夢屋
「どうもどうも、ワタクシ、夢屋でございます!」
結婚して二年目の妻の待つ家へ駅から帰宅している途中、奇妙ないでたちの男に出会った。
白い羽根をつけたシルクハットに、片眼鏡。黒いタキシードを着た細身の男。
もちろん、この奇妙な男に心当たりなどない。
「夢屋?」
「そうです! ワタクシはお金に困っている方の夢を買い、夢に困っている方にお売り申し上げているのです」
「バカバカしい」
俺はそう言い捨てて、男を無視して歩き出した。
「アナタは、夢が欲しくはありませんか? 今なら、お安くして差し上げますが」
「今さら夢なんていらないさ。他を当たってくれ」
「おや、アナタには夢がないのでしょう!? 常識的な大人なら、夢を持って生きるべきだと考えるはずではありませんか?」
男はしつこくついて来た。しょうがなく、俺は足を止める。
「へえ、じゃあいくらでなら夢を売ってくれるんだ?」
わけのわからない妄言に過ぎないだろうが、俺は付き合ってやることにした。
「夢の値段は、夢の内容によります。アナタは、どんな夢を御所望なので?」
「夢か。そうだな……」
俺は記憶の糸を手繰って、幼いころ抱いていた夢を引っ張り出す。
「――宇宙飛行士になりたい」
「宇宙飛行士! いい夢でございますね! それなら、この程度の額になりますが……」
男が示した額は、年の割には稼いでいる方の俺にとって、まあ簡単に手が届く額だった。
「安いもんだな。夢の値段ってのは」
「それはもう、アナタのような、常識的な大人が夢の価値を決めていますので!」
口調だけは丁寧だが、その笑みには皮肉の色が見て取れた。それが俺の癇に障る。
「もちろん、中には夢の価値はお金で計ることができない、などという夢見がちな大人達もいますがね! さて、どうです? いかがでしょう!?」
この夢屋を名乗る奇妙の男の態度に俺はいらだっていた。だから、こんなことを言ってしまう。
「ふん、いいだろう、買ってやろうじゃないか」
まさに売り言葉に買い言葉、という奴か。あまりにも胡散臭い買い物をしてしまったが、後悔しても遅い。
性格上、もう後には引けなかった。財布を取り出し、提示された金額を支払う。
「毎度、ありがとうございます! 確かに、頂戴いたしました。夢は今夜、お届けいたしますので!」
夢屋は羽根付きシルクハットを取って深々とおじぎする。
「それでは、今後とも夢屋をごひいきに!」
言うや否や、男はくるりと踵を返して颯爽とどこかへ消えてしまった。
冷静になって考えてみると、明らかに詐欺師に引っかかったとした思えない。
次の日の夕方。俺はいつもより早く帰宅していた。
「あら、あなた。今日は遅くなるんじゃなかったの?」
「会社は辞めて来た」
俺は妻に何でもないように告げた。妻は驚きのあまり、目を見開いている。
「辞めたって、そんな、どうして……?」
「俺は宇宙飛行士になる」
妻は目ばかりか、口まであんぐりと開いてしまった。
「ちょっと、どうしたっていうの! 本気? 何があったの!? 冗談でしょう?」
次々に言葉を発して詰め寄ってくるが、俺は取り合わない。
「もう決めたことだ。幼いころからの夢だったんだ。夢を持つことはいいことじゃないか」
「そりゃま、そうでしょうけど、でもそんな、いきなり宇宙飛行士だなんて……」
「いい夢だと思わないか?」
「バカ言わないでよ、確かにその夢が叶ったらいいかもしれないけど、でも今さら宇宙飛行士なんて、なれるわけないじゃない。夢を目指すには遅すぎるわよ」
「夢を叶えるのに遅すぎることなんてあるか。それに俺は英語だってまあまあ話せるし、虫歯すらない健康体だ。少しでも可能性があるなら、やってみるべきだ」
妻は必死に説得しようとしたが、俺は耳を貸さなかった。
それから、俺は夢を叶えるための努力を始めた。これまでになく充実した生活だった。
宇宙飛行士の募集は滅多にない。だからそれまでの間、自己を磨くことに全ての時間をあてた。
特に、英語は猛勉強した。自分でも、かなり上達したと思う。仕事と並立しては、なかなか難しかっただろう。
妻は仕事を探し始め、パートで働き始めた。しかし、家計はどんどん苦しくなっていったようだった。
だがそれでも、俺は夢に向かって邁進するのを止めなかった。
そして、ある日のこと。
「……これは?」
今ではすっかり目にしなくなった一万円札が、何十枚もポンと差し出された。
「離婚しましょう。もう、私はやっていけないわ」
手切れ金だった。一体どこで、こんな大金を?
俺は説得しようとしたが、結局無駄だった。流れるように離婚は成立して、妻は出て行ってしまった。
コンビニで夕食を買って帰る途中、いつか見た奇妙ないでたちの男に出会った。
「お前は……」
「おや、お久しぶりでございます!」
羽根付きシルクハットに片眼鏡、細身の体を包むタキシード。
俺に宇宙飛行士という夢を売った、夢屋だった。
あれっきり見たこともなかったこの男が、突然現れたことに俺は不審を抱く。
「お前、俺の妻に何かしたのか」
「はて、何の話でございましょう?」
「とぼけるなよ。……まさか」
妻が差しだしたあの大金。あれだけの金が最初からあったのなら、苦しい生活の中、とっくに使っていてもおかしくない。
なら、最近手に入れたはずだ。そして、目の前に現れたこの男。
「妻は、夢を売ったのか?」
「ああ、それについては残念ながらお答えできません。お客様のプライバシーですので!」
俺は夢屋に詰め寄った。
「ふざけるなよ! 妻はいったい、どんな夢を売ったんだ!?」
「おや? アナタは奥さんの夢をご存じなかったのですか!?」
夢屋に言われて、俺は口をつぐんだ。
いや、確かずっと前。そう、結婚する前に何か、聞いたような。
「ふふふ、最近はなかなか人気のある夢でして、高値を付けさせていただきました。……おっと、口が滑ってしまった! これは聞かなかったことにしていただけませんかね!」
そうだ、思い出した。
かつて俺と付き合いだした頃、語った夢だ。
『私ね、幸せな家庭を築きたいの。子供はね、二人くらい欲しいかな』
ありきたりで何の変哲もない夢だと、その時は思っていた。
けれど、俺があの時夢を金で買ったりなんかしなければ……。
俺は、夢は自分で見つけて叶えるもので、決して金なんかと引き換えにするものじゃないと、ようやくになってわかった。
「それでは、ワタクシはこの辺で! 今後とも、どうか夢屋をごひいきに!」
夢屋はくるりと踵を返して、どこへともなく、颯爽と消えていくのだった。
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