第35話 王女と騎士
除目とは諸官を一端、現在の役職から解任し、新たに諸官を任命することである。人事異動、昇進と降格、さらには首まで、官職にまつわる全てが含まれているといってよい。
関東と違い戦乱から遠ざかっている関西では、権力も権威も全ては朝廷にある。すなわち除目で一つでも高い官職や職益のある官につくことが、一門の浮沈に直接に関わってくるだけに、この時機の貴族はそわそわして落ち着かない。
関西は今は女王の
先王である義帝の只一人の子供として、蝶よ花よと育てられた彼女は、王としての貫禄はまだまだ足らない。
本人も女王と言われるより王女と言われることを好むため、愛称は姫陛下、王女殿下、または王女陛下である。
だが複数の派閥が暗闘を繰り広げる、この関西の朝廷をこの若さで大きな争いもなく無事に動かしているのだ。彼女の賢明さはそれなりに褒めるべきだろう。
「王女殿下」
侍女を引き連れ、廊下を歩いていた彼女に深く礼をして語りかける姿があった。
「あら左府ね。何用ですか?」
「此度の除目は久しぶりの大きなものとなりましょう。特に関東への抑えの
「ですわね」
「関東では新しく偽王が立ったとか。反乱を起こされても屈することなく南部へ行って兵を集い、逆らったものを討伐したとか・・・古今に稀に見る武断の王です。ですから私としては、ここは関西の誇る勇将二人、ステロベ卿とバルカ卿をそれぞれの職に任じて、万全を期するべきではないかと愚考いたします。王女殿下にはご賢明なる判断をお願いいたします」
「そうね・・・考えておきます」
セルウィリアは左府に即答を与えなかった。
左府の考えははっきりしている。自分のあの嫌みったらしい息子を、私の配偶者にしたいのだ。汚らわしい。
この国を自分のものにするのが左府の長年の野心なのである。その邪魔になりかねない、硬骨漢のステロベとセルウィリアの幼馴染でもあるバアルを宮廷から遠ざけたいのだ。
とはいえ、鼓関を治める安東将軍や、北辺に備える鎮北将軍は、誰にでも簡単に与えることが出来るような職ではないし、現職は二人とも老将、なんども
関西は
それを考えるとバアルを派遣することに反対ではない。
だがバアルはセルウィリアが相談できる数少ない臣下でもある。なるべくなら王都にいて欲しい。王女はそう思った。
その男は年の頃は二十歳ほどであろうか、端正な顔立ちの男である。武人らしく引き締まった身体を持ち、剣を下げ武官の服を着て歩いている姿が、これほど様になる男は関西には他にいなかった。
彼に想いを馳せる女官なら宮中では掃いて捨てるほどいるという噂だ。
姓はバルカで名はバアル、
バアルは第十二代武帝の血を引く高貴な血筋、またバルカ家は代々関西で大臣を勤める人物を排出する名門貴族でもある。さらにはセルウィリアの大叔母がバアルの祖母、すなわち、はとこでもある。
ということでセルウィリアにとっても数少ない近親者であった。王位継承権は四位。
それだけでなく幼少時から同じ教育を受けた、学友でもあり幼馴染でもある。セルウィリアの父である義帝は、ゆくゆくはセルウィリアの婿に迎えようと考えていた節があった。義帝の死でその話は棚上げされてしまったが。
そのバアルに自室に戻る途中でセルウィリアは偶然出会った。
「あらバアル。今日も遅くまでご苦労様」
だがセルウィリアはバアルのことを考えていた時に、彼と出会うということを偶然だとは感じなかった。それどころか当たり前であるとさえ感じていた。
彼は彼女の騎士であった。困ったことがあると、どんな難問であっても解決してくれたし、どんな些細なことでも相談に乗ってくれる存在、ずっと幼い時からそうであったのだから。
バアルはこの若さで
バアルは軽やかに礼をする。教本に載せたいくらいの美しい姿勢であった。
「これは姫様。ご機嫌麗しゅう」
「ねえねえバアル聞いて聞いて」
セルウィリアはバアルに駆け寄ると、手を気安く取り、押し抱くように両手で握って語りかけた。
彼女は自分の美しさを存分に知っていた。こうすると宮廷の男達は顔を赤くして、どんな難題であっても引き受けてくれることも知っていた。昔から一緒に過ごしたバアルには効かないけれども、他人に頼るときはこうしてしまうのが彼女の癖だった。
「今度の除目は、色々な官職を決めなければならないの。廷臣の中でも貴方を鎮北将軍や安東将軍に推す声が多いわ。でも、その中には色々な思惑が感じられるの。はたしてわたくしはどうすべきなのかしら? 貴方はどう思って?」
「国の為とあらば迷うことなどございますまい。私以外に適任者がおらぬというのなら喜んで行きましょう」
「わたくしは貴方を王都から離したくないわ。それに四年間よ、四年間! 四年間も貴方に会えないのはわたくし、とても寂しいわ」
「姫様。そのお言葉だけで私には十分です。このバアル、どのような役目であれ姫様の仰せに従います」
実際、その言葉を聞くとセルウィリアは感激で口を両手で覆い、涙を浮かべた。
彼女はその時、今まで感じたことのない新鮮な感情が、心の奥底からふつふつとマグマのように沸き上がってくるのを感じていた。
この幼馴染で友達以上恋人未満な関係、しかも宮廷を牛耳る左府によって離れ離れになる二人という設定は、彼女の
彼女は刺激に飢えていた。退屈な宮廷生活、変わり映えのしない毎日の生活。この年で王に祭り上げられて、政治などと言うことに大事な青春の多くの時間を割かねばならないことに、多大なストレスを感じていたのだ。
「ありがとうバアル。わたくし辛いですけれども、あなたがそう言ってくださるのなら、わたくし何よりも心強く感じてよ。貴方は本当にわたくしの宝物です」
まるでセルウィリアは恋人が生き別れになる瞬間ででもあるかのように、涙をその大きな目に
彼女は生まれついての役者だった。それも与えられた役割を完璧に求められるがまま演じることの出来る、そういうタイプの役者だった。若くして王を務めるという異常な環境が彼女をそういったいびつな形に成長させたのだ。
「そんな・・・本当にもったいない・・・」
バアルが頬を赤くするのを見て、彼女は心の奥底で笑みを浮かべた。
この設定はなかなかいい。バアルもまんざらでもない様子だし、しばらく二人の関係はこういう路線で行こうかしら。
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