B

「おい」


 なんだ。せっかく心地よく寝ていたのに。


「おいって」


 声だ。ああ、そういえば僕はなんかクジラみたいな、あとトカゲみたいな生き物に食われて死んだんだっけ。ええと、ジャングルみたいな場所で……。


 ・・・・・

「こんなとこで寝るとは器用なやつだな。起きろ」


 ぺし!


 頭に衝撃を受けて飛び起きた。

 そうだ。ジャングルで、クジラのようなトカゲのような……。


「よう」


 そうそう。だいたい、こんな感じの。


「あ……」

「あ?」


 目の前にそれはいた。


「うああああああああああああああああ」

「ああもううるさい」


「クジラトカゲ!」

「誰がクジラトカゲか」


 ぺしぺし!


 "それ"の張り手で目が冴えた。


「ああああ……。あ、あれ?」

「クジラトカゲじゃないぞ」


 よく見ると、下半身のトカゲ部分はなくなっており、クジラそのものになっている。僕をはたいたのも、トカゲの前足ではなくクジラのひれだ。器用にひれを使って、上半身(?)を起こしている。


「なるほど」

「理解できたか?」

「いやまったく」

「だろうね」


 流れるような問答。まるで人間と喋っているようだ。とても可愛らしい女性の声を発するそれは、どう見ても人間サイズのクジラである。


 驚きついでに周囲を見渡したら、そこは開けた湿原になっていた。土の湿気具合からするに、ジャングルから少し離れた所にいるらしい。このクジラが運んでくれたのだろうか。


「何が何だか分からんだろ」

「はい」


 まったくもってその通り。


「私は優しいから、あんたの疑問に答えてあげよう」

「そう言われましても」


 ありがたい提案ではあるが。もうまるっきりすべて、一から十まで、いっさいがっさい謎だった。僕がなぜジャングルにいたのかだとか、お前は誰だとか、なんで喋ってんだとか……。


「なんでクジラ?」


 口をついて出た疑問はだいぶトンチンカンだったが、帰ってきた言葉はけっこう納得のいく内容だった。


「夢だから」


 なるほど。確かに、夢ならこんな展開もありうる。だって夢だし。どんなに風呂敷を広げようと、どんなに謎が残ろうと、夢オチはすべてを赦してオチとしてくれる。夢ってヤツにはそういう優しさがある。


「……なるほど」

「今度は分かったんだろうね」

「つまり、これは夢?」

「そういうコト」


「じゃあ、君の体がトカゲからクジラになったのも?」

「そう、夢だから。いいね、飲み込みが早い」

「じゃあ、さっさと目覚めないと。仕事が残って……」


 自分で言って泣けてきた。せっかく夢の世界にいると言うのに、現実の仕事を第一に気にするというのか。


「どうした」

「……なんでもない。いいから、僕を起こしてくれ」


 ともかく、起きないとヤバイのは確かだ。遅刻などしようものなら、また業務に遅れが出てしまう。クソみたいなブラック企業だが、出世すればチャンスはあるはずなのだ。……と、僕は信じている。信じないとやってられない。


「あ、それ無理」

「……なんで?」


 クジラは、何気ない口調で言った。


「あんたの体、もう死んでるし」


 言っている意味が分からなかった。確認するのもバカバカしい話だが、夢というのは生きいている人間が見るものだ。


「……は?」

「いやだから、体が死んだんだって。帰る体がないの」

「そういう設定の夢?」

「ああー。そう来たか」


 クジラが背中からシューッと空気を出した。

 タイミング的に、溜息なのか?


「まぁこれが夢って事には違いない。けど、意味合いが違う」


 頭がこんがらがってきた。生まれてから24年、色々な夢を見てきたが、こんなに複雑で無駄に設定の凝った夢を見るのは初めてだ。


「わかったわかった。あんたが考えても無駄だよ。私は親切だから、状況を詳しく説明してあげよう」

「お、お願いします」

「まず。あんたは、ここが夢だと思える?」

「……いや。まったく」


 僕は振り返る。ジャングルの湿った風だとか、ムシムシした暑さとか、スーツのズボンに染みる水の冷たさだとか。頬をつねるまでもなく、まぎれもない現実の感覚だった。


「だろう? だが、あんたが今いる場所は間違いなく普段通りの夢だ。変化したのは世界ではなく、あんた自信なんだよ」

「……わ、わかった」

「わかるフリしなくてもいいから正直に答えい」

「わからん」

「よろしい」


 適当な返事をしてたら怒られてしまった。


「ここは、ヒトが夢を見る時に意識がアクセスする空間。名前なんかないけど、私は“夢の海”って呼んでる」

「夢の海」


 これまた突然ファンシーな言葉が。


「あんたは、夢の海にアクセスしている途中に現実の体を失ってしまった。だから、意識だけが取り残されたってわけ」

「じゃあ、僕の感覚が現実と同じなのは?」

「ヒトにはイデア――厳密には違うけど、まぁ魂みたいなもん――ってのがあって、それは意識と体にひも付けされている。イデアは、夢の海に意識を渡している間、意識と体をつなぐゴムひもみたいな役割を果たしてると思ってくれ」

「ゴムひも……」


 魂ってよく伸びるんだな。


「で。体がぶっ壊れて片割れを失ったイデアは、あんたの意識にぶちこまれた。意識+イデア=今のあんた、ってこと。イデアを得たあんたの意識は、世界に“本体”として認識されて、機能しちゃってるってわけ」


 わからん。しかし、分かったこともある。


「つまり」

「つまり?」

「僕は死んだのか!」

「まだそこ!?」

「一番大事なとこだろ!」


 自分の生死が関わってるのに話のスピードが早過ぎる&軽すぎる。

 何かのドッキリだとしか思えない。


「君にはまだ意識はあるけどここは夢で本当は死んでまーす! とか言われても、普通に考えて信じないでしょ!」

「じゃあ“普通に考えて”この状況を説明してみやがれこのトンチキ野郎!」

「ふぐ……し、しかし! しかし!」

「まーだ納得せんか」


 ふしゅー!


 クジラの背中から、今度はかなり勢いよく空気が出た。


「じゃあ、見せてやる。どうしようもない真実を。これ見たらもう逃げらんないからな」


 どうやら僕は、何かに火を付けてしまったらしい。

 目前のクジラはフワっと浮き上がった。なんの推進力も感じさせない等速で、ゆっくりと上空へと登っていく。


「な、何をする気だ!」

「ふん!」


 僕の問いを無視してクジラが気合を入れる。すると、背中の穴から虹が吹き出した。虹は空を覆い、大地に降り注ぎ、木々を駆けまわる。最後には視界全体が、虹色の繭につつまれた。


「うわわああああああ!」

「まだまだ!」


 狼狽する僕に追い打ちをかけるようにクジラが叫ぶ。すると視界をくまなく覆い尽くしていた虹の繭が弾け、世界がふたたび姿を現す。


「ああ……ああああ……」


 僕は膝をついた。


 現実そのものだった空が、草木が、大地が。色鉛筆で殴り描きしたような有様へと変貌している。どろどろした湿原はやわらかな草原に、密林は美しい森へと置き換えられた。風はくるくると青い軌道を描き、オレンジ色の太陽には絶妙にムカつく笑顔が描きこまれていた。


 なんだこれ。


 ふしゅー!


「どうよ」


 空から音もなく降りてきたクジラは、得意気に胸をはる。なにが「どうよ」だ馬鹿野郎、ちくしょう。なんだこのファンシー極まりない世界は。


「……」


 マジなのか。まだ僕は24歳だぞ。死を受け入れるには46年くらい早いんじゃないか。もうちょっと後になってからじゃダメだったのか?


「まぁその若さだからな。死を受け入れられないのも無理はない。やりたい事も色々とあっただろうにな」


 現実を突きつけた張本人が気を遣ってくれている。ああ、色々あるとも。確かに僕は趣味もないし、恋人もいないし、金もいないし、会社はお先真っ暗だし……。


「……」


 やばい。


「おい、どうした?」


 ない。なにも、ない。夢の世界で生まれ変わっても、悔いだと思える要素が見当たらない。


「ウッ……ウウウ……」


 涙がドバドバ出てきた。文字通りマンガのように。色鉛筆で描かれた太陽の笑顔が、僕を嘲笑っているかのように感じられた。


「……お悔やみ申し上げます」


 クジラが前ヒレで僕の背中をさすってくれた。どうにもこうにも、涙が止まらなかった。

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