絆屋
「はあ、カッコいいなぁ」
下校途中、あたしはスマホの画像を見て、ため息をついた。
テニス部の、憧れの先輩の写メだ。
遠くから見ているだけで、接点という接点もないんだけど、でも初めて見たときから、先輩のことが気になって仕方がない。
「もし、お嬢さん」
「え? あたし?」
後ろから突然声を掛けられて、あたしが振り向くと、そこには変なカッコの男の人が立っていた。
年齢不詳な顔立ちで、レンズが片っぽしかない眼鏡をかけていて、シルクハットとタキシードを身にまとっている。
「はい、あなたです。私は絆屋というものです、お見知りおきを」
「はあ……」
怪しい奴に声をかけられたもんだ。絆屋? なんだ、それって感じ。
「私は絆を売り買いしているのです。よろしければ、あなたのお望みの人物との絆をお売りしますが」
「えっ?」
あたしは驚いて持ったままだったスマホを危うく落としかけた。
「……絆って、どういうコト?」
「そのままの意味です。たくさん買えば、その分たくさん接点が生まれ、強い絆となるでしょう」
もし、その話が本当だとするなら、あたしには願ってもない話だ。
かなりうさんくさいけど、でも試してみる価値があるかも……。
「それ、どのくらいで?」
「そうですねぇ……。今まで接点のない人物と友達になろうとするなら、これくらいでしょうか」
絆屋、とかいう男が口にした金額は、今の手持ちでもなんとか払える額だった。
「そんなに安いもんなの?」
「ええ、今の人の絆というものは、あまり強くないものですからねぇ……。いかがです?」
あたしは迷った。そんなあたしを見て、絆屋は提案した。
「では、今回は特別でタダで絆をお譲りしましょう。ただし、知り合い程度の絆にはなりますが」
「うーん、じゃあ、そうしようかな……」
「かしこまりました。では、あなたは誰との絆をお望みですか?」
あたしはためらいつつ、先輩の名前を口にした。
「確かに、承りました。絆のお渡しは、今夜行います。変化があるのは、明日以降となるでしょう」
絆屋は事務的に言った。それから帽子を取って、おじぎする。
「ではさようなら、お嬢さん」
そう言ったかと思うと、くるりと振り向いて歩いて行ってしまった。
次の日。あたしは上機嫌で下校していた。先輩とお話が出来たのだ。アドレスも交換した。
まるで夢みたい。ふわふわした気分で歩いていると、昨日と同じ場所でタキシード姿の絆屋が立っていた。
「こんにちは、お嬢さん。絆、ちゃんと受け取れましたか?」
「うん、ホントだったんだね」
言いながら、あたしは笑顔になるのを押さえられない。
「それはよかった。さて、より強い絆をお買い上げになりますか? 値段は昨日の通りですが」
もちろん、あたしは頷いた。友達になれる。いや、それだけじゃ満足できない。
「もっと、強い絆が欲しい」
「わかりました。……同性なら親友、異性なら恋人になれるほどの強い絆、それでよろしいでしょうか?」
恋人。思わずその言葉に、胸が高鳴る。
「うん、それで。お金はどのくらいになるの?」
絆屋は金額を示した。財布の中身では足りない。
「お金が足りませんか? では、後払いでもよろしいですよ。私は明日もこの時間、ここに居ますので」
「ありがと。そうする」
こうして、交渉は成立した。
その翌日、あたしは天にも昇る様な気持で下校していた。
「こんにちは、お嬢さん。お支払い、よろしいでしょうか」
「うん。ちゃんと払うよ」
絆屋にあたしはお金を払う。限りあるお小遣いからして、なかなか厳しい値段だった。
「確かに。では、私はこれで」
「あ、まって。相談があるんだけど……」
「なんでしょう?」
絆屋はゆったりとした笑みを見せた。
まるであたしが何を言うかがもうわかっているみたいだ。
「ね、あたしの絆、買ってくれない?」
「もちろん、いいですよ。誰との絆を、どの程度お売りになられますか?」
あたしは父親の名前を告げた。
「おや、よろしいので? 買い戻しも出来ますが、少々高くなりますよ」
「いいよ、最近うるさいだけだし」
「現在の半分程度の絆ということなら、この程度の金額になりますが」
あたしは驚いた。とんでもない額だ。
「こんなに?」
「それはもう。一概には言えませんが、より身近に、より長くいる人間との絆ほど、強いものですからね」
あたしは父親の絆を嬉々として売りさばいた。まさかこんなにお金になるなんて。あたしはとても上機嫌で、絆屋と別れた。
次の日のあたしは不機嫌だった。朝から親に怒鳴られるし、学校でも……。
「ちょっと、あんた」
「おや、お嬢さん。こんにちは」
「先輩が別の女の子と仲良くしてたんだけど、どういうこと!?」
絆屋は困ったように笑った。その拍子にずれた変な眼鏡をかけ直して答える。
「白状しますと、あの方はあなたの絆をお売りになられたのです。そして、別の方の絆をお求めになったのですよ」
「そんな…………」
あたしはしばらくの間、呆然としていた。
「さて、御用がないのでしたら、私はこの辺で……」
「待って!」
あたしは絆屋を呼びとめる。ここで返すわけには、いかない。
「お金なら出すから、とびっきり強い先輩との絆、ちょうだい」
「よろしいのですか? 強い絆ほど、どんどん値段は高くなりますが」
「いいよ、別に。足りない分は、他の絆を売るから」
「あなたが望むのでしたら、私に異論はありませんよ」
こうしてあたしは、再び先輩との絆を手に入れた。
次の日、学校に行っても、誰もあたしには話しかけてくれなかった。
でも、いい。先輩との絆があるなら、他の何もいらない。
けれど、あたしは見てしまった。先輩が、他の女子と楽しそうに話している所を。
「一体、どうなってんの!」
「申し上げにくいのですが、またしてもあの方は、あなたとの絆を売ったのです。とても強い絆だったため、その金額が魅力的だったようで。そのお金で、たくさんの女性の方との間に、それなりの絆を手に入れたようです」
あたしは歯ぎしりした。
悔しくってならない。なんとかして、先輩を振り向かせたい。あたし一人に。
「もう一度、先輩との絆を買う」
「絆をお売りになるので?」
「家族のも友達のも、全部売っていいから」
「それは、あまりお勧めしませんが。しかしあなたが望むというのであれば」
絆屋はにっこりと笑った。
「――私はいくらでもお買いしますし、お売りもしますよ」
やっぱり、またしてもあたしは先輩に裏切られた。
お金も絆もないあたしは、もう、目の前が真っ暗になって、先輩のこと以外は、何も考えられなくなっていた。
「先輩が悪いんだ。なんで、あんなに強い絆を売っちゃうんだろう……」
「いえ、合理的だと思いますよ。現にあなただって、強い絆を売って、あの方との絆を手に入れようとしたでしょう?」
絆屋は、諭すような微笑で言った。
「ねえ、絆、買いたいんだけど」
「お金がありますか?」
あたしはうつむく。やれやれ、と絆屋は肩をすくめた。
「ええ、では、特別に、売って差し上げましょう」
「え!? ホントに!」
「ただし。……これは絆を借金することになりますが」
絆を借金? いや、そんなものはどうでもいい。先輩との絆が手に入るなら。
「いいよ、それで! だから、先輩との絆を売って!」
「では、確かに」
絆屋は、取引の後、恭しくおじぎをして去っていった。
その日の夜、あたしは険悪になっていた両親と喧嘩した。他愛ない、いつもの口喧嘩だと、その時が来るまであたしは思っていた。
けれど、今日は様子が変だったのだ。
「ちょ、ちょっと、待ってよ……」
母は、包丁を取り出した。
「あんたがいなければ、みんな上手くいくのよ!」
母は正気ではなかった。あたしは父に助けを求める。
「助けて! お父さん!」
けれど、父は母を止めようとはしなかった。
それどころか。
「殺せ! 遠慮はいらんぞ!」
バカなあたしは、この時になってようやく、絆を借金するという意味がわかった。
全てはもう、手遅れだったけど。
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