第69話 お試し


いつもより、大きな蚊取り線香を買ってしまった。キンチョーのものを買おうとしたのだが、近場で見つからなかったのだ。


使ってみると匂いが違うくらいで、値段的にも遜色ない。お試しだと思って使うことにした。


世間にはお試しが溢れている。


一ヶ月無料トライ、返品保証、試用期間、もはや我々が試しているのか、企業に試されているのかわからなくなりそうだ。


お試しとは、物やサービスの価格を下げて手に取り安くしているが、大体商品に興味を持った時点で、購入を視野に検討しているので果たしてお試しは必要かどうか。ブランドもののような高価な品物にお試しはない。もう一押しが必要な商品は、競合他社との差別化に苦慮していたりするのかもしれない。


漫画家の竹宮恵子氏が、漫画文化の斜陽は、気軽に立ち読みが出来なくなったせいもあるという自論を述べていた。違法ダウンロードが問題になっている今、少し意外な感じもするが、的を得ている部分もあると思う。


私が子供の頃、漫画雑誌はコンビニでも立ち読み出来た。今現在もアニメ化されている、とある科学の超電磁砲という作品の初期の頃に、主人公が漫画を立ち読みしに行くという描写があった気がするので、それほど遠い昔の話でもないのだろう。


漫画も将棋と同じように、アイデアにオープンソース的な部分があるので、完全なオリジナル表現というのは難しい。


パクリとまでは言わなくても、似た作風の作品が量産されるのは、ネット小説などを見ても一目瞭然である。


近年話題をさらった鬼滅の刃も、誤解を恐れずに言えば、これまでのジャンプ系作品から多大な恩恵を受けている。


仮に立ち読みが解禁され、鬼滅の刃を読んだ人がコミックスを買ったり、そこからインスピレーションを受けて漫画を描いたりしたらというのは出来過ぎであるし、立ち読みを推奨することもできない。


お試しの効果は限定的であると言わざるを得ない。これだけネット小説や漫画が読み放題なのに、本になってもなかなか食指が動かないのがその証明である。


飽食の時代というのもあると思う。人も物も全て消費され、飽きたら捨てる。スピードだけが重視され、去年何が流行ったか覚えている人は少ないのではないか。


それでも冒頭の蚊取り線香のように偶然手に取ったものが価値を持つような創作のあり方には、私も希望を抱いている。やはりお試しは悪くないのかもしれない。

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