名声屋
俺はしがない非常勤講師だった。薄給で、アルバイトなしではとても生計を立てられない有様だ。
――そう、あの日までは。
「おっと、そこの人、いい話があるんだけど」
あからさまに胡散臭い勧誘に声を掛けられて、俺は辟易した。今日もバイトで疲れていたが、無理に友人に誘われて一杯飲んだ帰りだったので、余計に。
「暇じゃないんだ。じゃあな」
「せめて話でも聞いてかないかな」
声をかけて来たのは、羽根を生やしたシルクハットにタキシードとモノクルをかけた、痩せた男だった。
男のくせに化粧をしていて、そのせいかよく年齢が掴めない。
「僕は名声屋。興味ないかい?」
「名声屋? なんだそれ?」
どうやら職業のようだが、そんなもん聞いたこともない。
「簡単さ。人の名声を買い、別の人に売る。世の中には必要以上に名声を得てうんざりする人もいれば、喉から手が出るほど名声を欲する人もいるからね」
「名声を売り買いったって、どうやるんだよ」
「やってみればわかるさ。どうだい? 今なら安くしておくんだけどな」
「名声を買ったら、どうなる?」
「そりゃあ、名声を獲得するに決まってるだろう?」
俺は少しばかり興味を引かれた。名声なんか、今の俺からは随分と程遠い代物だからだ。
「で、具体的にどれくらいの値段なんだ?」
「そうだねえ、まあ、安めのコースだとこんなもんかな」
名声屋とやらが示した金額は、貧乏な俺には少々高いものだった。
「たけえな。安くはならんのか」
「んー、こっちも商売だからね。それに、それなりの量の名声を買わないと、大きな効果は実感できないと思うよ」
「わかった。金を下ろしてくるから待ってろ」
俺はコンビニATMでなけなしの貯金を下ろして、名声屋に渡した。
「おっ、確かに。名声の受け渡しは今夜行うから、よろしくね」
怪しい身なりの名声屋は、そう言い残して夜の街へ姿を消した。正直、カモられた気しかしないが。
「ちっ、やっぱ怪しい勧誘には気をつけるべきだったか」
酔っ払ってさえいなけりゃ、こんな過ちは犯さなかったんだが。
次の日、俺は再び夜の街へと繰り出していた。あの特徴的な姿を探す。すると、昨日と同じ場所にそいつはいた。
「おや、奇遇だねえ」
「奇遇じゃねえよ、探したんだ」
名声屋は、この時間なら大体ここにいるから、会いたいならここに来ればいいと言ってから、俺に尋ねた。
「それで、どうだった? 名声を得た気分は」
「ま、楽しいもんだったよ」
俺は正直な感想を吐露した。まさか本当に名声を得ることが出来るとは思いもしなかったが。
他人からちやほやされるってのは、満更でもない。
「そこで、相談なんだが」
俺はこころなし声をひそめて言う。名声屋も何を言いたいのか、感じ取ったようだ。
「ふふ、もっと名声が欲しくなったのかな」
「ああ。金ならあるぜ」
俺は名声屋に纏まった金を差し出した。
「こんなに。お客の金の出所は深くは尋ねないけど、無茶したんじゃないの?」
「まあね。だが、それも惜しくない」
「そうか。なら、僕は何も言えないね」
金は借りて来たものだった。返せる当ては、今は無い。
「じゃあ確かに、代金は頂いたよ。金額分の名声は、今夜渡しておくよ」
そういって、名声屋は昨日のように夜の街へと消えていった。
それから、俺は度々金を借りては名声屋から名声を買うようになった。
周囲の人間はどんどん俺を尊敬するようになる。俺は実にいい気分だった。
やがて、数十年の月日が流れた。
夜の街で、あの特徴的なシルクハットとモノクルを身につけた、痩せたタキシードの男を見つける。
「……久しぶりだな、名声屋」
「そうだね。今日も、名声を買いに来たのかい?」
「そんな所だ。ほら」
俺は厚みのある札束を差し出した。
「ふふ、すっかり君は僕のお得意様だ。こんなにもたくさんの名声で、どうする気なのさ」
名声屋は札束を数えもせずに懐にしまいながら、尋ねる。
「名声とはつまり、人気のことだろう? 人気があれば、人生は生きやすくなる」
俺は皮肉げに笑った。名声屋も、それに微苦笑で応える。集めた名声を利用して、俺は人生を有利に生きて来た。名声屋も恐らく、それを知っていることだろう。
「人間社会は、そういう風に出来ているらしいね」
相変わらず名声屋は、年が掴めない風貌だ。あれから大分経つというのに。
「お前のおかげで、俺は今や学長にまで上り詰めた。お前には礼を言わないといけないな」
「お互い様さ。これは慈善事業なんかじゃなく、ビジネスなんだから」
シルクハットの唾を軽く持ち上げて、名声屋は笑った。
「お前は、いつからこのビジネスを?」
「このビジネス自体は、文明が出来た頃からあったのさ。長い長い歴史を持つよ」
当然、俺は名声屋のことを人間なんかだとは思っていない。だから、その答えもさして驚かなかった。
「なるほど……。歴史上に名を残した人間の多くは、このビジネスを上手く利用したに違いないな」
ふふふ、と名声屋は笑った。底の知れない笑みだ。成功した人間の裏で、失敗した人間もきっといることだろう。
俺はたまたま幸運だったに過ぎないのかもしれないな。
気をつけないと、俺もいつ足元を掬われるか。
「じゃ、僕はそろそろ。いつも通り名声は、今夜の受け渡しだ」
名声屋が夜の街へ消えていくのを見送りながら、俺はそんなことを考えた。
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