ネコフライドポテト

A.D.6988

空の下にて


 ヴィーン。ファンの駆動音が狭い室内に響く。所狭しと積み上げられた直方体の機器のランプがちかちかと点滅する。古ぼけた毛布にくるまったまま男は大あくびをした。

「あー、時間か」

 赤い印をつけたつまみを回す。しばらくの砂嵐の後、急にはっきりとした音で場違いなやけに明るい曲が流れ出す。

 ――ザー…ザザ……と、と、とうふとうふとうふだよー。本日のとうふちゃん予報をお知らせします。本日のとうふちゃんはかためです。角に頭をぶつけると死にます。ご注意ください。

「げえーマジか。防護服着ても外出は無理だなこりゃ」

 いすに座ったままいくつも起動ボタンを押していく。ファンの駆動音が大きくなった。

「しかし誰がやってるのかは知らんが、毎日飽きずにご苦労なこった」

 旧式のラジオを一撫でしてから、唯一の話相手を起動する。ひどくレトロな作りの助手ロボットだ。起動ボタンを押すと、胸の中央に据え付けられたモニターが青く光り、文字が走り始める。人でいう顔の部分に埋め込まれたカメラがジ、ジ、と数度音を立てて動き、男にピントが合う。

「おはようございます、ご主人様。本日は6988年11月3日。運動量モニターによると最近運動不足が続いております。あなたの健康管理のためには短時間の散歩が好ましいものと思われます」

「あー、お前は外に出ても大丈夫だろうが俺たちは迂闊に外に出たら死んじまうからなー、ははは」

 軽口を返して、男は笑う。

 ――ひ、ひ。

 か細い声が聞こえた気がして男は振り返る。そこにはこの部屋唯一の出入口以外何もない。だが、何かがそこにいる気がして男はその空間を注視した。

「なんだ……?」

「また前回の本体更新から11366日が経過しております。最新のサービスを使用するためにはネットワークに接続する必要があります。ネットワークの検索を開始しますか?」

「あー……あーはいはい。更新しない、更新しない」

「かしこまりました」

 ロボットに返答してもう一度振り返ったときには、何者かの気配はもうそこにはなかった。代わりに、呼び鈴が鳴らされ男は肩を跳ね上げた。

「……どうぞ」

「よう、邪魔するぜ」

「あー、行商の人?」

「おう。今日もいい品取りそろえてるぜ」

「一応聞いとく。いつもの奴はどうしたんだ? あんたここらの担当じゃないだろ?」

「ん。とうふちゃんに飲まれた」

「そうか。……あんたも外歩く時は気をつけろよ。今日は危険日だぞ」

「はは、お仕事なもんでね。そら、今日はこれだ」

 行商人は懐から紙に包まれた粉を取り出した。

「キャットパウダー」

「キャットパウダー?」

「ねここっぷんと呼ぶ奴もいるがな。俺にもどう作ってるのかはよく分からねえ」

「ほう」

「でもな、これを吸入するとな、猫を撫でているときのような多幸感に包まれるんだよ。嫌なことぜーんぶ忘れられるのさ」

「違法な粉ってことか」

「はっは、今更この世界に法も違法もあるもんかよ」

「そりゃそうだ。だが俺は興味ない。他を当たってくれ」

「そういうなよ旦那。入荷したばかりの上物だぜ?」

「残念ながらそもそも俺は猫をほとんど見たこともないんで、あんまりそいつに惹かれないんだ」

「そうかい。残念だ」

 行商人は粉を懐にしまい、背負っていた他の商品を出そうとした。その時、警報音が響きわたった。

 ヴィーヴィー、ヴィーヴィー!

「警報、警報。人体に有害な影響を及ぼす可能性のある物体を検知。直ちにシェルターへと待避してください。警報、警報――」

「おいおい、とうふちゃんだ! 侵入されてるぞ!」

「うるさい言われなくても分かってる!」

 レバーを引き下ろし、隔壁を閉じる。間に合えばとうふちゃんは中に入ってこれないはずだ。一息ついて振り返り、男は異変に気づいた。

「なああんた、その腕の白いのなんだ」

「腕?」

 行商の男の腕には、できもののような大きさの白色の何かがへばりついていた。行商の男の顔色が変わった。

「あ」

 気づかれたことに気づいたのか、それは爆発的な勢いで増殖を始めた。

「うわあああ! いやだ、いやだ! 助けて!」

 白色はあっという間に男の全身を覆い尽くし、白色に触れられた部分の皮膚はぶよぶよとした白色に変えられていった。引き剥がそうと暴れる行商の男から距離を取る。やがて完全に白に染まった手足が崩れ、白色の液体へと姿を変えた。体は倒れ、他の部分も同様に崩れていく。

「たす……」

 声が途切れて間もなく、残されていた頭部も白に染まり、白濁した液体の中に溶けていった。

「っ、こうなるのか」

「警報、警報。有害物体の接近を感知。直ちに――」

「くそっ、隔壁が間に合わなかったか!」

 久しく動かしていなかったロボットの移動機能を解除し、出入口へと誘導して脱出を試みる。しかしその前にドアから白い物体がなだれ込んできた。

「……とうふちゃん」

 男は呆然と言った。

 とうふちゃんは白色の立方体だ。顔はなく、表情は分からない。体のようなパーツが立方体の下にぶらさがっている。

 音もなく殺到するとうふちゃんを前に、男はきつく目を閉じた。

「くっ……!」

 だが予想していた状況はなかなか男に訪れなかった。とうふちゃんに触れられた感触はない。白色の液体に溶ける時の感覚はないのかとも思ったが、足はしっかりと地面についているし、咄嗟に握ったロボットの手の感触もまだある。

 男が、恐る恐る目を開けると、目の前で巨大な何かがとうふちゃんを踏みつぶしていた。

 それは不定形の怪物だった。肌はどろどろに溶けている。顔はない。四肢らしきものは地面につき、太い尾が後方へと伸びている。

「な、んだこの怪物は」

「認識できません。不明なオブジェクトです。名称の登録をしますか?」

 怪物は顔のない頭で男を見た。そしてゆっくりと方向を変えると崩れかけて不安定な四肢を駆使してずるずると這い寄ってきた。

「くそ、なんなんだ、こっちくるなよ、くそ」

 男は後ずさり、ロボットを背中に庇う形で壁際に追いつめられる。怪物からとうふちゃんと同じ色をした液体がぼたぼたと垂れる。のしかかるように接近した巨大な怪物に至近距離から見下ろされ、男は訳も分からぬまま笑っていた。

「はは、ははは」

 怪物の表皮がぐにゃりと崩れ、半液体状のそれが男の顔に垂れる。不定形の怪物の頭らしき場所が真一文字に裂けたかと思えば、その両端がぐぐっと持ち上がった。ひきつった笑顔のようにも見えるその形状を男は半ば呆然と見上げた。


「ひ、ひ、ひ」


 怪物の声が聞こえた。

 そして男が一度まばたきをする間に怪物の姿は跡形もなく消え去っていた。

 男は呆然とつぶやいた。

「……何だったんだ」

「状況の復旧を確認。警報の解除をお知らせします」

「あーうん、あー……」

 出入口は完膚なきまでに破壊され、足下にはとうふちゃんと行商人の残骸が散らばっている。

「うん……」

 男はロボットをぽんぽんと叩きながら、生き残ったことをまずは喜ぼうと考えた。

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