第34話 助命嘆願

 有斗は執務室に帰るや、朝議用の衣冠を脱ぎ捨て、軽装に着替える。

「アリスディア、アリスディア!」

 有斗が上着も脱ぐ時間も惜しいと、アリスディアを呼ぶと、普段着を手におずおずと入室して来る。

「なんでしょう、陛下」

「やっと四師の乱の首謀者がわかったよ。ラヴィーニアという女が皆をきつけたらしい」

「・・・まぁ」

「これでセルノアの復讐ができる」

 喜び勇んでアリスディアにセルノアの仇について話したのに、なぜだか思ったよりも反応が小さい。

 もっと怒るなり、喜んでくれたりするかと思ったんだけど・・・セルノアとアリスディアって仲は良かったように見えたけどなぁ・・・意外と仕事の上でだけの付き合いだったってことなのか。

「でも・・・アリアボネに少しお話を聞いたほうがいいかもしれませんね」

「・・・何故、アリアボネに?」

 有斗は突然飛び出てきたアリアボネの名に困惑する。

「ラヴィーニアさんと言えば、アリアボネの親友なのですよ」

 ・・・なんだって?


 いや、待てよ・・・

 そうだ。アリアボネほどの人がラヴィーニアとかいう女が首謀者だということを知らなかったほうがおかしいんだ。

 ということは・・・まさか・・・

 アリアボネは僕をあざむいていたというのか・・・?

「・・・」

「すみません。余計なことを申しました。お許しください」

 考え込む有斗にアリスディアは、失敗したというばかりに下唇を噛む。

「いや、アリスディアは悪くない。ありがとう」

 頭を下げ退室しようとするアリスディアに

「こんな時間に悪いんだけど、アリアボネを呼んでもらえないかな?」

 と、声をかけた。


「アリアボネお召しにより、只今、参上いたしました」

「・・・」

 黙り込む有斗を前にして、アリアボネも言葉を発しなかった。

「・・・」

「まずは椅子に座って」

 アリアボネは病弱だ。長時間立たせるのも酷だ。とりあえず椅子に座って話をすることにしよう。

「陛下、ありがとうございます」

「今日は体調はだいじょうぶ?」

「はい。おかげさまで」

「聞きたいことがあるんだ」

「なんなりと」

「僕は今日、反乱に裏で糸を引いていたやつがいることを知った。その名はラヴィーニアと言う。知っていたか?」

 なんだそんなことか、アリアボネは軽く目を閉じると、『ふー』とため息をついた。

「存じております」

「そうか。ならばもう少し質問に答えて欲しい」

「はい」

「アリアボネとラヴィーニアは既知の仲だと聞いた。本当かな?」

「同じ科挙で私は榜眼ぼうがん、ラヴィーニアは探花となりました。同期のよしみであり、共に才を競った仲でもあります」

「では最後にひとつ」

「なんなりと」

「僕は反乱に加わった者を罰しないと決めた。それはクレイオスら四人が戦場で死んだというのも大きい。首謀者が死んだと思っていたからだ。だが彼らを操り、裏で全てを計画した真の首謀者がいた。その女の名はラヴィーニアという」

 有斗はそこで一拍いっぱく置いて本題に入った。

「君がそれを僕に言わなかったのは何故だ? 友達をかばったのか?」

「私は陛下が反乱を起こされたことは自分の過ちだと認めたから、旧悪を問わず廷臣を使うことに同意したのだと思っていました。だから言わなかったのです。それに今の廷臣たちも大なり小なり反乱に関わっています」

「関わりの度合いが違うだろ!」

 有斗は怒りに任せて机に拳をたたきつけた。

 アリアボネは一瞬、ひるんだが、ゆっくりと有斗をさとすように話し出した。

「落ち着いてください」

 有斗はその言葉に大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせようとする。怒りはある。だがそれは叛徒の首魁ラヴィーニアに対する怒りだ。落ち着け。冷静になれ。まだアリアボネがラヴィーニアの友達だったというだけだ。アリアボネが故意に事実を隠蔽し、有斗を裏切ったと決まったわけじゃない。

「・・・わかった。怒鳴って悪かった」

「ではラヴィーニアを処刑することの是非について述べましょう」

 それは教師が生徒に物を教えるような、いつものアリアボネの口調だったのだが、いつもなら腹の立たないその態度も、ラヴィーニアのことがあるからか、アリアボネの賢明さをひけらかし、有斗を下に見ているようで、極めて不愉快だった。

「ラヴィーニアをどう処遇するかは、今、廷臣の注視するところです。廷臣は恐れているのです、陛下にいつ旧悪を突かれて獄に下されるかとね。生き残っている廷臣は多かれ少なかれ旧法派に組みしたものばかりです。すなわちラヴィーニアを今になって処刑すれば、群臣は再び陛下に不安な想いを抱き、疑心暗鬼になり、また再び反乱を起こさぬとも限りません。降伏した王師とて、まだ陛下に信服したとは申せません。当然そういう考えにいたるものも出てくるでしょう。もし私が彼らならもう一度反乱を起こすことを考え、実行に移します。そうなれば陛下のお命に関わる事態になるやもしれず、例え助かったとしても、またその平定にはさらに国力を浪費することでしょう。戦乱終結という陛下の大志の実現は、何年かは確実に遅れることとなります」

 だけど、こうも考えられないだろうか、反乱の首謀者を見せしめとして極刑にすれば、うかつには反乱を起こさなくなるのではないだろうか?

「この戦で大勢の文官武官が死にました。新規に野から賢人偉人を集めなければなりません。ラヴィーニアは若くして中書侍郎になりました。知恵者としての名声があり、世間一般には才子として知られているのです。今度の叛乱劇で更に天下に名を知られました。天下に人材多しと言えども二人といない策士だ、と。もし万一、彼女を殺害すれば、野にいる賢者は陛下に幻滅し、陛下を見捨て、覇王になるべき人を他に求めるでしょう。陛下は一体、誰と共に天下を運営して、大業を為すおつもりなのですか?」

 ・・・それは一理ある。有斗は朝臣あそんたちを許したものの、心の中ではまだ信用しきれてはいない。

 アリアボネやアエティウスに支えてもらうつもりではあるけれど、二人じゃできることは限られてしまう。新しく人材を広く求めなければいけない。ラヴィーニアを殺すことで、そういった人たちから見放されてしまっては王朝の運営は厳しいものとなることだろう。

「それに陛下は一度ラヴィーニアを許したのです」

「あれは他の朝臣たちを許しただけだ。もしその女のしたことを聞いていたら、僕は絶対許しを与えなかった」

「陛下の中では、その理屈は通るでしょうが、世間ではどうでしょうか? 許した朝臣の中には当然ラヴィーニアがいた、そう考えるとお思いになりませんか? 陛下は信を持って天下を治むると決めたはず。舌の根も乾かぬうちにそれをひっくり返せば、陛下は二度と誰からも信頼されないでしょう。諸侯は領地に帰り、民からも見捨てられましょう。ラヴィーニアを処刑して得るのは、セルノアさんの仇をとったという陛下の心の救済のみ。失うことに対して、なんと得るものの少ないことか! どうか大所高所たいしょこうしょからお考えください」

 大きく腕を組み、その中に頭を入れるようにして、アリアボネは深々とゆうの礼をする。

「・・・だけど・・・!!」

 アリアボネの言うことは理性で考えると正しい。でも有斗の中にある憎しみは、その程度の理性では消しされないものだ。

「だけど、それじゃ正義が示せない! セルノアをはじめあの反乱で命を奪われた人たちはどうなる!? 僕に過ちがあったのは認めるよ! だけど彼らに何か過ちがあったとでも言うのか!? 彼らは理不尽にも命を奪われたんだ! だのにそれをもたらした首謀者はのうのうと生き残っていいのかよ!? それじゃ反省さえすれば・・・その人物に公の利益がありさえすれば・・・どんな罪でも許されることになってしまうじゃないか!? 国家に正義があることを示さないと誰もが法を守らなくなってしまう!」

「国家に正義があることは、一人の女の命などと言う軽佻けいちょうなもので示すべきではなく、政策や法律で示すべきことです」

 だがそのアリアボネの言葉も有斗の心に響くことはなかった。それはそうだろう。『理』などというものは、ことさら賢しらだった物言いになる。人の心を、それも有斗のような若い心を動かすのには無理がある。

「なによりラヴィーニアを生かしたとしたら、僕はセルノアになんと言って詫びればいいのだろう」

 その言葉にアリアボネははっと顔を上げた。陛下は理ではそういうことが王の生き方だと理解しておられるのだ。だけど一人の人間としての『有斗』の心がそれを理解したくないのだ。セルノアというひとを愛した人としての心が仇を取らないと許せないのだ。

 しかし、ならば手段はある、とアリアボネは思った。理だけで説得しきれないのなら、情に訴えればいい。幸い南部から王都への戦の間、ずっと側に近侍していた。自分と陛下の仲はセルノアという女人ほどではなくとも、深まってはいる。それを使えばいい、我ながらたいそう卑怯な手段だとは思うが。

 ・・・有斗は自分にきっと幻滅するだろう。ラヴィーニアに向けている怒りと悲しみをアリアボネに向けることも考えられる。死を命じられることもないわけではない。

 でも、ここは死など恐れるべきではない。そう、どうせ私にはこの人の進む道を最後まで支え続けるには時間がない、ならば。

「ならば、代わりに私を殺していただきたい。私が泉下でセルノアさんに詫びてきます。そのかわりにラヴィーニアの旧悪をお許し願えませんか」

 顔を上げて有斗を見るアリアボネには目に強い意志をたたえていた。有斗は一瞬、口ごもる。

「君には功が在る。そして恩義もある。何も持たない僕をアエティウスとともに支えてくれた。こうして王都に再び入れたのも君のおかげだ。だから君を僕が殺せないことを知って、そういうことを言うのか? 僕はそういう姑息こそくな駆け引きは好きじゃない」

 そのやり方は汚い、とも感じた。有斗が今、感じているこの大きな怒りはラヴィーニアに向けてのものだ。愚かな有斗でもそれをアリアボネにぶつけるのは間違っているとわかる。だからラヴィーニアに対する怒りを理性が抑える形になってうまく表現できない。言葉が頭の中を渦巻いているようにさえ感じた。

「私はいつ死んでもおかしくない身です。その時にラヴィーニアがいれば後事を託せます。それほどの逸材なのです。ならば最初から私の代わりにラヴィーニアが陛下を王佐しても何の不都合も無い。我が功に換えましてもお救いいただきたい」

 アリアボネはそう言うと、有斗の目の前で再び頭を下げる。

「・・・」

「この通りです」

 有斗が一言も言葉を発しないで黙っていると、最後には地面に頭を擦り付けるように平身低頭伏礼する。

 有斗はただそれを黙ってみていた。だが、変化のない時間がどれだけ過ぎ去ってもアリアボネは顔をあげようとしなかった。

 そのアリアボネの後頭部に怒りをぶつけるように有斗は大声を上げる。

「・・・僕は王だ!! 王が一度口に出したことは、誰も取り消せない! それが道理じゃなかったっけ!?」

「だからこそ・・・! 王だからこそ、慎重に物事を考えて行動せねばならないのです! ひとたびしたことは取り返しがつかないこともある、と新法の件でお学びになったのではなかったのですか?」

 それは痛烈な皮肉だった。そして一番他人に触られたくない事柄だった。

 わかってはいるが、他人から、それも四師の乱の首謀者であるラヴィーニアを庇おうとしているアリアボネから、乱が起きた原因は有斗にあるのだと間接的にでも言われるのは我慢がならなかった。

「・・・!」

 怒りで有斗の顔が震える。

 病気の女の子で、なおかつ王である有斗に逆らえないという弱い立場であることを知りながらも、思わず衝動的にアリアボネを足蹴にしそうになり、寸でのところでそれを止める。

 だが怒りを必死に収めると、有斗の頭は覚めたように理知的になった。アリアボネの言葉の中にある理も少しずつ納得ができつつあった。


 有斗はついに根負けした。

「・・・・・・わかった。命はとらない」

「ありがとうございます!」

「だがひとつだけ覚えておいて欲しい。ラヴィーニアを助けたのはラヴィーニアが国家の為に必要だとの君の言葉を取り上げたわけではない。また、ラヴィーニアを殺さないことで、宮廷内に余計な波風が吹くのを嫌ったからでもない。友人の為に自分の命を投げ出しても惜しくないという、君の美しい心を信じたいからだ。是非ラヴィーニアが君の期待に背かぬことを願っているよ。君の為にも僕の為にもね」

「陛下! 感謝いたします!」

「だが僕はラヴィーニアの顔も、いや名前すら聞くのも嫌だ。王都内ではなく僕の目の届かないところに赴任させて欲しい」

 これが有斗が譲れる最大限だ。これ以上は譲れない。だから有斗は最後にこう付け足した。

「そして常時、監視をつけること」

「・・・・・・わかりました」

 アリアボネは少し悲しそうな目で有斗をじっと見つめた。


 中書省では新しく中書令に任じられたアリアボネが前任者たちから引継ぎを行っていた。

 中書令、中書侍郎二人のトップ三が一斉に変わると言う前代未聞の事態に、中書省は混乱の中にあった。それは中書が新法追い落としに深く関わっていたうえ、なおかつあの頃、王に逆らうことがあまりにも多かったことを思い出し、中書の人員の一新を有斗が命じたからだ。

 確かにアリアボネは中書で勤めていたことはあるけれども、下っ端でわずかな期間だけ。書類を少し起草したぐらいだ。

 アリアボネは将来公卿になるべき人材と目されていたから、重要な役職を一通り触ったら、次の人事異動で移動させられたのだ。

 とはいえ王命は王命。それに中書は政庁の要、一日も早く中書を機能させないと国家は立ち行かない。

 アリアボネは中書令と中書侍郎から現在の状況、やるべきこと、この先の予定まで全てを一人で引き継いだ。

 なにせ新しい中書侍郎についてはまだ一人も決まってもいないのだから。

「手前のが起草待ちの書類の山。で、こっちが今年に入ってからの起草文の写し。前年度分は奥の棚にある」

 ラヴィーニアはアリアボネをざっと案内する。

「起草文は前年度のを参考にして作ればいいのかしら?」

「まぁだいたいはね。一から起草してもいいけど、めんどくさし時間がかかるよ?」

 あ、そうだ、と言うとラヴィーニアは後ろに山と積まれている本の中から一冊の分厚い本を取り出すとアリアボネの前にばさりと放り投げた。

「これをやるよ」

「これは何?」

「書庫のどこに何があるのかということを記載している書。あたしが暇なときに作っておいた。古今百年分までで、それより古いものはまだ未分類だけれどね。また新しい書類を書庫に入れるときに、これを参考にして入れておくといい。何かのときに探す手間が省ける」

「さすがラヴィーニア。ありがとう」

「まぁ命の恩人だ。借りは少しでも返しとかないとね。寝覚めが悪い」

 ラヴィーニアはおどけたように肩をすくめた。

「しかし持つべきものは友人だねぇ」

 ぺしぺしとおのれの細い首をラヴィーニアは手で叩く。

「縛り首か斬首かと思ってた。・・・いやそれじゃあアイツも満足しないよねぇ・・・そう、例えば一寸刻みに刻まれるとか、手足全てを切り落とすとか、野犬に生きたまま食い殺されるとかかな」

 何がおかしいのか、ラヴィーニアは自分の発言にククク、と笑った。

「陛下はそんな暴君ではありませんよ。それからラヴィ、アイツではなく陛下とお呼びなさい」

「はいはい。陛下様様」

 ふぅとため息をつく

「でも顔を合わせると何があるかわからないから、貴女には地方へ行ってもらいます」

「だろうねぇ」

「本当は中央に残してあげたかったけど・・・ね」

「今を時めく天才美女軍師様にも不可能なことがあるんだ」

「なによそれ」

「王は美貌の軍師に魂まで抜かれてるって、宮中じゃもっぱらの噂。軍師さまの言うことならなんでもするってね。典侍ないしのすけの次は軍師。よほど女がお好きと見える」

 ラヴィーニアは再びクククと笑った。

「陛下はそんな方ではないわ」

「はいはい。そうでしょうともそうでしょうとも。王に惚れ込んでる君はそう言うだろうね。だけどあたしはそれほどあれを買ってないんでね」

「また・・・! 陛下をそんな呼び方で言うなんて不敬よ、ラヴィ」

 アリアボネはふぅと溜息をついて首を振る。

「ま、何事も命あってのものだねさ。感謝はしとくよ」

 ラヴィーニアはそう言ってまたクククと笑った。

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