ファイアフライ、インザスカイ

A.D.2354

閉鎖空間にて


 直線ばかりで構成されながらも複雑に絡み合う継ぎ目が壁に走っている。壁は四方を囲んでいる。鎖されている。天井は低く、立ち上がれば触れそうだ。薄暗い。唯一、半円に切り取られた壁の向こう側、正確には透明な壁によって隔てられた向こう側に無数の微かな光源がある。音はない。彼はすうっと息を吸い込んだ。

「はっ」

 息を吐くのと同時に声がでた。自分の声に驚いて、彼は起き上がる。ぐにゃぐにゃと揺れる視界を安定させて、改めて周りを見渡した。

「ここはどこ!」

 頭や顔をぺたぺたと触ってみる。柔らかい。ぐにゃぐにゃ。温度は低い。

「おれはだれー!」

 叫んでみるも返答はない。反響もない。天井を触り、次いで壁を触り伝っていく。三周ほどしたあたりで、同じところをぐるぐるまわっていることに気付く。この空間はとても狭く、動くものは他に見当たらない。

 彼はべちゃんと座り込んだ。床はかたい。壁と同じものでできているようだ。

「ここはどこー! おれはだれー!」

 繰り返し叫んでみる。すると、閉鎖空間の片隅に六面の物体があることに気づいた。

「箱だーあけちゃえー」

 蓋に手をかけ、躊躇なく開く。無理矢理こじ開けられた箱の中には、光源が遠いがための影は黒々と落ちていたが、その他には何もないように見えた。

「からっぽ?」

 いいえ、と誰かが言った。彼には聞こえなかったが、誰かが言ったことには気付いた。

 彼は目を閉じてみた。すると閉じた瞼の裏に、きらきらと光る無数の光があった。無数の光はぐるぐる同じ場所を回っていた。その中心には、大きな目を持った誰かがいた。

「だれ?」

 誰かは何かを答えた。

「それってなに?」

 ――名称。呼称。なまえ。

「なまえ!」

 彼は片手をあげた。

 誰かは名を教えた。誰かの名と、彼の名を。

「あのね、きみのことあわあわさんってよぶねー」

 瞼の裏に映った不思議な眼が、好ましいものを見るように細められた。


  *


 ――あれは星。

「星」

 閉鎖空間に唯一あいた窓から、彼は外を見上げた。星と呼ばれたものを指さした。

 ――大きくて小さいもの。

「大きいのに小さいんだーへんなのー」

 ――多くが生きている。

「生きてるー?」

 ――息をしている。思考している。変化し続けている。

「たくさんしてるんだーすごいね!」

 箱の中にいた誰かは、多くのことを知っていた。多くのことを彼に教えてくれた。

 名前のこと、その意味のこと。星のこと、天地のこと、風のこと、水のこと、土のこと、竜のこと、人間のこと。この世界のあらゆるもののことを。

「ねえあわあわさん、あわあわさんはものしりだねえ」

 彼は箱の隣に座って言った。箱は答えた。

 ――星にいた。

「星にいたの? すごいすごい! どんなところ? なにがあるの?」

 ――きみも。

「おれも? おれも星にいたの? じゃあどうして今は星にいないの?」

 箱は一度ゆっくりまばたきした。箱は彼を見た。

 ――流された。

「流された?」

 ――相容れなかった。

「あいいれ?」

 ――かれらにとって要らないもの。

「おれとあわあわさんは要らないの?」

 それから箱の中の誰かは教えてくれた。

 遠く離れたどこかで、けんかがあったことを。箱の中の誰かと彼がどうしてここにいるのかを。箱の中の誰かは何を好んでいるのかを。

 全てを聞き終わったあと、彼は言った。

「ねえあわあわさん、それってたのしいの?」

 彼の素朴な疑問に、箱は沈黙した。

「だってあわあわさんが好きなのって、おんなじことばっかりで、あたらしいことがなんにもないんでしょ?」

 箱は沈黙した。

「そんなのおれはつまんないとおもう」

 箱は沈黙していた。その代わり、それまで開いていたはずの箱の中の誰かの眼は、いつの間にか閉じられていた。

「あわあわさん?」

 箱の中の誰かは沈黙したまま、ふわりと浮かび上がった。そしてそのまま、この空間に唯一開かれた窓へと向かっていった。

「あっ」

 箱の中にいた誰かの実体のない体は、窓によって移動を遮られることはない。実体なき誰かは易々と窓の外側へと、暗闇と星だけがある世界へと抜け出した。

「まって、まって! まってよ!」

 彼はべたんと窓に張り付いた。彼は誰かのように外側へと抜け出すことはできなかった。

 彼は、箱の中の誰かを追って飛翔する、目を閉じた時だけに見えるあの小さな光たちを掴もうとした。しかし、光たちは彼の手をことごとくすり抜けていく。

「ごめんなさい! もうつまんないなんていわないから!」

 彼の言葉を誰かは聞かなかった。誰かの目は閉じられたままだった。

「だからおねがい、もどってきて!」

 彼のやわらかい腕が窓を叩く。誰かは小さな光の群れを引き連れてぐんぐんと遠ざかっていく。実体のある彼のやわらかい腕はどうしたってこの空間の外側に出ることはできなかった。

 無数の微かな光の固まりは、ついに本物の星空の中へと紛れて見えなくなった。彼は誰もいない部屋の真ん中にべちゃんと座り込んだ。

「さみしい」

 そんな言葉が口からこぼれていた。

 返事はない。音はない。

「さみしいー」

 誰もいなくなった部屋の真ん中で膝を抱えてうずくまる。いろんなことを考える。そうしているうちにきっと長い時が過ぎていった。

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