第21話 再度の襲撃
その夜――。
地上に派遣された監視員、ローザは警戒をしていた。
目の前には魔王ベルゼビュートと、監視対象である榊京四郎がいる。
連日連夜、京四郎は呪文を唱えて槍を天空に飛ばし、夜を通して凄まじい訓練をしている。
それはいい。
緊張のていでいるのは、彼らの会話を盗み聞きしたからであった。
光学迷彩を施し、宙に浮いて雪に足跡が付くのを避けた。しかし気づかれている。
それもいい。
予想の範疇である。魔王も京四郎も、並の相手ではないからだ。
だが。
『ローザといったか、そいつが頭のおかしなテロリストの奇襲に合って、たまたま居合わせた俺が助ける』と、京四郎は言ったのを、彼女は聞いた。
冗談ではない。
怪我や死ぬことを恐れているのではない。
助ける、という言葉が気に食わぬ。
人間に、魔王に借りを作るなど論外であった。天使としての面目の問題である。加えて自分の技量を軽んじてるような言い方が、層倍に気に食わなかった。
――来るなら来い。絶対に捕らえてやる。
当然のことながら、ローザは知らぬ。
京四郎が未来を予知できることも、彼女を襲撃する相手が最上位の天使であるミストレス・アインスの息のかかった天使であることも知らぬ。
ローザという名前を京四郎が知っているのは、魔王が漏らしたからだと思っている。
加えて言えば先日、地上に派遣した監視員に危害を加えたテロリストは、魔王の手の者であると思っている。だから京四郎のわざとらしい警告は、監視名目で彼に張り付いている彼女への挑発だと思っている。
天使としてのローザの階級は上から五番目、力天使であった。
これは、全力を出せば太陽くらいなら破壊できる生物である。核融合爆発の直撃、数テラパスカルの圧力と数億度の炎に炙られても二十分ほどは活動できるし、全身をミンチにされた後に肉片を丁寧に焼かれ、それを海に流され魚の餌として食われても自己修復能力が発動して生き返る。二時間以内にだ。
要するに、十数日前に地上監視要員として派遣された者とは
『レベルが違う』
のである。
油断は、微塵もない。
「っ」
斬られた。
いつ、斬られたのか分からない。
右肩から左胸、心臓をちょうど通る形で鋭利な何かが身体を通った。
光学迷彩が切り裂かれ、胸から上と離れた身体が崩れ落ちる。
あふれ出た血が、華のように雪を染めた。
「火爆」
肺と頭とを切り離されながらも、ローザは口腔に残った空気を震わせ呪文を唱える。
爆発が起こり、雪が舞い上がった。
敵の追撃を防ぐ為だ。
コンマ数秒が経つ。斬られた胸から新しい胴体が生え、脚が生える。
同時に切断され、崩れ落ちた古い肉体が白い粉末状になりながら沸騰、蒸発した。蒸発した己の肉体を、エナジードレインの要領で吸収し再生の養分とするのだ。中位の天使なら誰でもできる。
ローザは周囲を見渡し、気配を探った。
殺気がある。だが、どこにいるかは分からない。
「出て来い。来ないなら広範囲を吹っ飛ばすぞ!」
警告ではなく本気だった。
答えはない。
いや。あっても、聞けはしなかったろう。
ぐらりと、ローザの身体がよろめき、どさりと、地肌の露出した山の上に倒れた。
背中に、苦無が刺さっている。
「おい」
男の声がした。
同時に。
腕が、血しぶきをあげながら宙を舞った。
女の腕だ。しかしローザの腕ではない。
「何者だ、貴様」
何もない場所から黒装束姿をした者が現れ、聞いた。
光学迷彩を解いたのだろう。
斬られた左腕の切断面が、蠢きながら再生をしていった。
「そりゃこっちの台詞だ」
油断なく剣を構えながら、京四郎が言う。
この時の両者の距離、およそ五十メートル。
斬撃があたる距離ではない。だが、確かにその刺客の腕は斬られていた。
「貴様がやったのか?」
落ちた腕をあごでしゃくり、聞く。女の声だ。
「だとしたらどうする?」
「一手、ご教授を願いたい」
女が身構えた。会話の間に、女の腕は再生している。腱も骨も肉も神経も血管もが切断面から生えてきて、手と指と爪までもが元通りになっていた。わずか数秒の出来事だ。
「アホか」
呆れたように、京四郎。
「拒否権があると思うのか?」
声に、殺気が帯びる。その殺気が膨らみ、有形の圧力となって京四郎へと襲い掛かろうとした瞬間――。
ぱちん、と、指が鳴る音がした。
「弱い者いじめは感心せんな。こいつは人間だぞ」
両者の間に割ってはいる形で、仮面をつけた少年が現れた。
魔王ベルゼビュートだ。
「く……」
刺客が、うめく。
身体が動かないらしい。ベルゼビュートの超能力のためだろう。
「このまま警察に突き出すか」
「だな」
ベルゼビュートの提案に、京四郎は頷く。
その時。
「核爆」
刺客が呪文を唱え。
山頂が吹っ飛んだ。
マッハ八の爆風が吹き荒れ、爆炎がキノコ雲を上げながら京四郎達に襲い掛かる。
京四郎はとっさに目を閉じ、両耳をふさぎ、身体を伏せ。
ベルゼビュートは超音速で、魔道による防壁を張り巡らせた。
一つは爆発をぐるりと囲むよう、山の周囲に。
一つは京四郎を守る盾として彼の周りに。
一つは刺客に襲われ倒れ伏した天使の周りに。
轟音が響き、大気が振動した。
核爆――核分裂反応を魔力にて無理やり発現させ、戦術核数十個分の爆発を引き起こす。破壊系としてはオーソドックスな呪文だ。しかし防がなければ、山脈全体が吹っ飛んでいる。
その爆発を、ほぼ完全に無力化し――。
「自爆して自ら肉片になることで逃げを打ったか」
ごくごく冷静に、ベルゼビュートは考察を口にした。
大天使レベルならばミンチになった程度ではすぐに復活する。自爆呪文で己の肉体を爆発四散させ、数十グラムの肉片を魔王の目の届かない場所へ逃がし、後はゆっくりと散らばった肉片に“召集命令”をかけながら再生させる。少しの覚悟と機転があれば出来ることだ。
「なかなか賢い」
「あんなのと戦わされる俺の気持ちが分かるか?」
ベルゼビュートの作った防壁から身体を起こし、京四郎。
「何でもアリなら百パーセント勝ち目がないであろうな」
「まったく。核爆発の直撃で消し炭になるわ」
「相手が京四郎だけなら、そういう魔法を使うことはなかろう」
「 “ご教授願いたい“か?」
「修行者が決闘を申し込む際に使う言葉だ」
「とんだ茶番だぜ」
「ふ。まったく」
裏の事情を知っている二人は頷きあった。
実際、ベルゼビュートが本気を出していれば捕らえることは可能だった。それほどの実力差が二人の間にはある。しかしあえて、彼は逃がした。
刺客を操っているのは最強の天使、ミストレスのアインスだからだ。
「く……」
ローザがうめきながら身体を起こした。
「おはよう。護衛ごくろう」
と、ベルゼビュート。
「煽るなよ、可哀相に」
たしなめる京四郎。目線は、ローザの方に向けられている。
「京四郎、お前は目を閉じろ。つかあっちを向け」
言いつつ、ベルゼビュートは指を鳴らす。
周囲にある塵や芥が集まり、蠢くと、女用の軍服となった。ご丁寧に白い下着まで添えられている。
「服を着ろ」
ボーイッシュな顔立ち。切りそろえられた短い髪と、不釣合いな大きな胸。天使は美貌を以って神に作られるといわれるが、なるほどローザの裸は男として見た時に十分そそる。
「……お心遣い、ありがとうございます」
襲撃を受け、裸体になったのにようやく気づいたらしい。ローザが服を拾った。のろのろとした動作だ。身体が、うまく動かないらしい。
「陛下が撃退されたのですか?」
着衣しながら尋ねる。
「ああ。捕らえて引き渡そうと思ったのだが、逃げられた」
「犯人の特徴は?」
「神埼流を使う天使だ。おそらく皆伝まで会得している」
「神埼流……?」
「天使のくせに神埼流も知らぬのか?」
「はい」
「神埼恵那という名前を聞いたことは……ないか」
「ええ。人間ですか?」
ローザの問いに、京四郎とベルゼビュートはなんともいえない表情で顔を見合わせた。
「ではない、な」
「ありえん」
ベルゼビュートの言葉に、同意する京四郎。
「これは二億年以上も昔の話になるが」
「におく、ねん……?」
「先代魔王グランベルドを倒す際、勇者シュザンナはディアボロという巨大な戦闘ロボットの力を借りた。そのディアボロの設計者が神埼恵那。神埼流の創始者であり、彼女の使う神埼流はディアボロの戦闘体系の基礎になっている。伝説の禁呪、デスマーチも彼女がもたらしたという説があるが、そもそも実在する生物かどうかも怪しい」
「スケールの大きな話ですね」
「神埼恵那の実在云々はともかくとしてだ。神埼流には三つの型がある。そのうちの一つ、越影は因果律に干渉し、この世に斬ったという結果を残す超光速の斬撃だ。防御も回避もできぬ。使われれば私でも防げぬし避けられぬ。ローザ殿を初めに斬ったのもその技だ」
「ああ……。それで」
何の気配を感じることなく初太刀を受けたことに、ローザは得心した。先に殲滅された三十七名の監視員達も、同じように越影による攻撃を受けたのだろう。
「越影の欠点は、撃った後に膨大な魔力を使う為に連発が出来ぬことだ。その状態で私が駆けつけたゆえ、勝てぬと悟ったのだろう。刺客は逃げていった」
「納得しました……く」
苦しげにうめき、ローザは片膝をついた。
「毒か」
ベルゼビュートが言った。
脂汗が、彼女の頬に浮かんでいる。
「ローザ中尉!」
ひゅううううん、と。
上空から音を立て、人間の形をした生物達が落ちてきた。
「ご無事でしたか!?」
天使なのだろう。警察の制服を着た女が尋ねた。
「ああ……どうにか」
かすれた声で、ローザは答える。
「陛下。それに榊殿。申し訳ありませんが事情聴取にお付き合い願えますか?」
天使が尋ねた。
「手短に頼む」
ベルゼビュートが答えた。
夜の闇の中を、星が瞬いている。
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