正体

 幽月邸に着くと噂の通り確かにピアノの音が聞こえてきている。


 それにしてもレクイエムって。それっぽすぎて笑えるだろ。やらせじゃないか? 住人が面白がってやってるとしか思えない。


 近づいて玄関扉を見上げると、またさっきと同じ既視感デ・ジャヴ。一体なんなんだ。

 それよりもなんだかさっきから頭が重い。かいていた汗もひくほどひんやりとした風が吹いている。幽霊なんて信じちゃいなかったけど、やっぱり何かそういう得体のしれないものが存在するんだろうか。


 ノックしても誰も出てこない。ピアノの音は途切れることなく聞こえている。


「聞こえてないのかもな」


 ドアノブを回してみるが、当然のことながら鍵は空いていない。俺は窓から中が見えるかもと思い踵を返す。と、少女がポケットから鍵を取り出してまるで当たり前の動作をしているかのように、鍵を開けた。


「あれ? お前ここの子なのか? 何か思い出したのか?」

「わからないけど、───なんだかなつかしい」


 少女はわからないと言いながらドアを押し開け中へ入ると、まるで自分の家のようにすいすい歩き、二階への階段を上っていく。

 ワンピースの裾がひらひらと揺れている。暗がりでは白に見えていたそれは淡いグリーンだった。


「おいおい、どこへ行くんだよ」

「こっちよ」


 階段の途中で振り返る。

 初めてまともに顔を見た。色の白い愛らしい顔。切り揃えられた髪がよく似合う。にこりと微笑むとまた階段を上ってゆく。

 慌ててついていくと二階正面の大きな扉の前で止まった。ピアノの音が聞こえている部屋だ。



 扉を開けると背を向けてグランドピアノを弾いていた男性が、明らかに驚いたようにびくりと身体を震わせ振り返った。驚愕の表情を浮かべ言葉を失った様子。


 そりゃあそうだろう。真夜中の不法侵入者だ。


「君たちは───」


 立ち上がった拍子に椅子がガタンと音を立ててひっくり返る。


「驚かせてすみません。友人を探しに来たんです。三人先にきませんでしたか?」

「いや、来ていないが」


 初老の男はピアノから離れ近づいてきた。少し蒼い顔をしている。


「一体どうやって入ってきたんだ?」

「彼女が鍵を持っていたもので」

「鍵? この家の鍵をかい?」

「ええ、それで入ってきたんですから」


 俺が少女をしめして言うと、男はちらっと少女に視線を走らせた。


「それで君は友人を探しにここへ?」

「ええ、そうです。この幽月邸はずいぶん有名ですよね? 失礼ですが肝試しにこちらにむかったまま帰らないので」

「肝試し。そうか。残念だけど、君の友人たちはたぶんもう───」


 いわくありげに口を濁して視線を落とす。


 それって───。

 嫌な予感がする。ヘンな汗が背中をはしる。


「・・・どういう意味ですか?」

「それは君がつれてきたその女の子がよく知っているはずだよ」


 言われて彼女の顔をみる。彼女はなんのことだかわからないようだ。


「彼女は自分のこともわからないみたいなんですよ。崖の下に落ちていたんです。それで連れて来たんですけど」

「ああ、そういうことなのかい」


 男は納得したように一人で頷いている。

 それから彼女の顔をまっすぐに見つめて。


「君はさみしかったんだろう? だから人を呼んでしまうんだろう?」

「呼ぶって一体───?」

「君の連れてきた彼女はね、あそこの地縛霊なんだよ。そして、多分」


 脇から口を出した俺に説明すると、もう一度彼女に向き直り話しかける。


「君の名前は乙葉ちゃんだね?」


 そう言われた彼女は驚いたように目を丸くし、急にかくんと首を前に垂れた。それは頷いたようにも見えたし、絶望したようにも見えた。

 不意に───彼女から冷気が吹いてくる。背筋を冷たいものが走り指先から足先から冷えてくる。そして暗く冷たい声。


「そうよ。ずっと一人ぼっちで淋しくて───。だから来てもらおうと思ったの」


 顔をあげた彼女の顔は、さっきまであどけない笑顔を浮かべていたのに、幽鬼のようなおどろおどろしい表情になっていた。笑っているのに、冷たくて───。心まで凍りつくようだ。


「俺が落ちたあの崖か?」

「ううん、もっと高いところ。馨お兄ちゃんは何度呼んでも気づいてくれなかったから」

「ってことは、もっと向こうか」

「行っても無駄よ。もう遅いわ」

「あいつらに何をしたんだ!」

「こっちに来てって呼んだだけよ。足を踏み出せば崖下に落ちる場所から」


 少女は無表情に答える。淡々と。


「今までにも何人も引きずりこんだだろう? もう十分じゃないのか?」


 横から男が諭すように話しかけると、淋しそうな哀しそうな表情を浮かべて言った。


「だって。みんな連れてかえってもらうんだもの。見つけてもらって。私だけ、ずっと一人のまま。誰も見つけてくれない。だから淋しくて」


 近づいてくる少女から思わず一歩後ずさる。

 けれど身体が思うように動かず、それ以上は下がれない。


「馨お兄ちゃんも、来てくれるんでしょう?」


 少女が手を伸ばし俺の頬に触れた。氷のように冷たい手。


「一人は淋しいの」


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