赤き飛竜

 たくましい翼を小さく畳んで、テイは首を飼い葉桶に突っ込む。竜種の中でも小柄である飛竜にしては太めの尾を、時おり動かしながら食事を続けた。

 もう一体の天馬にも餌をやり終え、トウは二体の食事風景を見ながら休憩を取っていた。一足先に食事を終えた帝は、一度だけじわりと翼を動かして、それからゆっくりと元に戻して、赤い身体を横たわせる。


 帝は、強大な力を持った特殊な飛竜だ。


 火の飛竜であるはずだが、風や雷の魔法も使う。ただ、その魔法は強力ではあるが、いかんせん重すぎ、効率が悪い。そのため、実戦向きではなかった。

 恐らくは訓練などを積んでいないに違いなく、最初から人間に育てられたのではないだろうと、トウはこれまでの付き合いから考えていた。


 純白の天馬のスイも食事を終え、先ほどの帝と同じように寝そべった。そして、そのまま目を閉じる。翠はおとなしく、眠っているのかいないのか、よく目を閉じてじっとしている。

 一方の帝はといえば、風の魔法で散らばった飼い葉を浮かせては吹き飛ばし、遊んでいた。その様子を見てトウは苦笑する。どうにも、帝は子供っぽいような気がしてならない。


 トウは、帝の現在の飼い主だ。この村のちょっとした名士でもある。もういい年なのに独身で、お節介焼きのおばさんたちから心配されていたりもする。

 彼としては、のんびりとした独り身の気楽な生活に満足していて、少しも焦ってはいなかったのだが。


 そこで、来客を告げる鈴がリィンと鳴り、トウは立ちあがった。


 鈴を鳴らした客人が、茅編みのバスケットを持って玄関口に立っていた。客人は見た目には、トウと同じ年代と思える。


「何だそれは?」


 訪れた男に対して、開口一番トウは尋ねる。


「今年の葡萄酒が手に入ったんでね、どうだい?」


 そう言って、客人、リーは右手を上げる。掲げたバスケットの中には、葡萄酒のボトルが覗いていた。


「もうそんな時期か」


 言いながら、リーを招き入れる。勝手知ったる様子でリーは客間に入り、来客用の椅子に座る。

 リーがボトルのコルクを抜いていると、トウが二人分のグラスと、この地方特産のチーズを持って現れた。


「まずは一杯」


 トウの持ってきたグラスにリーがワインを注ぐ。そして、グラスを一度つき合わせた。


 ボトルの中身が半分ほどになり、チーズもほどほどに減り始める。しかし、二人に悪酔いする気配は微塵もない。


「なるほど。今年は良い出来のようだな」


 昨年や一昨年のワインの味を思い出しながら、トウは言う。リーは頷いて続ける。


「ということは、今年は厄年ということさ」


 そう言って、グラスを一気に傾ける。


「それは、お前の勝手なジンクスだろう」


 笑いながら、トウもグラスを傾けた。赤い液体が喉に流し込まれる。


「いやまったく。女房には逃げられ、どこぞの飛竜には逃げられ」

「逃げられてばかりじゃないか」


 トウが言って、二人とも笑う。


 リーはかつて育成士だった。飛竜や天馬、一角獣などを、用途に合わせて育てることを生業としていた。腕は悪くなかったが、育成士として充分な財産を築くと、さっさと隠居してしまった。今は、悠々自適の生活を送っている。

 ただ、一度だけ彼の育てていた飛竜が逃げ出したことがあった。帝だ。元々、リーが国境近くで見つけ、捕えたらしい。

 どうも、他の飛竜と同じように育てようとしたのが不味かったらしく、帝は捕まってすぐに逃げ出した。

 そこをトウが捕まえ、そのままトウに懐いてしまったので、リーはトウに帝を譲り渡したのだった。



 二人がボトルをそろそろ空にしようかという頃、甲高い鐘の音が鳴り響く。カンカンカンと、三度。二拍おいて、再び三度。


 トウとリーは顔を見合わせた。


「やれやれ。やはり厄年だ」


 リーがぼやく。


「まったく、お前のジンクスに村を巻き込んでくれるな」


 二人は立ちあがると、外へと駆け出した。戸を開け放ち、戸外へ出てみると、見張り台の男が鐘を決まったリズムで打ち鳴らしながら、叫んでいた。


「西だ!飛竜が四騎、天馬が七騎!」


 街路を行き交っていた村人たちは家の中へ駆け込むか、あるいは自衛のための武器を取りに走る。


「飛竜が四騎か。盗賊にしてはちょいと豪勢というところか」


 トウはリーの言葉には答えず、帝を繋いでいる厩舎へと走る。リーもそれに続く。トウは宿舎へ着くと、帝を自由にしてやり、鐙に足をかけ帝の背中の鞍に飛び乗り、手綱を握る。

 今にも飛びだしそうなトウに、リーが声をかける。


「翠を借りるぞ!」


その言葉に、一瞬トウは顔をしかめて答えた。


「翠は戦闘向けに育ててないぞ」


 天馬の翠は、もっぱらトウの足として重宝されていた。特に戦場へ出るようなことは、想定していない。


「構わん!」


 その返答に、トウは手綱を引きながら答える。


「……好きにしろ」


 トウが言い終るか終わらないかの内に、帝は翼を羽ばたかせる。そして、後ろ足で地面を蹴り飛ばし、飛翔した。青い空に、赤い翼が舞う。

 リーも翠に飛び乗り、手綱を握る。翠も応えて、帝と同じように西の空へと、飛び出した。



 この村のように、都から離れた村落にまで兵を配備できるほど、この国に力はなかった。

 そのため、それぞれの村や町で自警団を組織するなりなんなりする必要がある。この村の場合は、ちょっとした名士であるトウが、長年その役割の主な所を担っていた。

 リーも、育成士をしていた頃は第一線だったが、それをきっぱりやめてしまってからは、荒事はご無沙汰していた。

 しかし、飛竜が四騎、天馬も七騎とあっては、トウ一人では少々苦戦するかもしれない。そう思い、リーは久々に戦場へ赴くことにしたのだった。



 トウとリーに気付いたのか、賊は村から少し離れた場所に滞空していた。まずは、帝に跨るトウが話しかける。


「この村には何もない。引き返す方が良いぞ」


 だが、賊たちは答えない。敵対的な視線を送るだけだった。


「諦めろ、説得は無駄だ」


 翠の上からリーが言う。トウがやれやれとため息を吐いた。それに呼応したかのように、賊たちも動き始めた。数で優勢なためか、何人かの顔には余裕の笑みが浮かぶ。

 賊たちは手綱を引いた。それと同時に、飛竜たちの口に、灯りが点る。

 それにいち早く反応したのは、トウでもリーでもなく、帝だ。トウの指示を待つまでもなく、放たれた魔法の射線上から逃れる。

 続いて翠も、白い翼をはためかせた。直後、飛竜たちの口から吐き出された炎や紫電が空を駆け抜ける。


「リー、時間を稼げ!」


 トウが言いながら、帝を奔らせる。リーは目で頷き返し、賊の天馬の前に囮として立ちふさがる。

 賊たちが翠に向けて、魔法を放った。翠はそれを、リーの手綱さばきもあって、間一髪のところでかわしていく。


「危ない……っと」


 リーの視界に、村から数騎の天馬がやってくるのが見える。他の村人たちの応援だ。

 しかし、飛竜四騎に対し、こちらは一騎では、加勢があったところで不利は明白に思えた。


 ただ、それはこちらの飛竜が普通の飛竜だったら、の話。


 帝は、既に魔法を発動させていた。あまりにも強力なそれは、すぐに使えるわけではなく、隙も多い。効率も悪かった。

 だから、余り実戦向けではない。にもかかわらず、実戦で充分通用する力を持っているということが、帝の非凡なる所以だった。


 ようやく、帝は魔法を放つ。口から、火炎を吐きだした。それは、先ほど賊の飛竜がやったのと同じ。

 だが、その規模が違った。圧倒的な熱量が、賊を焼いていく。辺り一面が、赤に包まれる。

 西の空が、真っ赤に燃えあがった。炎にまかれた飛竜に天馬は、暴れながら主人を空に放り投げ、てんでバラバラの方向へと、飛び去る。


 村を襲おうとした賊は、一人残らず、叩き落された。

 応援の天馬たちがトウの所にたどり着いた頃には、もうやることはなかった。




 トウが報告を終えて、村長の家から出てきた。


「疲れた顔してるな」


 リーが声をかけた。隣に、帝と翠を繋いでいる。


「村長の奥さんに、またお見合いを勧められた。うんざりだ」


 やれやれ、と肩をすくめておどけて見せる。


「それはそれは……。災難だったな」


 リーも笑って答えた。


「まったくだ。これでは私の方こそ厄年だな」


 トウは帝と翠の手綱をリーから受け取りながら、言う。


「嫁など、私よりも帝に必要だろうに」


 そう、冗談を口にした。それに、リーは少し怪訝な顔をする。


「どうした?まさか、お前まで私に見合いを勧めるのではないだろうな?」


 苦笑しながら答えるトウに対し、リーはややばつが悪そうに答える。


「……どうやらお前はずっと勘違いしていたようだから言っておくが」


 そこで一度言葉を切って、続ける。


「帝はメスだ」


 一度、トウは言葉を失う。手綱を握り直しながら、聞き返した。


 その日、トウは人生最大の驚愕の事実を知るのだった。

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