第17話 犯人の目的


 襲撃事件から一夜明けて――。

 その日は秋にしては日差しが強く、暑かった。

 時刻は、昼を過ぎている。

 野外に、異様ないでたちの女が一人。

 太い樫の木に背を預けて座り、けだるげに目を閉じている。妖魔や盗賊が出没するほどに治安の悪いこの時代、屋外での居眠りは自殺行為に近い。

「ふ……ああ」

 薄くリップを塗った唇から、あくびが一つ。

「胸糞悪い……」

 けだるげに呟く。

 首を振ると、ターバンのように頭を覆う黒い布から金色の前髪が垂れ下がった。

身体のラインをきわどく浮き上がらせる黒装束。小高く形のいい鼻から下は覆面に覆われている。二本の小太刀を傍らに置き、ショルダーポケットからは物騒な苦無が覗いていた。

「おうっ」

 驚嘆と共に、びくっと、女の全身が震えた。

『アインス殿』

 目を閉じてシエルファは思念を聞き、返事をする。

『はい、ご命令の通りに。……ええ、きちんと殺害をしたつもりでしたが……生き残っていた、と。申し訳ありません、ターゲットの生命力を侮っていました。ご命令があるなら今から殺害に出向きますが。……、必要ないと。かしこまりました。

……。

申し訳ありません。嘘をつきました。同胞を殺害せよとの指令には従えず、半端に行いました。処分はなんなりと。……恐悦です。はい、任務の重大性は分かっております。はい。任務を復唱します。戦闘狂の堕天使としてテロ行為を行いつつ、榊京四郎を追い詰めること、頃合を見計らって戦うこと。戦闘行為を通して、現在どの程度の不死身さを備えているかを計ること。デスマーチのデータをとるために彼を殺害すること。以上です。はい。この度の任務を通して私が確実に死ぬ事は分かっております。問題ありません。同胞を殺害するよりかは気が楽です。はい。神の御心のままに』

 念話が終わった。

「く、はっ」

 シエルファは大きく息を吐いた。

「はっ、はっ、はっ……」

 動悸が乱れ、それを鎮めるために何度も呼吸を繰り返す。

「理不尽野郎め……」

 うめくがごとく、彼女は呟いた。

 シエルファがアインスと呼んだ相手。天使である。

 熾天使という最上位の天使であり、大天使のシエルファからは七つも階級が高い。

 智天使は天体の運行を司り、その上にいる熾天使は宇宙を司る。

 一方の大天使は、雑務役である。出せる力もせいぜい戦略核の爆発程度であり、惑星を砕くほどの力もない。立場で言えば大統領と入社間もないOL社員。命令を拒否するどころか、直接声をかけられるというシチュエーション自体がありえない。

 そのありえない事態が、この惑星で起こっている。榊京四郎、魔王ベルゼビュート、そして禁呪デスマーチを中心にして。

「うんざりする。何人殺させるつもりだ……」

 目を閉じ、けだるげに呟く。

 疲労が彼女の全身を覆っており、身体は鉛のように重かった。

 神埼流の皆伝とはいえ、短時間で三十七名もの超生物を痕跡なく殺してのけるのは並大抵のことではない。

 アインスから一時的に魔力を借りて分身体を作り出し、その分身に何重ものセンサーを潜り抜ける高度なステルス処理を施し、レコーダーの破壊と通信妨害の準備が整うと同時にほぼ一太刀で全員を仕留めた。

 デスマーチを知っていることを匂わせる為、榊、との言葉を残して。

 アインスは、彼女が仕留めそこなうことも計算に入れて指令を下したのだろう。大天使クラスの生物は核爆発の直撃を受けても二割の確率で生き残る。粉々にすり潰して焼いた後の灰を海に流しても運が良ければ復活する。

だが、シエルファはそこまで徹底して殺さなかった。

「うんざりだ……」

 誰も殺したくない。

 魔族も、天使も、あの男も。

 何より、やり方が気に食わぬ。

 榊も魔王も、デスマーチの危険性はわかっているはずだ。ならば話し合って解決すればいい。人間にとって不老不死になる事は喜ばしい条件のはずだ。

 何故、殺す必要がある?

 今さら何を検証するというのか。デスマーチのデータは先代魔王の頃にとり尽くしている。

 何故、同胞を罠にはめる?

 力不足だというのなら政治的権力を駆使して人員を差し替えればいい。

 上の考える事だ。何かしら理由があるのだろう。だが宇宙を守るという目的は、仲間や何も悪い事をしていない者を殺す事を正当化するのか。するとしても、他に方法はないのか。

 腑に落ちない。

やらなくてもいい殺しを命ぜられ、やらされる羽目になれば誰とていい気分はしないだろう。

 だが、やらなければならない。

 戦闘の魅力にとりつかれ、人殺しが大好きな者として振舞わなければならない。与えられた任務を遂行し、神埼流の名を汚さなければならない。

 天使は、より上位の天使の命令には逆らえないように作られている。命令に従う為のコードが遺伝子と魂との複数の階層に埋め込まれているのだ。

 そのコードの強制力はすさまじく。理不尽な命令に抗い、その懲罰として意志を奪われ生ける屍と化した天使はそこらじゅうにいる。最悪の場合は心を殺され、身体の主導権を命令した者に握られてしまう。

 連邦警察の最高責任者として派遣されたフェルナンドもそうだった。熾天使の下した殺戮命令の一部を棄却し、その罰として数億年もの間、感情を奪われるという刑を課された。

彼女が人形のような無表情で、死んだ魚のような目をしているのはそのためだ。

今、シエルファが命令を破棄すれば、感情のない戦闘機械にされるだろう。それは粛清よりも、理不尽な命令に従う事よりも嫌だった。

 たとえ、どんな過酷な運命であろうとも、彼女は彼女でありたかった。

 シエルファは、身震いする。

 怖い。

 自分が自分でなくなるのは、死ぬより怖い。

 ましてや、自分ではない自分が操られるままに殺人を侵すのは。

 さりとて、自殺もできない。

 自殺するには彼女の生命力はあまりにも高すぎ、執行するまえに蘇生されるのは目に見えていた。その後にあるのは、命令違反に対する懲罰だ。

「師匠(マスター)……」

 つぶやく、その声は下っぱの悲哀と、心身の疲労による憔悴が入り混じっていた。

「もし師匠なら、どうなされますか?」



***



「参ったな……」

 昼。京四郎が目覚めての第一声がそれだった。

「おはよう」

 目の前に仮面をつけた少年がいる。添い寝。抱きついてきているわけではないが、距離が近い。彼のベッドにもぐりこみ、かけ布団を共有してきている。

「離れろ。蹴るぞ。俺は女は好きだが男はきれーだ」

「つれないなー」

「お前……」

「うん?」

「まさか寝てる時も仮面をつけてるのか?」

「事情があってな。外せんのだ。先輩を抱く時もこのままだぞ」

「すげえな。てか、いつの間にもぐりこんだ」

 京四郎が立ち上がった。ランニングシャツの上にお気に入りのポロシャツを羽織る。下はジャージである。

「京四郎が寝てる間に決まってるだろう。馬鹿なのか?」

少年が大げさに首をすくめた。

「熟睡してて気づかんかったわ」

「いい夢は見れたか? 困ったと言ったが」

「それよ。色々と困ったシチュエーションが出てきた」

「死ぬ以上に困ることなどあるのか?」

「あるぞ。俺を殺すべく差し向けられた刺客がいい奴なんだ。おめーの母親に良く似てた」

「……初耳ね」

 仮面をつけた少年――ベルゼビュートの口調が、女のものに変わった。

「いい女だった」

「お母さんが? 刺客が?」

「両方」

 京四郎の顎にグーパンチが当たった。無拍子なのでよけられなかった。

「いてえよ馬鹿」

「仕方ないだろう、むしょうにぶん殴りたくなったんだから」

「理不尽だぞてめー」

「私の前で他の女に惚気るな。……まあいいわ。いたのか、親が」

 感慨深げに、ベルゼビュート。

「わたしゃてっきり、京四郎と同じで人工受精卵から出来たと思ってたわ。へー。いたんだ、親が」

「大人になってから話そうと考えてたが、今まで言いそびれてた」

「元パイロット?」

「そう。事情があって使徒の中には残ってないだろうがな」

「確かに先輩達に母親らしき人の心当たりはないな。……ふむ。ま、今回の件に片がついたらゆるりと酒を酌み交わしながら話してもらおうか。よし。決まり。成功報酬はそれでいこう」

「分かった。片がついたらな。ともあれ困った……。未来で俺と戦うことになる奴はいい奴なんだ。殺したくない。そういう気持ちだとどうしても剣先が鈍る。だが中途半端な覚悟で戦えば俺の方が間違いなく死ぬ。かなり強い」

「感情を排して戦えばいいだけだろう。なんなら催眠暗示をかけて一時的に戦闘マシーンになるようにしてやろうか?」

「あー。そういう手があるか」

「いいのか? あっさり受け入れて」

「当然だ。家族の命がかかってるからな。やれることは何でもやる」

「ふむ」

「といっても、迷いを捨てただけで確実に勝てる相手じゃない。準備が要る」

「はいはい。ご要望ならなんなりと聞くぞ」

「今回の敵と同程度の技量の修行相手、地球シュミレータ級の演算速度のコンピューター、形状再生合金で出来た槍を三万本、魔力増強(ドーピング)剤、普通のアルミホイルを一巻。槍の形状は俺が図面を引いて指定する」

「ふむ。なんとかしよう」

「助かる」

「言い忘れていたが私はあと四十時間程度で一旦この星から退去しなければならん。その後、残れるかどうかは不確定だ。ゆえに戦闘訓練には付き合えんぞ。分身も残せん」

「大丈夫だ。戻ってくる未来が見えた」

「なるほど」

「ああ、そうだ。仕事を片付けるのも手伝ってくれ。お前なら五分で終わる」

「仕事? 殺人か?」

「待てや。刀の研磨だ」


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