第23話 死別した妻


 決闘を申し込まれ、その期日まで一週間を切った。

 それまでの激烈な稽古とは打って変わり、京四郎はのんびりとしたものである。

「猛烈にだるい」

 ベルゼビュートに言い、決闘場所から最寄の宿を借りるや、食って寝てたまに決闘場の下見をして戻ってきて食って寝る。また、魔王に頼んで用意させたアルミホイルをはさみで細かく切り刻んでいたこともある。はたから見れば奇行であろう。

「だるくて動けん」

「ドーピングの副作用が出始めたのだろう」

 肌のむくみ、血色を見て、ベルゼビュートはそう診断した。希釈しているとはいえ魔王の血を京四郎は摂取しているのだ。普通の人間ならば魔力の過剰摂取で心臓が破裂している。

「だろうな。ま、前日にはすっきりする計算だから大丈夫なんだが」

「そうか。何かしてほしいことはあるか?」

「テレーズを抑えておいてくれ。俺が死ぬのが回避できんとなると、あの馬鹿何をしでかすかわからん」

「言われるまでもない」

「少し寝る」

「わかった」

 目を閉じる男の邪魔をせぬよう、ベルゼビュートは部屋を後にした。


 やれるだけのことはやった。

 その思いが、京四郎の心を満たしている。

 未来予知で自他の行動を調べ、相手の提示したルールに抵触しない形でいくつかの罠も仕込んだ。

 不安は残る。だが、案じても仕方のないことだ。

 勝てない戦い、どれほど努力しても救えない命、そういう経験は何度もしてきた。何度も絶望を味わい、それでも努力する事はやめなかった。そうやって彼は生きてきた。

 人間として、榊京四郎として流れ着いたこの星で、さまざまな人と出会い。自分に出来る限りの方法で尽くしてきた。

 それは贖罪であった。

 過去に人類の全てを滅ぼしたことへの。あるいは、彼が追い詰め、殺してしまった勇者達への。

 とろとろとまどろみながら、京四郎は過去に想いを馳せる。

 七年前。

 二人の娘を託された、あの日のことを――。



***



「どういうことだ?」

 静かに……京四郎は言った。

「も、申し訳、ござ」

 目の前で、男が土下座している。頭の禿げ上がった男だ。しかし身なりは小ぎれいにしている。この男は亡八、つまり売春宿のスタッフであった。

「どういうことだと聞いている」

「その、分からなかったのでございます。ありきたりの風邪という話で身請けしまして、まさか結核をわずらっているとは」

 土下座した男の斜め後ろに、顔色の悪い、細い女が座っていた。

 金色の髪の、少しやつれた女だった。もともとは美貌の持ち主なのだろう。骨が浮かびかけた顔立ちはそれでも美しかったが、ひと目で病気であると分かる肌の色である。

「分かった上でも客を取らせたんだろう? よほどの上客がついたらしいが病人を働かせるのは協定違反だ」

「あの!」

 女が口を挟んだ。挟んで、咳き込んだ。

「私がそうして欲しいと……、お金がいるのです。小さな娘が二人、私がいなければ食べていけないのです」

「夫は?」

「流行り病で先立ちました」

 女が言った。

 京四郎の息のかかった女衒での出来事だった。

 彼は盛り場をいくつも取り仕切り、いざこざを調停する代わりに上納金を収めさせる、いわゆる香具師を生業にしている。

 女衒もその一つであり、管理売春の元締めをする傍らで彼はいくつかの協定を作った。


 一つ、未成年の身売りの禁止。

 一つ、病人の営業の禁止。

一つ、病気で働けなくなった際に互助となる労働保険への強制加入。

 一つ、定期的な健康診断と性病の届出。

 一つ、労働時間の上限の制定。


 制度の悪用、フリーライドを禁じるため、持病があることを偽って働く事も禁じていた。掛け金を支払ってもいないのに保険制度を利用されては財源が破綻してしまう。

「……」

 底冷えのする瞳で、京四郎は女を値踏みした。

 苦労人の顔だ。そして、何としてでも生きようという決意を秘めた顔だ。

「悪いが病気を撒き散らされても困るんでな。あんたに任せられる仕事は内職がせいぜいだろう。ここでは働かせられん」

「……」

 すがるような瞳で、女は京四郎を見つめる。

 この世界、この時代において、結核は死病である。

 健康体ならば感染してもどうということはないが、ひとたび発病してしまえば肺が徐々に破壊されていき、せきにより菌を周囲に撒き散らす。そのうち息切れがし、たんに血が混じり、やせ細って血を吐くようになる。

「どうか、働かせてください」

「食い扶持を稼げなければどのみち死ぬしかないか。ふん。金なら貸そう。だがここで働くのは許さん。客に病気をうつされても迷惑なんでな。出世払いということにしてお前さんの娘から取り立てるか」

「それは……それだけは……!」

「勘違いするな。債務をタテに娘に身売りさせるなんて真似はせん。だが、金を貸す以上はけじめはつける必要がある。それとも娘ともども路頭に迷って飢え死にするか?」

「……」

「養生して身体を治せ。もし元気になったらあんたから取り立てる」

「この病から治ったという話を聞いたことがありません」

「俺には万病に効く薬のあてがある」

 抗生物質の事である。

 医学博士を修めたテレーズは当時、この惑星にはいないが、京四郎にも多少の薬の知識があった。

「そんな薬を買うお金がありません」

「薬代は無料でいい。貸す金についても金利はとらん」

「え……」

「信じられんか。そうだろうな。時にあんた、名前は?」

「イレーナ・パーシバルと申します」

 名乗りつつ、女は咳き込んだ。

「俺は榊京四郎という。この街の顔役だ。他の女衒にもイレーナの風貌と結核持ちである事は触れ回っておく。どんなに隠そうが病気が治るまでは女衒で働く事は出来んと思え。夜鷹の真似も含めてだ」

 夜鷹とは、女衒に属さずに個人で客引きをすることだ。

「そんな……」

「ジョージ」

「へ、へいっ」

 土下座をしていた男が、頭を上げた。

「イレーナは誰の紹介で来た?」

「口入れ屋のエリヤフからです」

「裏を洗え。俺のところに病気の疑いがある女を入れる理由がわからん。わかってやったなら営業妨害だ。金をせびれ」

「かしこまりました」

「ああ、待て」

 立ち上がり、店を出ようとする男を引き止めて。

「ぐはっ」

 京四郎が腹を殴った。

 悶絶するジョージ。

「ペナルティだ。これでお前のことは許す」

「あ、ありがとうござい」

 痛みに、言葉が最後まで出ない。

「さて、イレーナ」

「は、はい……」

「当面の生活費は幾ら必要だ? 借金があれば包み隠さず言え。俺が債権主と話をつけてやってもいい」

「え……あ……」

 突然の展開に、男の厚意に理解がついてゆかず、イレーナは口ごもった。



***



(一銭の得にもならんのに、俺は何をしているんだか……)

 イレーナのカルテを見つめながら、京四郎は苦笑した。

 女衒で身売りしていた病人を引き取り、保養所に移して一ヶ月が過ぎた。

 結核にはカビから精製できるペニシリンは効かぬ。放線菌から精製したストレプトマイシンという薬がいるが、これはペニシリンに似た手法で抽出することができる。

 産業革命前の時代である。

 大した農薬がないこの時代。食料難での人死には珍しいことではないし、食い詰めて身売りする女など履いて捨てるほどいる。街の裏路地へ行けば、乞食がたむろしている。イレーナのようなケースは悲惨だがよくある話であった。

 だが。

 放ってはおけなかった。

 守る者を背負った者の瞳は、その奥に揺るがぬ炎を帯びている。

 京四郎がディアボロと呼ばれていた頃、何人もの勇者が宿していた炎だ。

 その炎が現実という壁に当たり、すり潰され、擦り切れて信念すらもが薄れ、守るべき者を手放してしまう――そんな状況に何度も立ち合った。

 誰も助けられなかった。

 シュザンナも。シュザンナの母親も。

 最愛の人を生贄に捧げ、それでも誰かを守るために戦い続けた、数多の勇者の心に触れ、痛みを自分の痛みとして味わってきた。

 今度こそは。

 デスマーチを発動させ、殺すたびに、京四郎は思ってきた。

 せめて、自分の手の届く範囲の者は守ろうと。

 誰かを守ろうとする者を、守ろうと。

(とどのつまり、俺はイレーナみたいな女に弱いんだ……)

 死病に侵されながら省みず、身売りしてまでも愛する者を守ろうとする。そういう相手に対しては、打算も欲得もなく、後先考えずに手を差し伸べてしまう。

 それに、もう一つ。

 死に行く相手に対しては、安心する事ができる。

 愛しても、殺してしまうことがない。彼が殺す前に先に死ぬからだ。

 デスマーチの発動を怖れずに済むからだ。

 他人との距離を置いて生きてきた。誰かを愛してしまえば、その誰かを殺してしまう危険があったから。だからこそ人の反感を買う無礼な言葉づかいをし、誰とも親しくならぬように距離を置いて接してきた。

 この時点で、症状を見る限りで、イレーナが助かる確率は五分ほどであった。

 彼の技術で精製できるストレプトマイシンは薬効に揺らぎがあり、量も安定して抽出できない。それに、結核菌はしぶとい。耐性菌に進化される危険があった。本来は数種類の抗生物質を組み合わせて殺す病気である。

「ああ……」

 そこまで考えて、京四郎は息を吐いた。

 本当は知っている。どうにもならぬことを。

 彼は知っていた。

 予知能力で見たのだ。彼女の結末を。治療の甲斐なく病魔に屈した、彼女の姿を。

 半年後に、イレーナは死ぬ。

 大粒の涙をこぼし、京四郎への感謝を述べて。

 娘を、二人の娘を幸せにして欲しいと、彼に哀願して。

 どうあがいても、救えなかった。

 何度やり直しても、どうにもならなかった。

 かつて彼と共に戦った、多くの勇者達のように。

 みんな、いい奴だった。自分の命よりも他人の幸せを願うような、馬鹿で愚かでいい奴だった。

 過去と未来への後悔が入り混じる中、京四郎は気づいた。

 イレーナを、愛していた自分がいたことに。

 未来を思い起こし、京四郎は何度も泣いた。人目をはばかりながら、泣きながら薬を作った。死に逝く彼女の症状を和らげるための薬を。

 そして、誓った。

 託された娘を、幸せにすることを。

 自分は不器用で、どうしようもならないほど人と接するのが下手だった。それでも一生懸命やろうと。失敗する事もあるだろう。喧嘩することもあるだろう。それでも自分なりに、出来る限りのことをしようと。

 そうして――。

 イレーナの死後、彼は二人の娘を引き取った。

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