第28話 青野原の戦い(Ⅱ)
既に
とうとう、ここまで来た。
速ければ明日に、遅くとも数日内には王師が待つ青野原に入ることだろう。
今日は昼過ぎには早くも、青野原山系の五色岳口近くで陣営を張った。ここ数日はずっと雨天。雨は今日も降り続いていた。歩哨の兵士たちは濡れており、
アエティウスもアリアボネも、幾度も斥候を出して、伏兵の有無、敵の動向を探るのに必死であった。
青野原は過去には合計十万の軍がその地で戦ったこともある広大な盆地。王師三軍は北西から南東に向けて走る街道に沿って平野の中ほどに布陣していた。
そのまま敵が動かないのであれば、何も考えずに、五色岳口から青野原に兵を入れても大丈夫だ。
だが
それに五色岳口から青野原まではうねるような山道だ。そこに伏兵を置くという策は敵には魅力的に映るだろう。
というわけで山々の頂上まで斥候を出して警戒する必要があったからだ。
「我々が青野原に全軍入り、陣を敷くまで、王師が指をくわえて見逃してくれるというのは、虫のいい願望かな?」
真剣な顔で考えていたアエティウスがぼそりと言うと、アリアボネは噴出してしまった。
「こんな時に笑わせないでください! ・・・それはそうですよ。まさかそこまで王師はマヌケではないでしょう」
「だがこうは考えられないだろうか? 王師は本当に統一した意図で我々を待ち受けているのか、とね。もし王師の指揮官が一人と言うなら話は別だと思うが、昔から言うじゃないか、二人の良将よりもむしろ一人の凡将を可とす、と。どうやら左府、内府、羽林大将軍三人それぞれ一軍を率いているらしい。あの三人に協調した動きができるだろうか? いや誰かが出した命令を他の二人が了承するだろうか?」
「確かに・・・報告でも右軍と中軍は少しばかり左軍から離れて布陣しているとか・・・ひょっとしたら、そこに付け入ることができる隙があるかもしれませんね」
「そう言えば左府と内府はいつも朝議でも喧嘩ばかりしてたよ」
と、有斗は今更ながらに朝議での左府と内府との
「ええ、単なる権勢争いだけでなく、三代に渡って政敵だったのです。いろいろ積もる恨みもありましょう」
「一軍だけ釣りだして罠にかけれないかな、ニザフォスの時みたいに」
有斗がそう言うと、ほう、とアリアボネとアエティウスは顔を見合わせた。
「どうやら陛下も我々と同じことを考えているようですな」
「具体的な考えは全然思いつかないけどね・・・」
頭を
「それでいいのですよ。王は大まかな方針を決め、将軍たちが細かいところを詰める。それが王の役目であり、将たる我々の役目なのですから」
そこでそれまで黙って有斗とアリアボネの会話を聞いていたヘシオネが突然、口を挟んだ。
「ならば私に一計が」
「どんな?」
「私がハルキティアの兵を率いて街道を迂回し、王都を
その提案にアエティウスとアリアボネは顔を見合わせた。
「悪くはないですが、危険な側面を持ちます。逆に敵軍に各個撃破を許せば、ハルキティアの軍をまるまる失った我らは一気に不利になります」
ヘシオネはアエティウスが反対するのも意に介さずに、有斗に自分の進言の正しさを強調した。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずと申します。大業を為すのに、多少の危険など恐れてはなりますまい」
有斗はヘシオネに押されつつも、アエティウスやアリアボネが何か言いたそうな顔をしているのを見て、珍しく空気を読んだ。
「僕はヘシオネさんにそんな危険なことはさせたくないな」
「まぁ。嬉しいことをおっしゃる」
本心か演技かは知らないが、体で品を作って表現するヘシオネに対して、照れる有斗を見たアエネアスはふくれっ面をした。
だがこれでとりあえずはヘシオネの策は棚上げとなったことでアエティウスは安堵した。
「陛下もそろそろ王としての
「えへへへへへ そうかな?」
有斗はアエティウス、アリアボネに褒められて、その時は有頂天になっていたが、後でよくよく考えると、これって今まで王としての
しかも『ついてきた』っていうことは、完全についてるって認めたわけでもないということだ。
有斗に
翌日、エレクトライを先頭に、南部諸候軍は回廊に侵入した。
エレクトライはティトヴォにおいて北面の敵を蹴散らして、西面の敵を分断した後も更に長駆し、南面にてリュケネ隊の後背を突くという殊勲を立てた南部諸候である。
その戦いぶりは評判になり、南部の兵からは『神速の』という二つ名で呼ばれるようになった。
兵にそういった二つ名で呼ばれるほどの将軍は、このような乱世であっても珍しい。
南部から青野原へと抜ける回廊は長い。一キロ進んでもまだ出口が見えなかった。
突然、アエティウスが馬を止めた。
「どうしたの? 敵?」
有斗は馬車から顔を出して訊ねる。そこは両側がきりたった崖で挟まれた地形だった。ここで敵に襲われたら一網打尽である。
「ここに兵を伏せましょう」
有斗は首を伸ばして両方の崖を交互に見上げる。かなり首を傾けないと上が見えない。
「確かに伏兵をするには適してる地形だね。下から見上げても崖の上がなかなか見えない」
「ええ、囮で敵をここまで引き連れ、ここに配置した弓兵で奇襲をかけ、罠にはまったと知って、逃げる敵兵を追撃する。その後、救援に来るであろう王師を次々と回廊に退きこんで、また戦う。これを何度か繰り返せば敵の堅陣も綻び、我々に付け入る隙を与えてくれることと思います。今回はこれでいきましょう」
今回は、ってことはその次もあるってことか・・・
さすがのアリアボネとアエティウスも、王師三軍相手に今すぐに勝てる策は考え付かなかったんだな。
無理もない。ティトヴォでも、もしアエティウスが来るのが遅れていたらどうなっていたことか。こっちにも下軍七千が味方になったけど、敵は三万の王師だ。しかも王師と言うのは格があって、王の指揮する軍である中軍が最精鋭、次に左軍、右軍、最後が下軍だという話だ。
・・・厳しい戦いになりそうだ。
ようやく青野原が見える地点に到着した。
いつでも逃げやすいように兵は騎馬兵中心で、歩兵はリュケネの旅隊だけだ。
幸い、回廊は入り口近くで曲がりくねり、我々が実は少数しかいないということを隠してくれている。
入り口から出たら、きっと三方から兵が殺到するだろう。これ以上は進めなかった。
だが有斗たちを目にしても敵陣が動く気配はなかった。
「我々を青野原に引きずり出したいのでしょう。なかなかうまくはいかないな」
アエティウスも苦い顔をしている。
敵の陣形を見るところ一番距離が近いのは左軍。とはいえ他の二軍との距離が開いているわけではない。
有斗らが左軍を釣りだそうと近づいたら、きっと兵を我が軍の後背に回して包囲殲滅を図るであろう。
有斗らは囮の役割さえ果たせずに敗北を喫するに違いない。
弱ったことになった。
しばしのにらみ合いが続いた。
王師側でも思いは同じだった。
「出てこぬな」
出てこない南部諸候軍を見て内府はそうつぶやいた。
「出てきませんな」
左軍の
「いっそ我々だけでも、攻撃に移っては・・・?」
眺めていても事態が変わるわけでもあるまいし、と一人の旅長がそう献言する。
左軍を指揮するは内府。といっても実質の指揮は左軍の将軍たちが行っている。そもそも
とはいえ形ばかりであっても主将は主将。兵を動かすにも内府の許可がいる。
「さすがに決めた約定を破るわけにも行くまい。どうにかしてあいつ等をこの平原に引っ張りださねばな」
そういう内府だったがそれを実現する良案を所持しているわけではなかった。
「内府様それならばひとつ提案が」
旅長の一人が左府に近づき
「ヒュベルか。申してみよ」
ベルビオほどの
「ここは古代の礼を重視する戦争方法を取られては? 最近ではまず見たことはありませんが、面白い見物になるでしょう。それに敵を挑発すれば、攻撃するために敵軍も平野に出てくるやも知れません」
「ほう?」
内府はヒュベルの申し出に興味を示した。
「して、申してみよ」
ヒュベルは頭を下げ一礼し話し始めた。
「古来の戦闘では、戦争で兵がぶつかり合うまでに、双方の主将による論戦あり、互いに的を用意して、神意を問うために敵の的を打ち落とす矢合わせあり」
それはサキノーフ様が来るまでのアメイジアの神話に残る戦いの仕方。戦いも神事だと考えていた時代の戦い方であった。
「・・・そして将同士による一騎打ちがあります」
ヒュベルの言葉にじっと考えていた内府は、ヒュベルがようやく何を言いたいのかわかったらしく、ニヤッと笑みを浮かべると、
「よし面白い。やってみよ。王師一とも言われる、そなたの腕を存分に見せてみるがよい」
と許可を与えた。
南部諸侯軍が見守る中、左軍は動きを見せない。中軍、右軍も同様だ。
だが有斗たちが見守る前に、鎧に身を固めた一人の騎馬武者が、左軍の陣より馬をゆったりと歩かせ出てきた。
「なんだ・・・あれは・・・?」
「使者にしては旗を掲げておらぬが・・・?」
目的がわからず、皆が首を
「そなたらが兵を進めぬのなら、ひとつ面白い余興をしようじゃないか!」
大きな声でその男は叫ぶ。
「余興とは何か!?」
護衛のために近侍していたアエネアスが、有斗の前に馬を進ませて叫び返した。前々から思っていたが、元気が有り余っているのだろう。声も無駄にバカでかい。
「一騎打ちをしようじゃないか!」
男は手に持った十文字槍を真っ直ぐに有斗たちに向けると挑発した。
「一騎打ちだと!?」
「そうだ、太古の昔は将同士が一騎打ちにて神意を計ったという。兵を進めて戦わぬのなら、それで神意を占ってみてはどうだ!?」
ゲームや、テレビや、ネットで得た有斗の知識では、華々しい一騎打ちは戦には無くてはならないものの一つだ。だがメリットは一つも無いのか、口々に否定の言を述べる。
「ふん。馬鹿馬鹿しい!」
「ああ、南部の土民はそんなことも知らなかったか? 失敬失敬」
一斉に怒号を浴びても、それを一切介しないかのように、その男は涼やかに笑い飛ばした。
「知っている! 馬鹿にするな!!」
「・・・ということは、アレか。俺が怖くて出てこないということか? 聞いたところによると、南部の賊軍は二万いるそうではないか。二万もいて男は一人もいないのか? 腰抜けは泣きながらさっさと家に帰って、母親にでも慰めてもらういい!!」
「く・・・!」
「そうだな・・・俺が怖いと言うのなら、二人がかりでも、なんなら三人いっぺんに来てもかまわんぞ!?」
「ふざけたことをぬかすな!!」
「まぁ、俺はお前等全部とだって、相手をしてやってもいいんだがな!!」
「どこまでも舐めた言葉を吐きおって!」
「どうした! 出てこぬのか!? 何のために南部からモグラのように
どっと左軍から一斉に笑い声が上がった。
「~~~~んぅぅぅぅ!!! 勝手なことばかり言って!!!!」
有斗の横でアエネアスは血管がぶちきれそうなほどの怒りで、顔が真っ赤になっていた。実にわかりやすい奴だ。
「アエネアス、落ち着け」
「しかし兄様、馬鹿にされて黙っているなど、ダルタロスの名に恥じることになります!」
アエネアスがアエティウスに食って掛かっていたその時、大きな獲物を小脇に抱えた一人の騎馬兵が、敵将の呼びかけに答えて、馬を走らせ近づいた。
あれは確か・・・と有斗は記憶を探ってようやく思い出す。ストルダ伯と一緒にいた屈強な兵士だ。あの大双戟は見覚えがあった。名前を聞かなかったけれども、一騎打ちに応じるくらいだ。さぞや名のある武将であろう。
「お相手つかまつろう」
と少し距離を取ると、大双戟を突き出し一騎打ちの相手を名乗り出た。
「貴殿の名前は?」
「南部のストラダ伯が配下、タネイアシアと申す」
「我が名はヒュベル。王師左軍の第三旅長を拝命している! いざ参る!」
その瞬間、二人は相手を目掛けて馬を走らせた。
「ヒュベルですって!?」
敵が名乗ると、アエネアスが身を乗り出して二人の戦いを見ようとした。
有斗がそのアエネアスの姿をわき見した一瞬で勝負は終っていた。
有斗が次に見た光景は、馬首をめぐらし元いた位置に戻ろうとしているヒュベルと、主を無くして駆け去っていく馬、そして地面に転がった胴を二分されたタネイアシアの死体だった。
一瞬、静まる両陣営。
次に爆発したかのような歓声が王師三軍からあがり、南部陣営にはどよめきが広がった。
「ヒュベル・・・」
そう言った後、アエネアスがじっと馬上の敵将を眺めているので「知ってるのアエネアス?」と訊ねると、「アエネアスと同じ時の
武状元・・・つまりは優勝者か。
「ということはアエネアスより強いの?」
アエネアスは有斗の言葉に猛抗議を行った。
「油断していただけです! もう一度やれば私が勝ちます!!」
「・・・だそうです」
アエネアスの言葉にアエティウスは肩をそうすくめて付け加えた。
「ちょっと兄様! なんですかその態度は!」
「いいから行くなよ。お前では勝てない」
「そんなことはありません! あれから二年も経っているんです!
おお・・・汚名挽回とか名誉返上とかみたいな間違った使い方で言わないのか。単なるバカなお調子者でなかったんだな。アエネアス偉いぞ、実に偉い! 褒めてやる。
突然、ロドピア候が有斗の前に出て
「陛下。我が配下で武に優れたものがおります。二十斤(十二キログラム)の大斧を軽々と操る剛のものです。陛下の許可をいただければ、挑戦させたいと思いますが」
有斗は判断に迷い、素早くアエティウスと目を合わす。その目はアエネアスの気持ちを沈めるためにも行かしてくれと言っていた。
そんな理由で行かして大丈夫かと有斗は疑問にも思ったが、先程の敵将軍の凄技を見ても本人が行くと言うからには、よほどの自信があるのだろうと思い直した。それに細身の女性であるアエネアスよりは勝利の確率は高いだろう。
「わかった。許す」
「はっ!」
ロドピア候の陣所から屈強な大男が出てくる。背はそんなに高いわけでもないが胴回りと胸がとてつもなく分厚い。
しかもあの二の腕の太さ。そこらの女の子のウエストよりも遥かに太い。有斗なら一秒で負ける自信がある。ていうか夜道で会ったら逃げ出してしまう、そんなかんじだった。
さらにはあの鉄斧・・・なんとか無双とかいうゲームでも持ってるキャラがいないくらい大きく重そうだ。
「我が配下を自慢するようですが、敵に後ろを見せたことのない男です。一度の戦闘で、狩り首を十も二十も下げてくる男です。ヒュベルは王師にその人ありと知られた存在ですが、必ずやこの決闘に勝利し、ブルテウスが新しくそう呼ばれることでしょう」
それほどの猛者ならば勝てるかもしれない、と有斗は思った。
二将軍は先ほどと同様に、一定の距離を取り、馬上で向かい合う。一騎打ちの作法だ。
「我が名はブルテウスと申す。南部にも将軍の異名は轟いておりますぞ」
ブルテウスは手を組むと丁寧にヒュベルを拝した。
「光栄だね」
「だがそれも今日まで。私の大斧が見切れますかな?」
例の二十斤の大斧を
見ているだけで風が吹いてくるような動きだった。
「ほう、是非見せていただきたいものだね」
ヒュベルの不敵な笑みに、
「参る!」
馬の腹を蹴って、双方が交差する。
優勢になったのはブルテウス。馬上したまま両手で大斧を打ち込むんだ。ヒュベルは十文字槍の中ほどで辛うじてそれを受けきっただけだった。攻撃もできないほどブルテウスの大斧が速かったということか。
ヒュベルは力を入れて斧を押し返そうとするが、
「ふん!」
ブルテウスは斧の刃を傾けると力を入れたまま
それは得物を握っている指を切断して飛ばすという、長物同士の接近戦での戦いではごく普通に使われる技だった。
だが防御側にとってみれば、行われるまで右か左かどちらを狙われるかわからない上に、敵の力を込めた長物に潰されないように力を入れたまま、滑らせた瞬間だけ、指を切断されないように、片手を開かなければならないという、ちょっとしたコツのいる技だ。有効的な攻撃である。
これで結構な武者が指の何本かをなくしているとか言う、ぶっそうな技でもある。
「あっ・・・ダメ! 下をねらってはいけない!」
突然、大声でアエネアスが叫んだ。
その瞬間だった。ヒュベルは得物の下部を持っていた左手を開き、力を弱めた。
当然その分だけ、大斧とブルテウスの体が右下にガクンと落ち込む。
それを身体をひねってかわし、自分の力と槍にかかるブルテウスの力、両方の遠心力で一気に十文字槍を回して、十文字槍の横の刃をピッケルのようにブルテウスの首に叩きつけた。
戦場は一瞬の後に静寂。
しじま。
ゆっくりとブルテウスの体が馬から落ち音を立て崩れ落ちる。
再び王師の間から歓呼の声が木霊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます