「Hello. Your name is」
汽車は走り続けている。
座席を立って、辺りを見回っても僕ら以外には誰も居なかった。ほかの車両にも行ってみたけれど、成果は上がらなかった。
「無駄だよ。私もさっき辺りを見て回ったけど、なにも無かった。あるのは紙とペンだけ。因みに、最前の車両にはたどり着けなかった」
「たどり着けなかった? どんだけ長いんだ、この列車は」
「さあ? 窓から顔を出して、前の方を見ても、ずっと同じ車両が続いているだけ」
「それじゃあ、どこを走ってるんだろう?」
「それもまったく持って謎だよ。駅にも停まらない。トンネルすら通らない。窓の向こうの景色が多少変わるだけ」
「どんな風に変わった?」
女の子が僕の服の裾を掴んで、もと居た座席まで引っ張っていく。そして窓の向こうを指差す。
「君が来たら、遠くに灯りが見えるようになったわね」
確かに窓から見える景色の遥か向こうには、ぼうっと淡い光の集まりがある。
「あれは、街かな? それにしては随分長い間見え続けているけど。高速道路?」
「分からないよ。ひょっとしたらこの汽車が走っている線路、街を大きく囲むように円になっているのかもしれない」
「それをずっと走り続ける汽車って、意味が分からないな……」
「分からないこと尽くし。とりあえず考えるのは諦めたわ。停まらない以上、どこぞの映画のように飛び降りるわけにもいかないし。だからね、さしあたって提案があるんだけど」
「提案?」
「お互い、あだ名をつけましょう。いい加減名前がないと呼びづらいわ」
がっくりと肩を落とす。状況が把握出来ない以上、この子と協力するしかない。その上でお互いの呼び名を決めるのも大切なのは分かる。ただ、この緊迫した状況でどうしてこの子は両手を合わせて「そうだ! 駅前の新しいお店のケーキを食べに行きましょう!」みたいな女子のノリで満面の笑顔で言えるのか。
「嫌なの? 凄く良い提案だと思うのだけれど」
「いや、確かに賛成だけどさ……。もっとこう緊張感のある感じでさ」
「緊張感も何も、別にゾンビに囲まれているわけでもないし。確かにどん詰まりな状況ではあるけれど、切迫しているってわけでもないし」
「記憶もなければ、状況も分からない。助けを呼ぼうにも、誰に、どこに、どのように救難信号を送ればよいのかも分からない。これを切迫した状況と言わずになんと言うんだ」
「今すぐ死ななきゃ良いのよ。うん」
そこで、女の子は「ううむ」と唸り、指先で自分の頭をこつこつと叩く。
「……やっぱり人と話すのは大切なのね。私、一人で物語を書いている時は、自分がこんなに豪快な、というか神経が太い人間だとは思わなかったわ」
「最初は結構クールな印象だったけどね。無表情だったし」
会ってからそんなに経っていないけれど、幾分、最初のころより彼女の表情は賑やかになっていた。それに伴って口調も微妙に変わってきている。
「私も、こんなに自分の顔の筋肉が仕事熱心だとは思わなかった。でも、一人の時より、全然、今のほうが、良い」
それは、僕も思う。この子は飛びぬけて可愛いとか綺麗とか、そういう顔ではないけれど、笑顔が素敵な顔をしている。
「それで、あだ名はどうする? お互いあだ名なんて付けるための情報が何も無いわけだけど」
「そうねえ……」
女の子の視線が『銀河鉄道の夜』に向く。
「それじゃー君はカムパネル……」
「却下」
「えー」っと女の子が膨れっ面になる。途中で読むのを諦めたとはいえ、流石にこの物語の結末くらいなら知っている。
「そんな名前にしたら帰れなくなるから、僕。縁起でもない名前をつけるな!」
「だって、君に関する情報、それくらいしかないんだもの」
「そしたら、僕は君の事を『神経太子』と呼ぶ」
「……君は、ボケのセンスは無いみたいだね」
女の子に至極真面目な顔で、言われてしまった。少しだけ恥ずかしくなる。
「でも、それならどうする? もう適当にAとかBとかにする?」
「うーん。それじゃあ、なんか味気ない……」
女の子が腕を組んで、窓の外を見る。すると何か思いついたのか、ぱあっと笑って僕の肩を掴んできた。
「決めた! 君はアカリ。アカリと呼ぼう! 君が来たら明かりが見えたから!」
あまりに良い笑顔で言うものだから、僕はその顔に見とれて、言葉に詰まってしまった。
アカリか……。じっと女の子の顔を見る。確かに良い名前だけど……いやでも、その名前は。
「いや、アカリは君の名前にしよう。君のほうが似合ってる」
そう言って、僕はアカリの両手をゆっくりと自分の肩から外した。
「えー。君が来たから、明かりが灯ったのだよ? 君のほうが相応しいと思うのだけれど」
むすっとした顔でアカリが反論する。でも、なんだかその名前と、さっきの笑顔が妙に結びついてしまって、僕もゆずる気はなかった。なので。
「明かりが灯ったのは君の顔のほうだよ。チカチカと眩しいくらいだ」
と、出来うる限り、最高の笑顔で反論する。すると。
「口説くならもっと上手くやりなさい」
「そんなつもりはない!」
急にその明かりは消えうせて、真顔で言われてしまった。
自分のあだ名を自分で付ける訳にもいかないので、命名はアカリに丸投げすることにした。あれから多少渋っていたアカリもついには折れて、なんとか納得してくれた。幸か不幸か時間だけは沢山あるようだから、アカリはさっきからずっと眉間に皺を寄せて一人で唸っている。
「……カムパネルラはダメなんでしょ……。じゃあ、賢治。いや、なんか安直すぎる。いっそ別の角度から攻める? 全然関係無い所から引っ張ってくる? カート……コベイン……ジョン……マイケル……カヤマユーゾー……」
「なんで最後だけ若大将」
「そんなこと言ったって。『アカリ』なんて素敵な名前を貰ってしまった以上、君にもハイセンスな名前をあげなきゃバランス取れないじゃない」
「別になんでも良いですよ。僕は」
「それじゃーカムパネル……」
「却下」
「なんでも良いって言ったくせに……」
「なんか、その名前は、状況的にダメ」
「なんなんだよもー」と言いながらアカリは座席の間を行ったり来たりしている。一人でぶつぶつと何かを言いながら。その間にもアカリの表情は何かを思いついたかのようにぱあっと明るくなったり、そのアイディアが駄目だったのか、すぐに暗くなったり。遊園地の古いイルミネーションのようにチカチカと賑やかだった。
その間僕は特にすることもなかったので、窓の向こうの例の淡い灯りをぼーっと眺めたり、アカリの顔を眺めたりしていた。唯一の娯楽になってしまっている『銀河鉄道の夜』でも読もうかとも思ったけれど、やっぱり二、三行読んだだけで放り投げてしまった。
ふと、目の前の座席に目が行く。そこには最初にアカリが一心不乱に書き込んでいた紙の束が無造作に転がっていた。
「……。」
今、アカリはこの車両の端のほうに居て、ちょうど僕の席からは見えない。恐らく、彼女の方からも、この座席の中は見えない。よく漫画とかであるように「見ちゃえよ」と誰かが耳元で囁いたりは……しない。しないけれども。
「まあ、いいか」
アカリに気づかれないように、僕はさっと紙束を掴んだ。
紙束は、随分と量がある。普通のノート十冊分くらいはありそうだった。ルーズリーフの様に線が何本も引いてある。というかルーズリーフそのものだった。ただ、普通のルーズリーフと違って、様々な色の紙があって、そしてバインダーなんかで留めるための穴が空いていなかった。そして奇妙なことに、そこには文字どころか、落書きさえも、一切何も書かれてはいなかった。
「決めた!」
と、突然アカリが大きな声を出した。その声に驚いて紙束を落としそうになる。なんとか踏みとどまって、笑顔で戻ってくるアカリに気づかれないように元の場所に紙束をそっと戻す。
席に戻って来たアカリはにこにこと、まるで幼い子供が拙い手つきで家の手伝いをやりきった時のような「どうだ!」とでも言いたげな顔だった。そして、僕の顔に一指し指を突きつけて言い放つ。
「発表します。君の名前は……カガミだ!」
「……カガミ?」
余りに無難な名前だったので、素っ頓狂な声をあげてしまう。
「して、その心は?」
「……誰も居ないこの夜に君が来て、そして話して、それで私は私を少しずつ知っているから……だから、鏡。君の瞳に写る僕を見て僕を知るのさ! だからカガミだ!」
最後の方は変に演技かかった感じでアカリはまた、言い放った。何故か前髪をかきあげる動作つきで。
「なんだか、マンガか何かのキャラクターみたいな名前だなあ」
と、演技のことにはつっこまずまた文句を言うと。
「いーや、これ以上君に相応しい名前はないね。良いじゃないか。灯と鏡」
そう言って、アカリは、今度は窓の外を指差す。
「なんだか、こんなよく分からない夜でも、どこまでも照らしてくれそうだよ」
「そういうものかなあ……」
窓の向こうでは、相変わらず淡い光が遠くのほうで頼りなく揺れていた。僕にはそれが、なんだか、今の二人に思えて、少し、怖くなった。
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