第16話 聞き取り調査
「はっ」
目を覚ましたブレンダの視界に入ったのは、見知った天井だった。
宇宙船内にある救護室。惑星ヒヒイロカネではじめて発見された希少なヒヒイロカネ鉱石が壁に埋め込まれている。それは肉体の再生を助けると共に、緩やかに魔力を充填してくれる便利な代物であった。
「おはよう曹長。自分の名前を言えるかの?」
声をかけられた方に視線を送ると、バケツのような円筒形の頭から緑色の触手を何本も生やした生物がいた。胴体らしき箇所は白衣に包まれ、その脚の部分からも触手が生えている。
彼は、天使でも魔族でもない。
ヒポポラス小星雲を支配している軟体型生物だ。エドワードと呼ばれている。
連邦警察所属の軍医であった。
「ミストレス・マッセ・ブレンダ」
「けっこうですえ」
美声である。コントラバスの、太い男の声だ。
彼は名俳優オスカーワイルドの声を参考にして作られた人工発声器を使っている。
「テレーズ氏の監視任務についていたはずですが」
「その任務で肉体を細切れにされた上に油を撒かれて焼かれたが、記憶はあるかえ?」
「ええ……と」
ブレンダは視線を下げ、自分の身体を見た。
裸。胸を晒した姿。その状態で、必須ミネラルとカロリーで構成された培養液に漬けられている。ちょうど、バスタブで半身浴するような格好であった。
両腕が、ない。
両脚も、ない。
へそから下の身体が、ない。
回復しようにも、生命力の源である魔力がほとんど尽きている。普段の自分ならば、この程度の損傷は数秒で再生するし、実際に再生した。絶えず前線で活動する下っ端の天使にとって、ミンチにされるような経験は珍しいが百年のうち数回は起こる。
「痛みはありません。ただ少し……、頭がぼんやりします。記憶が混乱しているようで」
「さもあろう」
「?」
「難解な毒が検出された。どうやら魂に侵食する作用があるようでな。こと天使にはよく効くはずだわえ」
「任務中に何者かに毒を盛られたのですか?」
「状況からするとそうらしいの」
「私はどのくらい寝ていましたか?」
「四十二時間じゃ」
「映像記録を見せていただけますか?」
「それがのう、ないのよ」
「ない?」
「襲撃の最中、監視衛星全てが通信障害になった。現場に設置したレコーダーもほとんどは持ち去られるか、残ったものも完璧に破壊されとる」
「地上に派遣された職員は? 相互に連絡をとりあっていたはずですが……」
「全員が曹長と同様の襲撃を受けて現在蘇生中だわえ」
ぷるぷると、エドワードの触手が震えた。怒っているらしい。
「頭部を切断した後、バールのようなもので粉々に粉砕。さらにガソリンをかけて焼くという周到な殺害方法。普通の生物だったら間違いなく死んどる。もっとも今回の任務に普通の生物はおらぬがの。燃焼後の灰が現地に残っていたのでそれを集めて培養槽に突っ込んだ」
「うわ……」
流石に寒気がした。
仮死状態からの数百年、数千年を経ての再生は、半不死身の生物にとっての恐怖である。意識のない間に世界の潮流に完全に取り残され、同世代に生きた寿命の短い者と二度と会えなくなる。浦島太郎だ。
「まったくのぅ。肉片を海にでもばら撒かれてたら再生に数千年はかかってたろう」
クマムシという生物がいる。
過酷な環境下に曝されたとき、その生物はミイラ化し仮死形態をとることで死を免れる。宇宙空間でも死なないし、砂漠の高温にも耐える。
ブレンダの身体は、焼かれた際に細胞表面に炭化層を築き、内側の遺伝子情報を保持していた。
そして、列強と呼ばれる種族の多くは、遺伝子一つ一つに強固な魂を持つ。
たとえ切り刻まれ、すり潰され、焼かれても、魂が残る限りその肉体は再生する。
それが今、文字通り灰にされたにも関わらずブレンダが生きている理由であった。
とはいえさすがに無事ではない。再生の為に大量の魔力を消費し、四肢までは再生できていない状態である。
「襲撃された仲間は無事ですか?」
「なんとかの。ただ、再生に時間がかかる数名は本部に戻したわえ。盛られた毒が再生の邪魔をしとる」
「私の方は、完治まで時間がかかりそうですか?」
「両手足の再生までには数ヶ月かかる計算になるのう。そこから何ヶ月かリハビリをしてみて、後遺症がどの程度残るかは経過を見てみんとわからん」
「そうですか」
「ここの設備では手が余る。本部の総合治療室に送る手配しておるが、送る前に襲撃の情報を聞きたいと上から言われたんじゃ」
「失礼します」
医務室の隔壁が開き、短い黒髪の女が入ってきた。
目つきが鋭い。そして胸がでかい。
「軍曹の容態は……、おきましたか」
「今しがた意識を取り戻したところですわえ」
「会話をできる状態ですか?」
「記憶に混乱があるようですが、応答ははっきりしております」
「何よりです」
女はエドワードからブレンダへ顔を向けた。
「ミストレス・マイト・ローザ中尉。配属された船は違いますが顔は何度か見た事はあると思います」
マイトは天使の階位で力天使を表し、上から五番目にあたる。大天使であるブレンダの三つ上だ。
「お疲れ様です。この度はこのような失敗をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「謝る事はありません。敵戦力の見積もりを誤ったこちらの失態です」
「敵の正体は?」
「今、探っています」
「私はどうやって襲われましたか?」
「二二・三○にブレンダ軍曹からの定時報告あり。三二に通信障害発生、惑星に派遣した三十七名全員の情報が遮断。四五に通信障害回復。ただし惑星上の通信機が破壊されており、連絡不能。監視衛星からの拡大画像で派遣員のいた場所に野焼きの跡を発見。五○、戦闘員と医療員を地表に派遣。五五、現地に残された灰を遺伝子検査し派遣員のものと確認。順次回収して再生処理を施す。
それからも現地調査を続けていますが、敵の残した痕跡はなし。襲撃に用いられたガソリンは成分分析で現地惑星の地表から産出されたものと判定されました」
「っ……」
ブレンダが顔をしかめた。
「すみません、少し頭痛が」
「記憶はどの程度ありますか?」
「定時報告をした事は覚えていませんが……ああ……鋭利な刃物で身体を切断されて、直後に何か尖った物を投げつけられた覚えが」
「刃物と、尖った物?」
「その武器のどちらかか、両方に毒が塗られていた可能性がありますのう。軍曹の身体は粉微塵になるまで粉砕された後に火をつけられていましたが、微塵になった際に毒を散布されたにしては抽出量が少なすぎる」
エドワードが言った。
「毒の解析はどの程度まで?」
「猛毒のアルシンと何かようわからんものの混合物までしかわからん。アルシンは砒素さえあれば簡単に合成できる。ようわからんものはまだ解析できとらんが、魂を侵す作用があるらしい。記憶障害もそのせいじゃ。どちらもあの星のものか星の外から持ち込まれたものか判別できんのぅ」
「軍曹の脳に物理的な損傷はありますか?」
「ありますえ。記憶野他の一部が寸断されとる。吸出し行為はまだやっても無駄じゃろ」
脳に特殊なケーブルを刺し、記憶を読み取る行為を隠語で吸出しと呼ばれていた。苦痛はほとんどなく、プライバシーの問題を除けば危険もない。記憶を定期的に吸出し、本体が死亡した場合のバックアップ用として保全している生物も数多いる。
「わかりました。軍曹。当面は船の中で回復に専念してください。こちらは犯人捜査に全力を挙げます。何か思い出した事があったら些細な事でも言ってください」
「了解。……あ」
「何か?」
「さか……、さかき……と、犯人が呟いていた気が」
「さかき?」
「はい。聞き違えかもしれませんが」
「一応は調べてみます。しばらく、無理はなさらずに」
「お気遣い感謝します」
緊張と疲労のためか、受け答えをするブレンダの顔に疲労が浮かんでいた。
延べ数千時間の戦闘訓練を受けた特殊職員だが、やはり毒を盛られた上にすり潰され、四肢の再生すら追いつかない状況は辛いらしい。
「軍医、よろしくお願いします」
「手は尽くますえ」
***
「と、いった状況です」
場所は、監視衛星の執務室。
医務室でのブレンダからの聞き取りを、ローザは報告した。目の前のデスクを隔てて、最高責任者であるフェルナンドが座っている。
机に、書類とボイスレコーダーを置く。
「医務室での会話内容の書き起こしと録音です」
「御苦労」
焦点の定まらぬ目で、フェルナンドが抑揚なく告げた。
「質問してもよろしいでしょうか?」
「許可しよう」
「誰の仕業ですか?」
「我々ではない。それだけは確かだ」
「了解しました」
返答を受けた、ローザの声が弾んだ。デスマーチの封印に絡み、身内にまで手をかけた可能性をかすかに疑っていたのだ。
何しろ今回の襲撃と魔王来訪の件を合わせ、惑星上の監視体制の強化要請が連邦本部から可決され、戦力を増員する名目が立った。
「少尉は誰の仕業だと思う?」
「魔王、もしくはその使徒によるものではないかと」
「理由は?」
「まず、狙いは分かりかねますが本件で敵対していることが一つ。次に、わずか十三分で痕跡を残さず、特殊訓練を受けた三十七名を全て処理した手際は相当の実力者でなければありえません。最後に、魂を侵食するような特殊な毒を精製できる技術は現状では魔界か天界にしかないと聞いております」
「妥当なところだ」
「いかがなされますか?」
「どんな妨害があろうと、デスマーチを封印するというこちらの方針は変わらぬ。襲撃に関しては確たる証拠はない。あったとしても国家元首がテロを行ったと公表すれば戦争になる。戦力と武装を対使徒クラスを想定したものに引き上げつつ、予定していたタスクを前倒しする。
ローザ少尉は現地調査の一団に参謀として加われ。辞令の書類は四時間以内に出す。戦闘に伴う百名までの現地民の巻き添えは許可するが、戦闘は極力避けよ。範囲攻撃でもしサカキ・キョウシロウを殺してしまえばデスマーチに巻き込まれるし、検証試験にも支障をきたす」
「承りました」
「通達事項は以上だ」
「はっ」
敬礼し、ローザが退出した。
フェルナンドは死んだ魚のような目で、彼女が提出した会話ログに視線を落とす。
『誰の仕業だ?』
内心で呟く。
ブレンダの証言を、何度も読み返す。
『サカキ・キョウシロウの仕業ではない。奴のスペックではあの短時間に三十七名の特殊部隊員を殺害してのけるなど到底できぬ。では、誰が?』
では、魔王ベルゼビュートの犯行か?
『分からぬ。無関係の警察職員まで殺して奴に何の得がある?』
その疑問が、頭から離れぬ。
結果的には全員が無事だったが、手口には本物の殺意がある。
『考慮に入れる必要があるな。内通者の存在と、本物のテロリストが現れた可能性を……』
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