人間らしく生きたいな

堀田耕介

第1話

「人間らしく生きたいな」

              堀田耕介

 「人間らしく生きたいな。人間らしく生きたいな・・・・・・」

 というフレーズで、歌を想い浮かべる人は、

最近では少ないのではないだろうか。

 確かにあれは、私が中学生の時だったのだろうか。

 修学旅行での京都の旅館で、なんとなく口ずさむ。私だkrではない。同室の友人も同じようにひとり言のように口ずさむ。「人間らしく生きたいな・・・・・」と。この後のフレーズは

「トリスを飲んで・・・・・・」である。

 何のことはない。ウイスキーのコマーシャルソングである。

 誰が歌っていたのか、どんな内容のコマーシャルだったのかはいまは思い出せない。

 私の高校生時代は、いわゆる民青と呼ばれる学生たちが、学級の指導権を握っていて、

私は押し黙っていたような日々を過ごしていた。要するに「日本共産党」の青年組織「民主青年同盟」である。

 それでも、青春の血は滾って、週末、男は私と友人、女は3人の5人で「読書の会」教室の片隅で開いていた。

 テーマは、サマセット・モームの「人間の絆などである。お互いに意見を言い合い、来週は「これにしよう」と次の会の小説の題名を決めて、という形で会は終わる。



 大学時代は、学生運動の嵐の中にいた。

 うっかりキャンパスで、ベンチに座っていようなものなら、同じ学部の先輩から、

 「なに、日和っているのだ」

などと声を掛けられて仕舞う始末である。

などと声をかけられるしまつである。

「日和ってる」とは当時、サボっているとか、要するに「日和見主義」の事である。

 私は苦学生であった。だからアルバイトで教育費を稼ぎ、それで勉強をし、また酒を飲む。恋もした。

 それでも金がなくなり、友人と酒を飲むときなどは、トリスのウイスキーと、コーラとレタスと卓上塩を買ってきて、レタスに塩をつけたものをつまみ、ウイスキーのコーラ割である。汚い大学の寮の片隅で、それでも話す内容は、「人間らしくいきるとは・・・・・・」とか、「社会主義革命が起きたら人間は本当に幸せになれるのか」などである。それと恋愛論等々・・・・。

 当時ジョニ黒の水割りはバーでは一杯千円はした時代である。酒は高いものであった。

 この時代は夢もあったが、とても恐ろしい時代でもあった。

 先ほども触れた、「なに日和っているのだ」

と声を掛けてきた学生は、近くの大学の構内で殺害された。

 彼は核マル系で、当時敵対していた中核派のリンチにあったのだ。


 このような時代を過ごした私もやがて社会人となる。

 今は、確かに、レタスを酒の肴にしなくてもすむようになった。酒も好きなものが飲めるようになった。ある日、シンガーソングライターの小椋圭さんの記事がインターネットに載っていた。

 「シクラメンのかほり」で有名なソングライターである。

 私は、彼が銀行員を辞めたのは、もう仕事などしなくてもいいからだろう・・・・くらいに考えていた。ところが違う。彼は人生でやり残したものがあるという発言をして、大学の哲学科に通うという。

 「ああ、何かつかみたいのだな」

とかんじた。

 そういう私の人生も長い。もう何かをつかんでもいい年である。

 そんな時、ふとこのフレーズが頭をよぎる。    


 「人間らしく生きたいな・・・・・・」                    

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