追憶

「き・・・えた?」


 呆然と立ちつくす。たった今まで目の前にいたのに。この手で触れていたのに。

 俺は自分の両手を見つめた。その掌にぽたりと涙が落ちる。


 ずっと忘れてしまっていた記憶。懐かしく優しい思い出が頭の中を駆け巡る。この邸で過ごした日々。両親の笑い声。そして、愛らしくこにくたらしかった乙葉。───もう二度とかえらない。



 一人佇んでいる俺の肩を誰かがたたいた。


「乙葉ちゃんの願い、かなえてあげないといけませんね」


 しみじみと言う男。

 ああ、そうだ。一人じゃなかったんだ。

 俺は慌てて涙を拭った。


「えっと、今さらですがあなたは?」

「ああ、失礼しました。私はあなたのお父さまにここの管理を任されているもので柏木と申します」

「管理人? 俺の親って・・・」

「今のお父さまですよ」


 ゆっくり話がしたいという柏木氏について一階に下りる。全てを思い出した今となっては、ずいぶん懐かしい感じがする。

 階段を下りきって右にはリビングがあるはずだ。

 柏木さんはそこを通り過ぎてダイニングに向かった。黙ってついていく。


「飲めますか?」


 ウイスキーの瓶を見せながら言う柏木氏に頷いてみせると、グラスに注ぎ氷を浮かべて手渡してくれた。

 それを一息に流し込む。


「もう十年以上前になりますね。ずいぶん大きくなって全くわかりませんでしたよ」

「俺のこと、知ってるんですか?」

「ええ、よく存じてますよ。私はよく庭の手入れに来ていましたからね」

「庭の・・・あ、庭師のおじさん!」


 柏木さんは唇の端を少し持ち上げ頷いた。


「あの翌日、亡くなられたご両親と坊ちゃんを発見したのは私なんですよ。その後、乙葉ちゃんだけが見つからず。捜索はずいぶんされたんですがね。邸の周りから森の方まで。それでも何日たっても見つからず、結局発見されないまま捜索は打ちきられてしまったんです」

「それじゃあ、乙葉の遺体は」

「まだどこか森の中に・・・」


 ああ、それで乙葉はどこにも行けず一人ぼっちだったのか。


「もう一度、捜索願いを出します。めぼしい場所はわかっていますから」




 俺は蛍が出始めたら教えてほしいといいおいて幽月邸を後にした。


「もうすぐ蛍が見れるね」


 あの夏、乙葉が楽しみにしていた蛍。


 前年初めて見にいった蛍に狂喜して踊りまくった乙葉。


「兄ちゃん、見て見て、こっちにも。こっちにも!」


 くるくる回る。ころころ笑う。スカートの裾がひらひら揺れる。


「兄ちゃん。ほら」

 

 乙葉の、声が聞こえる。


 

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