第八回にごたん投稿作(お題:二度目のキセキは/NGシーン/紋切型)

ミスマッチ・シャンディガフ



 普通はあり得ないと思われるような組み合わせが、案外ぴったりはまることもあるものだ。--そう、ビールとジンジャーエールでできた、シャンディガフみたいに。


「ここは……どこだ?」


 気づいたら俺は、来たこともない駅の、普段横目でやり過ごすような野暮ったいおでんの屋台のカウンターにいた。さっきまで御茶ノ水のジャズバーにいたはずだぞ。そこでシャンディガフを注文して……あれ、何杯飲んだだろうか。


 頭を抱えていると、おでん屋の気の良さそうな店主がカウンター越しに話しかけてきた。


「よう、お兄さん酔ってるねぇ。まぁまずは出汁でも飲んで酔いを覚ましな」

「あ、ありがとうございます……ちなみに今、時間は」

「ん? もう一時過ぎてるぞ。終電は無いんじゃないか」

「そ、そんなぁ……」


 肩を落とす、というのはまさにこういうことなのだろう。あぁ、おでんの出汁が胃に沁みる。明日は朝から新幹線に乗って東北まで移動の予定だったがもういい、キャンセルだ。俺はアルコールでピントがブレブレになっている視界を自分の指に集中させた。左の薬指の付け根までしっかりはめられた銀の指輪。これだけ酔っ払ってもまだ外していなかった自分に呆れる。


--彼女には今日、振られたというのに。




「しかしお兄さん男前だな。そのスーツ結構高いやつだろ。普段何の仕事してるんだい?」

「ああ……ピアニストですよ、一応。まぁまだ駆け出しなので、地方の市民会館で演奏するくらいですけど」

「へぇ! そりゃあすごいな。ピアニストって食っていくだけでも大変なんだろ? ああでも、お兄さんみたいなイケメンだったらヒモにしてくれる女の子もいそうだし大丈夫か」

「はぁ……」


 柄にもなくため息ばかりが口から漏れる。自覚しているよりも随分参っているらしい。こういう時どうしたらいいか分からない。女に振られるというのは、実は初めての経験だからだ。


 子供の頃から俺は自分のことを成功者だと思っていた。幼い頃から数々のコンクールで優勝して天才ピアニストとして持ち上げられてきたし、このルックスのおかげで女に困ったことはない。まぁその分男友達は少なかった気がするが、今まで別段困ったことはなかった。


 最近は安定して仕事も入るようになり始め、そろそろ彼女にプロポーズをしようと考えていたのだった。喜んでもらえると思っていた。彼女を最高に幸せにしてやるのだと。それなのに、先に振られるなんて。


「……マスター、シャンディガフを」

「この屋台にシャンディガフなんて無いよ」


 ハスキーな女の声がして、俺は後ろを振り返った。ボサボサに広がった髪にほぼすっぴんの若い女が、巨大な黒のリュックを背負って俺を睨んでいる。


「おお、エミちゃん仕事帰りか? 今日も遅くまでお疲れさん」

「ん。おっちゃん、いつもの」

「おいおい、そんな紋切り型のセリフ、おっさんくさいからやめろって言ってるだろう」

「別にいいじゃん。おっさんみたいな人しか来ない屋台なんだから」


 彼女は無愛想にそう言うと、俺を一瞥して隣の席に座った。


--ん、今なんて言った? おっさんみたいな人って、俺も含まれているのか?


 彼女は顔よりも大きいビールジョッキを渡されると、ガッと一気に飲み干し、プハーッと息を吐く。TVのCMよりも豪快な飲みっぷりだ。彼女はジョッキをどかっと置くと、ペラペラと店長に向かって話し始めた。


「今日は疲れたよー、NGシーン多くってさ。今売れっ子アイドルのチカリンっているでしょ? あの子が超絶演技下手でさ、常に棒読みなのよ。さすがの監督もあの子の役をロボット役とかに変えようって考えてるらしいわ。でさ、新しく入ったアルバイト君が本っ当に使えなくて……」


 店長は困り顔で俺の方を見て、小声で言った。


「この子は常連のエミちゃん。番組制作会社で働いてるんだ。こう毎回愚痴をこぼしにやってくるけど、本当は仕事が大好きで仕方ないんだとよ」

「へぇ……」


 絡まれたら面倒だ。仕方ない、この時間でも空いているホテルを探そう。そう思って席を立とうとした時、エミは気だるげに尋ねてきた。


「あんたは? 何やってる人なの?」

「……ピアニストだよ」


 それを聞くとエミは鼻で笑った。な、何だこの女。


「ふーん、違う世界の住人って感じだね。なんでそんな人が場末のおでん屋になんているのさ」

「エミちゃん、さっきから言葉がグサグサ胸に刺さるんだけど……」

「うるさい、おっちゃん。あんた、早く自分の居場所に戻った方がいいよ。おおかた彼女にでも振られてヤケ酒してるんだろ」


 そう言って彼女は割り箸で俺の左手を指してきた。さっきから無意識に指輪を外したり付け直したりしていたのを見られていたらしい。


 俺は顔に熱が昇っていくのを感じた。なんでこんな女にこんなことを言われなきゃいけない? ああそうだ、確かに言うとおりだ。こんな場所からはさっさと抜け出して、俺は自分がちゃんと輝ける世界に戻るべきだ。そこでまた新しい女を作ればいい。こんなガサツな女を相手にしている暇があったら。


 グラリ。頭が揺れて、ガンガンと痛い。俺は席から離れて地面にしゃがみ込んだ。気分が悪い。吐きそうだ。


「あーあー、飲み過ぎだよ。そういやエミちゃんちこの近くだろ? このお兄さんのこと泊めてやってくれないか。終電逃したみたいなんだ」


 当然断るものだと思っていたが、彼女の口から出たのは意外な返事だった。


「……いいよ、あたしの仕事手伝うっていう条件でね」






 なんだ、こういう女も結局顔には弱いってやつか。エミは文句一つ言わず俺をアパートに案内した。ごちゃごちゃと散らかっていて汚い部屋。予想通りすぎて笑いがこぼれそうになるが、まずは男として彼女の望みを叶えてやらなければ。


 彼女がベッドに腰掛けたタイミングで俺も隣に座り、柔らかい布団の上に押し倒す。二人とも酒を飲んでいるせいで息が荒く、肌がじっとりと熱い。


「なぁ、どうしてほしい? 遠慮せずに言ってごらん。君が一番好きなようにしてあげるから」


 しかし彼女は真顔で俺の顔を見つめ……いや、睨んできた。


「何勘違いしてんのあんた。泊めるのは仕事手伝うのが条件って言ったでしょう」





 ……というわけで俺は、座るスペースなどほぼ皆無なエミの部屋で、もう1時間もパソコンの画面と向き合っている。彼女が言う仕事とは、映像データの編集だった。美女役として抜擢された女優の顔にニキビができてしまったので、その修正をする仕事だ。


「ほら、手止まってるよ。まだあと50コマ今夜中にやらなきゃいけないんだからペース上げて」

「分かってる。念のため聞くが、今夜の定義は……?」

「朝5時。その後は次のロケがあるから」

「あと二時間くらいじゃないか! もしかして寝ないつもりなのか?」

「そうだけど何。別に普通だから。あんたは? 明日仕事とかあるの?」

「予定はあったが……キャンセルするつもりだった」


 そう言うと、作業机に向かっていた彼女はぐるんとこちらを振り返る。


「はぁ!? ばっかじゃないの。ピアニストって仕事もらえる事自体が奇跡なんでしょ」

「……そうだよ。だけど、こんな気分で良い演奏なんてできる気がしない」


 するとエミは床にあぐらをかいて座っている俺の背中を裸足で蹴り飛ばした。


「甘えんな。気合い入れて行けよ、目にクマ作ってもな。そうじゃないといつまで経っても立ち上がれないよ」


 蹴られた背中がじんじんと痛い。


「君は……強いな」

「強くなんかない。あたしみたいに突出した才能もない人間は、そうやって何度も失敗して、カッコ悪く這い上がって生きてんだよ。あんたみたいに何でも最初っからできますって奴とは違ってね」


 彼女はぷいと再びデスクに向き直る。その後ろ姿が俺の脳裏にしばらく焼き付いて離れなかった。





 それから数週間が経って、俺は再びあのおでん屋を訪れた。本当はもう少し早く来ようと思っていたけれど、あの翌日無理して行った仙台での演奏が案外好評で、追加公演が決まってしばらくバタバタしていたのだ。何でも鬼気迫る演奏が観客の心に響いたとかなんとか。元カノやエミ……そして何より自分に対する苛立ちが、ベートーヴェンの月光第三楽章にマッチしていたのかもしれない。


 カウンターには黒いTシャツにジーンズというラフな格好で、エミが巨大なビールジョッキを手にしていた。


「へぇ、また来たんだ」


 エミは相変わらず無愛想にそう言う。


「こないだのお礼がしたくてさ」

「奇遇だね。あたしもあんたにお礼が言いたかったんだ。あんたがやってくれた仕事、意外に丁寧で上司がびっくりしてさ。よかったらまた手伝ってよ」


 俺はエミの隣に座り、店長がこちらを見ていない隙に彼女にそっと耳打ちする。




「手伝うのはいいけど、二度目の奇跡は……?」

「あるわけないじゃん。バーーーカ」




 ああやっぱり。まぁそこまで期待もしてなかったしな。だけどこの落胆はなんだ。まさか俺がこの女に……


 ブツブツと呟いていると、彼女がでかいリュックから何かを取り出して俺の目の前に置いた。ジンジャーエールのペットボトル。





「でも、友達になったげてもいいよ。飲み友達」





 そう言ってにっと少女のような顔で笑うと、俺のビールジョッキの中にジンジャーエールを注いでいった。




***end***

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