機械人形を抱きしめて

柴駱 親澄(しばらくおやすみ)

第1話

     ○


 死体だけが私に『生』の実感を与えてくれた。

 十四歳の春に祖母が亡くなった。人の死体というものに初めて触れてから自分が熱を持ち動く生き物であることに気づけた。それまでは食欲も睡眠欲も痛みも苦しみも一時的に我慢していればすぐに消えて無くなったし、自分が生きているのか死んでいるのか判断ができなかった。自分が今立っている、見えているこの世界が夢か現実かわからない。しかし死体の冷たさが私を覚醒させてくれた。死体と自分の間にある壁に気づけたのだ。

 これはクセになる。

 私は不安感を拭うため、生きている実感が欲しいがために、それから周りに隠れて死体に会いに行くようになった。


     ○


 そんな私が葬儀屋という職に就けたのは運命だと思っている。客を相手に喋るのは苦手であるが、死体と対面できるその時間だけが私に安らぎをくれた。この世界と私をつなぎとめてくれるのは冷たい人間たちだけであった。

 仕事帰りに近くの骨董品屋に寄ってみたのは単なる気まぐれであった。そこで私は店の奥にディスプレイされている人形を見つけてしまった。

 綺麗な少女だ。

 一瞬、本物の人間の死体かと錯覚してしまうほどだった。無機物は私を癒してくれないだろうが、人生で初めて一目惚れというものをしてしまった。安くはない値段であったが私は衝動買いをしてしまった。一人暮らしの部屋、一人用のベッド。そこの半分のスペースを埋めるよう横たわる人形。永遠に目を閉じたままの少女には神聖の美しさが備わっていた。腐ることのない死体だ。私はその子を抱きしめて眠ってみる。その冷たさは私を心地よくさせて、その晩は深く眠ることができた。


     ○


 翌朝、目覚めて見れば人形が目を開けていた。もぞもぞと動いている。おまけに喋った。

「おはようございます!」

「……ナニコレ」

「私はご主人様の『愛』によって再び機動することができました。深く感謝です」

「『愛』って何さ」

「ハグしてもらったり頭を撫でてもらったり、いっぱい喋ったり手をつないだり、一緒に出かけたり仲良くしたり。『愛』は無限の方法がありますが、私が幸せに感じることができればそれは『愛』なのです」

「コンビニでも買えそうね」

「私の動力源は『愛』なのです! ご主人様の一晩の抱擁のおかげで私の充電は完了しました」

「そんなつもりじゃなかったんだけど」

「さあ、もっと愛してください。宇宙刑事ギャバンも『愛はためらわないこと』だと歌っていましたよ。私の役目は愛されることなのですから!」

 とりあえず無視した。意味がわからない。

 調べてみれば、この子は一昔前に機械人形、愛玩人形として販売されていた商品だ。動力源は確かに『愛』としか記されておらず、可愛がってやりさえすれば半永久的に動くという未知のテクノロジーであった。色々とあって生産は中止。しかしマニアの間では未だにやりとりがあると言う。

 私は絶望した。死体は喋らない方がいいに決まっているのに。もっと安い金額の動かない人形を買えばよかった。

 放置しておけば『愛』とやらが枯渇して動かなくなると思い、寝室に閉じ込めてしばらく様子を見てみた。獣のような大声で嗚咽し始めた。泣き声は鳴り止む気配がなかった。

「……構ってやるからさ、静かにして」

 人形は眠っていたときのような美しさの欠片もなく、顔をくしゃくしゃにして抱きついてきた。見た目も、肌の感触も、匂いも、私より大きいであろう乳房も(嫉妬ではない)、そして温もりでさえも本物の人間のそれと変わらなかった。私にとってはとんでもない不良品であった。


     ○


 人形はワンワンニャーニャーと煩わしかった。よく喋るしスキンシップが多い。仕事に出かける寸前まで構ってくる。職場にいたほうが独りきりの時間が確保できるくらいだ。帰ってくれば手作りの料理を食べさせてくる。必ず抱きついて眠ってくる。仕事で疲れていれば頭を撫でて「良い子良い子」なんてしてくる。背中がむず痒くなるし顔が熱くなってしまう。そう、人形のくせに暑苦しい存在なのだ。休日には一緒に出かけて可愛い服を買い与えてやったりと、なんで私がこんなことしているのか意味がわからない。

 もしかして、これが人並みの幸せということなのだろうか。それは私にとって夢のような話だ。夢、また『生』の実感が遠のいていくのだ。

「人形ってさ、そういうこともできるの?」

「そういうこと?」

 私は人形に接吻した。人形は一瞬驚きはしたものの、静かに私を受け入れた。唇を離す。

「そのために私は作られましたから」

 私のような、独り寂しい人間たちのために作られた愛玩人形たち。その宿命がなんだかとても虚しく思えてしまった。やる気満々状態になった人形には悪いが、私は一線を超えずにそのまま寝た。

 こんなんじゃない。私にはやはり死体が必要なのだ。


     ○


「最近忙しそうですね」

「この街では、毎日人が亡くなるからね」

「仕事の帰りが、前よりずっと遅いです」

「仕事熱心だから」

「私と仕事、どっちが大事なの?」

「古いギャグね」

「私と死体、どっちが大事なの?」

「あなたも黙っていれば死体と変わらないのに」

「どうしてこの街は毎日死人が出るんですか?」

「たまたまよ」

「部屋に隠してあったこの凶器はなんですか?」

「……見つけたんだ」

「どうしてこんなことするんですか?」

「死体に会えないなら、作ればいいってずっと昔に気づいたから」

「私じゃ満足できませんでしたか?」

「あなたとの幸せは、私をバカにするわ」

「ココロが苦しいです」

「感受性が強すぎるのね。私なんかよりずっと人間らしい」

「これからもずっと、愛してくれますか」

 人形のココロを壊してしまう覚悟で私は言った。

「私もいつか死ぬわ」

 人形は涙を拭うことなく目を閉じて動かなくなった。初めて店で見つけたあの時のように、この人形はやはり美しかった。沈黙する綺麗な少女に、私は涙した。


     ○


 この人形が生産中止になった理由がなんとなくわかった。優しすぎるのだ。どうしようもない問題を処理しきれず、自ら電源を切ってしまう。つまり自殺。しかしまた愛の充電とやらが完了すれば再起動してしまうのだろう、前回の記憶を消去して。悲しい不良品である。

 しかし私がまた人形を抱きしめてみても彼女は目覚めなかった。どれだけ愛してみても沈黙を保ったままである。本当に壊れてしまったのか、起きないフリをしているのかはわからない。

「ねえ、もう誰も殺してないから。前みたいに良い子良い子して」

 甘えてみても、人形に反応はなかった。死体ごっこをしていれば私が殺人をしないと判断したのだろうか。優秀な考えである。

 私はこの人形に何を望んでいるのだろう。前みたいに暑苦しい幸せを分かち合いたいのか、今のように冷たい孤独に浸っていたいのかわからない。『生』とか『死』とか、もう本当はどうでもよくなっていた。夢か現実かはわからないが時々人形が良い子良い子と頭を撫でくれるような気がした。『愛』が本物であるならば、もうそれだけでいい。

 私は冷たい機械人形を抱きしめて、深く深く眠るのだった。

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