に乗じて私服を肥え太らそうとする者からの反発は大きく、サポタージュなどの消極的な手腕だけでなく、中央の顕官と結びついての追い落としの動きを見せるような官吏もいたが、有斗がリュケネのその政治手法を好ましいものとして捉え、朝臣からの婉曲な罷免要求に聞く耳を持たなかったので、結局はいかんともしがたかった。


「着任わずかのこの期間で、あの荒れ果てた河北を、ここまで見事に復興なさるとは尋常な腕前とは思えません! さすがはリュケネ殿ですな!」

「すべては陛下の御威光のたまもの。このリュケネの名では、諸侯も官吏も民も、誰一人として大人しく命に従うことなどなかったでしょう」

「御謙遜を! しかし、さすがはリュケネ殿! 陛下の御信頼も篤いですなぁ! 実に羨ましい!」

 エザウは今日も今日とて、直属の上官となったリュケネに念入りにゴマをすっていた。

 毎日のごとくそれに付き合わされるリュケネにしてみれば、その熱心さの三分の一でも軍務なり政務につぎ込んでくれたら、自分の労苦は大幅に軽減されるのにと言うのが本音である。

 とはいえエザウ指揮下の三百余りの兵は今のリュケネには貴重な戦力ではあるし、河北の実情を知らないのは何かと不便であろうと、王直々に客将として付けられたからには無下にもできないというのも実情であり、それなりに遇せねばならないところが辛いところだった。

「しかし官吏の中にも面従腹背の腹黒い輩は未だおりますし、妙な動きをしている諸侯も中にはおりますぞ。ご油断召されるな」

 リュケネにそう忠告したのはバルブラである。

 バルブラも同じようにリュケネに付けられた、もう一人の客将である。河北に豪勇鳴り響き民心を掴んでいるから、いるだけでもリュケネの役に十分立っているのだが、それだけでなく河北の世情にも大いに通じているので、今やリュケネの河北支配には欠かせぬ人物となっていた。

 そして先ほどの言葉では品格の問題から実名こそ出さなかったが、バルブラの頭の中では一人の問題諸侯の名が浮かんでいた。

「ああ、ニケーア伯のことですな。確かにあやつは昔から一癖も二癖もある男でありましたからな・・・ですがご老体、御懸念は無用ですぞ! リュケネ殿を前にしてはニケーア伯の十人や二十人、敵ではござらぬ! さらにはこのエザウも加われば、まさに鬼に金棒、虎に翼を与えたようなもので、このアメイジアにかなう者はおりませぬ! うわっはっは!!」

 バルブラはエザウの大言に渋い顔をした。

 だがエザウですら分かったのだ。リュケネに分からぬはずがない。

 荒れ果てた土地に貧しい民、反抗的な官吏、その対処だけでも手に余るというのに、今や河北最大の力を持つニケーア伯までもが怪しい動きを見せている。

 リュケネは河北赴任以来、心の休まる時がなかった。


 そんなリュケネの頭痛の種がまたひとつ増えることとなった。

 宮廷からアリアボネの命令が来るより早く、河北では異変が起きていたのだ。

 王師の北伐で河北の東端の山岳地帯にに逃げ込んでいた賊が山を降りて、刈り入れの前に村々を荒らしまわったのだ。

 しかし刈り入れ後ならともかく、刈り入れの前に賊が村々を襲ったとして何の益があろう。その時期は民が一番、貧しい時期なのである。

 答えは明白。朝廷の収入を少なくすると同時に、民に守ってくれなかった王への不信感を煽るのだ。

 賊の背後に誰かがいる。それは河東か、越か、あるいは河北の諸侯か。

 だが幸いに河東、越との国境は二、三千メートル級の山々がさえぎっている。一人二人の人間ならともかく、山を越えて大軍が侵攻することなどできもしないことだった。河北の諸侯なら大きくても二千の兵しか動かせない。背後にうごめく者がいるとしても、兵力的には今はたいした数にはなるまい。火の手が広がる前に火種を消せば、敵の思惑を打ち消せる。

「どうやら卿らの力を借りねばならぬ時が来たようです。背後に誰かがいるのでありましょう。とはいえ重責を与えていただいた陛下の御期待に背かぬためにも、座して放置は出来ない。申し訳ありませんが背後を探りながら、共に賊を退治しようではありませんか」

 二人とも形式的にはリュケネの副将という位置づけだったが、客将という陛下からの預かりものという立場、それにバルブラだけでなくエザウも年長ということもあって、リュケネの口調はあくまでも丁寧だった。

「承知した」

「この火眼将のエザウにお任せあれ!!」

 バルブラはリュケネに頭を下げ、エザウは反対に背を反らして哄笑した。


 リュケネは賊の出没が頻発する、河北東部へと兵を発した。

 殊勝にもニケーア伯からも援兵の申し出があったが、リュケネは丁重にお断りした。信頼できぬ人物や兵を内に抱え込む気がなかったのだ。

 ニケーア伯を放置して先を急ごうとしたリュケネだったが、

「賊を動かすことで慶都からリュケネ殿を動かし、我々が賊に向かった時に、背後から襲うという計略である可能性もあります」というバルブラの意見を受けて、ニケーアと慶都の間の交通の要衝に二千の兵を割いて、これ見よがしに配置しただけでなく、ニケーア領を挟み込む形で残りの兵を配して、しばらく動かないことで無言の圧力をかけた。

 その間もリュケネはバルブラとエザウの客将二人の兵と二旅の兵とを合計六つに分けて各地の賊を追討させた。

 各個撃破など恐れていなかった。そもそも敵は流賊の残党、百単位の賊がほとんどで、民相手には強いが、正規兵の相手ではない。


 越、河東と国境を隔てる広大な山脈が見えてくると、河北は景色を一変させる。

 比較的平坦部が多く、川が流れ、気候の安定した西半分と違い、山と丘に恵まれるものの、大河の水も大河に注ぎ込む川もないこの辺りは、大量の水分を必要とする稲ではなく乾燥に強い麦を植え、家畜を飼い民は暮らしている。一回賊を追い出して、村単位で流民を植民させた河北東部だが、あちこちで賊に襲われた傷跡が見て取れた。中には完全に壊滅した村もあるという。

 だが一ヶ月経つころには、王師は小規模な賊を退治しつつ、逃げる敵を東へ東へと追いやっていた。賊の魔の手から解放された都市や村落からは次々に感謝の意が伝えられる。

 なかでも目覚ましい働きを見せたのはエザウで、相対する賊を次々と撃破していった。バルブラが小さな賊二つを下した間に南方の賊十有余(エザウの報告では二百の賊と誇張してあったが)をことごとく平らげたというのだ。 

 その報告だけを聞いたリュケネはエザウのことを大いに見直したが、傍で槍を並べて戦うことになったバルブラのエザウ評はますますよろしくないものとなっていった。

 確かに勢いに任せて敵を撃砕することは、賊の被害に苦しむ民を一刻も早く救うという見地からは正しいことに見えなくもないが、賊の多くは逃げ散っただけで、敵の首魁を殺すなり捕らえるなりして指揮系統を無くしたとか、兵力を大きく削いだわけではないのだ。

 王師の兵がいなくなればまた舞い戻ってくるに相違ないのである。将来の禍根を大本から取り除いたことにはならない。

 ここは多少時間をかけてでも、バルブラのように賊を逃がさぬようにして、ひとつひとつ潰していくべきなのだ。 


 やがて山に押し込まれることとなった賊だったが、それまでと違い、山の向こうには逃げ出さなかった。連絡を取って集まり、山裾の小高い丘に陣を敷いた。その数は二千に満たない。雑多な装備、騎馬も少ない。

「どうやら、このエザウの真の力をリュケネ殿にお見せする時が来たようだな。バルブラ殿にわざわざお出ましを願うこともあるまい。ご老体にはゆっくりとお休みいただくか」

 エザウは兵たちを軽口を叩く余裕を見せた。

 楽勝だな、覆滅ふくめつするには一刻もかかるまい。これまでの賊との戦いで十分に手ごたえを感じていたエザウはそう慢心した。それにバルブラと旗下の兵こそいないが、ここにはエザウ以外に王師の兵二旅もいたのである。数でも勝っていた。

 なんなら俺は高みの見物でもいいくらいだなとまでエザウは思った。

 だがエザウの余裕もそこまでだった。

 エザウは賊の中に妙なものがあることに気がついた。旗があるのだ。戦において旗は飾りではない。兵は旗を目印として集まり、指揮官は旗を見て全体の戦況を知る。

 つまり、旗があるということはそこに何らかの秩序だった指揮が存在するという証なのだ。旗を持つ賊は無くは無いが、大変珍しい部類になる。

 エザウは背伸びをし、手庇てびさしを作って、じっとのぞき込んだ。

 そして、あっと息を呑む。大きな菱形に、赤い独特の紋章旗。身体の奥底から深い恐怖が沸き上がり、ぶるぶると巨体をわななかせた。


 この世界に生きる人間で王旗は知らないものがいてもおかしくないが、その旗を知らない愚か者は皆無といってよかった。


 大きな菱形の中に、四つの菱が収まっている紋章────カヒの旗、それもカヒ傘下の諸侯の旗ではなく、カヒ本家の大菱旗である。

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