笑顔が絶えなかった国
昔々、とある国に一人の少年がいました。
その日、少年は広場にいました。
少年の周りは老若男女、大勢の人が取り囲んでいます。少年は、耳栓をつけている所でした。耳栓をつけ終わると、大人たちから仮面を渡されます。
少年は、あまり気乗りがしませんでしたが、その仮面を手に取りました。そして、実に嫌そうにその仮面を着けます。
その、道化師の仮面を。
その道化師の仮面を少年が着けた途端、周囲を取り囲む人々は大笑いしました。誰も彼もが可笑しくて仕方がないという風に、大層嬉しそうに笑います。
何人かの人間は、少年を指差して、少年を小馬鹿にするようなことを言い出しました。
それを聞いた周りの人々も、少年に対し品のない言葉を浴びせます。それらは段々エスカレートし、熱を帯び、考えうる限りのあらゆる罵詈雑言が、少年に投げ掛けられました。
いくら耳栓をしているとはいえ、これだけ大声で騒がれては少しは聞こえているでしょう。
しかし、少年は固く拳を握っただけでした。
この地域には昔から続いている風習がありました。住民からくじで公平に、笑われ役を選ぶのです。
選ばれた者は一週間の間、目印に道化師の仮面を着けることを余儀なくされます。そして、その仮面を着けた人は、それ以外の人たちから嘲笑の的となりました。
かつて疫病が流行り、人々から笑顔が消えた小さな村から始まった風習でした。
少年は今日からの一週間を、この笑われ役として過ごすのです。
三日が経ちました。
少年は誰からも馬鹿にされました。いわれのない誹謗中傷を受け、大笑いされました。小石を投げ付けられ、握り拳で小突かれました。
特に、先週一週間の間笑われ役だった男からは、突き飛ばされることもありました。
倒れた所に、実に愉快そうな顔で唾を吐かれることも、ありました。
しかし少年は何も出来ませんでした。
道化師の仮面を着けた者に対しては、重傷を負わせるような行為以外は許されていたのです。
そして、笑われ役の抵抗は厳しく禁じられていました。
かつて、堪えきれず反抗した笑われ役がいましたが、彼は片腕を切り落とされました。
少年を辱しめる言動は、止まることを知りません。毎週毎週、笑われ役に対しとても陰惨な悪戯を仕掛けて笑っている男もいました。
彼の右腕はありませんでした。
これらの不愉快極まりない行為を、少年は耐えるしかありませんでした。
少年にとっての、長い一週間が終わりました。
次の笑われ役がくじで選ばれます。選ばれるのは、重病などを患っていない、満十二歳以上の男女からです。
少年の次として選ばれたのは、少年より幼い少女でした。
少女は、少年を含めた大勢に囲まれて、道化師の仮面を手に取りました。
辺りは静まっていました。
誰も彼もが少女が仮面をつけるのを今か今かと待っていたのです。
恐る恐る、少女が仮面を身につけました。
途端、周囲から笑い声が響きました。誰に憚ることなく大笑い出来るこの機会を逃してなるものか、と言わんばかりです。少女の友達は、昨日まで仲良くお喋りする仲だったのに、そんなことは忘れたかのよう。
その場にいた誰もが、日頃の鬱憤を晴らそうと考えていました。
その時、少年が少女に向かって走り出しました。
笑われ役に激しく当たり散らすのは、いつも以前の笑われ役なので、周りの人々は少年が少女を罵倒しに行ったのだ、と思いました。
少年は少女に走り寄りました。気配に気づいた少女は、体を震わせました。少年は少女の目の前に立ち、道化師の仮面を強引にはぎ取ります。
瞬間、冷水を浴びせられたかのように、周囲は静まりました。
ただ、それまで喧騒に紛れて聞こえていなかった少女のすすり泣く声だけが、聞こえました。
少年は大きく息を吸い込むと、叫びました。
「お前たちは仮面の下の表情を考えたことがあるのか!」
その気迫に、何か言いたげだった者たちも、押し黙りました。
「……誰かを馬鹿にすることでしか笑えないなんて、そんなの間違ってる」
辺りはしんと静まっていました。
しかし、不満げな表情をする者たちもいます。
「でも、規則だし、伝統だ」
誰かが言いました。
「これは、私たちの義務であり、権利だ」
また誰かが言いました。
「我々には、道化が必要だ。居なければ作り出さねばならない」
そうだ、と別の誰かが言いました。
その通りだ、と誰かが同調しました。
一度勢いづくと、もう止まりません。
辺りは以前のような喧騒に包まれ、広場はブーイングで埋まりました。ただし、以前と違って、周囲の人からは、もはや完全に笑顔が消えて居ました。
たくさんの人間から直接の悪意を受けて、少年は身の危険すら感じました。少年は、もう泣き止んでいた少女の手を取ります。
そして、走り出しました。
少女もつられて、走ります。
少年たちは、群衆の中に突っ込みました。もみくちゃにされながら、何とか抜け出そうとします。
ところが、あと少しというところで少女がつまずき、手を放してしまいました。
慌てて少年が振り返ると、少女を片腕のない男が、残る左腕で支えて居ました。
少年と片腕のない男の目が合います。男は一瞬気まずそうな顔をしましたが、次の瞬間、大声で言いました。
「早く行け!」
片腕のない男から少女を受け取り、少年は走り出しました。
後ろは、振り返りませんでした。
二人は西へ向かって走っていました。誰かが追いかけてくる気配はありません。
それでも、走り続けました。
「……どこへ行くの?」
少女が走りながら訊きました。
「ここじゃない、どこか」
少年も、走りながら答えます。
「行って、どうするの?」
また、少女が訊ねます。
少年は、少し逡巡して言いました。
「笑顔が絶えない世界をつくる」
そうして、二人は走り続けました。
*
長い長い年月が経って、とある旅行家が旅行記を書きました。その旅行記には、こんなことが書かれています。
『大陸の西の果てに、住民全てが笑っている笑顔が絶えない国がある――』
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