第24話 決闘前の朝
目が覚めた。
身体が軽い。
「ふぅぅ」
ゆるゆると息を吐くと、白くもやがかってかき消えた。
秋の朝である。空気が、引き締まるように冷たい。
「腹が減ったな」
布団を上げて、京四郎は立ち上がった。
前日まではろくに食事が喉を通らず、かゆのように軽いものしか食べていなかった。
しかし今はすこぶる体調がいい。昨夜までのけだるさが嘘であるかのように、全身に気力が満ち満ちている。
旅籠の二階部屋から出た。一階には共同の食堂がある。
運よく、食堂は開いていた。
「エールとモーニングを」
モーニングサービス、つまり飲み物にパンとゆで卵がつくサービスは三十年ほど前にとある宿屋が初め、その手軽さから瞬く間に国中に広がった。
エールはホップが発明される以前のビールのできそこないであり、麦芽と水だけでつくられる。かなり水っぽく、アルコール度数もほとんどない。
「うむ」
パサついたパンは美味くはないが、空腹という調味料のおかげで食が進んだ。
「ごちそうさま」
多めにチップを置くと、食堂のボーイは満面の笑みをたたえた。
「おありがとうござい」
田舎の宿なので、丁寧語もどこかおかしい。
「昼にここを経つんで宿代も支払いたいんだが」
「あい」
ボーイが奥に下がる。京四郎は財布を取り出して中身を数えた。
「おはよう」
仮面をつけた少年が、宿に入ってきた。ベルゼビュートである。
色々と裏工作にいそしんでいるのだろう、この少年は京四郎が寝ている間に方々を飛び回っているようだった。
「おお、はよう」
京四郎が返事をした。
「ようやく娘を説得してきた」
声に、わずかだがため息が混じった。よほどタフな交渉だったらしい。
「そりゃ、お疲れだったな」
「観戦をする事を条件に出されて、私が一緒に付くことで合意した。何かあったときに力ずくで抑えることも飲ませた」
「予知どおりか」
「そういえばそうだな。それと、フェルナンド殿も同じ場所から観戦する。先日提示したルールを破った場合には即座に介入すると釘を刺された」
「観戦場所は衛星上からか?」
「いや、この星の地上だ。決闘場所から五十キロ離れた場所にちょうどいいポイントがある」
銀河レベルの存在からすれば、かなりの至近距離である。例えば魔王ベルゼビュートは、爆発を防ぐ盾の魔法を五百キロ先の距離から一瞬で張り巡らせられる。
「レイニー銀貨で二十枚になります」
伝票をボーイが持ってきて言った。
「世話になった。釣りはいらん」
京四郎は銀貨を二十五枚出す。にやりと、ボーイは笑った。
「どもっす」
「体調はよさそうだな」
「ああ。……部屋で話すか」
「そうだな」
宿の部屋に移った。
「体調はすこぶるいい。装備のメンテナンスもあらかた済ませてある。あとは気持ちの調整だけだ」
「怖いかね?」
「怖いな。出撃の前はいつもそうだったが」
「意外に神経質なんだな」
「お前と一緒にするな」
「私が図太いみたいな言い方に聞こえるぞ」
「おいおい、ちょっと目を閉じてシミュレートしてみろ。出撃まであと二時間。メシも食った。睡眠も万全だ。さてそういう時お前はどんな感じだった?」
「ハイテンションになってた覚えがある」
「だろう。戦場でストレス発散してたよなお前」
「私の話はどうでもいいだろう」
自分から振っておいて、ベルゼビュートは強引に話題を打ち切った。
「そうだった。最後の仕上げに一つ頼みがある」
「何か用意し忘れたものでもあるのか?」
「いや。だから気持ちの調整だ」
「具体的には?」
「俺の頭の記憶内容の改ざんとテレパスを制限してくれ。予知の際に決闘相手の深層心理を読んじまった。このままだと剣先が鈍る」
「ああ。分かった。if then構文での暗示をかけるぞ。京四郎が死んだら解けるように設定しておく」
「頼む」
「目を閉じて、深呼吸をしろ。息を吸って……、吐いて……。吸って……、吐いて……。呼吸と一緒に身体の力を抜いていけ。ゆっくりでいい。吸って……、吐いて……。吸って……、吐いて……」
ベルゼビュートが誘導し、京四郎が誘導に従う。
「吸って……、吐いて……。心を平静に……」
手のひらを、京四郎の額に当てた。
「む」
京四郎が、小さな声を上げる。
「そのまま楽に。深呼吸を続けて。頭を空にして、お前は何も考えない。余計なことは何もかも忘れる。都合の悪い事は死ぬまで思い出さない。思い出せない。吸って……、吐いて……。今からゆっくりと目を開けると、何を忘れたのかも思い出せなくなる。吸って……、吐いて……」
言葉に従い、京四郎がゆっくりと目蓋を開ける。
「ふー」
京四郎は息を吐いて。
「何をしたんだ?」
尋ねた。
自分が暗示をかけて欲しいと頼んだことすらも忘れている。
「決闘に向けてのおまじないだ」
「おまじないねぇ」
「深く考えるな。ハゲるぞ」
「やかましいわ」
「余裕みたいだな」
「入れ込んでも仕方ねえだろう」
「やり残したことはないのか?」
「問題ない。全力を尽くすだけだ」
自信ありげに、京四郎は言った。
***
一方、その頃――。
ミストレス・マッセ・シエルファは、木に身体を預けて目を閉じていた。
寝てはいない。瞑想をしている。
果し合いの申し込みは受けられ、後は勝っても負けても死ぬ戦いが待つのみになって。
彼女が想うのは理不尽に対する怒りではなく、死への恐怖でもなかった。
『自力ではどうにもならない状況になったら、どうしたらいいと思う?』
ある日、師である神埼恵那に問われた事がある。
『わかりません』
少し考えてから、彼女は言った。恵那はくすりと笑い、
『まず無力を受け入れるんだ。そこが基点になる』
なるほど、と今になって思う。
死ぬことはとりあえず脇に置き、自分は今、何をしているか考えてみる。
命令されての同胞の惨殺、か弱い人間の男への因縁付け、決して生き残れると分かっている戦いに臨むことを強いられ、男を強くするためのかませ犬として殺されることになる。
ひどいものだ。
思わず笑いさえ浮かぶ。
けれど。
それでも残った感情がある。譲れない意地がある。
『私は剣士だ』
剣という、核兵器に比べてか弱い武器を扱うことを好み、倦むことなく鍛錬を重ねてきた。
師に恵まれ、才に恵まれ、奥義を会得して皆伝を許された。
どうせ、死ぬのなら。
天使としてではなく一人の剣士として、己の技量を出し尽くしたい。
『榊、京四郎か……』
対戦相手のことを考える。
ディアボロ時代の経歴は知っていた。彼もまた、神埼流を極めている。錬度で言えば、おそらくは自分以上だろう。
その証拠に、先回の対峙の際に自分の右腕を切り落とした斬撃。あれは神埼流の奥義の型・越影だった。
「頼む」
シエルファは呟いていた。
何を頼むのか。
相手が強い事を、神に頼んだ。
『どうせ死ぬのなら、剣士としての全力を出してから死にたい……』
無様な、歯牙にもかからぬ相手に殺されたくはない。
生涯で最期の戦いに向けて、シエルファは静かに闘志を燃やした。
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